兄王
ベルリアス王は後ろに続こうとする四人の近衛兵を手で制し、一人で歩いてきた。
レンドローブを見ても少しも怯えたところを見せないのはさすがだ。
「私と交渉がしたいというのはあなたですか」
堂々と近づいてきたベルリアス王にトキトは軽く頭を下げると、手を差し出した。
トキトはあまりあからさまに謙らない方がいいと考え、跪くのはやめた。
「初めましてベルリアス王。私はトキト。リーナ王女、いや元王女と言った方がいいのでしょうか、の事でお願いがあって参りました」
「いや、王女でいい。リーナは私にとって、いつまでも可愛い妹である事に違いはない」
言いながらトキトの手を握り、固く握手をした。
ベルリアス王の言葉に嘘は感じられない。
トキトはリーナが直接会えば何とかなるかもしれないと言っていたのが分かった気がした。
トキトの隣では、シオリがリーナに向かって手招きしている。
初めて見る竜の姿に圧倒され動けないでいたリーナも、それでようやく我に返ったようで、ディンブルに支えられるようにしながら近づいてきた。
途中まで来たところでルーが駆け寄り、ディンブルに変わってリーナの手を取って、王の前まで連れてくる。
「ベルリアス兄さん」
「リーナ、無事でよかった」
固く抱き合う二人を見ていると、今までの事はなんだったのだろうと思えてくる。
しばしの抱擁の後、ベルリアスがトキトに向き直った。
「それで、どのようなご用件でしょうか?」
もう一件落着だと思っていたトキトにとって、ベルリアス王のこの言葉は意外だった。
「ちょ、ちょっと、この状況で何が言いたいか…」
ベルリアス王に食ってかかろうとするシオリをトキトが慌てて引き止める。
少し離れたところにいた近衛兵が何事かと近づいて来ようとするのを王が手を上げ制した。
そして兵たちには聞こえないよう小声で話してくる。
「いくら王といえども掟を曲げるのには理由が必要なのです。何か交換条件を提示してください。いう事を聞かなければ竜を暴れさせるというのでも構いません」
なるほど、そういう事か。
確かに、王の意志とは反していても進められてきた掟を曲げるのであれば何らかの大義名分は必要になるのかもしれない。
レンドローブを暴れさせない代わりにリーナの事を認めると持っていきたいのだろう。
でも、それならばもっといい考えがある。
トキトはシオリがまだ王に何か言いたそうにしているのを止めさせつつ、レンドローブに念話で尋ねた。
『レン、以前はエルファールでも生贄を喰っていたのか?』
『ああ、この国には五か所生贄の祭壇があるな。それぞれ五年に一回生贄を出させていた。だが、お前との誓約があるからな。お前が死ぬまではもう生贄はとらんよ』
『いや、俺だけじゃなく、シオリとイチハが生きている間もという約束だよね』
『…ああ、そうだったな』
『それにリーナも加えられないかな。それを交渉の材料にしたいんだ』
リーナが生きている間はレンドローブは生贄を取らない、と約束することでリーナの恩赦を納得させようという作戦だ。
レンドローブから見ればそんなに条件は変わらないはずだし、そもそもトキト達三人よりもリーナが長生きしなければもともとの誓約と何ら変わらない。
『本来、後付けで制約をつけられるのは困るのだがな、まあ、その程度の事ならばいいだろう。我の口から言えばいいのか?』
『そうしてもらえると助かる。俺が言っても信じない人もいるだろうし』
トキトとレンドローブが念話で話し合っている間、皆黙ってレンドローブの姿を見上げていた。
シオリも大人しくしていたのだが、ふとトキトに肩を押さえこまれた状態でいた事に気付き、慌てて離れた。
シオリには二人のやり取りが聞こえていたので思わず聞き入ってしまい、トキトに捕まれたままでいた事を忘れていたのだ。
シオリがなぜか軽く一発パンチを入れてから離れたので、トキトがよろめき一同の視線がトキトに集中したその時、レンドローブの声が上空から降ってくるように聞こえてきた。
『我はいにしえの古竜の生き残りレンドローブ。我は新たにそこにいるトキトを主と認めた。その主の命によりエルファール内で生贄を取る事をしばらくの間休止する事にする』
初めは何の声だかわからず戸惑っていた人々もどこか神々しい響きのある声にすぐに目の前の竜の言葉だと気付き、わずかな沈黙の後大きな歓声が湧き上がった。
竜の生贄は長年恐れられてきた事で、レンドローブの言う事が事実ならば画期的な事だからだ。
しかし、その歓声が収まるのを待たずにレンドローブは続けた。
『ただし、期間はエルファール王国第三王女であるリーナ姫の命がある間に限定するものとする。すなわちその期間の後は今まで通り五年毎の生贄を要求する』
実際は、リーナが死んでもトキト達三人うちの誰かが生きていれば大丈夫なのだが、わざわざ今そんな事を言う必要はない。
レンドローブにもこれが交渉を進めるための方便だという事はよく分かっていた。
トキトがベルリアス王を見つめると、王はトキトに軽く頭を下げた。
ベルリアスからすれば予想以上に大きな提案だ。
これで後日リーナが暗殺される恐れもなくなるだろう。
何しろリーナが死ねば生贄の制度が復活してしまうという条件なのだ。
王はトキトの少し前に立ち、それから門の周りに集まった衛士達の方へと進み出た。
自然、皆の視線が王に集まる。
ベルリアス王は竜を背にするようにして宣した。
「エルファール国王ベルリアスの名において、リーナ王女を「王家繁栄の掟」の適用対象から特別に除外する事をここに宣言する。王女の今後の身分等については後日決定するものとするが、今以降、リーナ王女討伐を行う者については、国の利益を害する者、つまりは国賊と認定することとなるので、ご承知置き願いたい」
王の話が終わると、衛士達がざわめく中、ナガルが剣を収めた。
するとそれを合図に衛士達も一斉に手に持っていた剣を鞘に収め始める。
レンドローブが現れて以降、今までずっと緊張していたリーナが、気が抜けたのか隣で支えているルーに体を預けるようにして倒れていく。
それに気付いたディンブルが慌てて側に駆け寄っていく。
今度こそ決着したと考えていいだろう。
トキトも体から力が抜けるのを感じた。
「ねえ」
その時、シオリがトキトの鎧に覆われた脇腹の辺りを軽くコンと叩いて後ろを指した。
「あれ、どうにかしないと…、みんなどうすればいいかわからないみたいよ」
見るとレンドローブは自分の役割は終わりとでもいうように普通に佇んでいる様なのだが、それだけでも存在感は半端ではない。
あんなものが目の前にいるのであれば、衛士達の立場では警戒しないわけにもいかないだろう。
『あれとは我の事か?シオリ』
これはレンドローブのトキトとシオリだけに通じる念話だ。
シオリが鋭い目つきで睨み返すが、レンドローブは気にせず続けた。
『トキト、悪いが我は巣に戻らせてもらいたい。思ったよりも力を使ってしまったのでな、また少し休みたいのだ』
トキトは自分たちが竜の穴を出る時、レンドローブが一か月後に行けるのは近場だけだと言っていた事を思い出した。
レンドローブにとっての近場がどの程度のものかは分からないが、王都エルファールはそんなに近い場所ではない。
無理をして来てくれたのだと考えていいだろう。
「無理ばかり言って悪かった。俺達はもう大丈夫だ。ゆっくり休んでくれ」
トキトがそう言うとレンドローブは一度トキトに横に顔を寄せ、トキトがその頭を軽く撫でるのを待ってから翼を広げ、一同が何事かと驚く中、来た時とは違うゆったりとした動作で飛び去って行った。
レンドローブを見送った後、トキトが振り返ると、武装した衛士達は既にいなくなっていて、近衛兵たちが王の元へと近づいてくる所だった。
「皆さん、ここでこうしていても仕方ありません。まずは城の中へ参りましょう。いろいろお話をお聞かせください」
ベルリアス王はそう言って皆を城内へと誘った。




