第五話 少女ネル・ウィース
異世界ファンタジーにはいくつかのお約束イベントがある。
その代表的な物として、美少女救出イベントが挙げられるだろう。悪党とか魔物に襲われてる美少女を通りすがりの主人公が颯爽と救出して、その少女とのフラグを立てると言う奴である。たぶん、男の憧れるイベントトップ5には入るんじゃなかろうか。
「けど、まさか実際に遭遇するとはなぁ……」
「キュウ?」
「シーッ!」
俺たちの潜む草むらの少し先で、少女が男たちに襲われていた。紅の髪を長く伸ばし、青く澄んだ瞳が印象的な美少女だ。肌は処女雪のように白く、首筋から肩にかけてのラインが色っぽい。また、年の頃は十五、六歳に見えるがその割にはしっかりと胸元が膨らんでいた。
彼女を取り囲む男は四人。いずれも浅黒い肌をしていて、腰にはサーベルのような短剣を下げている。口元をだらしなく緩めたその顔は、いかにも小悪党といった雰囲気だ。山賊や海賊の下っ端というのがとてもしっくりとくる。
「よう姉ちゃん、俺たちと一緒に来てもらおうか」
「な、何よ! 私、あんた達なんかとは一緒に行かないわ!」
「そっちがそのつもりでもよう、俺たちは来てもらわなきゃ困るのさあ。お前ら!」
「へい!」
リーダーらしき小太りの男の指示に、三人の男たちは揃って頷いた。彼らはウェストポーチから丈夫そうな縄を取り出すと、一斉にそれを少女に向けて投げる。すると、見ているこっちがびっくりするぐらいの手際で彼らは少女をがんじがらめにしていく。そうして十秒ほどが経過すると、少女はすっかり縄で縛られてしまっていた。
「アジトへ運ぶぞ! 今夜が楽しみだ」
「へい!」
少女を担ぎあげ、意気揚々と走り出す男たち。中には鼻歌混じりの者までいる。このままだと、100%彼女は男たちのお楽しみの道具にされちまうだろうな。
助けることはたぶん簡単にできるが、見ず知らずの少女に義理はない。
けど、美少女を見捨てたら男じゃないよな。それに俺が強くなろうと思ったきっかけは、前世で知り合いの女の子が襲われた時、それを助けようとして逆にボコボコにされて、自分の無力さを痛感したからだ。女の子が襲われるのを見て黙っているのなんて、もうごめんである。
「助けるか?」
「キュウ!」
「よっしゃ、やりますか!」
草むらから躍り出ると、俺たちは男たちの前に立ちはだかった。男たちは顔に動揺の色を見せる物の、すぐに腰の短剣を抜き放つ。やってることは小悪党だが、割と実戦経験はあるようだ。
「てめえら何者だ!」
「名乗る義理なんてねえよ。クー、目くらまし!」
「キュウ!」
クーは背中を反らせると、口から激しい炎を吐きだした。炎は瞬く間に男たちを包み込み、その熱にたまらず彼らは顔を手で押さえる。支えがなくなった少女の身体がボタッと落ちた。俺は素早くそれを抱え込むと、近くの木のそばまで移動させる。
「なめんじゃねーぞ!」
炎が収まると、すぐ男たちがこちらへ斬りかかってきた。服や髪が少し燃えたが、炎は致命傷とはならなかったようである。人質のせいでクーの火力が抑えられてたから、当然なんだけどな。
振りかざされる短剣をかわし、すれ違いざまに男の腹へ一発。俺の倍はあろうかというがっしりとした体は、あっという間に宙を飛んだ。放物線を描いたそれは、ボンッという小気味良い音とともに地面へ落ちる。男は白目をむいた。一撃で気絶したようである。
「よそ見するなよ!」
吹っ飛んだ男に他の男たちもすっかり気を取られてしまった。その隙に俺は彼らへ次々と攻撃をお見舞いしていく。パンチ、裏拳、キック。それぞれ強烈な攻撃をまともに受けてしまった男たちは、あっという間に地面へ倒れ伏した。一件落着だ。
さてと、男は片付いたし問題は女の子の方だな。俺とクーは少女をもたれさせておいた木の方を振り向いた。すると、縄でがんじがらめにされていたはずの少女が立ちあがり、何やら複雑な顔でこちらを見ている。そして次の瞬間、彼女の身体が深紅の炎に包まれた。
「おわッ! クー、何やってんだ!」
「キュキュウ!?」
「大丈夫よ」
声がしたと思った途端、炎が収まった。髪も肌も、そして着ている服までもすべて言葉通り無事だ。ただ、少女を縛っていた縄だけが黒い炭となってボロボロと崩れ落ちて行く。
「一応、ありがとうと言っておくわ。私は陽炎流の魔導師、ネル・ウィースよ。よろしく」
少女ことネルはそういうと、ニッと笑いながら手を差し出してきた。俺は少し戸惑いつつも、その手を握ったのであった――。
「へえ、じゃあわざと捕まってたのか」
「そういうことそういうこと」
男たちを木に縛り付けた後、俺とネルとクーの二人と一匹は歩きながら軽い自己紹介をした。なんでも、ネルは三年後に開かれる武道会を目指して修行の旅をしている魔導師らしい。先ほど山賊――割に合わないほど安いが、懸賞金がかけられてたらしい――に襲われていたのも旅の資金稼ぎ兼修行の一環なのだとか。
「そういえば、ルースの方はなんで旅してるの? あんた、まだ十五にもなってないわよね?」
そういうと、ネルは俺の身体を上から下まで視線を走らせた。そっか、まだ俺は十三歳だもんな。前世の経験と肉体のハイスペックさが相まって時折忘れそうになるが、森の中を一人で旅するような歳ではまだないはずだ。
「ああ、いやちょっとした事情があってさ。修行を完成させるためにコーカスシティまで行かなきゃならないんだ」
「そりゃ大変ね。コーカスって言ったら、大陸の南端じゃない。順調に行っても一か月はかかるわよ」
「それでも行かなきゃなんないよ。修行を見てくれる師匠がそこにいるんだから」
「ふうん……」
ネルは何やら、俺を値踏みするような目で見てきた。彼女は俺の背中のあたりに熱い視線を注ぐと、眉をゆがめて不敵な笑みを浮かべる。
「ねえ、もしかしてルースって……龍泉流の使い手?」
「そうだけど、それが何か?」
「やっぱり! へえ、本で見たことあるけど龍泉流の人ってほんとにひょうたん背負ってるんだ……。まだ使い手が居たなんてねえ」
俺のひょうたんをしきりと見ながら、興奮したように言うネル。うーん、超マイナー流派だと思ってたんだが、もしかして凄いのか龍泉流って。
「……龍泉流ってそんなに有名なのか?」
「ええ、大昔は大陸最大の流派だったらしいわ。ただ魔王が襲来したときにその使い手のほとんどが魔族によって抹殺されたらしくてね。今じゃ幻の流派よ」
「全然知らなかったなあ…………」
爺さん、なんでそんな大事なことを言ってくれないんだよ。俺は思わずため息をついてしまった。ネルはそんな俺に、少し呆れたような顔をする。仕方ないじゃないか、知らなかったものは知らなかったんだから。
複雑な気分になった俺が少し黙っていると、ネルは何やら口をもごもごとさせた。やがて彼女は俺に向かって、やけにキラキラとした目を向けてくる。俺に何か、期待することでもあるようだ。
「龍泉流の使い手ってことはさ、当然ひょうたんの中身はあれよね、あれ。あれを飲ませてくれるなら、あんたの旅に協力してあげるわよ」
「あれって、まさか……龍酔酒のことか?」
「そうそれ! ね、飲ませてよ。旅にはしっかり協力するからさ。一口だけでいいの!」
そういうとネルは手を合わせ、俺のことを拝み始めた。その目はうるんでいて、物凄い必死さが伝わってくる。一体、何をどうしたら龍酔酒が飲みたいなんて言葉が出てくるんだ? 俺は思いっきり引きつつも、その迫力に押されてひょうたんを肩から降ろす。
「……好きなだけ飲んでいいけど、半端なくまずいぞ。まずいって次元を天元突破しそうなぐらいまずいぞ」
「またまた、そんなこといってほんとはおいしいんでしょ。いっただきまーーす!!」
ネルはひょうたんに手を伸ばすと、素早い動作でそれをひったくってしまった。そしてそれを一気に傾け、口に龍酔酒を流し込む――。
「ウギャアアアァ!!!!!!」