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懐古堂奇譚 vol.1

作者: 冬月 真人

夕闇に呑まれる直前の数分がたまらなく好きだ。

漆黒を切り裂く光ですら照らせぬ黄昏、逢魔が刻。

禍々しく朱に染まる街を俺は丘の上から眺める。

遠く霞む稜線を一際輝かせて夕陽が沈む。

長く長く伸びた人やビルの影が全て同化して闇に溶けだす頃、花が咲き乱れるように街に明かりが灯る。

そうした花に誘われる蝶のように、ソレは闇を纏って夜を彷徨う。

人間は本来闇を畏れるべきなのだ。

悠久の時をそうして生きながらえてきたのだ。

瓦斯燈が電灯になり、より明るいLEDとなり、人は闇を畏れなくなった。

いや、敬わなくなったと言うべきか。

ハレとケの境界線も失い、闇への畏怖も失った。

飼い馴らされた犬にも牙はある。

まして人間は闇を飼い馴らしてなどいない。

そう錯覚しているだけだ。

俺は夜露を携えた風が袴の裾を湿らすのを嫌って丘を下りた。

それに間もなく夜がその指先をここにも伸ばす。

真っ当な人間は家路につくべきだろう。


坂を下る自転車というものは実に気持ちがいい。

風も切り裂いてしまえば湿度などたいして気にはならない。

生まれたての夜を頼りなく照らすライトの発電機の小さな唸り声と車体の軋む音が風切りに混じって流れてゆく。

俺は時折荷台の荷物を気にしながら丘の下にある職場兼自宅に向けて走った。

自宅は古物商・・・と言えば聞こえは良いが質店だ。

荷台には先ほど引き取った荷物が積んである。

なかなかに面白い品だったので代金を差し出すと「いいからすぐに引き取ってください」と言われたので有り難く戴いてきた。

好き者の客ならこちらの言い値を出すだろう。

これはそれだけのモノだ。

まぁ、それだけのモノだからこそ彼は1秒でも早く手放したかったのだろう。


あれは店を開けて小一時間ほど。

カラカラと引き戸が開いた先に視線を遣ればフランス人形のような服を着た女の子。

薄暗い店内から見たのも相まって女の子の金色の髪が一層輝いて見えた。

年の頃は14、5歳か。

彫刻のように整った顔には見覚えがある。

「懐古堂のお嬢ちゃん・・・沙綾ちゃんだったかな」

「眞綾です、菊池さん。沙綾は店番をしています。誠一郎さんが出ているもので」

「これは失敬、済まなかったね眞綾ちゃん」

俺がそう詫びると「いいえ」と答えて店の中に足を踏み入れた。

その後ろには見覚えの無い青年がいる。

「面白いのを連れて来たね」

俺は彼を見るなりそう言った。

青年は熊澤と名乗った。

熊澤君は眞綾ちゃんに促されると恐る恐るこちらの反応を窺うように話始めた。

きっと散々馬鹿にされたか狂人扱いでもされて来たのだろう。

俺が真剣に耳を傾けると必死に訴えかけるように事の次第を話す。


こんな内容だった。


北陸の企業に就職した熊澤君はアパートを借りて一人暮らしをしていたそうだ。

丁度良い都会。

そんな言葉がしっくりくる土地で、東京ほどドライ過ぎず田舎ほど干渉しない。

会社も隣近所もそういった感じの付き合いだった。

ただ唯一の不満はそのお隣さんのテレビかラジオかの音が時折うるさいこと。

いつもではなく、本当に時折なので文句を言うにも言えず。

そのボリュームがまた絶妙で、男女が会話をしてる様子がはっきり分かるのだけど言葉が聞き取れない。

そうなるとおかしなものでそちらに意識が集中してしまい寝るに眠れず、読書もDVDも身が入らない。

試しにどの番組かとテレビを点けたがそれらしいものはやっていなかった。

これはラジオなのかと思った熊澤君だったがラジオを持っていないので番組確認は諦めたそうだ。


そんな微妙な騒音……とまでは言えない生活音に悶々とする熊澤君の元に隣人がかしこまって挨拶に来たのは翌年の春。

2月の終わりか3月の初め。

引っ越しの挨拶だった。

色々な意味で寂しくなるなと思う反面、これでラジオの音に悩まされないと思うと解放された気にもなった。


翌週の日曜。

業者と共にアパートを去った隣人を見送った夜、異変が起きた。

いや、ようやく気付いた。

眠ろうとベッドにもぐるとあの男女の会話が聞こえてきた。

相変わらず何を言っているのか分からないにもかかわらず大きな声。

だが、もう隣人は居ない。

昼間、申し訳程度にした引っ越しの手伝いでがらんどうになった部屋を見て「こんなに広かったんですね」と顔を見合わせて笑った。

あの部屋には備え付けのシーリングライト以外はもう何も無い。

それから毎夜聞こえるその会話が気味悪くて眠れなくなり、とうとう体調を崩して会社も辞めてこちらの実家に戻ったそうだ。


もちろんこれで終われば俺のところになど来ない。


実家に戻ってもそれは時折聞こえた。

寝室の窓の向こう。

いつものあの声。

もう馴れてしまってあまり気にしなくなっていた。

実家暮らしで一人ではない心強さもあったのかもしれない。

だがどうしてだろうか、今夜は時折笑い声も聞こえる。

楽し気な笑い声なのに背中が寒くなる。

その日は布団をかぶって耳を塞いで眠った。

翌日、これは絶対に良くないと神社仏閣を回り事情を話すが取り合ってもらえなかった。

神仏を奉り信心を捧げる割りに彼らはリアリストらしい。

病院のしかるべき科で診察を受けた方が良いと勧められた。

最後に訪ねた龍寛寺でも同じようなことを言われたが、帰り際に「気休めに」とお札を貰った。

金額を聞くと「お気持ちで」と言うので用意して包んでいた5千円を渡すと苦笑いされた。

改めて相場を尋ねると倍の金額を言われた。

「済みませんが帰りの足代が無くなるので、今日はあと4千円。残りは明日に必ず」と言うと住職は「そこまでせんでええから、代わりに使いを頼まれてくれ」と熊澤君に木箱を手渡した。

お札で封のしてあるいわくつき間違い無しの代物だった。

住職は絶句する熊澤君を見ながら笑って「封さえ解かなければ安全だ」と言って更に笑った。

逆に解けたらどうなるんだと思ったがそれは怖くて聞けなかった。

住職はこれを懐古堂の店主に引き渡すよう言うと店への地図を寄越して本堂へと戻って行った。

この住所は京極町の入り組んだ場所あたり。

なるほど、地図は有り難い。

熊澤君はそう思いながらバス停に向かった。


懐古堂は賑やかな表通りから少し入った細い小路の奥にひっそりと佇んでいた。

この辺りには明治から大正、昭和、平成とその時代時代の最先端のビルが建ち並んでいたが、この建物はそのいずれにも属さない。

全ての時代に取り残されたようなあばら屋だった。

何度も地図と名前を確認してから意を決して飛び込むと店主は留守だった。

店主の不在を告げたのは沙綾と眞綾だった。

顔も背格好も服装も同じ。

確かめたことは無いが確かめずとも双子だろうと俺は思っている。

熊澤君も一瞬驚いたが俺と同じ結論に達した。

過去には彼女たちを見て気絶した失礼な女の子もいたらしいが、それは二人の悪趣味な登場の仕方にも問題があったのだが、まぁその話は別の機会に。

熊澤君が住職からの使いで来たことを告げて木箱を渡して踵を返した時、背中で鋭い声が「ちょっと!」と呼び止めた。

何か品物に不具合があったかと驚いて振り向くといきなり手を掴まれて引っ張られた。

手を掴んだまま少女は「沙綾!」ともう一人の名を呼んだ。

「間違いないわ」

沙綾は頷く。

勝手に二人で話を進められて意味の分からない熊澤君はただただ戸惑うだけだった。

「貴方、もう長くないわ」

そう言ったのは手を掴んでいる眞綾の方。

「どうしよう、(せい)さんは暫く戻らないわ」

「いい、菊池さんの所に連れていくわ。誠一郎さんにはそう伝えて」

眞綾はそう言って向き直すと「行くわよ」と言うが早いか店を出て出不精な犬を引っ張る飼い主のように事態の呑み込めない熊澤君の手を引いた。


俺の店に向かう道中、眞綾ちゃんは熊澤君に簡単な説明をした。

熊澤君が何かに憑かれていること。

店主の誠一郎なら対処も出来たが生憎留守で、帰りを待っているほど悠長な時間は無いこと。

つまり事態はひっ迫していること。

眞綾にも沙綾にも感じる力はあるがどうにかする力は無いこと。

これから行く場所は曰く品を扱う質店で、そこの菊池という店主なら最悪でも時間稼ぎ位は出来るということ。

要するに暗に誠一郎には劣るという意味かと思ったが、過度な期待をされるよりはいいので抗議はしない。

懐古堂も俺の質屋も同じ京極町にある。

眞綾ちゃんも全ては説明出来てはいないうちに到着したのだと思うが、それでも色々と煩わしい手間が省けて助かる。

おかげで熊澤君は俺に話をした時点でこの不可思議かつ理不尽な状況を受け入れていた。

もちろん命の危機を受け入れたわけではない。

俺のような得体の知れない人間を受け入れるということだ。


熊澤君の自宅に着いたのは昼の2時を過ぎた頃。

自転車に二人乗りではなかなか時間が掛かってしまった。

この辺では標準的な一戸建てだ。

かつて熊澤君の部屋だった二階の部屋は今はオヤジさんの書斎で、一階の仏間が熊澤君の仮部屋だ。

通りから見えるあの窓の辺りで誰かが会話をしていたのだろうか。

まぁ今回の件は外は重要ではない。

今重要なのは熊澤君の引っ越しの荷物だ。

絶対にその中に原因があるはずだ。

俺は熊澤君を先頭に家に上がり込むと部屋に向かった。


八畳の仏間の壁側から三割をダンボール箱が占拠していた。

全て引っ越しの荷物だ。

ひとり暮らしだったとはいえ数年を過ごせばこれくらいにはなるのだろう。

テレビを除いた家具家電は処分したそうだ。

ダンボールの中身は本やCDに服と小物。

何かを探すには非常に面倒な物が多い。

骨が折れるとは思ったが品物に大体の見当はついていたので熊澤君に指示を出すと手分けして探すことにした。

それは鍵か鍵にまつわるもの。

キーホルダーや南京錠、その他こじつけでも鍵を連想させるもの。

あるいは、全く身に覚えの無いものだ。

もしも身に覚えの無いものがキーアイテムだった場合は俺には判別しようがない。

だから最悪の事態を想定して、それぞれに開梱したダンボール箱が混ざらないように分けて置くように決めた。


一時間は過ぎた頃、熊澤君が声をあげた。

「菊池さん!きっとこれです」

熊澤君はそれをつまみあげて俺に振って見せた。

それはやはり鍵だった。

机の引き出しなどによくあるような小さな鍵が組紐で結わえてふたつ。

実に見事な仕事をしてある組紐が妙に不釣り合いだった。

価値のある根付にこそ似合いそうな逸品に見える。

「君の物ではないのだね」

俺がそう尋ねると熊澤君は頷いて言った。

「自分、鍵付きの机は持ったこと無いですし、こんな小さな鍵を使う何かも持っていませんからきっとこれです」

なるほど。

普通なら『これは何の鍵だったか』と幾つかの心当たりがあるものなのだが、ここまで断言できるのならば間違いはないだろう。

俺は熊澤君から鍵を受け取ろうと右手を差し出した。

鍵が俺の手のひらに置かれた瞬間、窓の外で声がした。

その声は熊澤君も聞いていた。

俺たちは顔を見合わせて、それから何とか会話を聞き取ろうと窓に近づいて聞き耳を立てた。

『もうすぐ』とか『楽しみ』とか、不明瞭だがなんとなくそう聞こえた。

熊澤君もそう聞き取れたようで顔面蒼白だ。

「き、菊池さん」

声をひそめて俺を呼ぶ。

いい、皆まで言うな。

俺は全て承知したといった表情で頷くと鍵を持参した木箱に入れて札で封をした。

直後、声は消えた。

開梱したダンボール箱に取り囲まれたまましばし呆然としている熊澤君に「買い取るよ」と5千円を差し出した。

「いいからすぐに引き取ってください」

熊澤君はそう言って両手を突き出して拒絶した。

もうこの件にまつわるものは一切要らないらしい。

俺は「そうかい。じゃあ、いただくよ」と言って腰をあげた。


いやぁ、ツイてる。

これだけの曰く付きの代物はそうそうない。

俺は封をした木箱を荷台に固定して勢いよく自転車を走らせた。

気分の良さに帰り道の黄昏についつい詩人のような思索に耽る。

そのくせ誰にこの品を持ち込もうか算盤(そろばん)を弾いていたりもした。

そうこうして店に帰ると入口の引き戸の前に誰かが居る。

灯ったばかりの街灯が照らす誰かは懐古堂の店主、誠一郎だった。

誠一郎は俺を見るなり「渡してもらえますか」と穏やかに言った。

気に入らない。

口調は穏やかだが強制する強い意志を感じる。

同意も拒絶もなく黙った一瞬の間を拒絶と受け取ったのだろう。

誠一郎は困ったような憐れむような、そんな表情で「貴方には必要の無いものですよ」と言った。

だから俺は今度はすぐに返答をした。

「要不要を決めるのは俺だぜ。それにこれは好事家なら言い値を出すのは間違いねえだろ」と。

自分でも少し言葉が乱暴だったと思う。

だが俺はそれだけ苛立っていた。

「誠一郎、俺を・・・いや、熊澤君を騙しただろ」

苛立ちついでに薄々思っていたことをぶつけた。

「まぁ方便ですね」

誠一郎は悪びれもせずにしれっと認めた。

「熊澤君に命の危険は無かった。そしてこの鍵もさほど危険な品ではない」

俺は確認を求めるように誠一郎の目を見た。

睨みつけるように。

「今のところは・・・ね」

誠一郎はそう言うと話を続けた。

「ただこのままではその哀れな三つの魂がいつか取り返しのつかない物になってしまうのは確実でしたから」

「三つ?三つって何だ?男と女、二つじゃないのか」

俺には男女二人の存在しか分からなかった。

思わず荷台の箱に目を遣った。

本当にこの男には敵わない。

一体、何が見えていたのか。

「相応の見返りと説明は貰えるんだろうな」

俺はそう言って誠一郎を店内に促した。


応接のソファーに腰掛けた誠一郎はポケットから小さな木の箱を無造作に取り出すとテーブルの上に置いた。

表面に細かな意匠が凝らしてある業物だ。

「誠一郎、おまえこれは!」

驚く俺に頷いて見せると誠一郎は小さく笑った。

「ええ、三代宇田川安右衛門謹製の秘密箱ですよ。曰く付きを龍寛寺の和尚から引き取りましてね、先ほど曰くを除いたものです」

「曰くって」

「少々、厄介なものが憑いてましたがもう誰に譲っても大丈夫ですよ。どうです、悪い話じゃないですよね」

宇田川安右衛門は安土桃山時代の名工。

特に三代の作品は業物と呼ばれる逸品で特に秘密箱は幻とまで言われる代物。

その製法を伝えずに三代はこの世を去り、以来秘密箱の技法は明治の半ばまで失われてしまった。

「釣りがくるぞ。もう、返さんからな」

俺はそう言ってひったくるように秘密箱を受け取ると懐にしまった。

そうして組紐で結わえられた二つの鍵を渡した。

「で、ここまでしてこの鍵が欲しい理由は何なんだ?」

また背負(しょ)い込むつもりなのか?と言いそうになったのを慌てて呑み込んだ。

誠一郎は俺の問いかけに、風呂敷をテーブルに乗せた。

そして秘密箱と違い、今度は丁寧に解く。

テーブルの上に上品に作り込まれたドールハウスが姿を現した。

「なんだ、これがあの鍵で開く家か?」

俺がそう問い掛けると「そうですよ」と言って誠一郎はドールハウスの玄関に鍵を差した。


「もうすぐですよ」

ドールハウスの居間のソファーに編み物をする若い女が居た。

「どれ、楽しみだな」

上品な仕立ての背広を脱いだチョッキ姿の男が女の腹に耳をあてた。

大きく膨らんだ女の腹が動いて見える。

「早くお父さんに会いたいとはしゃいでいるのですね、きっと」

女は愛おしそうに大きな腹をさすって微笑んでいた。


「なるほど、三つか」

俺がそう納得するとドールハウスの中では再び同じ会話同じ光景が繰り返された。

「彼らの一番幸せだった時間で止まっているのです」

誠一郎は憂うような眼差しで何度も繰り返す様子を見つめた。

俺と熊澤君が聞いたのはこの会話か。

再び納得した俺はなんだかやるせなくてドールハウスから視線を逸らした。

誠一郎は全ての経緯(いきさつ)を知っているのだろう。

今日、店を留守にしていたのもきっとあの時にはすでにこの魂の住処となるドールハウスを引き取りに行っていたのだろう。

眞綾と沙綾には芝居を打つように言って。


「人も物も魂も、全ては(えにし)が結ぶのです」

帰り際、誠一郎はそう言って去って行った。

「懐古堂との縁だけは緩いほうが有り難いな」

俺は聞こえないようにそう言って独り笑った。

窓の向こうにはすっかり夜が染み亘っていた。



                                                             ー了ー


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