第五話「仲間が増えたけどそれどころじゃない」
混乱していたロマ兵はやがて平静を取り戻し、理性を保っている馬だけを連れてそそくさと帰っていった。
やがて夜が明け、太陽が東から登る頃には、馬や兵の死体は一つもなくなっていた。
その日の昼頃、レットとギルトは師団長室にいた。
「…………責めないのか?」
「誰を」
レットの静かな問いに、師団長は冷静に返した。
「俺をだよ。なんで敵を殺さなかったんだー、って」
「殺すことが最善の手段とは限らない。それだけだ」
「そうか…………」
「でも、なぜ殺さなかったかは知りたいな」
そう言ってギルトはテーブルに二つのカップを置いた。コーヒーだ、と彼は言った。
バンダナの剣士はコーヒーを少し飲んで、ポツリと呟いた。
「つまんねえ話だよ。戦争で身内が死んだ。死体は見つからなかった。それだけ。ただ、それだけだ」
「だけ、か」
「死ぬ瞬間を直接見たわけでも、助けようと足掻いたわけでもない。戦争が終わったら、いなかったんだ。俺の知らない時に、俺の知らないところで、俺の知らないやつに殺されたんだ………」
「………」
ギルトは何も言わず、椅子の上で腕を組んでいる。バンダナの男はそれを見て少し申し訳なさそうにうつむいた。
「それ以来、人が斬れなくなっちまった。笑えるだろ?今まで散々人を殺してきたくせに、たった一人身内が殺されただけでこれだ。情けないったらありゃしない」
「誰だって身内が殺されりゃ悲しむ。お前が特別……ってわけじゃない」
「………時々、手が震えるんだ。人を殺したい、人を斬りたい、ってな。ああ、俺は人殺しなんだなぁ、って初めてわかったよ」
「…………」
「なあ、師団長」
レットがそう言った直後、師団長室のドアがコンコンと鳴った。
「ギルト師団長はいらっしゃいますか?」
「いるぞー」
扉の外から聞こえた声にギルトは大きく返事をした。その後、レットに呼びかけた。
「レット、お前もこい。新入りだ」
「新入り?」
「こういうのって新人がこっちまで来るもんじゃないの?なんでこっちが行かなきゃなんないの?外出たくないんだけど、なあ」
文句を言いながら砦の門まで歩くと、そこには一人の女性がいた。青い髪に同色の眼。黒いコートを着たその女性は、穏やかな笑みを浮かべて自己紹介をした。
「第七師団副師団長に配属されました、リンです」
「おいギルト」
レットは怪訝そうな顔をした。
「え?何?副師団長?俺副師団長なんだけど。どういうことなの?」
「そういうことだ」
「え?何が?どゆこと?」
「そゆことだ」
「おーい、おーーーい………」
「なんだ、副師団長並か」
「これからよろしくお願いします」
「お、おう」
リンと名乗った女性は、レットと手を握った。
「はぁー、平和なもんやなぁ」
バンダナの剣士は、砦の屋上で寝っ転がっていた。その隣に、リンが同じように寝ている。
「なあ、リン」
「はい?」
「人を殺すのは、好きか?」
「戦うのは好きだし楽しいけど、殺しはごめんだね」
リンはさらりと答えてみせた。
「そうか……」
「あんたは?レット」
「俺は戦も殺しも大好きだよ」
嘘をついた。彼女にではなく、自分に。
「知ってるか?この世界では、人を一番殺したやつが"英雄"になれるんだ」
「でも、平和が訪れれば"人殺し"になる」
「平和なんてこねえよ。人間の欲望が消えない限りはな」
「それはどうかしら」
リンはおもむろに立ち上がった。
「人は我慢できる生き物よ」
イラっときた。
ここに配属されたばかりの女が、自分に真っ向から反論している。それがレットにとっては屈辱だった。
戦の何も知らない奴が、戦について語るんじゃない。お前みたいなやつが、戦場で余計な正義を振りかざして、そして畜生の如く死んでいくんだ。
そういう奴とは数えきれないほど会ってきた。そして、一人の例外もなく死んでいった。温室でぬくぬくと育ってきた素人はどっか隅っこで丸まってろ………。
そう言いたい気持ちは山々だが、レットは必死に堪えた。刺激しない程度に反論する。
「我慢?バカなことを言うんじゃない。我慢できないから、こうして戦争が起きている」
「いずれは終わる。平和な時代が訪れる」
リンがそう言った直後、サイレンがなった。敵軍接近を知らせる警報だ。
『ロマ帝国軍が砦に接近中。士官以下の者は砦前に集合し戦闘態勢をとり、師団長及び副官は師団長室に参集して下さい。繰り返します………』
壊れて聞き取りづらいスピーカーから指示が出された。
レットは、ひどく残虐な気持ちになって、唖然とするリンに言い放った。
「ほれみろ。平和な時代なんて来やしないんだ」
「………違う…違う……こんなの………」
「憎しみは憎しみを生み、戦争は戦争を呼ぶ。そしてその戦争のおかげで、人々は生活できる」
彼の目が暗く淀んだ光を帯びた。
「犠牲があるから俺たちは生きられるんだ。それを忘れんな、」
時刻は正午を過ぎたあたり。白く分厚い雲が太陽を覆っていた。