ダルネスの宿
エルファールで最高の貨幣は一般的には金貨だが、実はそれより価値のある金貨も存在する。
金貨に宝石を埋め込んだ特別製の金貨がそれで、歴代の王が特別の機会に造ったものだ。
トキトの出したコインは、どうやらそれだったらしく、エルファールでは四番目に高価な金貨だそうで、五人(と一匹)でも一枚で約一か月も泊まることができるという事だった。
いつ出て行かなくてはいけなくなるかわからない状況なので、そんなに長く泊まるかどうかはわからないのだが、いまさら他のお金を出すわけにもいかなくなったトキトは、とりあえず泊まれるだけ泊めてもらうという事にして、そのコインを主に渡すと、主はすごく喜び、すぐに部屋へと案内してくれた。
部屋は通りに面した二室とその隣の一室だった。
三人はまだ来ていないので、トキトは通りに面していて一番日当たりのいい部屋で三人を待つことにした。
いい部屋を選ぼうとでも思ったのか、三つの部屋を回っていたシオリがほっとしたような表情で入ってくる。
「部屋は結構いいみたいね。こんな場所だからあまり期待できないのかと思ったけど、あの主人なかなかやるみたいよ。人を見る目はないみたいだけど」
シオリはまだ夫婦と思われたことを根に持っている様で、どうしても一言付け加えないと気が済まないようだった。
けれどそこに触れると会話が変な方向に進んでしまう可能性が高い為、トキトはそれには触れない事にした。
そして、一通り窓の外を眺めてから言った。
「大きな街ではないけど、落ち着いたいい街みたいだね」
宿の目の前には主に平屋の家が立ち並び、少し先にあの屋敷の物見台も見えている。
「…そうね、あまり裕福ではなさそうだけど」
家の造りは簡素だががっしりとしたものばかりだ。
南側には畑も見えるがそんなに大きなものではない。
すぐに街の外壁に突き当たってしまう為、あまり面積が取れないようだ。
これだけの畑で自給自足ができるのだろうか、という疑問も湧いて来ないではない。
その時、バタバタと階段を上がってくる音がして、少しすると、ドアの外から女の人の声がした。
「失礼します」
入ってきたのは若い女性だった。
髪は先ほどの男と同じ赤みがかったブラウン、長い髪を一カ所で束ね、左の肩から前に垂らしている。
清潔そうな白いシャツに腰から下が大きく膨らんだ長いスカートをはいていて、その上にエプロンをつけている。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。ここの女将のミティーニといいます。ダルネスの宿をご利用いただきありがとうございます。何かわからない事がございましたら私にお申し付けください」
若いと言ってもシオリはもちろんトキトよりも年上だろう。
先程の男の奥さんにしては少し若い様な気もするが、もしかしたら夫婦なのかもしれない。
いや、ひょっとしたら娘さんかもしれないな、などと考えながらトキトがミティーニの事を見ていると、すぐ横でシオリが鋭い目で睨んでいる事に気付かされる。
「何胸ばかり見ているの、いやらしい」
確かに、ミティーニの胸は大きく、そのせいかスタイルも良く見える。
「い、いや、ちがうよ。そんな風にはみていないよ」
トキトは別に変な目で見ていた訳ではなかったのだが、突っ込まれて慌ててしまった。
そこをシオリが更に突っ込んでくる。
「うそ、視線が胸に行っていたわよ」
「い、いや、違うよ。胸を見ていた訳じゃない」
「じゃー何を見てたのよ」
そんな二人の言い合いを見てミティーニは突然笑い出した。
「お客さんにこう言うのも失礼だけど、面白いですね、お二人とも。うちの人が言っていた通りね。よかった、久しぶりのお客さんがあなた達みたいな人で…、こんな時期だから、軍人さんみたいに怖い人だったらいやだなって思ってたの。鎧の方だって聞いてたし。でも、よかった。」
トキトはシオリと顔を見合わせた。
二人とも顔が赤くなっている。
その様子を見て、ミティーニはまた笑った。
「ミティーニさんは、ここまで案内してくれた方の奥さん…ですか?」
トキトは恐る恐る聞いてみた。
「ええ、あなた方をここまで案内したのはこの宿の主ダルネスです。私はダルネスの妻ミティーニ。二人でこの宿を切り盛りしているんです」
ということは、ダルネスは相当若いお嫁さんをもらったという事になる。
「そういえば、旦那さんが、うちのは畑に出ている、とか言っていなかったっけ。あれがミティーニさんだったのね」
確かに、ダルネスはそんな話をしていた。
という事は、恐らくはいつもはミティーニが宿にいるという事だろう。
「ええ、二、三日前から外の畑に野獣が出るみたいで畑が荒らされるようになって困っているのです。今朝も、隣の家の畑が荒らされたって聞いて、畑を直すのを手伝っていたのです」
だから、宿にいなかったという事らしい。
しかし、畑は壁で守られているはずだ。
ということは、この辺りにも野獣が侵入して来る事がある、という事なのだろうか。
トキトがその事について聞いてみると、ミティーニはあっさりそれを否定した。
「いえいえ、街の外壁を超えて野獣が入ってくることはありません。門も、夜は閉めますし、昼もおとといから交代で見張りを立てるようにしていますからね」
その話が本当なら、今までは常に門番がいたわけではないらしい。
という事は、あの門番は慣れない仕事を持て余し、暇をしていたという事なのかもしれない。
トキトがそんな事を考えている間にも、ミティーニは話を続けている。
「けれど、壁の内側には最低限の畑しかないのです。だから、この街全体が自給自足でやっていくためには街の東にある外の畑も必要なのですが、そこが襲われてしまっているのです」
トキト達が入ってきたのは南門だったので、街の東側は見ていない。
どうやらそこに畑があるようだ。
「以前にはそんな事はなかったのですか?」
トキトが質問すると、ミティーニは戸惑いながら答えてくれた。
「そうなんです。この辺は森の中の方が餌が豊富なので野獣はめったに人里まで現れないのです。それでも何度か畑を荒らされたことはあるのですが、今までは連続して荒らされることはありませんでした。それに、今回はどうも様子がおかしいようなのです」
トキトとシオリに促され、本来はお客さまにお話しするような事ではないのですが、と前置きして、ミティーニは続けた。
「どうやら、畑を荒らしているのはディゴラらしいのです。ディゴラの事は知っていますか?」
ディゴラとは確かリーナを助ける時にやっつけた電撃を放つサイのような獣だ。
知っているわ、とシオリが答えた。
「もともと、この辺にはめったにディゴラは現れません。それが、今朝見た人の話だと三頭も畑に現れたらしいんです。今まで三頭ものディゴラを同時に見た人なんて聞いた事がありません。今この街には剣士がいないので、これに対処するとなると村人総出でやらなくてはならないかもしれないのです」
トキトはリーナを助けディゴラを倒した時の事を思い出した。
ディゴラを倒すのにそこまで大変な思いはしなかったはずだと思うのだが、あれは運が良かったせいなのだろうと思い直す。
ミティーニの話は続いている。
「だけど、腑に落ちないのはディゴラは本来肉食であまり草や木の実は食べないはずなのです。森で何も獲物が取れない時にはやむを得ず食べることもあるようですが、基本的には小動物を電撃で麻痺させ食べるのが普通です。今は、森にはディゴラの餌となるような小さな獣もたくさんいる時期ですし、実際街の狩人は森に入っていろいろな獣を取ってきます。狩りの上手いディゴラが何も捕まえられなくなるはずがないんです。それなのに、畑が荒らされる。みんな訳が分からなくて困っているんです」
ミティーニが話しを終えると、三人の間に沈黙の時が流れた。
その沈黙に我慢できなくなったシオリがトキトに向かって、言ってくる。
「ディゴラってあの電気を放つやつでしょ。あれ、この間トキトがやっつけたじゃない。三匹くらい退治してやりなさいよ」
「な、何言いだすんだよ。あの時は偶然うまくいったから良かったけど、そうそううまくいくかどうかわからないし、それにあれが三頭もいるっていうんだぜ。避けきれないだろ」
慌てて否定するトキトにシオリが小声で、ここで恩を売っておけば後が楽になるんじゃない、などと言っている。
そのやり取りを聞いていたミティーニが話しに割って入る。
「ディゴラと戦ったことがあるんですか? 何人でやったのかは知りませんが、経験者がいると助かります。騎士様は基本領主様の元からお離れにはならないし、この街唯一の剣士は今不在なので実質まともに戦える者がいないのです」
「トキトは一人でディゴラを倒したの。だから任せておけば安心よ」
トキトが止めるその前に、シオリはそんな風に言い放っている。
この流れでは、やらない訳にもいかなくなりそうだ。
ならばシオリも巻き込んでやろう、トキトはそう考えた。
「そうだね、シオリと二人でやれば何とかなるかもね」
「なっ、何言ってんの?」
シオリは半ば他人事だと思っていたようで、急に振られて驚いた様子を見せていたが、
「レンの力でいくら覚えるのが早くなったといっても、剣を振るわなければ上達しないってレンも言っていたじゃないか」
と、トキトが耳打ちした事で、不承不承同行する事を決めたようだった。