逃亡中の姫君
「危なかったじゃない。こっちに来ないうちにやっつけてよ」
サイが静かになったのを確認し、シオリが言った。
その言葉にトキトがクレームをつける。
「あのさあ。直撃じゃあなかったけど、こっちは一応電撃も受けているんだから、もっと心配してくれてもいいんじゃないかな」
「大丈夫でしょ。いい鎧を付けているんだから」
「電撃に効果があるかどうかはわからないじゃないか」
「実際なんともないんだからいいじゃない」
言い合いを始める二人の間に、イチハが割って入ってくる。
「もう、いいじゃない。やっつけたんだからさ。それに、あんなこと言ってるけどシオリもさっきはトキトの事を心配してたんだよ」
「イチハ、余計なこと言わない!」
イチハはシオリの鋭い視線を難なくかわし、少し大きめの木の幹に手をついて体を支えていた先程の女の娘に声をかけた。
「おねーちゃん、だいじょーぶ?」
「ありがとう。××××××。」
その娘はそう言うと、自分を落ち着かせようとしたのか一つ大きく息を吐いた後、ぎこちなく笑顔を作って見せた。
どうやら大きな怪我はないらしい。
そして木の陰から二、三歩前へと進み出る。
「皆さん。ありがとう×××××。××××××××××××。」
トキトにはその娘の言葉が一部聞き取れなかった。
さっきは聞き違いかとも思ったのだがどうやらそういう訳ではなさそうで、娘の口から発せられた言葉は確かに聞いた事の無い言葉だった。
しかし、イチハはそれを全く気にする素振りもなく話を続けている。
「おねーちゃんは誰?なんで追われてたの?」
その娘は何やら少し考えたてから答えた。
「私はリーナ。山で×××××ディゴラ××××××。」
「へー、あのサイ、ディゴラって言うんだ。で、おねーちゃんは何処の人なの?私たちはラウトノっていう街に行こうとしてるんだけど、ラウトノってここから近いのかな?私もう疲れちゃったんだ」
トキトにもこの娘がリーナという名前であることだけは何となくわかったが、他は何を言っているかよくわからなかった。
しかしイチハを見れば、イチハは普通に会話している。自分だけがおかしいのかと思い、シオリを見るとシオリも怪訝な顔をしている。
また少し間があった後、その娘、リーナがイチハに答えた。
「××××××。×××××閃界×××××来訪者××ですね。××××××話します。
今は×××××隠して××ですが、×××エルファール×××王女××××名前はリーナ・エルファール××××××」
「わー、王女様なんだ。私王女様なんて初めて見た。そーか、どーりできれいだと思ったんだよねー。」
「いいえ、××××××ありません。あなた×××かわいい×××」
「ちょっと待った」
会話を続けるイチハとリーナの間にトキトは割って入った。
「ごめん。俺、二人が何を話しているのかよく解らないんだけど…。シオリは解る?」
シオリも頭を振っている。どうやらシオリもトキトと同様のようだ。
「あっそうか。二人には言葉が分からないんだ」
イチハが妙な事を言い出した。
なんだか意味がわからない。
トキトが困惑しているのを尻目に、イチハが続けて言ってくる。
「レンから聞いたんだけど、ここでの言葉っていろいろあるみたいなんだよね。でも、どういう仕組みかは分からないけど、大体の場合、少し聞いただけでお互いにわかるようになるだろうって。イチハはレンに少しだけ教えてもらったんだ」
「そんな事、いつ教えてもらっていたのよ?」
「レンに魔法をかけている時だよ。あの時、一回だけレンの声が聞こえて、呪文の言葉が違うと大きな力は出ないって。それから、頭の中にいろいろな言葉が浮かんできて…。多分レンの力だと思うんだけど…。……。初めは混乱したんだけど、なんとなくわかるようになった気がしたんだ。それがね、リーナと話し始めて、さらにどんどん言葉がわかる様になってきたの」
トキトにはイチハの言っている事の意味が今一よくわからなかったのだが、考えてみれば誰も言葉がわからないよりはイチハだけでも言葉がわかっていてくれる事は有難い訳で、なので、ここはイチハに任せる事にした。
「じゃあ、任せた」
「おっけー。任せて」
イチハは小さな胸を精いっぱい突きだして、自慢げな表情をした。
そのイチハの通訳によると、リーナはエルファール王国の元第三王女だという事らしい。
なぜ元なのかというと、国内の権力闘争に敗れたからで、今では幼馴染の騎士と、身の回りの世話をしてくれていた侍女のたった二人しか味方はいないのだそうだ。
しかも、その二人ともはぐれてしまった。
騎士とはぐれたのはずいぶん前の事らしいのだが、侍女とは先ほどの電撃サイ(ディゴラというらしい)に追われていてはぐれたようなので、まだ近くにいるのかもしれないという事だった。
秘密にしているべき王女だという事実を明かしたのは、トキト達が閃界からの来訪者である事を確信したためだという事だった。
王属であるリーナは、世界の歴史を学ぶうちに閃界人に興味を持つようになり、秘密裡にその勉強をしていたようなのだ。
だから過去の閃界人は皆この世界に多大なる影響を及ぼし、エルファールの建国にも閃界人が関わったらしいと知っていたのだ。
そして、そんな閃界人であるトキト達に協力をしてもらうためにはすべてを話すべきと判断したとの事だった。
今いる森はエルファール王国の南のはずれにあたるホルリーンの森で、この場所から辺境の街ラウトノまでは徒歩でだと丸一日はかかるらしい。
トキトはディゴラの肉を焼いて、それをそこにいるみんなに配った。
リーナによるとディゴラの肉は美味しいらしく、その肉はめったに食べられないものだというので、それを聞いたイチハが食べたいとごねたのをきっかけに、今日はここで一泊することに決めたのだ。
「ルーがこの煙を見つけてくれるといいんだけど…」
リーナがディゴラを焼く煙が高く上っていくのを見ながら呟いた。
ルーというのは行方不明の侍女の名前だ。
「大丈夫だよきっと。だってこいつお腹を空かせていたみたいだったでしょ。きっとルーさんだって逃げ切ったんだよ」
イチハが言っているのは、討ち取ったディゴラは胃の中が空っぽだったので、ルーは無事でいるはずだという理屈だ。
イチハはリーナの事を元気づけているつもりなのだ。
「ありがとう。イチハ」
リーナはイチハの手をぎゅっと握りしめた。
トキトとシオリは二人が話しているのをただ聞いているしかなかった。
しかし聞いているうちにだんだん会話の内容が分かるようになってくるのに気が付いた。
難しい言葉さえ入らなければ、会話ももう充分できる気がする。
これがレンドローブの言っていた竜の血の力っていうヤツなのかもしれない。
学生時代にこの力があればテストで満点を取るのも容易かったはずだと思うと、少しだけ残念にも思えてくる。
「リーナはこれからどうするの?私たちはラウトノに向かおうかと思っているんだけど、一緒に来る?」
シオリがリーナの顔を伺いながら聞いている。
伺っているのは通じているかどうかを確かめる為だ。
リーナはシオリの質問を理解したようだった。
「私は…、まずはルーを探します。それからエルファール城の兄様に直訴に行こうかと思っています」
「でも、もうすでに追われているんでしょう?殺されちゃったりしないの?」
さっきよりスムーズに話しているシオリを見ながら、トキトもその会話が普通に分かるようになっている事に気が付いた。
リーナも訝しむ事無く普通に返事を返している。
「わかりません。でも、他国に亡命しようとしても小国だと結局エルファールに引き渡してしまうでしょうし、大国ならつかまった時点で殺されてしまうでしょう。ラドオークならもしかするとかくまってくれるかもしれませんが、そこまでたどり着く可能性は薄いでしょうし、それに賭ける訳にもいきません」
「ねえねえ、そもそもどうしてリーナは追われているの?戦いに負けたって言うのなら解るけどさー、だとしてもどうして同じ国の中で戦ったりするのさ」
「別に実際に戦ったわけではありません。三か月前に先王が亡くなったのです」
「王様が死んだからといって、なんでリーナが死ななきゃなんないの?」
「エルファールでは王が亡くなるとその子供の中から一番力のある者を選びその者を次の王にします。その時選ばれなかった別の子供たちは後の世の混乱を避けるため粛清されるのが慣習になっているのです」
「粛清ってなーに?」
「まあ、邪魔なものは殺すってゆうことだろうな」
イチハの方を見ないで遠くを見るようにしてトキトは答えた。
「誤解のないように言わせてもらいますと、現王に選ばれたベルリアス兄さんはいい人です。頭がよく剣技にも優れ、民からの信頼も厚く王にふさわしい人なのです。
しかし我が国のしきたりで即位が決定したと同時に自動的に他の兄弟たちへの粛清、排除が実行されるのです。これは先代の時もさらに先代の時も何代にもわたって行ってきた事で、この国の王族にとってはもはや当たり前の事なのです」
それぞれの国にはそれぞれの法律や慣習などがあり人々はそれに従って生活をしている。外部の人間がよく解りもせずにそのことに異論を唱えても誰も言う事を聞かないだろうし、良く知りもしないでむやみに批判だけしても受け入れられる事が無い事も、何となく理解している。
なので、トキトもシオリも何も言わず、黙って話を聞いていた。
「けれど、過去に一度だけ例外があるのです。王族の身分を返上し、子々孫々まで一切エルファールの政治に関わらないと宣して、辺境のトールという街に引っ込むことを条件に許された王女が一人だけ…」
リーナはその人と同じ道を目指そうとしているということだろうか。
確かに、例外がゼロでないならば、望みがないという訳ではないのかもしれない。
トキトが思考を巡らすその間にも、リーナは言葉を続けている。
「私は三年前まで魔法の国ウルオスへ留学していました。そこで、この世界には私達の国のあるこの大陸とは別の大陸や島々がいくつも存在することを知りました。私はもっと知りたいのです。この世界の事を。だから、私は本来、国の将来に遺恨を残さない為にも、大人しく死ななければならないという事は理解しているつもりなのですが、どうしても死にたくないのです。それでディンブルとルーとも話合って、最後まであがくことにしたのです。」
ディンブルというのは幼馴染の騎士の名前だそうだ。
リーナの話しが終わると、しばし沈黙が広がった。
その沈黙をシオリが破って言った。
「で、訳の解らない世界に来てこれからどう生きていくか困っている私達に助けてもらいたいと…? しかも一国を相手にして戦えと…? リーナが何をしようと自由だし、トキトは可愛い王女様のためなら死んでもいいと思うのかもしれないけど、私にはそんな事は出来ないわ」
シオリの口調はにべもない。
リーナは俯いてしまった。
トキトが助け舟を出す事にする。
「でもさ、リーナを見殺しにはできないんじゃない? ここに来て初めて会った人はリーナなんだし、何か縁があるんだよ。きっと」
「それは、私だって見殺しにしたいわけじゃないけど、一国を敵に回すっていう事は大変なことだわ。私たちまで殺されてしまうのが落ちでしょ。それにもし万が一勝つことができたとしたってその時はきっと私たちが逆に何百、何千という人を殺しているっていう事になるんじゃないの。リーナには悪いけど、リーナを助けるために何百人も殺すなんて嫌だし、無理よ」
シオリの言う事は尤もだ。
トキトにしてみても、この世界の正義が何処にあるのかなど分からない。
下手に判断して行動を起こせば、極悪人として追われるようになる事だって考えれれない事ではない。
リーナはもう話すことがないとばかりに黙り込んでいる。
話しているときに見せていた熱意も今は陰をひそめ先ほどより一回り小さくなったようにさえ見える。
「イチハはリーナお姉ちゃんの事助けたいな。イチハには難しいことは分かんないけど、みんな仲良くしていた方がいいよ。だってさ、王様っていい人なんでしょ。いい人は人殺しなんかしないはずだよ」
「でもイチハ、イチハの言うことは分かるけど、実際リーナは追われてるんだよ。リーナを助けるっていう事は私たちもお尋ね者になるっていう事よ。しかも捕まったら殺されるかもしれないのよ。それでもいいの?」
「イチハが魔法で皆を守ってあげる」
「あのねえ…」
シオリが呆れてため息をつき、トキトを睨んだ。その眼が、なにか言いなさいよ、と言っている。
「なら、とにかく皆でトールの街まで行ってみない? リーナの話じゃそこに行けばその王女の子孫もいるんだろうし、ばれても他の街よりは友好的なんじゃないかな。それでもだめなら……魔法の国…ウルオス…だっけ?そこへ行ってさ、イチハにみんなが仲良くなる魔法を覚えてもらおう」
シオリが頭を抱えている。そのまま何か考えているようで、固まってしまった。
ここで、トキトはふいに姿勢を正した。
「俺さ…、今まで何となく生きてきただけで、何もしてこなかったんだ」
「いきなり何を言い出すのよ?」
「いや、聞いてくれ。こんな状態になってイチハとシオリの三人になって…、あっ、パムも入れると三人と一匹か」
パムが嬉しそうに一吠えする。
「レンに襲われた時、俺は一度覚悟を決めた。理由は前にも言った通りイチハやシオリがレンに食べられるのを見たくなかったからだ」
イチハがそんなの聞いてないよ、と言っているが、トキトはそれは気にしない事にした。
「運よくレンの急所に剣を刺せてあの場は何とかなったけど、あの時に死んでいてもおかしくなかった。俺はずっとそう思っている。だからそれ以降、大猿に襲われた時もさっき電撃サイに襲われた時も迷わなかったんだと思うんだ」
「何が言いたいの?」
「レンと対峙した時と同じだよ。俺の前で皆が死ぬところなんて見たくない。だからそうならないように頑張りたいんだ。それにレンも俺たちが何をするのか興味があるというようなことを言っていた。おそらく、過去にこの世界に来た人たちの何人かは何かを残したんだと思うんだ。リーナの話じゃリーナの国の建国にも関わっているみたいだしね。別に国を興したいとは思っていないけど、この世界で壊せなかった悪しき風習をぶち壊すくらいの事は、もしかしたらがんばればできるかもしれないんじゃないかな」
シオリは話を聞きながらずっとトキトを睨んでいる。
が、聞いているうちにこころなしかその厳しさは薄れてきているように見えた。
イチハはシオリの反応を伺っている。
リーナも黙って成行きを見守っているようだ。
少しの間の後、思い切った様にシオリが口を開いた。
「わかったわ。リーナの事を守りましょう。でも、できるだけ戦いは避ける事。どうしてもだめなら最悪この四人でどこかに国…じゃないか、街?村?を作ってもいいからさ…」
シオリのこの言葉を受け、一番喜んだのはイチハだった。
「やったー。でもシオリ、四人の村だと男はトキトしかいないよ。みんなトキトのお嫁さんになるの?」
シオリを茶化す事も忘れていない。
「ばかっ! 何言ってるの。そんな意味で言ったんじゃないでしょ!」
シオリは真っ赤になって隣にいたトキトの頬を思い切り叩いた。
イチハが全力で笑っている。
トキトは、何で俺が叩かれなきゃいけないんだと文句をいいながら、パムの様子も窺った。パムは、われ関せずという風情で黙々と肉をほおばっている。
という事は、パムにも異存はないものと思われる。
なぜなら、もし何かあるなら、パムはおそらく抗議の声を上げているだろうからだ。
今まで重要な局面でパムに何度も助けられてきた。
もし間違った判断をしていたらまた教えてくれるものだとトキトは思いたかった。
パムの判断が間違っていたとしても、パムの所為にする気はないのだが…。
「あのー、私はどうすればいいのですか?」
リーナが恐る恐る聞いてくる。
トキトはそれに答えて言った。
「とりあえず一緒にさっきリーナの話に出てきたトールの街まで行ってみませんか。その街がこの国で一番リーナの事を理解してくれる可能性のある街だと思うのです。そこで、王様に直訴に行くのか、もっと情報を集める為に他の街に行くのか、それとも他の国に逃げるのか、考えればいいでしょう。けど、その前にとにかくまずは情報を集めましょう。リーナだって逃げてばっかりだったのなら、きっと最近の情勢はわかっていないのでしょう?」
「ありがとうございます。トキトさん。それから、シオリさんとイチハさんも」
リーナにありがとうと言われ、トキトは照れくさくて頭を掻いた。
シオリが長い髪をさっと掻き上げ、澄ました顔で言ってくる。
「さあ、いく所は決まったわ。まずは腹ごしらえを終えちゃいましょう。ところでリーナ、トールの街ってここからどのくらいの距離なの?」
「徒歩だと五日はかかると思います」
「うぎゃー、あと五日も歩くのー。むりー」
リーナの答えにイチハは悲鳴を上げて天を仰いだ。