第二話 ひょうたんから龍
修行を始めて七年が過ぎ、俺は十歳となった。
爺さんの見込みは間違いではなかったようで、俺は十歳にしてすでに前世の俺を十人ぐらいまとめて倒せるほどの実力になっている。とはいっても、爺さんにはまだまだ及ばず、この森の中に住む生物の中でもちょうど真ん中ぐらいの強さでしかないのだけれど。
「お前さんの身体もできてきたことだし、明日ぐらいから我が流派秘伝の修行を始めるとするかの」
ある日の夕暮れ。その日の修行を終えてくたくたになっている俺に、爺さんが満足げな表情でそう告げた。我が流派って、爺さんの我流じゃなかったんだなこれ。特に型とかなかったから、てっきりそう思ってたぞ。
「秘伝の修行? カッコいい!」
「ふむ、期待しておくがよいぞ。明日の朝は修行に必要な物を取りに行かねばの。日の出前に出発するから、今日は早く寝るがよい」
「わかった!」
翌朝、爺さんは宣言していた通り日の出前に俺を起こした。空はまだ濃紺に染まっていて、天の川が見える。時計がないのではっきりわからないが、まだ四時ぐらいだろうか。朝というより体感的にはまだ真夜中だ。
「今から山頂へ向かうぞ。これを持て」
「なんだこれ?」
爺さんが俺に手渡してきたのは、馬鹿デカイひょうたんだった。俺の背丈より少し小さいぐらいの大きさがある。よく乾かされているのか重さはほとんど感じないが、用途を疑いたくなるサイズだ。
「見てわからんかの? ひょうたんじゃ。これからお前さんには毎日これを背負って生活してもらうぞ」
「えー! なんで!」
「つべこべ言うな。これも修行じゃ」
「むう……」
抗議するような視線を送ったが、爺さんは涼しい顔だ。しかたない、ちょっとダサいけど背負うか。
ひょうたんのくびれの部分にベルトのような帯が括り付けられていたので、俺はそれを使ってひょうたんを肩から背負った。何度かジャンプしてそれがずり落ちないことを確認すると、爺さんの方に向かってグッと親指を上げる。
「準備完了!」
「よし、良く似合っとるぞ。じゃあ行くかの」
「うん!」
爺さんに続いて、元気よく歩き始める俺。岩があったり木の根が飛び出していたりして道のりはかなり険しいが、そこは日頃から修行を積んでいる俺と爺さんだ。木の根を軽やかに飛び越え、岩だらけの道でもスピードを落とさずにひょいひょいと歩いていく。
こうして東の山から太陽が昇ってくる頃には、俺と爺さんは山頂のほど近くへと到達していた。途中、魔物が出ることもなくすこぶる順調な道のりだった。
山頂はちょっとした窪地になっていた。少し小さいが、カルデラのようなものだろうか。そのお椀の縁に立って中を覗き込むと、窪みの中央に小さな泉があるのが見て取れる。太陽の光を反射し、プリズムのように七色の光を帯びたそれは何とも神秘的だ。
「着いたの、あれが龍の水場じゃ。さっそく水を汲むぞい」
「はいッ!」
爺さんに続き、斜面を駆け下りて行く俺。窪地にはわずかに霞のようなものがたまっていて、ほどよい湿気を孕んだ空気が心地よい。そうして窪地の中央につくと、爺さんはひょうたんを泉に沈めた。透明度が高いのでわからなかったが、結構な深さのある泉のようだ。ひょうたんはすっかり沈んでしまい、とくとくと木魚のような音が響く。
「一杯じゃの。お主も早く入れよ」
ひょうたんを引き上げた爺さんと入れ替わるようにして、俺は泉にひょうたんを沈めようとした。しかし、これがなかなか難しい。浮力のせいでそう簡単には沈んでくれないのだ。俺はどうにかバランスを取りながら、全体重をひょうたんに掛ける。するとようやく、ひょうたんが水中に没し、とくとくと音がし始めた。
こうして水面ギリギリまで頭を下げていると、近くの岩の陰に何か変なのが居るのが見えた。大きく窪んだ岩の奥という、視線を下げなければ絶対わからない位置だ。そこから爬虫類の尻尾のようなものが少し飛び出していて、時折ぴゅんぴゅんと動いている。
「爺さん、あの岩の陰に何かいるぞ」
「ん? どれどれ」
爺さんは岩に近づくと、両手をむずと押しあてた。そして「はあッ!」と気合を込めると、年齢相応に細かった腕が一気に張り詰め、岩が土煙を立てながら動き始める。そこからさらに露出した岩の縁へと手をかけ、爺さんは岩をひっくり返した。ガランッと音を立て、数トンはあるであろう岩が地響きをさせながら裏返る。
「これは珍しいのう……」
岩の裏に居たのは、大きなトカゲのような生物だった。爺さんの頭ぐらいの大きさがあるそれは、背中に小さな翼が生えていて、手には爪も生えている。さらにその全身は鮮やかな緑のうろこでおおわれていて、結構迫力があった。まさか……
「爺さん、もしかしてそいつドラゴン?」
「ああ、そうじゃ。よく知っておったのう」
爺さんは少し不思議そうな顔をした。あ、そういえば爺さんはドラゴンとか言ってなかったな。
「前に言ってたじゃないか。ぼけたのか? それより、こいつ子どもだよな。ということは、近くにお母さんが居たりとか……!?」
俺は身体を起こすと、周囲をまんべんなく見渡した。ドラゴンにいきなり襲われたりしたら、今の俺でも命はない。爪で身体を引き裂かれて、あっという間に焼き肉にされてしまう。そんなのはごめんだ。
「ああ、それなら心配はいらん。この山の周囲にそんなでかい気配はないわい」
警戒を始めた俺に、爺さんが諭すように言った。なんだ、それならそうと最初から言ってくれよ……。少し気疲れした俺は、またひょうたんに体重を預けた。そうしているうちにひょうたんは一杯になり、俺はそれを担いで爺さんのもとへと移動する。さすがに水が一杯になったひょうたんは重く、身体が少しふらついた。
「どうやらこいつ、はぐれ竜のようじゃの」
「へえ……」
爺さんが手を差し出すと、ドラゴンは警戒心をむき出しにした。本能的に、爺さんの強さを悟っているらしい。身体を弓なりに反らせ、爬虫類にしては高い唸り声を上げるその姿は猫のようだった。その様子に俺は飼いネコのポチを思い出す。
「なあ爺さん、こいつ飼ってもいいか?」
「うーむ、別にかまわんがドラゴンの世話は大変じゃぞ? 何せ良く食うからの。修行と世話の両立ができるか?」
「大丈夫、動物の世話には自信あるから」
「わかった。じゃが決して、己の修行をおろそかにする出ないぞ」
「うん!」
俺は爺さんに元気よく返事をすると、膝をかがめてドラゴンの方へ手を伸ばした。すると、爺さんの時とは違って警戒しながらも俺の手の方へと近づいてきてくれる。俺がまだそんなに強くないのが幸いした。
「よしよし、じゃあ俺たちと一緒に行こうな!」
「キュー!」
俺はドラゴンを両手でしっかりと抱きあげた。こうして俺の家に新たな家族が増えたのであった――。