上杉謙信、義将と呼ばれた男の秘めた野心
「おんしが間者か」
そう言って現れたのは上杉謙信。白の頭巾、鎧姿のたくましくて凛々しい顔立ち。例えるならば指先一つでダウンできそうな感じの人だった。
「その、よかったら人払いをお願いできません?」
綱さんから事前に言い含められたセリフを口にした。謙信公はじろっと僕を見ると「よかろう」と頷いた。周りにいた人たちは何も言わずにその場を立ち去る。そして謙信公は僕の前でかがむとかぐやさんが落書きした鎧をじっと見ていた。
「あ、ほんとすみません。ふざけてますよね、武具にこんな落書きなんて」
そう言っても何も返事をしない。さらに表情も動かなかった。なんか不愉快? ですよね、僕が逆の立場ならこんな落書き許さないもの。武人の誇り的な感じで。
その時ひょっこりと鎧の胴の隙間から二匹のカエルが顔を出した。謙信公は一瞬眉をしかめたが、すぐに無表情に戻った。
「よっし、人払いもすんだ。謙信公、俺たちは怪しいもんじゃねえ」
「そう、おじさんたちは話がしたくて来たんだからね」
明らかに怪しいカエルが怪しくないと口にする。謙信公はあまりカエルはお好みではないようで、やや眉を吊り上げた。
「……ふむ、それでおんしらの話はなんじゃ? いささか面妖ではあるが」
するとアマガエルの綱さんはさらさらっと砂のように形を崩し、次に現れたときは人の形をしていた。
「ほう、奇怪な術じゃ。おんしは忍びかあやかしか。まあ、どちらでも構わぬが」
「俺は忍びでもあやかしでもねえ。言葉にするなら英霊だな。生前にこの国を守り、そして今も守り続けてる。あんたに会いに来たのもそのためだ」
綱さんはそう言って過不足なく、事情を的確に説明する。人の作った歴史、それを変えぬよう自分はここにいるのだと。
「そこの達也もその為にここに来た。ずっと先の世からな。ま、信じるかどうかは任せるが、口外はしてもらっちゃ困る。こりゃあんたの義将、そう言われる義理堅さを信じてしゃべってる事だ。信玄公になら口が裂けても言わねえよ」
「……して、いかなる話じゃ」
「ああ、そこにいるヒキガエルはな、実は信玄公のなれの果てよ。明日に起きるあんたとの一騎打ち、そこで失態をやらかしちまって成仏もせずにこうして変わり果てた姿になった」
「信玄公? だとすれば武田の本陣にいるのは何者だ?」
「あれも信玄公だ。こっちのはやっぱり先の世から来てる。要は亡霊だな。信じる信じねえはあんたの勝手さ。けどな、俺としちゃ協力してもらいてえ」
人の姿になった綱さんは僕たちがなぜここにいるかを説明する。晴さん、いや、信玄公の痔、そしてこの後起きる一騎打ち、謙信公はじっとその話を聞いていた。綱さんの風貌は偉人だけの事はあり、迫力、と言うか威厳があり、その言葉にも真実味があった。
「そういう事なの、謙信さん、おじさんはね、あんたにずっと申し訳ないって! 龍虎と比肩された相手が尻を押さえた姿でなんて! ほんと、情けなくって! 何回も手紙を記そうかって、けど、言い訳するのも見苦しいでしょ?」
そう言ってカエルの姿の晴さんはわーわーと泣いた。なんとなく、僕もうるっともらい泣きしそうになって、目頭を押さえた。
「……うん、うん、わかった。だからもう、泣かんでいい。信玄殿の思い、わしに十分に伝わった。おんしはわしの思った通りの名将じゃった」
「でな、この信玄公の思いを遂げるにゃあんたの力がいる」
「うむ、彼を軍使として武田の本陣に、そういう事であろう?」
「流石は天才と呼ばれた謙信公だ。呑み込みが早くて何よりだな。んで、俺の事だが」
「そうじゃな、おんしが誰かぐらい、知っておかねばなるまい?」
「あんたならわかるはずだぜ? この隻眼、そして手に持つは髭切、とくりゃ?」
「……夏侯惇?」
「ちっがーう! そりゃよその国の奴だろ! いい加減にしろよ、俺は渡辺綱! 頼光さまの四天王! 酒呑童子をぶった斬った男さ」
「……ああ、うん、もちろん知っておる。なあ、信玄殿?」
「うんうん、有名有名。たいしたもんだよね、まったく」
「嘘つけ! てめえら、この俺を知らねえでよくこの国に住んでられんな! 元は平氏の長尾家の出の謙信公はともかく、信玄公? あんた源氏だろ? 同じ源氏の大先輩知らねえで源氏を名乗るんじゃねえよ!」
「ごめんって、もちろん頼光さまは知ってるよ? けどその下の人まではねぇ」
そう言われて綱さんはポンとカエルの姿に変化してしくしくと泣いた。あれ、同じカエルが泣いてるはずなのに、こっちには全く共感できないぞ。両雄もそうらしく、綱さんを見向きもせずにこれからの事の細かい打ち合わせに入っていた。
「夕方になると炊煙が上がるからね。それが合図。そうするとうちの軍の半数がこっち回りでこう来るから、謙信さんはその間にこっちに移動して。そして明け方を待って、突撃って運びで」
「夜襲ではいかんのか?」
「そりゃそうよ! 一騎打ちするんだよ? 夜襲じゃ誰も見てくれないじゃない!」
「確かにそうじゃな」
「こういうのはね、見せ方が大事だから。この一戦を元にいくつも話が生まれるんだよ? しっかりやらないと」
「お、おう」
詳細な打ち合わせが終わると謙信公はカエルの二人に酒を飲ませ、俺をそばに招いた。
「と、するとおんしが先の世から来た、と言うのも誠の話か?」
「ええ、まあ。450年くらい先ですね」
「……そうか、それほど時がたてば物の見方も変わろうな。しばし待て、おんしに見せたいものがある」
謙信公は席を立ち、しばらくして戻ってきた。――女装して。
「どう思う?」
桜色の着物に髪を下ろした美丈夫。だが全体的にパツンパツン。いや、問題はそこじゃない。イケメンマッスルが女装。どう考えても不気味だった。だが、僕の口をついて出た言葉は見事に空気を読めていた。
「――いいんじゃないですか? カワイイ感じで」
「……」
「……」
しばしの沈黙、そして謙信公はぱぁぁっと顔を輝かせて僕に抱き着いた。
「うむ、うむ、そうだと思っていた! いずれ世は変わり、わしのような者も認められる! そう思っていままで生きてきた! 達也、いや、たっちゃん! わしはこのような男になどうまれとうなかった! おなごであれば、そう思わぬ日はなかった!」
「あはっ、あはは、そ、そうですか」
「先の世は必ずおなごに生まれて見せる! そうじゃ、おんし、時を渡れるのならそのくらいできるのではないか?」
「えっ?」
「わしもな、少しは欲と言うものがある。おんしの願い聞き届けるゆえ、できるならわしを!」
「あ、ちょっと待ってください。それは聞いてみないと」
「うむ、何でもするぞ! 待てと言うなら犬のように待とう。わしはな、おんしのその鎧をみてピンときた。おんしであればわしの事、わかってくれるとな!」
そう言って興奮気味に抱き着く謙信公からはなんだかいい匂いがして、少しドキッとした。
「かぐやさーん! かぐやさん? 聞こえますか!」
『うっさいわね、何よ! スタッフ送ったでしょ!』
そのスタッフは完全に酒に飲まれてぐでんぐでんだった。
「いや、あのですね、話はうまくいきそうなんですけど、ちょっと条件が。その、本人から聞いてもらっていいです?」
『何でもいいから早くしなさいよ。』
目の前に浮き出たモニターをついっと謙信公の方に押した。謙信公ははにかみながらもカメに事情を説明する。
『ふーん、いいわよ? それくらいなら。』
「誠か!」
『ま、代わりと言っちゃなんだけど、ちゃんとたっちゃんに力を貸すのよ? それとこのことは死ぬまで誰にも漏らさないこと。』
「無論だ。たっちゃんには恩がある。他者に漏らすなどそれこそあり得ぬ」
『ならいいわ。とにかく今は今世を全うしなさいな。』
「わかった」
ブツンとモニターが消えると謙信公は大はしゃぎだ。
「よかったですね」
「うむ、こう、天にも昇る気持ちだ。わしは来世はおなごとして生まれる。やりたいことがたくさんありすぎてな! 料理もしたいし、身を飾ることも。ああ、なんという至福! こうしてはおられぬ、早々にケリをつけねばな。信玄殿!」
「ふぁい、なんですかぁ」
完全に酔っぱらったカエルとなった晴さん。その隣で綱さんがいびきをかいて寝ていた。
「うむ、早速行動を開始する。そうだ、たっちゃん! 明日はこれを持って突撃しようと思うのだが、どうか?」
そう言って女装姿の謙信公が持ってきたのはびっくりするほどごっつい槍。何がごっついかってその刃の部分が30cmはあろうかと言う長さ、それにその厚さもかなりの物だった。
「ダメ、謙信さん! そんなので刺されちゃおじさん死んじゃうから!」
それを見た晴さんは一発で酔いが醒めたらしく、必死な顔で謙信公を止めた。
「なぜだ? いくさであるからには大将の首を狙うは当然であろう? 明日はわしも全力で行かねばな」
こっちはこっちで真顔である。
「あのね、さっきも言ったけど見せ方、演出が大事なの! そんな槍、軍扇じゃ防げないでしょ! ほら、たっちゃんもなんか言って!」
「あはは、そうですよね。それじゃお尻以外にも穴が開きそうですもん。それに――」
「それに、なんじゃ?」
「刀の方がカワイイんじゃないかなって」
カワイイ、その言葉に反応して謙信公は真っ赤に顔を染めた。
「そうか、刀の方がカワイイのか。うむ、たっちゃんがそう言うなら」
なんかはにかみながら謙信公はそんなことを言った。
ともかくそんなことで話はまとまり、僕は酔いつぶれて酒臭い綱さんと、ほっとした顔の晴さんを鎧の中にしまい込み、軍使を示す上杉の旗指物を背中に指して馬に乗せられた。
「あの、すみません、僕、馬とか初めてで」
「うむ、何事にも最初はある。たっちゃん。おなごとなったときは必ず会いに行く。それまでおんしとはしばしの別れだ」
えっ、と驚く間に謙信公は馬の尻を持っていた青竹の先で叩いた。当然馬は全力疾走、僕は鞍にしがみつき、振り落とされないようにするのが精いっぱい。
「ちょ、ちょっと! 晴さん! これ、どうやって操るの!」
「そのうち疲れたら止まるからヘーキヘーキ」
それが名将の答えだった。マジ役立たねえな、こいつ!
ところが馬は名馬でもあるのか、まったく疲れを見せない。あっという間に川の浅瀬を渡り切り、目の前には武田勢。
「すみませーん! 軍使、軍使なんでとおしてくださーい!」
そう叫びを上げながら武田勢の中を進んでいく。目の前に本陣らしき陣幕が見え、そこを守る兵たちが僕の乗る馬を遮ろうとした。
「あっ」
馬はその兵を簡単に弾き飛ばし、飛ばされた兵はピクリとも動かない。馬はそのまま陣幕に乱入。思いのままに暴れ、何人もの武将らしき人を蹴り飛ばす。そして竿立ちになって僕を振り落とすと、そのままどこかに走り去った。
「えっ?」
「えっ?」
目の前には諏訪法性の兜を被った信玄公。確かに晴さんと同じ顔をしていた。それはいいのだが、バタバタと現れた兵たちが僕を取り囲んで槍を向けていた。
「あの、人払いとか、お願いできますか?」
恐る恐るそう言ってみたものの、周りの人はみんな憤怒の表情だった。