穴の底
パムと一緒に駆けて行くイチハの後を追いかけて、大穴の中央部に向かって歩きながら、トキトは辺りをぐるっと見回してみた。
すると、今立っている場所から右方向の崖が、一部分だけ二十メートル位大きくえぐれているのを確認する事ができた。
ここは三百六十度すべてが高い崖で囲まれているのだが、その部分だけ横穴のようになっているようだ。
上に向かって斜めに削られているため、かなり奥の方まで日差しが入り、今いる位置からだと一番奥までしっかり見えるのだが、意外に奥行もある。
あそこなら雨風が防げそうだ、などと考えながら歩いていると、遠くから可愛らしいイチハの声が届いてくる。
「お兄ちゃーん。お姉ちゃーん。この辺に何か光るものがたくさんあるよー」
見ると、イチハはすでに大穴の中心部を通り抜け、反対側の壁近くでこちらに向かって叫んでいる。
髪の毛が大きく縦に揺れているところを見ると、飛び跳ねながら叫んでいるらしい。
近づいていくと、イチハの居る場所の周りに、小さく盛り上がった塚のような塊がいくつかある事がわかってきた。
トキトはその中の一つの前に立ち、そこに落ちていた棒のようなものを持ち上げてみた。
「古くて、汚れているけど。これは、剣だな。それに槍や…矢もある」
そこは、一見すると土や岩などに紛れてよくわからないのだが、よく見ると剣や槍などの武具が積まれ、小さな山のようになっている場所だった。
そう思って見てみると、一部には光を反射しキラキラと光っているものも見受けられる。
「でも、これみんな折れてるみたい。お墓なのかな」
イチハにそう言われてよく見てみると、よほど硬いものにでも斬りつけたのだろうか、確かにほとんどのものは折れたり、欠けたり、曲がったりしている。
トキトはイチハの言うお墓の意味が、始めは良くわからなかったのだが、すぐに剣のお墓だと言っている事に気が付き、頷いた。
なるほど、そんな感じかもしれない。
イチハのすぐ隣では、パムがある一点をやけに気にして見つめている。
そのあたりを少し詳しく見てみると、何やら棒のようなものが突き出ていたので、トキトがそれを力任せに引っ張ってみると、その棒が抜ける手ごたえと共に埃がもうもうと舞い上がった。
この辺りは砂や小石の多い場所だったようだ。
「すごーい」
埃が落ち着いてくるとトキトが手にしたものが見えてきた。
それはひときわ立派な剣だった。
「この剣は刃こぼれしていないようだな」
言いつつ、トキトは剣についた土やほこりを払っていった。
「きれーい。いーなー。それほしーい」
イチハがうらやましそうにトキトの手にした剣を見つめている。
その剣は、グリップやガードに綺麗な彫刻が施してあり、今まで見た他のものとは違って刃も全く欠けていない、確かに立派な剣だった。
「でもこれ結構重いよ。それに、イチハちゃんがこんなの持ってたら危ないんじゃない?」
「ちゃんじゃない、イ・チ・ハ。いいわ。じゃあ、それお兄ちゃんにあげる。…他にもきれいなの、ないかなー」
イチハはあっという間に興味を他に切り替えた様で、もう次の獲物を探しにかかっている。
ここにある物の全てが自分の物のような言い方をするイチハには苦笑するしかない。
トキトはこの剣をとりあえず持っておく事にした。
当然の事ではあるのだが、トキトは剣など今までに持ったことはない訳なので、あった場所に戻しておいたほうが無難な気もするのだが、なぜか手放す気にはなれなかったのだ。
そこへシオリが近づいてくる。
「ほんと、まるで剣の墓場ね。誰かがこの穴の中に捨てていったのかしら」
先ほどのイチハの言葉はシオリにも聞こえていたという事らしい。
普通に話題に乗せている。
トキトはそれに返事を返した。
「でも、崖の上から放ったんじゃ、こんなきれいに山にならないんじゃないかな」
いらない物を誰かがこの穴に捨てていったのだとしても、崖の上からただ落としただけでは同じ場所にきれいに重なる様には思えない。
誰かがここまで降りて来て、意図的にこの場所に置いて行ったと考えた方が余程しっくりくる。
「じゃあ、私達の他に誰かがここに居るっていう事?」
「かなり土やほこりがかぶっているだろう。中には苔のついたものまである。誰かが最近置いたんじゃあなくて相当前からここにあるんじゃないのかな」
この土地にはもう何十年も前から人の手は加えてられていないような気がする。
少なくとも人がわざわざこんな所まで降りてくる意味があるようには思えない。
「確かに。とても誰かがいるように見えないわね」
確かめるように、シオリも辺りを見回している。
「パム、それなーに」
不意にそんなイチハの声が聞こえてきて、トキトがその声の方向を振り向くと、少し先の隣の小山の前でパムが何やら吠えていた。
そのパムに向かって言っているイチハの声が聞こえてくる。
「きれいな玉だー。パム、偉い」
イチハは急いでパムに駆け寄り、パムの頭を軽く撫でてやってから、そこにあった虹色に輝くきれいな丸い珠のようなものを持ち上げた。
持ち上げてみると、珠には木の枝のような棒がついている。
「杖だー。見てー、きれいな杖でしょー。お兄ちゃん」
「ほんとだ、水晶か何かかな。普通、こんなところに落ちているものではないと思うけど」
よく見ると、近くには他にも小山があるようだった。
どれも結構古くからある山の様で、土や泥をかぶり、部分的には苔むしているものさえある。
奥の壁沿いには、他にも防具っぽいものの山や古い装飾品のようなものの山、昔のお金だろうか、知らないコインの山もあるようだった。
コインはゲームセンターのものか何かなのだろうか、少なくとも見覚えのある模様のモノではないように見える。
といっても、こんなところにゲーム機なんてあるわけがないのだが…。
トキトは、先程見つけた大きな横穴が気になったので、まだ何やら漁り続けているシオリとイチハをその場に残し、横穴のある方向に向かって歩きだした。
最初にいた場所の辺りまで引き返してきた時、ごつごつとした岩の中に何となく見覚えのある形の石があるような気がしたのだが、それについては細かく確認する事なく、そのまま通り過ぎていく。
横穴は穴の底から五十メートル位の高さの所から抉れ始め、奥に行くほど穴の高さは低くなっているようだった。
穴の中の地面は平らだが、そこには木や葦のようなものが押しつぶされたように楕円状に並び、真ん中辺りだけ少し窪んでいる。
見ようによっては何かの巣のようにも思える作りだ。
こんな大きさの生き物がいるわけがない、とは思いつつも、とても嫌な予感がして仕方がない。
「巨大な鳥の巣か何かかしら。何だか怖いわ」
いつの間にかすぐ後ろまで来ていたシオリが後ろからぼそっと言ってくる。
怖いと言う割にはあまり怖そうにしている様には思えない。
もともとあまり感情を表に出すタイプではないのか、それとも恐怖の所為で表情を失ってしまっているのか…。
そのどちらであるにせよ、トキトにはシオリよりも自分の方がこの状況を怖がっているように思えるのだが、その事は意識して押し隠すようにして、なるべく普通に聞こえる様に答えてみる。
「確かに、鳥なら飛べばこの大きな縦穴から出る事も可能なのだろうけど、こんな大きな鳥なんている訳はないんじゃないかな。もしかしたら、昔はいた可能性があるのかもしれないけど、現に今はいない訳だし、その鳥の子どもや卵も見当たらない。だから、そんなに心配しなくてもいいと思うよ」
「子供がいなくても巣を作ることはあるわ。夜になったら戻ってくるのかも」
シオリが突っかかってくる。
声のトーンは相変わらずなのだが、それがかえってシオリも実はかなり怖がっているのではないかと思えてくる。
考えてみれば当たり前だ。怖くないはずがない。
「仮にそうだったとしても、まずはここから出る方法を見つけないとどうしようもない。壁に階段があるわけでもないし、この横穴がどこかへつながっているわけでもなさそうだからね」
「私達、このままここで死ぬっていうこと?」
シオリが表情を変えずに言ってくる。
「縁起でもない。何とか脱出方法を考えようよ」
トキトも本当は、そんな考えが頭をよぎったりしていたのだが、みんなで悪い方に考えるのは良くないという事で、少々強引に話題を変える事にした。
「と、ところで、それってどこで拾ったの?」
「あ、これ」
シオリが右手に持った剣を軽く持ち上げる。
持っていたのは先端が鋭くとがった片手剣。
持ち手と持ち手に半円状にかかるガードの部分に綺麗な銀色の装飾が施されている。
先ほど見た他の多くの剣は折れたり曲がったりしていたのに対し、この剣はまるで新品のようにまっすぐに伸びていて美しい。
「パムが持ってきてくれたの。そして、まるでおまえが持っていろと言ってるみたいに、私の前に置いていったのよ。で、持ってみたら意外としっくりくるというか、手になじむというか。自分でもよくわからないのだけれど、なんだか手放せない感じ」
シオリは少し暗い感じはあるものの、なかなかの美少女である事も間違いない。
トキトはそんな彼女が、美しい剣を手に構えを取ると、どれだけ様になるのだろう、などと勝手な想像をしてしまい、こんな状況で不心得だったと、その想像を振り払う様に頭を振った。
そしてそれをシオリに気づかれないよう、話題を自分の持っている剣の方へと向けさせる。
「そう言えば、この剣のありかも、パムに教えてもらったんだよな」
そんな風に言いながら、先程の空想を誤魔化す様に、右手に持ったままの剣を持ち上げ、自分なりの構えを取ってみる。
「そう。こうして持ってみると、この剣ってやけにしっくりくるんだよね。あんなにたくさんある中からいいものを探してくるなんて。ひょっとして、パムって何か不思議な力があるんじゃないのかな」
トキトが振り返ってパムを探すと、パムはイチハと一緒にあっちに行ったりこっちにいったりしながらだんだんとトキトの方へ近づいてくるところだった。
イチハは先ほどの杖の他にも、何かを腕に抱えている。
「とにかく、何とかしてここを出なくちゃだな」
ここが何処だか調べるためにも、まずはこの穴を出なければ話にならない。
シオリが上を見上げて言う。
「そうだけど、……。でも、それはちょっと無理なんじゃない? 仮にトキトはこの崖を登れたとしても、私やイチハには登れるわけがない」
年下のシオリにいきなり呼び捨てにされ、トキトは最初一瞬だけ驚いたものの、言われて嫌な気はしなかったので、そのまま流す事にした。
「いやいや、俺にも無理だよ。と言うか、普段まったく運動なんかしていないから体力に自信ないんだよね」
「じゃあ打つ手なし…ね」
シオリに悪気はないのだろうが、そうあっさりと言われてしまうと、なんだか無能だと言われているような気になってくる。
実際、大したアイデアがある訳でもないので、そう思われても仕方がないのかもしれないが…。
「ごめん。でも、ほら、誰かが助けに来てくれるかもしれないし、自衛隊や消防のヘリコプターなら真ん中の平たんな場所辺りなら降りられそうだし、うん、きっとなんとかなるよ」
「仮にそうでも、どうやってここにいることを伝えるの?ここがどこだかもわからないし、あの巣みたいなところに大きな鳥が帰ってくるかもしれない。それに、待っていればいいのだとしても待っている間の水も食料もない」
シオリの言葉はにべもない。
トキトとしてはシオリを元気づける為に言っただけで、所詮根拠のない話でしかなかった為、どう返事をしていいか困っていると、イチハが戻って来て言った。
「水ならあるよ」
イチハは後ろを振り返り、真っ直ぐ壁際のとある一角を指差している。
「あっちの隅の方に壁から水が湧きだしてできた水たまりがあったよ。きれいだったから飲めるんじゃないかなー」
イチハもただ無意味に駆け回っていただけではない、という事らしい。
それにしても水があるのは不幸中の幸いと言えそうだ。
「それはラッキーだな」
トキトが言うとすぐにシオリが言い返してくる。
「水だけあったってそれだけで生きられるわけじゃあないわ。仮に生きていけたとしても一生ここにいるっていうの?」
シオリの声は落ち着いていて、その見かけと相まって随分と大人びて見えるのだが、実は意外と怖がりなのかもしれない。
誰かに宥めてもらいたがっているように見えるのだ。
トキトも普段は、近くに誰か頼れる人がいれば、その人にあっさり頼ってしまうタイプなのだが、今ここにはトキトだけしか男はいない。
しかも、一番年上なのも自分だ。
なので、怖がっている場合ではないと自分を奮い立たせる。
そして、頑張って何とか前向きな発言をするようにする。
「だからと言って、悲観してばかりいてもしょうがないでしょ。だから、今はできることをやっておこうよ。何か使えそうなものや、食料になりそうなものでも探してみない?」
「りょうかーい。ぱむ、向こうへ行ってみよー」
すぐにイチハが、今来た方向とは違う方向に向かって、勢いよく駆けていく。
その後ろをパムが追いかけ、ついて行く。
元気のいいイチハには救われてばかりだが、イチハもいつまでも元気でいてくれるとは限らない。
何しろイチハはまだ小学生なのだ。
疲れて元気が無くなる前に、何とかこれから先の見通しくらいは立てられるようにしなければならない。
「使えそうなものはともかく、食料はありそうもないけど…」
イチハの明るさにやはり何か感じることがあったのか、ぶつぶつ言いながらもシオリも辺りの様子を窺いながら、イチハとは別の方向へと歩いて行く。
トキトも二人とは違う方向、すなわち横穴のある方向へと向かい、その辺りを探してみる事にした。
横穴の壁伝いに歩いてみると、そこにも剣や槍などが数本、ぱらぱらと散らばるように落ちている。
それらも、やはりほとんど全てが折れていたり欠けていたりしているように見えるのだが、先ほどのものと比べると、量こそ少ないものの、比較的新しいものばかりのようにも見える。
金属部分に光沢があり、光を反射しているものもあるようだ。
けれど、特別目新しいものは見当たらない。
トキトは、ふと、頭上を見上げてみた。
太陽がさんさんと輝いていて、暑すぎるとまではいかないものの、上着を着ている状態では少々暑く感じられる。
思い返せば、ついさっき公園にいる時はうら寒い曇り空だったはずなのに、穴の上空は澄み渡った青空だ。
一瞬にして雲が無くなるわけはなく、どう考えてもここは、元いた場所の近くだとは思えない。
そもそもこんな大きな縦穴など、日本中どこを探しても見当たらないのではないだろうか。
少なくともトキトはこんな場所があるなんて、聞いた事がない。
トキトは皆の所へ戻る事にした。
何となく上空を見上げたまま、大穴の中心方向へと歩いていると、突然、何かが足に当たり、トキトは大きくよろけてしまった。
何かと思ってよく見てみると、足元に有ったのは先程気になった石だった。
他にも石はあちこちに落ちているのだが、不思議とこの石ばかりに縁がある。
しかし、だからと言ってこの石を何かに役立てる事は出来そうもない。
というよりも、利用方法が思いつかない。
その時だった。
突然、イチハが大きな声で叫んだ。
「何か飛んでくるよ!」
慌てて再び上空を見上げると、充分高くに見える穴の入口より、はるかに高い位置に黒い点のようなものが見える。
まぶしくてよくは見えないのだが、何かが翼を広げているようにも見えなくはない。
鳥…なのだろうか。
トキトは日の光を手を翳してよけながら、もっと良く見る事が出来ないかと試みてみたのだが、日の光がまぶしくて、どう試みてもはっきりとは見る事が出来ない。
「ふらふらしてない?」
いつの間にか近くに来ていたらしいシオリが心配そうに言ってくる。
確かに、よく見ると何故だかはわからないが、その黒い点は右に左に蛇行している。
滑空している様でも旋回している様でもない。
トキトは何故だか無性に嫌な予感がして来た。
「みんなで集まっていた方が良い気がする。イチハ、動かないでそこにいて! シオリ、一緒にイチハのところに行こう!」
シオリはトキトの指示に従い、同じくトキトの指示に従い横穴の入口近くで動かずにいたイチハとパムの元へと駆け寄ると、イチハの手を取り、その近くにあった岩の陰へと隠れ、そこでイチハの事を後ろからギュッと抱きしめた。