両雄激突!
絶体絶命、そんな言葉は本やドラマの中だけの事だと思っていました。現実にそうなると逆に腹が決まるっていうか、冷静になるものなんですね。きらめく槍が数十本。全部僕を殺すために向けられてる。ははっ。
「おいおい、何だこりゃ? ともかく人払いしろよ、なあ? 信玄公」
綱さんが鎧から顔を出してそんなことを言う。信玄公は一瞬目を見開いて、ぎろっと綱さんをにらみつけた。だけど、他の人には聞こえていないようで、みんな、信玄公の指示を待っていた。
「なんだ、馬にけられたの内藤君に馬場ちゃん? あはは、いい気味だよね、そう思わない? それよりもさ、お尻、痛むよね。おじさんはね、そんなあんたを助けに来たの。あんたの痛み、誰よりもわかるからね」
ま、そりゃそうだよね、本人だし。
「……」
信玄公は無言のまま、さっ、と手を振った。僕に槍を向けていた人たちは不満げな顔で陣幕を出ていく。さすがの威厳、と言ったところか。
「……痛いの。すっごく痛いの。お尻がやけどしたみたいに痛むの!」
信玄公は藁にも縋る、そんな顔をして僕の手を取った。
「うん、痛いよね。わかるわぁ、おじさん、すっごくわかる。おじさんはね、この世で一番のあんたの理解者だから」
カエルの晴さんは涙を流して信玄公の手に飛びはねて、その手に抱き着いた。信玄公もうるうると目を涙ぐませる。
「えっと、信玄公、いろいろ信じられないことばかりでしょうが、騙された、そう思ってこの薬をお尻に塗ってみてくれませんか?」
「……やぶさかではないが、それは?」
警戒心が強いのか、薬に手を伸ばしかけ、ためらう。そんな信玄公に、晴さんが力強く言葉をかけた。
「大丈夫! もしダメだったらおじさんたちを殺してもいいの! だから早く!」
「……わかった」
信玄公は床几を立つと、僕の手から薬の入ったチューブを受け取る。そして晴さんと一緒に陣幕を出た。
「ふう、これで一件落着って奴だな。ご苦労さん」
「本当に大変でしたね、綱さん、協力ありがとうございます」
「いいって事よ。俺の役目は歴史を守ること。余計な奴、余計な偶然、そんなもんで歴史がかわりゃ後世のおめえらが迷惑する。鬼と戦ってまで守ったこの国だ。どうせなら最後までってな」
「すごい志ですね。尊敬します」
「よせやい、こうした事が出来るのもすべては姫のおかげだ。おめえも竹取の子孫としちゃなかなかの働きだったぜ?」
「あのカメはむかつきますけどね」
「そこは同意だ。んじゃ、俺はそろそろ行くぜ。おめえらも結果を見届けたらすぐに戻れ、これ以上の厄介ごとはごめんだ」
「はい、お元気で、綱さん」
「おめえもな。それと、信玄公がグダグダ抜かすようならケツに火のついた薪を押し込むとでも言ってやんな」
はははと笑いながら綱さんは砂のようにさらさらと消えていった。
しばらくすると晴さんを肩に乗せた信玄公はにっこにこで戻ってくる。晴さんからいろいろと含み聞かされたようで、すべてを把握した顔だった。
「たっちゃん、だっけ? かたじけない。すべてはこの、カエルの御仁から。この通り、感謝する」
そう言って手を握る信玄公、僕は手を洗ったかどうかがすごく気にかかったが、とりあえず愛想笑いをしておいた。
その日は信玄公のはからいで食事を共にし、ゆっくりと眠る。水筒にティッシュ、持ってきたものが初めて役に立った。晴さんと信玄公は酒を飲みながら家臣の悪口に夢中だった。
――そして1561年の9月10日、運命の朝を迎える。濃い霧が立ち込めていた。
「さ、霧が晴れたら来るからね! 信玄殿、お尻は?」
「うむ、大丈夫、カエル殿。ぎゅっと絞めても痛まないよ」
「かっこよくね! 頑張って!」
僕と晴さんは邪魔にならないよう陣幕の隅に移動する。しばらくするといくさの音、そして声が響き、本陣には次々と伝令がやってくる。
「典厩殿、お討ち死に!」
その報に本陣にいた人たちからどよめきが起きた。そしてすぐに馬が本陣に乱入する。その馬にはもちろん、頭を白い頭巾で包んだ謙信公。約束通り槍ではなく刀を携えていた。そして運命の一瞬! 謙信公は馬上から刀を振るい、信玄公は床几に座ったまま、それを軍扇で受けた。カシっと音がして、両雄は僕を見てニコッと笑う。
「うんうん、すごい、すごいよ! おじさん、なんだか泣けてきた!」
「ですね、さ、帰りましょうか」
二人に手を振り陣幕を離れる。そして戦う両軍を見ながら歩いていった。
「胡桃沢の娘!ここは我ら矢島が支える!お前たちは退がれ!」
若い武者が馬上でそう叫んでいるのが見えた。
「ちょっと、何言ってんのよ!総次郎様がいくら強くたって無理に決まってるじゃない!」
「いいから引け、最後に女を守って死ぬのも悪くない」
「嫌よ!あたしも一緒に!」
「郎党ども!その娘を死なせるなよ?」
女武者は郎党に引きずられて下がり、若い武者は敵に突入していった。
「ねえ、晴さん、あの人すごいね。それに女の子が」
「ああ、あのあたりは諏訪西方衆ね、あったまおかしいのよ、あの人たち。そうそう、あの女の子はすごい働きするよ、兜首を五つだったか挙げて。女武者なんか珍しいからね。表彰したの覚えてるもん」
「へえ、あ、男の人、槍で刺された」
「そりゃそうでしょ、あんな中突入するとかおかしいもの。さ、帰ろう」
僕たちはかぐやさんと連絡を取り、空間に穴が開くのを待った。その空間が開こうとしたときにわずかにノイズと言うか、バチバチっと火花のようなものが散った。
「ふう、ただいま」
そう言ったもののかぐやさんは真剣な顔でモニターを凝視していた。
「なに、どうしたの?」
「なにか、次元移動装置に別の力がかかったのよ。よくわからない力が。ま、いっか、どうでも。よくあることだし」
ま、どうでもいいならいいが、それはともかく、部屋は全力で散らかっていた。お菓子の食い散らかし、ジュースをこぼした後。そしてそのお菓子の袋や食べ終わったカップラーメンは全部放置したままだった。
「あの、かぐやさん?」
「なによ」
「この散らかり方、どういう事?」
「仕方ないじゃない、片付けてくれる人がいないんだもの。あんた、早く片付けなさいよ」
「ざっけんな! このクサレガメ! てめえの散らかしたところぐらい片付けろ!」
「いやよ、お片付けなんてしたことないもの」
むっかーっと来た僕は逃げ回るカメを捕まえようと、必死で追いかける。カメはカメのくせに素早くて、なかなか捕まらない。
「もう、わかった! あたしが悪かったから!」
「絶対に許さねえ!」
「あー、おじさんは、ちょっと疲れたから寝るね。あっちのアパートの部屋、借りるから」
晴さんはそう言って部屋を出ていった。
「はっはー! 捕まえた!」
「いやぁぁ! 何するつもりよ! エッチな事したら許さないんだから!」
「誰がするかぁぁ!」
僕は全力でカメを蹴り飛ばす。なにせ鎧を着ているから硬いカメを蹴っても痛くないのだ。カメは甲羅に身を潜め、アパートの長い廊下を滑っていった。そして向こうの壁にこつんと当たると跳ね返ってこっちに向かってくる。しかもすごい速度で。
「晴さん! よけて!」
えっ? っと振り向いた晴さんを跳ね飛ばし、そのままカメが向かってくる。
「うわぁぁぁ!」
僕も跳ね飛ばされカメがごつんと壁に当たって停止した。
「あ、あたしを蹴るなんて上等じゃない」
そう言って立ち上がったかぐやさんも目が回ったらしく、そのままコテンと倒れこんだ。
かぐやさんが散らかした部屋を二人で片づけ、風呂に入って身ぎれいにする。その日の昼は晴さんも交えた三人で食べた。メニューは焼きそば。簡単にできて美味しいもんね。卵を絡めるとなおいい味に。
「さて、おじさんもそろそろ戻らないとね。たっちゃん、それにかぐやちゃん。本当にありがとう。おじさん、長年のつかえがとれたよ。これで成仏できるかも」
「何言ってんのよ、あんた」
もそもそと焼きそばを食いながらかぐやさんがそう言った。
「えっ? だって」
「あんた、あたしに借りがあるのよ。それを返すまで成仏なんかできるわけないじゃない」
「借りって? おじさん、ちゃんとポイント払ったでしょ?」
「そうね、けどほら、謙信の願い聞いたじゃない? あれに200ポイントかかってるのよ。だからあんたはあと200、あたしに借りがあるって訳」
「えーっ! ちょっと! そんなのって!」
「ま、ポイントは残ってないでしょうから現金でいいわ。そうねえ、6億円ぐらい?」
「あ、あ、あんたねえ! そんなこと、許されないですよ! しかもろ、6億なんて、払えるわけないでしょ!」
「ともかくはここの一号室、そこに住みなさいな。あとはこっちで働いてちゃんと返すのよ? それと家賃もちゃんと入れなさい。そうね、30万くらい?」
「ばば、ばっかじゃないの! こーんなボロアパートでさ、30万! おかしいから、出るとこ出ますよ! おじさんも!」
「もう、仕方ないわね。じゃあ、家賃は6万でいいわよ。けど敷金とかちゃんと払うのよ? 300か月分」
「もういい、もういいです、おじさんが働けばいいんでしょ! ええ、そうでしょうとも!」
「あと風呂掃除はあんたの役目ね。部屋もきったなくしてたら許さないんだから!」
晴さんは頭をバリバリっとかいて、水を飲むとふて寝した。
「それじゃしばらくはごはん、食べさせてよね。おじさん一文無しなんだから」
「仕方ないわねえ。その分働きなさいよ」
戦国の英雄、甲斐の虎と呼ばれた武田信玄はこうしてアパート暮らしの労働者に改造された。
翌日は月曜日、僕は学校に、晴さんは朝から職探し。いろいろな必要書類はかぐやさんの力で何とかそろえ、ハローワークに向かっていった。お昼は買い置きのカップラーメンで済ませてもらう。なにしろうちは貧乏なのだ。
そしてカメ、いやかぐやさんはなぜか学校についてくると言い出して、小さくなって僕の胸ポケットにもぐりこんだ。
「あー、いいわねえ、学校。あたしも女子高生とかしてみたかったなぁ」
「そんなにいいものじゃないですよ」
「でもさ、制服とかきちゃって、羨ましいなぁ」
かぐやさんはそんな事を言っていたが昼前にはすっかり飽きてしまったらしく、僕の胸ポケットから手を伸ばしてノートに落書きをしていた。
そして昼休み。学食で買ったパンと飲み物を屋上で二人で分けて食べているとかぐやさんがにやにやしながら聞いてきた。
「ねえ、たっちゃん」
「なんですか?」
「あんたの好きな子って、どの子なのよ?」
「えーっ、恥ずかしいですよ」
「いいから教えなさいよ。あたしが見てあげるわ」
「もう、ちょっとだけですよ?」
相手がカメとはいえこういう事って照れますよね。僕は食事を済ませ、下の階に降りる。そして廊下にあの子の姿を見つけた。広瀬真由美さん。派手ではない大人しめなかんじ。けどなんとなく波長が合うっていうか。彼女の顔を見た僕は胸の高鳴りを感じた。
「あの子なの?」
「そうですよ。もう、恥ずかしいんですから」
するとカメは突然大きな声で「なんだ、ブスじゃん!」と言い放った。時が止まり、誰もが僕を見る。えっ? なんで、晴さんと綱さんの声は当事者以外に聞こえて無かったよね。
かくして広瀬さんは涙目でツカツカと僕に歩み寄り、「竹原君、最低!」と言って平手打ち。僕、何も言ってませんから!
その日の午後からは針の筵、針の代わりに女子たちの冷たい視線が僕に刺さった。
「もう、いいのよ、ブスの事なんか忘れなさい」
いやいやそうじゃねーよ! 僕の学園生活、下手したら終了だからね。
「心配しなくてもあたしがあんたにふさわしい女の子、見つけてあげるわよ」
どうせそれはカメとかトカゲとか、そういう生き物に決まってる。美人かどうかなんてわからねーよ!
その日の帰り、僕の下駄箱にはごみが詰め込まれていた。そしてすれ違う女子はみな、ぼそっと「最低」と口にする。僕は何もしていない! 僕は無実だ!
うわぁぁ! と泣きながら走って家に帰りつき、ともかくもバイトに。悲しいけどこれ、現実なのよね。
「どうしたの、たっちゃん?」
バイトを終えて家に帰ると晴さんがそう、僕を慰めてくれる。
「たっちゃんはね、ちょっと振られたくらいで落ち込んじゃって。ま、そういうお年頃なのよ」
「はぁ? オメーがすべてを台無しにしたんだろうが! この駄ガメ!」
「あら、あたしは事実を述べただけよ。それにあたしはカメじゃないのよ、かぐやちゃん」
「んな事はどうだっていいんだよ! 僕の青春完全に終了じゃねえか!」
「あら、寂しいの? あたしがお風呂で慰めてあげよっか?」
かっちーんとくるが、現状こいつを懲らしめる手段はない。なにせ相手は硬い甲羅を持っているのだ。怒りに任せて暴力に及べばきっと僕は怪我をする。
それはそうと晴さんは名将らしく、早速就職先を決めてきた。なんでも道路工事とかするらしい。さすがですね。
「まあ、とにかく稼がないとね。たっちゃんも苦しいのわかってるし。今は疾きこと風の如しってね。職を選んでる場合じゃないのよ。そこそこお給料ももらえるし、事情を話したら最初の月は半分日払いでくれるって」
「すごいじゃないですか!」
「そうよ、働かざる者食うべからずなのよ」
オメーは少しは働け! 僕と晴さんは思わず目を見合わせた。
気が重い、休んじゃおうかな。そう思う心に打ち勝って、翌日も学校に行った。僕の青春、誰か返してくれませんかね?