未知なる味のモヒート
流行作家と背に反したような、今時の若者が手に取る機会は少ないであろう古典作家の短編小説を片手に、僕は通勤という、日常生活において、決して楽しめる習慣ではない活動をし、そして僕の居場所を見定めようとした。僕はどうしてこんなところにいるのだろう?型の崩れたスーツに身を通し、光沢感を失った靴や鞄といった革製品たちを無感動に眺め、僕はそう思った。そして、大気の中に何かを見いだそうとして、僕は目を細めた。電車の窓から見える景色は、いつもと同じ殺風景な住宅地である。僕が殆ど毎日眺める、そんな風景。僕も最初からそうだったわけではない、と思う。けれど、それはいつのことだったか、僕は僕の過去に確証を持てない。電車は大量の僕を運んで、ゴトゴトと身体を揺すりながら進んで行く。通勤ラッシュの時間を少し過ぎたとはいえ、車内は混雑している。僕は目を閉じて、僕の身体を流れる何かを掴もうとする。過去のヒットチャートを独占したアイドルグループの曲が頭の中に流れる。そして、それをバックミュージックにするように、僕は僕の過去の自分に出会う。そして訪ねる。僕はどうしてここにいるのだろう?
何かが僕の神経に違和感を与える。そして、車内を見渡す。僕は漠然とその正体を感じ取る。乗客全員に、何かしらの共通項があることがわかる。言ってはならない秘密を隠すように、何かしらの事柄について、皆が口をつぐんでいるようだった。もちろん、皆、顔立ちやスタイルといった要素に個々の特徴を備えており、そこに共通点を見いだすことは難しい。僕たちは色彩を失った絵の具のような、平板な世界で呼吸し、そして死んでいくように思えた。
僕は大学生の時分に、初めて友達とバーで酒を酌み交わしたことを思い出す。落ち着き払った興奮が、僕たちの体内を駆け巡り、店内を流れる騒々しい音楽が、僕を未知なる世界で引き込んでいた。そこで注文したモヒートを思い出した。身体を刺したミントの苦みとレモンの酸味を思い出した。現実を知らない、しゃかりきな夢を視ていた。
車内にアナウンスが流れる。次の駅は—。僕はどこに行けばいいのだろう?僕は電車を降りるべきなのか、それとも乗っておくべきなのか、それすらわからない。けれど、これは僕が選んだ道であって、誰かが選んだものではない、と僕は思う。僕は僕の意思でここまできたし、これからもそうするだろう。
電車がホームに突入した瞬間、誰かがホームから線路に飛び降りたのが見えた。