騎士との戦い
部屋に入ると、ルーはベッドに座っていた。
右足のひざから下には包帯が巻いてある。
ルーの手当てをしていたらしいダルネスは入り口脇に椅子を置きそこに座っていた。
どうやらルーが出て行かないよう見張っていたらしい。
トキトはじゃれつくパムを制しながら、イチハの身体をもう一つのベッドの上にそっと寝かしつけた。
すぐにパムがイチハの顔を舐めるが、イチハは眠ったままだ。
「ルー、大丈夫?」
後から入ってきたシオリがルーに声をかけると、入れ替わるようにダルネスは出て行った。
ミティーニもダルネスに連れられて出て行ったので、今この部屋にはトキトとシオリとルー、それに眠っているイチハと犬のパムしかいない。
「大丈夫です。それよりもリーナ様が…」
トキトが近づくと、ルーは泣きじゃくりながらトキトの胸に抱き付いた。
トキトとシオリがディゴラ退治に行った後、宿に戻ってきたリーナを待っていたのは騎士を名乗る男だった。
騎士は皆の前でいきなり訳の解らない口上を述べ、返事も聞かずにリーナに魔法錠をかけると、そのまま抱き上げるようにしてリーナを連れて行ったのだそうだ。
ルーとパムは騎士に挑みかかろうとしたらしいのだが、難なくかわされ、騎士は屋敷の門の中に入っていってしまったらしい。
その後ミティーニも交え何度も屋敷に押し掛けたのだが、門前払いをされ、無理やり塀を超えようとしたルーは、塀から落ちて右足を痛めたという事だった。
トキトは、しばらくルーに抱きつかれたままの態勢で考え事をしていた。
それが意外に長い時間に及んだ為、シオリが何か言おうとすると、トキトはそれを手で制し、その姿勢のままゆっくりと顔をあげて言った。
「よし、助けに行こう。ルー」
トキトはルーの肩を掴んで身体を離してそう言うと、それからシオリの方を向いた。
「俺とルーで屋敷に行く。シオリはイチハについていてやってくれ」
シオリは最初噛みつきそうな勢いでトキトをにらみつけたのだが、トキトがイチハを指さすと少し表情を戻した。
イチハは相変わらず眠っていて起きる気配がない。
「でも、その何とかっていう騎士も強いんでしょ。私も行った方がいいんじゃない?」
シオリはトキトにそう言いながらも、目はイチハを見つめたままでいる。
イチハの側にいてあげたいとも思っているのだ。
「今、イチハを一人にしたくない。まだ森で何があったのかもわからないんだ。俺かシオリがついていなくちゃだめだと思う。だから、今はシオリに頼むしかない」
シオリは渋々頷いた。イチハを一人にしたくないと言う思いが勝ったらしい。
「わかったわ。どうせトキトの事だから、自分だけで行けば、もしも国軍につかまっても、王族と関係したのは自分だけだとか言っちゃって、私達とは無関係を装おうとでもいうんでしょ。でも、そんな事は許さない。イチハに説明できないもの…。だから、必ず戻ってきなさいよ」
シオリはそう言うと、いつになく真剣な目でトキトの事を見つめてきた。
確かにシオリの言うとおりだった。
トキトは、一人で行けば、もし国軍につかまって王女を助けた者として罪に問われるような場面になっても、シオリとイチハは関係ないと言い切ることができると考えていたのだ。
ルーについてはもともとリーナの付き人だから、止めても止められるものではないだろうと考えていた。
「もちろん帰ってくるさ。リーナを連れてね」
トキトはシオリの目を見て一つ大きく頷いた後、今度はルーに向かって言った。
「行こう。ルー。案内してくれ」
シオリとイチハそれにパムを部屋に残し、トキトとルーは二人で宿を出た。
宿を出る時、ミティーニも一緒に行くと言っていたが、ミティーニに迷惑はかけたくなかったので、それは丁重に断った。
そして、二人はまずは館の正面玄関へと向かった。
もう何度も来たけれど入れてもらえなかった、と言うルーに、自分は初めてだから正面から行かせてくれと頼んだのはトキトだ。
最終的には壁を登ることになるとしても、最初は礼儀を通すべきだと思ったのだ。
館の入口は南門から真っ直ぐ突き当たった位置にある。
街に来て最初にシオリと通りかかった場所だ。
来る時は宿へ向かうため入口などあまり気にしていなかったが、通りから館専用の小さな橋を渡ると、そこには立派な門があった。
門の上からは橋の両側に縄が渡してあり、縄を引くと橋が引き上がる造りになっているようなのだが、今は橋はそのままになっていて普通に渡る事が出来る。
トキトはルーと一緒に橋を渡り、そのまま門の前まで進んでいくと、そこに付けられていた呼び出し用の鳴らし木を叩いてみた。
しかし、それには何の反応もない。
ただ乾いた木の音が響くだけだ。
「ここへは何度も来ましたが、一度も反応はありません。……。それに、押してもびくともしません」
ルーはそう言って、頑丈にしまっている事を証明するため、全身の力を使って思いっきり門に体を叩きつけた。
そして、そのままルーは門の向こうに消えてしまった。
門はあっさり開いたのだ。
「大丈夫?」
ルーは門のすぐ内側で倒れていた。
トキトが手を差し伸べると、ルーはその手を取って立ち上がった。
「痛たたたっ。どうして? さっきまではあんなに固く閉められていたのに」
どうやらルーに怪我はなさそうだ。
だが、この状況はおかしいと言わざるを得ない。
ルーやミティーニの話では門は閉ざされていて中にはずっと入れなかったはずなのだ。
礼儀のため最初は正門からと思い来てみたのだが、トキトもあっさり入れてくれるなどとは考えていなかった。
周りを見回してみても人影は見られない。
「ご招待……って考えて、いいのかな…」
トキトのつぶやきにルーは何も答えず、奥の屋敷を見つめている。
「行くしかなさそうだね。早くリーナを探さないと」
まずは玄関へ向かおうと三歩ほど玄関に近づくと、右手の大きな蔵の後ろから何かが倒れるような大きな音がした。
何事かと耳をそばだてていると、かすかに人の声がする。
何か揉めている様子がうかがえる。
「リーナ様。リーナ様の声がします!」
トキトにはよくわからなかったが、長年付き添っていたルーにはリーナの声が聞こえたらしい。
ルーがそう言うのなら、間違いないのだろう。
トキトはそう判断し、玄関へは向かうのを止め、蔵の裏手を目指して走り出した。
屋敷と蔵の間を抜けるように走っていくと、蔵の後ろは少し開けた中庭のようになっていた。
館の裏口なのだろうか、庭の向こう側に見える入り口に誰かが押し込められるように追い立てられている。
「リーナ様!」
少し遅れて追いついて来たルーが叫んだ。
二つの影に押し込められるようにして一つの影が屋敷の中へと消えていく。
ルーはその影がリーナだと言った。
それが本当なら、まだ手遅れにはなっていないという事だ。
何としても助けなければ。
トキトはそう決心し、その影の消えた入口の方向へと向かった。
先程ルーが叫んだ時、トキトは一瞬その場に立ち止ってしまった為、ルーはトキトに追いついている。
トキトはルーと並んで走りながら、この後どうするべきかと思考を巡らせていた。
ここからは野獣を相手にするのとは訳が違うのだ。
いくらリーナの事を捕まえた者だと言っても、剣で切り捨てるのはどうしても抵抗がある。
全く経験はないが拳で戦うしかないのだろうか。
そんな事を考えながら、トキトが中庭を抜けようとした時、突然横から剣が突き出された。
余計な事を考えていた所為でトキトは一瞬反応が遅れかけたのだが、間一髪反対側にいたルーを突き飛ばし、自分も逆方向へと飛んでその剣を躱す。
身体をうまく一回転させ、すぐに立ち上がったトキトは、いつの間にか目の前に立っていた男から一歩遠ざかり、剣を抜いた。
そして男を正面にとらえると剣を構えながら相手の姿を窺った。
男はトキトより少し薄い赤の鎧を身に付け、両手に二本の剣を持っていた。
トキトよりも年上に見えるその顔は、なかなかに精悍でいかにも騎士と言う感じがする。
人を相手にするのは、トキトはこれが初めてだ。
戦いたくないという思いが湧いてくるが、相手がやる気な以上は避けては通れそうもない。
なんとか相手の戦意を無くすことはできないだろうか。
そんな弱気な考えが頭をよぎる。
その隙を狙ったのか、騎士が右手の剣でトキトに襲いかかってくる。
トキトは剣を前に翳すような格好で、なんとかそれを受け止めた。
すると、今度は左手の剣でトキトの胴を狙ってくる。
トキトは剣をずらし、それを柄の部分で受け止めた。
そして、そのまま二本の剣を弾き、いったん間合いを取るべく一歩下がる。
しかし、すぐに次の攻撃が襲いかかってくる。
凄まじい勢いで上下左右に打ち出される攻撃を、トキトは必死の思いで躱していくが、シオリとの練習が役に立ったのか、幸い剣は掠りはするもののまともには当たる事はない。
しばらく避け続けているうちに、目が相手の剣さばきに慣れてきたと感じるようになったトキトは、倒れたまま二人の戦いに見入っていたルーに声をかけた。
「リーナを追いかけて」
ルーは、その言葉で思い出したかのようにリーナの消えた館の入口に向かって走り出した。
走り去るルーを騎士が目で追ったのを見て取ったトキトは、その隙を突いて反撃に出たのだが、それは軽く跳ね返されてしまった。
「まあいい。館にはキティエラ様がいらっしゃる」
騎士は言いながらトキトへの剣戟を再開した。
この騎士の言い様から、館の中にも誰かがいる事が窺える。
そうなるとシオリを連れてこなかったのは失敗だったという事になるのかもしれないが、今さらそう思ってみても、もうどうしようもない。
中の事はルーに任せるしかない。
しかし、この騎士は明らかに強い。
これならば充分ディゴラとも渡り合えたはずだ。
トキト達に頼らなくとも街を守るのに充分な強さを持っているものと思われる。
そう思うと胸の内から怒りが湧き上がってくる。
「あんたなら、ディゴラだって余裕で倒せただろうに!」
思わず語気が荒くなる。
しかし、騎士は何も答えない。それどころか、剣戟の勢いは増すばかりだ。
ルーが屋敷に入る時、ドアを勢い良く閉めたのだろう、ドン、という大きな音がした。
それで騎士がほんの一瞬トキトから目を離した。
その隙をトキトははっきりと認識できた。
すかさず騎士の顔めがけて剣を突き出していく。
剣の軌道は騎士の顔面を確実にとらえている。
このまま腕を伸ばせば確実に騎士の頭を貫く、…貫いてしまう。
一瞬の躊躇が騎士の剣に戻る隙を与えてしまい、トキトの剣は寸前で払われてしまった。
慌てて剣を戻すが、すでに形勢は逆転している。
騎士は二本の剣を前後に構え、そのまま回転するように切りつけてきている。
何とか一撃目を剣で受け流したものの、騎士はそのまま回転するようにしてすかさず二撃目を繰り出してくる。
剣での防御は間に合わないと判断したトキトはすかさず屈んでやり過ごすが、すでに三撃目が目の前まで迫っている。
今度は避けられない。
鎧の胴に騎士の一撃が綺麗に入った。
大きな金属音と共にトキトは大きく飛ばされ、蔵の壁にうちつけられる。
国宝級の鎧のおかげか真っ二つにはされてはいないものの、全身に大きなダメージを受けていて立ち上がれない。
騎士はすかさず間合いを詰め、トキトの顔の前に剣を突きつけた。
「終わりだ。剣を捨てて、手を上げろ」