縄張り
村の裏側から続く道は、次第に深くなってくる森のさらにその奥へと続いていた。
しばらく行くと、少しだけ開けた場所に出た。
開けたとはいっても、さして太くもない木が何本も倒れ横たわっている場所で、何本もの木がそこに倒れている為、楽に進む事が出来そうな場所ではなかった。
それでも、何とか倒木を乗り越えてながら進んでいると、先行していたアイカが突然声を上げた。
「二人とも、止まって!」
その声で、二人がすぐに立ち止まる。
「どうした? 何かあったのか?」
「そこの倒れた木をよく見て。この辺りに何かいるのかもしれない」
アイカはトキトの足下の倒木を指差している。
しかしその目は森の奥から動かしていない。
トキトがアイカの指差す先を見てみると、その倒木の表面に大きく抉られた痕がある事がわかった。
いや、よく見ると抉られているのはその部分だけではなく、周辺のまだ倒れていない木々の幾つかにも鋭い傷跡が幾つも残っている。
「確かに、何か獣と戦った後のように見えるな」
「でも、何と戦ったんだろう。この痕を見る限り、なるべく会いたくない相手ね。見て、あちこちに焦げている場所があるわ」
シオリが言っているのは、先頭のアイカが乗り越えようとしていた倒木のその先だ。
そこから先には、その一部が焼け焦げ、炭になっている部分のある木が何本も立っている。
それを見たアイカが、二人の方を振り返った。何か腑に落ちたと言う表情をしている。
「これはたぶんグルボダの仕業だと思う」
「グルボダ?」
「ああ。グルボダは鋭い牙と爪を持った俊敏で力の強い巨大な猫の様な魔獣で、炎の弾を飛ばす事ができる厄介な奴だ」
「そんな奴がこの辺りに居るっていうのか?」
「奴は定期的に住む場所を変えていると聞いたことがあるから、うまくすればどこかに移動しまって今はもうここにはいないかもしれない。だが、この辺りの木は倒されてからそんなに時間が経っていないように見えるから、まだこの辺りにいると思っておいた方がいいのかもしれないな」
アイカのいうその魔獣がここにいるというのなら、その魔獣と奴隷狩りの連中はここでぶつかった可能性があるという事になる。
この辺りの木が倒されているのはその所為だ。
「ねえ見て。この先、今までよりも道が細くなっているわ!」
突然、シオリが大きな声を上げた。
言われてみれば、一部が黒こげになった木々のその先は、今までのような大勢の足跡が残っている巾のある道ではなく、さほど荒らされているようでもない狭い道が続いていて、明らかに通行量が少なくなっていることが見て取れる。
「もしかして、奴らここで引き返した?」
「そうかもしれん。ここに来た時にはすでにある程度奴隷を確保済みだったはずだからな。無理にグルボダと戦ってすべて失うような事があったら元も子もないはずだ」
魔獣に殺られないまでも、せっかく捕まえた奴隷を逃がしてしまわないとも限らない。
そうなる前にここで引き返す選択をしたという事は十分に考えれれる。
「でも、それならもしかしてこの先の村は無事なのかも…」
確かにその可能性も低くはない。
村が魔獣に襲われていなければという前提ではあるのだが…。
だが、その場合、行けば何か情報が得られる可能性はあるので、行ってみる価値はあるともいえる。
「しかし、グルボダはなかなか手ごわいらしいぞ。もし出会ったら、下手をすると我々も殺られてしまうかもしれない」
「でも、ここまで来たら行くしかないだろう」
魔獣相手に油断する事はできないが、トキトもシオリも以前よりはだいぶ強くなっている事は確かだし、魔獣を倒す事だけに固執しないで、いざという時は逃げればいいという風に考えれば、何とかできる可能性は高いように思える。
トキトはそう判断した。
シオリもアイカも特に反対はしなかったので、結局、先に進む事となった。
剣は鞘から抜いて持ちはしないものの、皆剣を抜きやすい位置に準備して、トキトを先頭に、シオリとアイカがその後に続く格好で、周囲の様子を探りながら、ゆっくりと進んでいく事にする。
先に進むと道は狭くなっていた。
奴隷狩りの一行にも戦闘部隊がいたのだろうか、所々に人の潜んでいたような跡が見受けられる。
そしてその周辺に木の焦げた痕。
一戦交えていたと考えられる状況だ。
そんな場所がしばらく続いた。
連中もかなり粘ったようだ。
もしかしたらそのグルボダとかいう魔獣を仕留めたのかもしれない。
そんな楽観的な考えが頭をもたげはじめた時の事だった。
トキトの耳に野太い唸り声が届いてきた。
グヴゥルルルルル
「来たぞ。気をつけろ!」
後ろからアイカの声が飛ぶ。
トキトは急いで馬から飛び降りて、アイカに手綱を預けると、周囲に気を配りつつ前へと進み出た。
馬を降りたのは、馬を失う事を避けるためだ。
トキトにしてみれば魔獣を完全に倒す必要はない訳で、魔獣の闘争心を削ぐ事ができれば良いともいえる。
魔獣がどこかへ去っていってくれるのであれば、それが一番有難い。
トキトが前へと進み出ている間に、後方ではシオリとアイカが入れ替わっている。
魔法による援護をしやすくするためのポジションチェンジだ。
シオリの魔法は後方からの援護に向いているし、いざという時には剣による援護もできる。
アイカの実力はわからないが、この場合はシオリが二列目でいいはずだ。
一人森の奥へと進んだトキトの正面に、やがてそいつは堂々と現れた。
猫、というよりもトラをさらに一回り大きくしたような白く大きな体躯。
立派な牙は王者の風格を醸し出している。
額には小さな角があるのだが、その角は透き通り、光が反射し光っている。
縞模様こそないもののまさしくトラの様な魔獣だ。
「間違いない。グルボダだ」
後ろから聞こえてくるアイカの声に、トキトは気を引き締めた。
グルボダはよほど自分の力に自信があるのか、トキトを見ても何ら臆することなくゆっくりと前へと進み出てくる。
そして歩きながら両肩の上のあたりに炎の渦を生み出す。
恐らくこれを飛ばすのがこいつのロングレンジでの戦い方なのだろう。
トキトはグルボダを正面に見る位置で剣を構えた。
直後、シオリの声が耳に届く。
「トキト、伏せて!」
阿吽の呼吸でトキトが頭を下げると、その頭のすぐ上を二筋の風が通り抜けて行った。
風の弾はそのままグルボダの肩の上の火の塊にぶつかり、その塊を四散させる。
何事が起きたのかとグルボダが怯んだその隙に、風の弾をやり過ごした直後にかけだしていたトキトが斬りかかった。
しかしグルボダはその一撃を避け、そのままトキトの腕をかみ砕くべく顎を前へと突き出してくる。
大きく口を開いた事により、鋭い牙が顕わになる。
その牙に向けてトキトは返しの剣を薙いだ。
けれど、これにも反応したグルボダは一瞬で後ろへと下がり、トキトとの間に少し距離を取った。
ガヴゥルルルルルルルルルルルルル
唸りつつもグルボダは再び炎の塊を作り始める。
「トキト!」
シオリは一声発し、すぐに風の弾を飛ばした。
その声に反応し、屈んだトキトの頭上を再び一陣の風が通り過ぎる。
この時、トキトはさらにグルボダへと斬りかかろうとしたのだが、これはさすがに読まれていて軽く後ろに下がり避けられた。
瞬間、トキトはグルボダが笑ったように見えた。
と思った直後、グルボダは今まで合っていた目線を突然逸らし、トキトが僅かに訝しんだその隙に、前へと大きく一歩踏み込んだ。
グルボダの巨体がトキトの目の前へと迫ってくる。
トキトは牙での攻撃に備え、剣をグルボダの牙に合わせようとしたのだが、その時、グルボダの視線はトキトの方を向いていなかった。
それを見たトキトは、攻撃を一瞬躊躇した。
そのまま斬りかかれば胴体を真っ二つにすることも可能な状況であったにもかかわらず、動きを止めてしまったのだ。
次の瞬間、グルボダは前足を軸にその巨大な全身を大きく振り回し、後ろ足で大きくトキトを蹴り飛ばした。
ちょうど回し蹴りを喰らったような感じで身体ごと飛ばされたトキトはその先に生えていた大樹に背中から激しくぶつかる事となった。
一瞬、トキトの息が詰まる。
気が付くと火の弾が目の前に迫っていた。
トキトが慌てて転がるようにそれを横へと避けると、直後、元いた場所が燃え上がる。
どうやらシオリの位置からはグルボダが死角に入っていたらしく、そのため火の玉を消し飛ばす事が出来なかったようだ。
すぐに体勢を整えようとするが、その時にはもう目の前にグルボダが迫っている。
慌てて剣を戻そうとするのだが、それがわずかに間に合わない。
グルボダは既にトキトの首筋に噛みつくべく飛び掛かって来ている。
一撃で仕留めようという魂胆でいるようだ。
トキトの肩がグルボダの鋭い牙で砕かれる。
まさにその寸前にグルボダの巨体が大きく揺らいだ。
シオリの風弾がグルボダの身体に命中したのだ。
一瞬、グルボダの動きが止まる。
すぐにトキトがグルボダの首を狙い剣を振るう。
微かに掠りはしたものの、グルボダは次の瞬間には大きく飛び退いていて、結果、トキトの攻撃からうまく逃れる事に成功していた。
しかし、そこも決して安全な場所ではなかった。
着地した所を狙い、アイカが横から襲いかかっている。
アイカの剣はグルボダの心臓を狙ったものだったのだが、グルボダは必死に身をよじる事で、何とかその狙いを逸らせる事に成功した。
が、避け切る事までは出来ず、結果、アイカの剣はグルボダの肩に突き刺さった。
グウォオオオオオオ
グルボダの咆哮が辺り一帯に響き渡る。
肩の傷口から、鮮血が噴き出してくる。
グルボダは怒り、アイカに向かってその大きな牙を突きたてるべく迫っている。
グルボダの肩の傷は決して浅いものではなかったはずなのだが、怒りに我を忘れたトラの魔獣はそんな事は気にしていない。
一歩退いていたアイカの目の前へと一瞬で距離を詰めている。
アイカは守りの剣が間に合わない。
グルボダの牙がアイカに突き刺さる…。
直前、グルボダの頭に左右から剣が突き刺さった。
トキトとシオリが左右からグルボダの頭に剣を突き刺したのだ。
グルボダは頭に血が上っていた為に二人の接近に気が付かなかった。
アイカだけしか目に入っていなかったのだ。
グルボダの躰はアイカの鼻先でどうと音をたてて倒れ、そこでようやく息絶えた。
「アイカ、大丈夫?」
突き刺した剣を引き抜きながら、シオリがアイカを気遣って聞く。
「大丈夫。ありがとう」
アイカはそう言いつつも、必死に息を整えている。
息がかかる程の距離であのグルボダと対峙したのだ。
心臓が高鳴らない方がおかしい。
「すまない。俺がもっとしっかりしていれば、もっと楽に済んだはずだった」
トキトはアイカに近づきそっと手を差し伸べた。剣は既に収めている。
「いや、二人ともさすがだ。まさか本当にグルボダを倒してしまうとはな。ソウゴが里に呼ぼうとするのも頷ける」
アイカはトキトの手を借り立ち上がろうとしたのだが、足元がふらついて、トキトにしなだれかかる様にして倒れ掛った。
慌ててそれを支えるトキト。一瞬、抱き合っているような格好になる。
「コラッ! トキト、何やってるの! 早く離れなさい!」
シオリは倒したグルボダの上に仁王立ちになって怒鳴っている。
初め、そんなシオリをもう少し怒らせ、からかおうかとも思ったトキトだったが、そう思ってシオリを見上げたその時、そんな事を考えている場合ではない事に気付かされた。
「シオリ!避けろ!」
「へ?」
トキトは、急に真顔になり厳しい口調で命令された事に戸惑っているシオリの足首を掴み、倒れたグルボダの上から強引にシオリを引きずり降ろした。
直後、シオリのいた場所を炎の弾が通過する。
トキトに抱きしめられる形になったシオリがその事について文句を言おうとするその前に、トキトは飛んでくる瓦礫の欠片から二人を庇いながらも、倒木の上で見下すように立つそいつから目を逸らさずに言った。
「二頭目だ」




