外の世界へ
レンドローブの話によると、このあたりは中央大陸と呼ばれる南北に長い大陸の一部で、主に人間の暮らす地域であるらしい。
もうわかっていたことだが地球でないことは明らかで、という事はやはり少なくとも簡単には元の世界に帰る事は出来ないようだ。
この辺りには三大国を含む七つの国と三つの自治都市があり、その中で最も新しい国はベオトール山脈を越えた先の僅かな平地にできた小国ラオドークで二百年程前にできたものだという。
それ以降各国は覇権を争い戦ってはいるもののそこから新しい国家は生まれていない。
今トキト達がいる場所は三大国の一つエルファール王国のはずれに位置し、竜の穴と言われ恐れられている場所なのだそうだ。
この世界は別の世界とつながる事がたまにあり、その異界の事を閃界と呼び、そこから来た人間の事を閃界人と呼ぶ事もわかった。
そして、過去の閃界人は多くの国やそこに住む人々の生活に大きな影響を与えてきた歴史があるという事だった。
しかし、ここ最近はそんな者はめっきり現れなくなったらしい。
どうやら、二百年ほど前に転移の石がレンドローブへの貢物にされて以降、この世界に転移してきた者達は、転移したそばから大竜の胃袋へと直行する破目に陥ってしまっていたようなのだ。
したがって、三人は本当に久しぶりにこの世界の中で動く事ができる閃界人という事になるのだそうだ。
今までその芽を摘んできたレンドローブが言うのも変な話だとは思うのだが、彼はその運の強さを含め三人がこれから何かをしでかすのではないかと期待しているらしい。
「そうすると、この世界の人間の中には我々の世界の人の子孫もいるという事になるのか?」
過去にこの世界に来た人がいるというならそういうことも考えられるという事になる。
『お前たちの世界からはいろいろな能力に長じた人間が来ることが多い。その能力に目覚めると何らかの足跡を残す者も多いようだ。もっとも、ここ二百年はいないのだがな』
「お前のせいだろうが」
レンドローブのする客観的な言い方に対して、トキトは突っ込まないわけにはいかなかった。
「レンは私たちを元の世界に返せないの?」
シオリがレンドローブを見上げ、その目をしっかり見つめながら聞いている。
考えてみれば、レンドローブがそれを知っているのなら、話は早いと言うものだ。
だが、そんなに都合の良い話は無いようだった。
『いいや、我にはそんなことはできない。たとえ主殿の命令でもな。できないことはできないのだ。そこの石が青く光ると閃界から人がやってくる事はわかっているが、我の知る限り逆に旅立った者はいない。二百年以上前にさかのぼってもそんな話は聞いたことがない』
レンドローブはシオリから視線を外し、巣穴の中央付近を見た。
そこにはあの公園で見た記念碑と同じ形の石が置かれている。
「そっか…。帰れないのか…。」
俯くイチハの背中にシオリがそっと手を添えている。
トキトは話題を変える事にした。
「レン、とりあえず、我々をどこか生活のできる街まで連れて行ってくれないか」
この世界の人に話を聞けば、何かわかる事があるかもしれない。
街があるならそこへ行くのが、まずは賢明な判断だといえるだろう。
しかし、レンドローブの答えは意外なものだった。
『主殿、悪いがそれはできない』
予想外の答えに一瞬意表を突かれたトキトだったが、良く考えてみればレンの大きな姿は目立つし街中大騒ぎになりそうだし、生贄まで取っていたのだとすると街の人のレンドローブに対する警戒心はかなり強いはずなのだ。
そんなレンドローブが一緒に街まで行ったりしたら、大騒ぎになる事は容易に想像する事が出来る。
トキトはレンドローブがそれを危惧しているものと考えた。
そこで、妥協案を提示してみる事にした。
「何処かこの近くにある街の、街が見える場所まで運んでくれればいいんだ。あとは自分達で歩くから」
シオリとイチハを見ると二人ともうなずいている。
二人ともこの提案を了解してくれていると考えていいだろう。
しかし、レンドローブの声色はやはり冴えないものだった。
『すまんが今はそうしてやりたくてもできないのだ』
竜の巨体が幾分小さくなっているように見える。
「どういう事?私達の事はここから出さないっていう意味?」
シオリの言葉には怒気がこもっている。
『そういうわけではない。先日の傷が完治していないのだ』
「イチハのおかげで治ったって言ったじゃない」
すかさずイチハも反論する。
レンドローブはゆっくりと首をイチハに向けると、穏やかな目でイチハを見た。
『イチハのおかげで治ったのは本当だ。だがそれは表面だけなのだ。あの剣のもたらす傷は身体の中の組織をもこわすものだ。そう、我が今まで受けた中では一番の深手だ。イチハのおかげで表面は治ったので多少は動けるようになったのだが、飛ぶとなると話は別だ。まだしばらくは無理なのだ』
そんな場合ではないのだろうが、レンドローブがイチハに気を使っているのがわかりトキトは思わず笑ってしまった。
それを見たシオリがトキトをキッと睨みつけ、すぐにレンドローブを見上げて言う。
「しばらくってどれくらいなのよ?」
『ひと月もすれば近場くらいなら飛べるだろう。遠くまで飛ぶのは半年くらいは無理だ。そのくらいの傷を負わされたという事だ』
「この穴の底にひと月も居ろって言う事?」
大丈夫だと判断したのか、シオリはすっかりレンドローブとため口でしゃべっている。
レンドローブにそれを気にする様子は見られない。
普通に渡り合っている。
『この穴から外に出すくらいなら飛ばなくても何とかなるだろう。ただし、その後しばらくは主殿の命にも従うことはできなくなる。また眠らなければならなくなるからな。だが、この穴から外に出れば人里に出るまでの間に魔物の何匹かには出くわすことになるはずだ。それだけの装備があれば問題ないとは思うが、もし行くというのならできるだけの事はしておくべきだ。我にとってもせっかくの楽しみを簡単に失ってしまうのではつまらない。どうする? 行くか?』
レンドローブの言葉を受け三人は交互に見つめあった。
「私は行きたい。もう閉じ込められているのは嫌。ここにいても大猿みたいなのは来るわけだし、外に出たいわ」
「イチハも行きたい。レンと遊ぶっていうのも魅力的だけど、お風呂にも入りたいし…」
ずっとイチハに抱かれたまま大人しくしていたパムはイチハの顔を舐めている。
「確かにあとひと月もここにいると感覚が狂ってきそうだしな。じゃあ、行こうか。」
三人はお互いに軽くうなずき合った。
『そうか、では、三人に話しておきたい事がある。』
「なんだ」
「何かあるの」
「なに」
レンドローブの大きな体の正面に、各々が訝しがりながらも集まってくる。
『お前たちは我が血を飲んだのだよな』
「うん、みんなで飲んだ。意外とおいしかったよ」
『ならば、覚えておいてほしい。我の血を飲んだ事でお前たちの能力の限界値は通常の人間よりもかなり高くなっている』
三人は各々顔を見合わせた。言っている事の意味がいまいちよくわからない。
『勘違いしないでもらいたいのだが、だからと言って何もしないで急に何かの能力が上がるわけではない。ただ能力の限界値が上がっただけだからだ。……。だが、限界値が上がっても能力の向上する時の割合は変わらないから、それに付随して、能力の向上する速度も引き上げられることになる。だから、どんな事でも今までよりはるかに早く能力が上がることを実感する事ができるはずだ』
「それは、例えば魔物に剣を振るえばその能力が向上し、使えるのかどうかは分からないけど、イチハのように魔法を使えばその能力が向上する、と言う感じなのか?」
『まあ、そんな感じだと思ってくれていい。個人差はあるが、もともと閃界の者は魔力の限界は高い場合が多い。我の力でそれをさらに上げようというのだから修練次第では聖騎士や大魔道士となることも可能なはずだ。まあ、それもお前たちの努力次第ではあるのだがな』
「やったー。イチハは大魔道士になるからねー」
レンの言い方によれば、自分達でもがんばれば魔法が使える可能性があるという事になる。
イチハが心から喜んでいるのがわかる。
「イチハ、あくまでも修行をしなければダメだっていう事だからね」
シオリがたしなめるが、イチハはろくに聞いていない。
『イチハは微力ながらもすでに魔法を習得している。だから我の傷の治りも若干早まったのだ。その精霊の杖と破邪の衣のおかげもあるかもしれんがな。今後は今までより魔法も早く覚えられるはずだ。最後はあくまでもお前達次第にはなると思うがな』
パムがイチハの手を舐めている。
パムなりに励ましているつもりなのかもしれない。
「ところで、レンが飛べないならどうやって上まで行くの?」
少しして、この時一番冷静だったシオリがレンドローブに聞いた。
確かに、この先剣や魔法を習得するのが早くなる事はありがたいが、それもここから出る事が出来なければあまり意味のない事といえる。
シオリが疑問に思うのももっともな事だ。
『そうだな。尾で飛ばすというところが妥当かな。お前たちもそれだけの装備をしておれば怪我もほとんどしないで済むだろう』
レンドローブの物騒な提案に、一瞬理解が追いつかなかったトキトだったが、すぐに気付いて反論する。
「いや、レンに飛ばされたらどこかにぶつかって死んじゃうって」
レンドローブの提案は尻尾に乗った三人をその尾を振ることで外まで飛ばすというものだ。たとえそんなことが可能だったとしても、勢いよくどこかに体をぶつければただではすまない事は間違いない。
『心配するな。上まで飛ばすくらいの加減ならできる。すでに何度かやったこともあるしな』
言いながら軽く尻尾を振るレンドローブ。
なぜかパムも尻尾を振っている。
その姿を見ていると不思議な事に大丈夫な気になってくる。
「わかった、信じるよ。ずっとここにいてもしょうがないしな。いいだろ、シオリ、イチハ」
「私とトキトはこの鎧があるからたぶん大丈夫だと思うけど、イチハはそんな布の服で大丈夫なのかしら」
心配そうに言うシオリに面倒くさそうにレンドローブが答える。
『トキトとシオリで挟むように守ってやれば問題なかろう』
「トキトもシオリも心配し過ぎだよ。こうなったら覚悟を決めていくしかないじゃん。行こうよ」
このイチハの言葉でトキトとシオリも覚悟を決めた。
パムも尻尾を振って同意している。
「そうだな、よし、行こう」
トキトはそう言ってレンドローブの尻尾に歩み寄ろうとしたのだが、レンドローブは尻尾を持ち上げて乗らせないようにしている。
なんだよと文句を言おうとするトキトに、レンドローブが忠告する。
『待て。その前にせっかくあるのだからその辺にあるものの中から何か使えそうなものを持って行くといい。ここにあっても仕方のないものばかりだし、そもそもお前達人間は金がなければ碌に暮らす事も出来ないのであろう? エルファールの通貨なら我の後ろの山にある。好きなだけ持って行くがいい』
レンドローブの忠告を受け、トキトはパムが見つけてきたイチハの宝の山からコインなどをいくつか選び巾着に入れて腰につけた。
貨幣の価値など解らないので、金貨に宝石を埋め込んだものなど見た目に豪華そうなものを中心に適当に選んだ。
コインの他にも適当にその辺のものを巾着に詰め込んだ後、三人はレンドローブの尻尾の上に登った。
この場所にはパムが見つけた物だけでもたくさんの物があるのだが、荷物になるので巾着に入る物以外は持っていかない事にする。
必要になったら取りに来ればいい、位の考えだ。
パムを抱いたイチハを真ん中に入れ、トキトとシオリでイチハを挟むように立つ。
トキトがイチハを間に入れてシオリの腕を握りしめると、シオリは一瞬トキトの事を睨らんだものの、すぐにイチハの方へと視線を落とし、トキトの腕をつかみ返した。
イチハはトキトとの間にパムを挟むように持ち、トキトの胸に顔をうずめている。
その後ろからシオリがイチハを包むように抱きしめる。
『では、いくぞ』
シオリとイチハのトキトを掴む手に力が入る。
瞬間全身がふわっと浮かび上がる感覚があり、あっという間に今までいた場所が小さくなった。
そしてその加速感はすぐになくなり、その後少し落下する様な感覚が有った後、気が付くと三人は竜の穴の上の岩場に立っていた。
大した衝撃もなく、三人ともレンドローブの尻尾の上にいた時と変わらない状態だ。
怪我どころか誰も転んでさえいない。
さっきまでの心配はなんだったんだろう、と思いながらトキトは二人から離れ、恐る恐る穴の下を覗き込みながら、大きな声で下に向かって呼びかけてみる。
「ありがとう。レン。行って来るよ」
するとすぐ隣から返事が聞こえてきた。
『うまくいったようだな。なに、礼には及ばんよ』
トキトはびっくりして危なく穴に落ちそうになった。
慌てて周りを見回すが、もちろんそこにはレンドローブの姿はない。
いや、たった今穴を覗いた時も、レンドローブは穴の底でこちらを見上げていたのだ。
横から声がするわけがない。
『何を驚いている』
しかし、確かにすぐ近くでレンドローブの声がする。
『もともと我は直接声で会話をしていたわけではないのだ。少しくらい離れていても会話くらいできるのは当たり前だろう』
レンドローブはそんな風に説明した。
なるほどテレパシーのようなものだという事だろうか。
それなら目の前にレンドローブの姿が無いのも頷ける。
「やったー、っていう事は、離れていてもレンと話ができるってことだよね。イチハうれしーな」
これからは何処にいてもレンドローブと話ができると思ったイチハが喜んでいる。
確かにそれが出来るのならトキトも心強い。
しかし、そこまでうまい話ではないようだった。
『いやいや、今のお前達とでは、お前達が目の前の森に入った所くらいから、この声は通じなくなるだろう。だが、お前たちが成長すればもっと遠くでも通じ合える可能性もある。楽しみにしているよ』
「なるほど、それも俺たち次第という事か」
『そういう事だ。我が主殿に従おうと決めたのは、主殿にはこの世界を変えるくらいの力があると見込んだからという事もある。期待を裏切らないでくれよ』
トキトにしてみれば、一介のサラリーマンに過度な期待をされても困ると言いたい所なのだが、言っても仕方がない事もわかっているのでそれについては飲み込んだ。
シオリとイチハはこちらを怪訝そうな顔で伺っている。
どうやら今の声はトキトだけに聞こえたものらしい。
そういえばレンドローブは特定の人とだけでも念話ができるのだった。
「ところで、どっちに行けばいいの?」
というシオリの質問で、トキトもこの後どこへ向かえばいいか、考えていなかった事に気がついた。
慌てて街がどこにあるのか聞いてみる。
「レン、聞こえるか? ここから一番近い街はどっちの方角だ?」
『今、お前達のいる場所はこの穴の北側に当たる。そこから真っ直ぐ北に向かっていけば、そのうちエルファール王国のラウトノという街に出るはずだ。それ以上の細かいことは我にはわからん。そっち方面へ行く時でも、我はその上空を通り抜けるだけだしな』
シオリが後ろの森を振り返っている。
この声は二人にも聞こえていたようだ。
『我はまたしばらく回復に専念する。我は大猿ごときが何匹まとまって襲って来ようが、すでに最低限の回復はできているので問題ない。だが、今のお前たちでは高位の魔獣などにはかなわないだろう。時には逃げる事も必要だ。我が目覚めた時、我が主は既にいない、などという事にはならないよう、気を付けてくれ。もっとも、そうなれば我は自由になる訳だから、それならそれで構わなくもあるのだがな。とにかくまあ、頑張ってくれ』
レンドローブはそれだけ言うと、その後すぐに静かになった。
どうやら眠ってしまったらしい。
何やらどっちが主なのかわからないような言われようだったが、誓約の効力がどの程度あるのかさえ、正直よく解らない状態の訳だし、そうでなくとも、レンドローブには命まで救ってもらっている。
それに加えて、剣やお金までもらっているのだから、少しくらい威張られても文句を言う事は出来ないだろう。
一応心配して言ってくれているようでもあるし…。
「北に向かって、レッツゴー!」
イチハがパムを伴い歩き出す。
イチハだけを先行させる訳にはいかない。
トキトはシオリと一緒に慌ててイチハを追いかけた。