再会
翌朝、起きたのはすっかり日が昇った後だった。
今まではそんなに遅くまで寝ていた事はなかったので、二人とも思ったよりも疲れが溜まっていたという事らしい。
しかし、トキトが目を覚ました時には、さすがにリーナは既に起きていたようで、しかもなぜか随分と機嫌がよさそうだった。
予定より寝坊をしてしまった為、その分急いで支度を済ませ、エルファールに向けて出発する。
リーナは街で買った革の胴着に長めのスカート、トキトはいつもの暁の鎧に、その上からやはり街で買った薄いローブのような上着を羽織って身に着けた。
これは目立たないようにする為に購入した物なのだが、意外に似合っていて違和感がない。
中央広場の停車場で、エルファール行きの馬車を探して乗り込む事にする。
代金を払う時に身分証を提示したが、特に疑われる事もなく馬車に通され、席に着いた。
入る時にはリーナが絡まれかけた街を囲む城壁の門を出る時も、衛士が馬車の幌の中を少し覗いただけで特に何も起こることはなく問題なく出発する事が出来た。
馬車の中には二人の他、若い男と年を取った男の二人組、子供を二人連れた母親、それにトキト達よりも一回り若そうなカップルが乗っており、客は合わせて九名のようだった。
窮屈なほどではないが、スカスカでもない、馬車の経営者からすれば赤字にならない程度の人数は確保できたという所なのではないだろうか。
馬車は順調に進み、日暮れになると近くの村に停車して、そこで一泊する事になった。
エルファール―ファロンデルム間は幹線道路なので大概の村には宿泊施設があり、旅人はそこに泊まる事が出来る。
馬車の方が徒歩より早いのは確かだが、馬は重い馬車を引いている上、夜間は止まっている為、思ったほど早くは進んでいない。
それでも、リーナの疲れを考えると馬車の方がいい事は間違いなかった。
乗り心地は決して良いとは言えず、乗っているだけでも疲れてしまうような馬車ではあっても、歩いて旅するよりははるかに小さな疲労で済む。
その村の宿では、二人ともすぐに寝てしまった。
今までの疲れに加えて馬車で一日中縮こまっていた事で溜まった疲れが、全身を伸ばして横になったとたんに睡魔となって二人に襲いかかったのだ。
ファロンデルムの宿よりも小さなベッドであったのにも関わらず、二人ともすぐに寝付いてしまいそのまま朝を迎えた。
早く眠ってしまった所為か早朝に目が覚めたトキトは、同じく早く目が覚めたリーナとともに散歩がてら宿の外に出てみる事にした。
昨晩は一歩も宿の外に出ないで寝てしまったので、時間がある時に少し村の中を見ておこうと思ったのだ。
一人で行くことも考えたのだが、トキトがいない間にリーナに何かがあったら大変なので一緒にいた方がいいと判断した。
幸いリーナも起きていたし、疲労も取れたらしく外に出たがっていたのでちょうどよかった。
外に出て改めて見てみると、宿があるのは十件ほどの家が並ぶ本当に小さな村の中だった。
防風林になっているのだろうか、背の高い針葉樹の樹が村の北側と西側に植えられている。
南と東には二メートル程の木の柵が設置され、獣などが簡単には入れないように工夫されていた。
「散歩といっても、村の中は散歩する所もなさそうだな。どうする? 村の外まで行ってみる?」
トキトは隣を歩くリーナに聞いてみた。
門は閉まっているのだが、外へは簡単に出られそうだ。
「無理に外へ行ってもしょうがないような気がします」
しかし、リーナはそれに賛同しなかった。
確かに、散歩に出たのは何か少しでも情報が得られないかと言う思いからだったので、早朝のこんな小さな村のさらに外側に行ってもあまり意味は無い。
「そうだな。馬車の時間まで部屋で待っているか」
そう考え、引き返して来ると、宿の前の通りに馬車が二台置かれている事に気が付いた。
その内の一台はトキト達が乗ってきた馬車より豪華な馬車で、馬はまだ厩にいるらしく馬車だけが置いてある。
「俺達以外にもこの村に泊まった人がいるみたいだな」
トキトはそう言いながらリーナの顔色を窺った。
馬車が少し立派に見えた為、それがどこかの貴族の持ち物だったりすれば、リーナの顔を知っている可能性もあると思ったのだ。
リーナはトキトの心配を察し、そして首を左右に振った。
「あの馬車は貴族のものではありません。どこかの商人のものでしょう。それなりに成功した方のものではあるとは思いますが」
「なら、大丈夫か」
商人ならばリーナと直接会った事がある者は少ないはず。
トキトがそう思い少し安心して宿の中へと戻ろうとしたその時、馬車の向こう側から何か陶器かガラスのような物が割れる音がした。
トキトはリーナと顔を見合わせ、それから置いてある馬車の向こう側へと走って回り込んだ。
すると、その馬車の先には、慌てて砕けた陶器のかけらを拾い集める娘と、そこへ今まさに駆け寄ろうとしている鞭を持った男の姿があった。
二人とも手足に鉄のリングを嵌めている。
よく見るとファロンデルムで会った奴隷の二人だ。
「またやりやがった。何度言ったらわかるんだ。荷物もまともに運べないのか」
男がまた怒鳴っている。
どうやら娘が食器か何かを落としてしまったらしい。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
娘は必死に謝っているが、その娘を強引に立たせようして、男は娘の腕を強く掴んで持ち上げようとしている。
気が付くとトキトは男の腕を掴み、止めに入っていた。
「何をする」
男はトキトの手を振りほどいた。
「ちょっと待てって。そんなに乱暴にしなくてもいいでしょう」
咄嗟に止めに入ったまでは良かったが、その先の事をトキトは考えていなかった。
「誰だ、あんた。あんたには関係のない事だろう」
男が煩わしそうにトキトの方を振り返る。
トキトは落ち着いた口調を心掛け言った。
「この娘の持ち主はどなたですか。お会いしたいのですが」
ここで興奮したら喧嘩になってしまいそうなので、なるべく冷静に話さなければならない。
だが、内心はかなり慌てていた為、トキトはリーナが服の裾を引っ張っていた事も気が付かなかった。
「はぁ? 旦那様に何の用だというのか。……。ああ、あんた、どっかで…。そうだ、ファロンデルムの広場でこいつとぶつかった奴だな。あの時の謝罪金なら払っただろう」
男はトキトに気が付いたようで、娘の手を離すとトキトを正面から睨みつけてきた。
「うちのやり方に口を出すんじゃねえ」
そしてトキトに顔を近づけ、脅してくる。
トキトはどう言えば角が立たないでこの場を収められるか頭を働かせてみたが、咄嗟の事で何も思い浮かばなかった。
意図せず目が泳いでしまっている。
それを見た男が、ここぞとばかりに責め立てようと口を開こうとする直前、リーナがトキトの前へと進み出た。
「すみません。うちの人は女の人が痛めつけられているのを黙って見ていられない性質なんです。この娘の壊してしまった品物の代金は私達が出しますので、この娘を許してやってもらえませんか」
リーナは背筋をぴんと伸ばし、しっかりと相手を見て穏やかな表情で男に話しかけている。
その凛としたオーラに、男も思わず言おうとした言葉を飲み込んでしまったようだった。
「どうかしたのか?」
その時、男の後に見える垣根の向こうから、太った男が現れ、男に声をかけた。
その太った男は短めのズボンに、それがほぼ見えなくなるほどの丈の長いシャツを着て、その上にポケットのたくさんついたベストを着ている。
この男が隣の馬車の主である商人のようだった。
鞭を握っていた男は、商人の男の姿を見て、姿勢を正した。
「はい、またこいつがドジをしまして、皿を三枚割ってしまいましたので、今旦那様に鞭打ちの許可を頂きに伺おうと思っていた所です」
それを聞いた娘は躰をビクッと震わせた。
トキトは何とかそれはやめさせなくてはと口を挿もうとするが、それよりも早く旦那様と呼ばれた商人が声を荒げた。
「何度言ったらわかるんだ、お前は。こいつの肌は傷付けてはいけないとこの間も言ったばかりだろうが」
「ですが、こいつはミスばっかりで…」
「そんな仕事はお前がやればいい。ここでこいつを傷つけたりしたら大損だ」
そして、今度は娘に向かって言う。
「お前も、もう何もしないでいいと言ったはずだ。屋敷に帰ったら部屋にでも籠って居ろ。一年たったら売り飛ばしてやる」
「旦那様、これからは気を付けますのでお仕事をさせてください。お願いします」
娘が必死に食い下がっているのを無視して、商人の男はトキト達へと近づいてくる。
トキトとリーナに向けた顔はこの場にはそぐわない異様に優しい笑顔だ。
「申し訳ありません、お二方。身内の見苦しい様をお見せしてしまったようです。この者達には後できつく言っておきますので、ここはお引き取り願えませんか」
見ると、娘も男も肩を落とし、うな垂れている。
男などはやろうと思えば旦那様と呼ばれるこの太った男など一捻りにできそうなものなのだが逆らう素振りもない。
「いや、すみません。その娘はこの後どうなるのですか?」
トキトは、先程、この商人が、一年後に売り飛ばすというようなことを言っていたのが気にかかったので聞いた。
すると商人はトキトとリーナを舐めるように見まわしてから言った。
「あなた方は風の民の方ですな。まあ、風の民にしては少し高貴な雰囲気がありますが…、特に奥様には気品が感じられる。…いや、失礼。うん、こんな所で風の民のご夫婦に出会えるとはこの旅もなかなか運がいいようだ」
ここまで一貫して柔和な表情で接してきた商人の目の奥に、何やら怪しい光が灯り始める。
「だが、確か風の民は奴隷には興味がないと聞いていたように思うのですが…、どういう風の吹き回しですかな」
「奴隷には興味はないが、その娘と昨日ぶつかった事は気になっているんでね、ひどい目に遭わされていたんじゃ寝覚めが悪い。そうだ、もしよろしければその娘を譲っていただくことはできませんか?」
商人は一瞬目を丸くしたが、すぐにバカにしたような目つきで見下すように言った。
「失礼ですが、奴隷はそうお安くはありませんよ。このドジな奴隷など安いだろうとお考えならそれは間違いです。この娘は十四歳ですからな。あと一年すれば夜も使えるようになる。きれいに着飾ってやればそこそこの値は付くでしょう。だから、今の段階でも安値でお渡しするわけにはいきませんのですわ。今まで育ててきた分も考えると大損になってしまう。もっとも、その分も上乗せしていただけるのであれば、こんな役立たずなど使い道がありませんのでお売りすることも吝かではございませんが…」
商人はその態度から、お前達にはそんな金は出せないだろう、と言っている事は明白だ。
「いくら必要なんだ?」
「そうですな。青玉金貨を二枚くらいは頂かないと…。まあ、それだけ頂ければ割った皿の分は不問にしてあげますよ」
青玉金貨と言うのは金貨に青い宝石が埋め込んであるもので、非常に価値の高い金貨だ。
トキトはレンドローブのところから持ってきたお金の中に青い宝石の埋め込まれた金貨もあったことを思い出した。
確かめると五枚ほど持っている。
「青いの二枚でいいんだな」
トキトはそう言うと、男から見えないように腰の袋の中をガサガサと探し、青く透明な石のが埋め込んである金貨を二枚探し出すと、それを手のひらの上に乗せて男の前へと突き出した。
「これでどうですか」
男は金貨を受け取ると、しばらく日に掲げたりして良く調べていたが、やがて本物と認め、急に態度を激変させた。
「いやー、失礼いたしました。お金をお持ちならお持ちと最初から言っていただければよろしかったのに。ええ、どうぞその娘をお持ちください。うちでは役に立たなくて困ってたんです。いや、しかしあと一年もすれば立派なレディーになりますからきっとお役にたちますよ。あっ、失礼、これは奥様の前でする話ではありませんでしたな、はっはっはっは」
トキトの隣で厳しい目で睨んでいるリーナの目に気が付いた商人は、乾いた笑いをする事で誤魔化した。
リーナは商人を睨みつけたまま言った。
「証書を頂けませんか」
言い方からリーナが怒っている事が伝わってくる。
「ああ、そうでした。おーい、誰か俺の黄色い革のバッグを持ってきてくれ」
するとすぐに大事そうに鞄を抱えた身なりを整えた若い男がやってきて、鞄を商人に渡した。
鞄を受け取った商人はその中から紙の束を取り出し、それをパラパラと捲りながら見ていたが、やがてそこから一枚の紙を抜き出し、何気ない顔でそれをリーナに見せてきた。
「これがこの娘の奴隷証明書です。奥様、ご確認ください」
そして、その紙を恭しくリーナに差し出した。
リーナは受け取る時に少し嫌な顔をしたが、それを手にすると真剣な表情で書類を確認し、「問題ありません」と言ってトキトに書類を渡してから、もう一度商人を睨みつけた。
商人はリーナの視線をどこ吹く風と躱して、商売用の笑みで一礼すると、娘に鞭を打とうとしていた男を引き連れ隣の家の方へと歩き出した。
どうやら隣の家も宿屋を営んでいるらしい。
商人は倒れたままの娘に「じゃあな」と一声かけるとそのまま隣の宿へと入っていく。
鞭を持った男は一つ舌打ちしてから商人の後を追い、主共々トキト達の視界から消えていった。
「まったく。これからどうする御積もりですか、旦那様?」
リーナが皮肉を込めて言っているのが分かるのだが、トキトは返す言葉がなかった。
リーナがいなければ、騙されていたかもしれない。
最悪、お金だけ取られてこの娘の権利もあの商人のもののままに終わった可能性だってあったのだ。
「とにかく宿に戻りませんか?旦那様」
リーナが優しく言ってくる。
が、声こそ優しいが、視線は厳しいままだ。
しかし、トキトはその視線を先程商人に送っていたものとは異なる種類のもののように感じていた。
ただ単に呆れているだけなのかもしれないが…。
「さあ、行きましょう、レーシェル」
リーナは視線をトキトから外し、まだ困惑した様子でいるその娘を証明書に書かれている名前で呼んで、娘の背中を押すようにして宿の中へと入っていった。