穴の中の一夜
レンドローブの躰に刺さった剣を抜くのは意外に大事だった。
決して深く刺さっているわけではないのだが、イチハの抜いた一本目以降の剣や槍はなかなか抜けず、すべて抜き終わった時にはかなり日が傾いてきていて、大穴の底までは陽射しが届かなくなっていた。
「やっと終わったー」
「ほとんど俺とシオリが取ったんだけどね」
「いじわる―。だって、固くて抜けないんだもん。しょうがないでしょ」
「そうね。イチハもがんばったわよね」
シオリもイチハには随分と優しいらしい。
イチハは初めのうちこそ必死で剣を抜こうと頑張っていたのだが、自分には無理だとわかると、途中からパムと一緒に大穴の中を探検しに行ってしまっていた。
そして、ちょうど最後の一本を抜こうとしていた時に戻ってきたのだ。
レンドローブの皮膚は刺さった剣を抜いた後でも、その傷からはほとんど血は流れ出てこなかった。
抜いた瞬間に少しだけ血がしみだしてくる時はあるのだが、その後すぐに止まってしまう。
それと比べると、トキトが刺した傷口からだけは、次第に量は少なくなってきてはいるもののいまだに血が流れ出ている。
「こいつはまだまだ起きそうもないし、お腹もすいてきた。こいつが言っていたように少し血を飲ませてもらおうか」
これ以上時間が経って血が止まってしまうと飲めなくなってしまいそうなので、そうしたら飢え死にしてしまうかもしれない。
少し気持ち悪い気もするが、レンドローブの言うことが本当なら血を飲めばしばらくは飢えを凌げるはずだし、背に腹は代えられない。
「やっぱり、飲むの?」
「お腹すいてなーい」
言ったそばからお腹が鳴る音が聞こえてきて、イチハはあわてて目を逸らせた。
「他に食べ物がないんだから仕方ないだろう。俺だって抵抗あるけど飲んでみようよ」
トキトはそう言うと、レンドローブの首の辺りまで近づき、そこで流れる血を両手ですくって恐る恐るそれに口をつけた。
「ん?」
少し口を付けた後トキトは一旦口を離した。
そして、もう一度、今度は残りの分を一気に飲み干す。
「意外と癖がなくて、飲みやすい。全然生臭くないよ」
飲み終わると、確かに空腹感がなくなっていた。
それだけではなく、何か体の中からエネルギーが湧き上がってくるような不思議な感覚もある。
それでも二人はまだ迷っている様だったので、トキトはもう一度飲んで見せた。
「本当、大丈夫だから飲んでみなよ。飢え死にするよりマシでしょ」
トキトが平然と飲んでいるのを見て、シオリも渋々近寄ってきて、手で救ってひとくち口に含んだ。
「あっ。本当だ、結構平気。思ったよりもおいしいし、それに、なんだか力が湧いてくるみたい」
シオリにそんな風に言われ、イチハもようやく飲んでみる気になったようで、半信半疑の様子で両手をお椀のようにして流れている血を受け、口をつける。
「ほんとだ、不思議な味。でも、嫌じゃない」
その後、三人は其々が手の椀に二~三回血を受けて、あっという間にそれを飲み干した。
するとそれ以降、空腹感は全くなくなった。
「でも、不思議だな。その辺の剣を抜いてもたいして血は出ないのに、俺が刺した所からは未だに血が止まらない」
「急所だったんじゃないの。よく解ったわね」
シオリは言いながら、口から垂れた血をポケットから出した布で拭った。
その姿はまるで美しくも冷徹な女吸血鬼のようで、トキトはしばし固まってしまった。
はっきり言って恐ろしかったのだ。
しかし、そんな事は言えないので、とにかく話を進める事にする。
「い、いや、本当偶然なんだ。で、でも、他の剣を抜いている時に感じたんだけど、あそこ以外の場所だと、少なくともあんなに簡単には剣が刺さらなかったような気がするんだよね。その場合は、こいつに食べられていただろうから、確かに運が良かった」
「そうね。……。ところで、何で今目を逸らしたの?」
トキトの動きの不自然さに気付いたシオリが、不審に思って聞いて来る。
「パム、おいしいかい」
しかしトキトは、イチハに促されてレンドローブの血を舐めていたパムにわざとらしく話しかけながら、問い詰めるようなシオリの視線を避けるように、ぎこちなくその場を離れた。
シオリは厳しい目でトキトの事を睨んではいたが、特に深く追及しては来なかった。
日が暮れると、三人と一匹はレンドローブの胸の前あたりに固まって寝ることにした。
そうすれば寒さを凌げるし、万が一何かが襲ってきたとしても安心な気がしたからだ。
レンドローブが寝返りをうてば簡単に潰されてしまいそうだという心配はあったが、レンドローブは目を閉じて以降、刺さった剣を抜く時でさえ全く動かなかったし、そうでなくても三人ともなぜか彼を信用できると思っていたので、そこで寝るのがいいだろうという事になったのだ。
レンドローブの躰にもたれかかりながら、三人で一列になって横になる。
パムはイチハのすぐ隣で眠っている。
「はぁ。何でこんなことになってしまったのかな」
気が付くとトキトは思わずため息を漏らしていた。
そのため息に返事が返ってくる。
「本当ね」
思わぬ返事に少し驚いたトキトだったが、自分以外の人の声を嬉しくも感じていた。
一人きりじゃないと感じる事ができるからだ。
「起きていたのか、シオリ。イチハは寝た?」
「うん。よく寝てる」
見ると、イチハはシオリに抱きつくような格好で眠っていた。
シオリがイチハの背中を撫でている。
仲の良い姉妹のようで微笑ましい。
「怖くないか?」
「大丈夫。イチハも今は大丈夫みたい。でも、いつホームシックにかかってもおかしくないような気もするけど…」
確かに、イチハは今はぐっすり眠っているように見える。
よく眠れると思う反面、先ほどから自分自身の不安感も少しずつ減ってきているような気もしている。
もしかしたら竜の血には不安を和らげる効果か何かがあるのかもしれない。
「私たち…帰れるのかな?」
昼間見た何事にも動じないようなクールなシオリとは異なり、夜のシオリは少しだけ柔らかな印象がある。
そう思うと、昼間は気を張り続けていた、とも考えられる。
「帰りたいの? まあ、そうだよね、親とか心配しているだろうしね」
実は、トキトはそんなに帰りたいという気持ちが強いわけではなかった。
戻っても特別やりたい事が有る訳でもなかったので、どちらでもいいか、くらいにしか考えていなかったのだ。
ここにいて襲われたり食べられたりして命を落とすくらいなら、平和な元の世界の方がずっといいはずなのだが、ここで何か自分の存在意義が見つかるのなら、たとえすぐに死ぬことになったとしてもその方がいいのではないか、と思うようになっていた。
しかし、だからと言ってシオリやイチハが同じ事を考えているとまでは思っていない。
「帰りたいわ。でも、多分両親は心配していないと思う。しばらくは私がいなくなったことすらわからないんじゃないかな。でもだからと言ってずっとここにいたって怖いだけだし……、こんな場所にいなくちゃいけない事なんてないと思うの。…だから、帰りたい」
シオリが帰りたいと思うのはまあ当然の事だろう。
だが、口ぶりから何か事情を抱えているのだろうという事も窺える。
よく見ると、いやよく見なくても美人なのにやけに冷たい雰囲気を纏っているのもその影響なのかもしれない。
「よくは解らないけど、心配していないという事はないと思うよ」
「そう、……、普通ならね」
シオリはそう言ってゆっくりと目を伏せた。
いろいろと気になる事も有るのだが、トキトは突っ込んで聞いてはいけない気がして、それはあえて聞かないことにした。
シオリはイチハを優しく抱きしめている。
ひょっとしたら逆にイチハが異様に明るいのにも何か原因があったりするのかもしれない。
「いずれにしても、まずはここが何処だかは解らないと話にならない。それに、とりあえずここで生きていくにはどうすればいいか考えないと…。たとえ帰れるとしてもすぐには無理みたいだしね。今回は何とかなったみたいだけど、またこんな奴に襲われたら命を落としてもおかしくないし、対策も考えておかなければいけない。たぶん、最終的には今回みたいに戦うしかないのかもしれないけど、避けられるものは避けるようにしないといくつ命があっても足りないからね」
トキトはそう言うと、レンドローブの大きな躰を見上げた。
「頼りにしてるわ」
シオリはあまり感情のこもってない言い方でトキトに向かって一言そう言ってから、すっと向こう側を向いてしまった。
話を切り上げて本格的に寝るつもりのようだ。
しかしトキトは今までそんなことを言われたことなどなかったせいか、シオリの言葉に心の奥が震えるのを感じていた。
そして少し時間がたってから、頑張るよ、と心の中で答えた。