プロローグ
男なら一度は「その子に手を出すんじゃねえ!」とか言ってみたいだろう。
街の不良とか危ない自由業の連中にそう言い放ってやれたら、どんなに爽快な気分になることか。チビでデブでブサメンという三重苦を抱えている俺は、コンビニや購買の前でたむろしているDQNとか不良を見ては、いつもそんな妄想を抱いてた。
だから、その光景を見た時に俺は思わず言ってしまった。
校内で一番キテると言われる、三年の不良グループを相手に。
その子に手を出すんじゃねえって――。
俺と柏木さんの関係は知り合い以上、幼馴染未満という中途半端なものだった。
小中高と全て同じ学校に通い、家も近所だったからそれなりに面識はあるし、教科書の貸し借りをするぐらいの交流はある。けれど決して、彼氏彼女とかそんな甘い関係ではなかった。それどころか、ブサメンの俺に対してそこそこ可愛い柏木さんは、少しずつ俺から距離を取ろうとしていたような気もする。
そんな彼女が先輩たちに絡まれているのを俺が目撃したのは、本当に偶然だった。
買い置きのカップラーメンが切れたため、夜食を求めてコンビニに夜の十時過ぎに出かけた時。塾帰りと思しき彼女が先輩たちに言い寄られているのを、たまたま見つけてしまったのだ。
塾のカバンを胸に抱きしめた柏木さんは、周囲をきょろきょろと見まわしながら不安げな顔をしていた。そんな彼女を見た途端、俺の頭の中を血が駆け巡っていき――
「その子に手を出すんじゃねえ!」
気がついた時には叫んでしまっていた。
そんな生意気な俺を先輩たちはあっという間に取り囲み、一方的にボコボコにした。三対一だったし、インドア派の俺と普段から喧嘩慣れしてる先輩たちとでは戦闘力に差がありすぎた。レベル九十九の勇者とそこらの村人Aぐらい、経験値には差があっただろう。
「うぐッ……」
口を押さえて、無様にうめき声を上げる。
あっという間に口が鉄の味でいっぱいになり、押さえた手を生温かい感触が伝った。それをそっと顔の前に持っていくと、真っ赤に染まっている。甲から指の間に至るまで、見事に真っ赤だ。
「やべ、やりすぎたんじゃね?」
「てめえがめちゃくちゃに殴ったからだろ? どうするよ」
血の量にビビった先輩たちが、ざわざわと騒ぎだした。先ほどまでの勢いはすでになく、全員、俺に対して及び腰になってしまっている。
「に、逃げようぜ。どうせ、誰も見てやしないんだし。こいつにしたって脅しとけばしゃべらねーよ!」
「そうだな! 逃げるか!」
置いていたカバンを拾うと、先輩たちはその場に座り込んでいた柏木さんへと手を伸ばした。彼らは怖がる彼女の手を強引に引っ張り、連れ出そうとする。
「ま、まて……」
「うぜえんだよ! 離れろ!」
薄汚いボロでも振り払うように、俺の手は撥ね退けられた。その衝撃で俺はバランスを崩し、その場に膝をつく。
ぽたり。
また血が一滴、滴り落ちた。
こりゃ、本格的にヤバいかもしれないな……。
腹の中が熱く、マラソンでも走ったかのように息が苦しい。たぶん、骨が何本か折れてるんだろう。
「かし……わぎ……」
三人がかりで引っ張られていく柏木さんは、抵抗もむなしくすぐに角の向こうへと消えて見えなくなってしまった。
なんてカッコ悪いんだろう、俺。
不良に啖呵を切った癖に、逆にボッコボコにされるとかありえない。自分の出来事なのに、それが他人事であるかのように笑えてきてしまった。過去に戻って全てをやり直したい、そんな気分だ。
せめて、もう少し体を鍛えていれば。
「ハムの人」という形容が似合いすぎる身体を見ながら、俺は自分で自分を笑う。
小学校の頃、俺は空手を習っていた。あれを今でも熱心に続けていれば、今頃不良に勝てたかもしれない。けど当時の俺は、汗臭くって練習のきつい空手なんかあっという間にやめて、涼しくって快適なスイミングスクールを選んだ。もちろんそんな理由で始めた水泳が長続きするはずはなく、すぐにそれもやめて、いつしかインドア一筋の帰宅部になってた。
「やり直せたら……な……」
悔しくて目に涙が浮かんできた。
仕方のないことだと思ってどうにか堪えようとするが、とても我慢できない。あとからあとから、とめどなく溢れてきてしまう。手で目元を抑えると、涙と血が混じった液体が次々と地面へ落ちて行った。仕方なく俺は汚れるのを承知で、制服の裾でどうにかそれらをぬぐい去る。
「クッ……」
悪態をつきながら路地を出る。
するとその時、めったに車が通らないはずの道にトラックが居た。軽トラではなく、土木資材とかを運ぶような大型トラックだ。その強烈なヘッドランプで視界が真っ白に染まり、ボロボロの身体はあっという間に硬直する。
「のわアアアァッ――!!!!」