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第六話

ストック0

もうゴールしてもいいよね?

大悟郎の剣は迷いを斬り払う。

それが良いか悪いかも解らぬままに。



□ ■ □



それは、ある女生徒の悲鳴から始まった。

街の中心部から電車に揺られること数十分。豊かな自然に囲まれた場所にあるは、聖アヴァロニア学園。

昼休み前、腹をすかせた生徒達が、終業のチャイムを今か今かと待ち構えていた、授業中のことである。

窓際の席に座るある女生徒が、ふと窓の外を見て、信じられぬものをみた、と目を見開いた。

ひぃ、と一拍、引き攣った喉の音。


「ひっ、ひぃっ、ひぃぃぃぃっ!」


顔色を真っ青に、全身を恐怖でわななかせ、喉を張り上げて女生徒は叫ぶ。


「キャァァアアア――――――!」


その悲鳴は、教科書を読む教師の声をしるべに夢の世界へと旅立った生徒を連れ戻すには、十二分の声量であった。

椅子から転げ落ちて、女生徒は泣き喚く。


「人がっ、人が、たべられてっ……!」


事態の深刻さが伝わらぬのか、ただならぬ様子の女生徒に、興味本位に男子生徒達が何を見たのかと、窓に集まる。

そこで彼等は……彼等もまた、それを見た。見てしまった。


「なんだよ、あれ……」


誰が言っただろうか。この場に居る全員の心の内を代弁した問いであった。

窓の外には、阿鼻叫喚の図が広がっていた。

人が、人を、食っている――――――。

「なんだあれは」と誰かの呆けたような声が聞こえた。誰もが目の前の光景を理解できずにいた。

逃げ惑う体操着を着た生徒に圧し掛かった体育教師が、その喉元に喰らいついていた。びち、びち、びと、という肉を千切る音。咀嚼音。辺り一片にぶちまけられたどす黒い血溜まり。

異常者による白昼堂々の犯行……ではない。有り得ぬことだ。これはそんな生易しいものではない。断じて、否である。

一人によるそれ……食人ではなかったのだ。否、始まりは一人であったのだろう。

あれを見るがいい。

今しがた喉元を噛み千切られていた生徒が、ゆらりと立ちあがり、未だ健常な生徒を追い掛ける一団に加わった。

一人が二人。

二人が、四人。

四人が――――――なんということだ、切りがない!

噛み付かれたものが皆、人喰いになって、起き上がっている!

その姿は、まるで――――――。


「ゾンビ――――――!」


椅子から転げ落ちた女生徒が叫ぶ。

そう、あれはまるで……否! まさしくゾンビ! ゾンビである!

ゾンビの群れが、神聖な学び舎の校庭にて、腐汁を撒き散らしては徒党を組んで、人を襲っている!

男子生徒が一人、女生徒の叫びに腰を抜かしたようにして、席に崩れ落ちた。


「なんだ、なんなんだよあれ……!」


目の前の現実が信じられぬと、肩を震わせて叫ぶ。


「ただのゾンビかよ!」


「ひぃっ……えっ?」


えっ、と椅子から転げ落ちた女生徒は声を上げた。


「俺はてっきり金髪美女が現れたかと……くそっ! この迸る熱い思い、どこにぶつけたら!」


「えっ?」


えっ、と椅子から転げ落ちた女生徒はまたも声を上げた。

この時点で全クラスメイトが席に戻っていた。

何事もなかったかのようにして、教師は「みなさん静かにー」などと注意をしている。


「うわ、男子さいってー」


「まったくもう、これだから男っていやよね。私たちもそんな目で見られてるんだわ、汚らわしい」


「乳がでかけりゃ何でもいいんかい。そんなだからモテないんだよこいつらは」


「この前なー、小麦粉混ぜた水風船の感触がおっぱいと同じやーゆうて、皆で小麦粉ねりねりしてたでー」


「何それ、気持ち悪い」


「普通に気持ち悪い」


「白濁液に塗れる男達……アリだな」


「ちょっとこっち見ないでよね男子」


「うるせえ! お前等みたいなチンチクリンに誰が欲情するかばーか! パツキンに染め直して出直して来いや! パツキンによ!」


「ふうん、チンチクリン、ねえ。あんたもさあ、欲情してるんなら、隠したほうがいいわよ。短小だってこと、ばれるわよ」


「えっ?」


えっ、と椅子から転げ落ちた女生徒は三度目の声を上げた。

つられて男子生徒も、えっ、と再び言った。

男子生徒達全員の動きが凍りつく。

自然、その男子生徒に女子の視線が集まる。

男子生徒は内股になって己の股間を庇った。


――――――俺の股間が今、狙われている!


一瞬、他の男子生徒達と、目が合ったような気がした。

他の男子生徒達は、一斉に哀しそうな顔をすると、申し訳なさそうにして目を伏せた。

皆が皆、言ってはならぬことに、触れてはならぬものに触れたような、そんな痛まし気な表情をして顔を逸らした。

その時、男子生徒に電流走る。


「まさか……いや……ッ!

 バレている……ッ! こいつらに……俺の秘密が……ッ!

 隠しても無駄……ッ! 無意味……ッ! 

 いや……ッ! 違う……ッ! 違う……ッ!

 隠されていたのは俺の方……ッ! 

 俺の秘密に気付いていることを……ッ! 俺が秘密を持っていることを……ッ!

 こいつらは隠していた……ッ! 隠してくれていた……ッ!

 なぜ……ッ! どうして……ッ!

 そうか……ッ! こいつらは俺に気をつかった……ッ! 気をつかってくれたんだ……ッ!

 ありがとう……ッ! ありがとう……ッ! 友よ……ッ!」


「何ぶつぶつ言ってんのよ短小」


「黙れよ短小」


「涙拭けよ短小」


野次が耳に入ることはない。

なぜならば、男子生徒を満たしていたのは、友への圧倒的感謝であったからだ。

涙腺が緩む。

ああ、おれのクラスメイトは、こんなにもいい奴らばっかりだ。ありがとう、ありがとう、友よ!

だが、泣くことは許されぬ。

ここで涙をこぼしては、男の立ち場がないではないか。

こんな女共にいいように言われて許せるのか。

否、である。

断じて否、である。

せめて一矢報いねば、死んでも死にきれん。

さあ、掴め……ッ! 反撃の糸口を……ッ!


「たたた短小ちゃうわァ! おまっ、おまえどこでそれを知ったんだよ! いや仮に俺が短小だと仮定して仮にだぞ! 

 こいつはいつもは紳士的に振舞ってるだけなんだよ紳士なんだよ! 短小という名の紳士なんだよ! 紳士だから! 本気だせば凄いから!」


「ぶふっ……ジェントル」


「ぐっ……ぶふぉっ……ジェ、ン、ト、ル、うぷぷ!」


「笑うなし! 俺の紳士を笑うなし!」


「ほら皆、紳士が泣いちゃうから、静かにしてあげて。紳士の上に早漏なんだって知れたら、折れちゃうかもしれないでしょ」


「折れ……ぶぷふー!」


「うおお! だからお前達どこでそれを知ったんだ! 証拠はどこだよ証拠はよお!」


「いや、ほら、水泳の時間に。シルエットで」


「身体の線が出て損するのが女子だけだと思ったら、大間違いだからね」


「あとこれ、皆知ってるから」


「えっ?」


えっ、と男子生徒が声を上げた。

焦ったようにして教室を見渡す。

クラスメイトの男子生徒達、彼の頼もしい友人たちは、誰も彼と眼を合わせようとはしなかった。

皆の頭が、肩が、ずうんと重くなっていくように感じた。

そうか。こいつら、それで俺の秘密を知っていたのか。


「ふひっ」


「ふひひっ」


「ニヤニヤ」


「ワロワロ」


「プークス」


彼を見ているのは女子連中のみ。

しかも、ほぼ全員だ。全員が全員、彼を見て、笑っていた。

いいや、嗤っていた――――――!

それだけならばまだいい、あの哀れむような視線はなんだ! なんだというのだ!


「あああ……」


今や彼は全てが信じられなくなっていた。

曲がる、世界が捻子曲がっていく。絶望に彩られて。

ぐにゃぁ、と歪んでいく視界、世界。

彼は必死になって救いを求めた。

友人……だめだ。

女によって付けられた傷は、女によってしか埋められぬ。

誰か、俺に味方してくれる女はいないのか!

そうして、眼が合った。

ある一人の、床に転げ落ちていた女生徒に。


「えっ?」


えっ、と椅子から転げ落ちた女生徒が声を上げた。

縋り付く様にして必死に懇願する視線に、女生徒は混乱をしているかのようだった。

「この子は何も知らないのだ。無垢なのだな」と男子生徒は思った。

純真で、初心で……ああ、まるで女神のようではないか。否、彼女こそが女神なのだ。地に舞いおりた、癒しの天使よ。

女生徒は、ええと、と目を上に向けている。人が何かを思い出す時にする特有の仕草である。

混乱の極地の中、何か得心したようにして、女生徒はああ、と漏らす。


「確かに、他の男子よりもちっちゃかっ――――――」


「えっ?」


「あっ……その、ごっ、ごめんなさい!」


男子生徒は滂沱の涙を流して崩れ落ちた。


「はいはい、みなさーん、テストはまだ続いてますよー。たぶん緊急放送があるから、静かにしてましょうねー」


野暮ったい眼鏡と目下まで掛かる黒髪を揺らして、間延びした口調で教師が注意を促す。

地味でまじめでこれといった取り得の無さそうな女であったが、彼女の純朴な性格は、意外にも現代っ子達に好評であった。

皆して先ほどまでの喧騒が嘘であったかのように、テスト用紙に取り向う。

今日は試験の日だ。

この日のために、準備をして気を入れた生徒も多かろう。

カツカツとペンが机をたたくリズムが響いていく。

窓の外からはゾンビの呻き声と、阿鼻叫喚の叫びが。

実に落ち着いた、さわやかなテスト日和であった。


「ていうかさ」


そんな中でも、やはり高校生だ、静かに出来ぬものも少なからずいる。

ぼそりと独り語る者がいた。


「誰だよ、ゾンビなんかにビビって悲鳴上げた奴。試験中にマジ迷惑じゃんよ」


「お前が迷惑だよ、黙ってろよ」


「いやほら、気が散って集中できなくってよ。これで赤点とっちゃったらさ、ほら、仕方ないじゃん? いやーまいったわー俺勉強したんだけどなーまいったわー」


「人のせいにすんなよ馬鹿。お前いっつも赤点じゃねえか、変わんねーよ」


「てめっ!」


「また男子がうるさい。鼻息が荒いし、興奮してるんだわ、気持ち悪い」


「これだから男っていやよね。私たちもいやらしい目で見られてるんだわ、汚らわしい」


「ケッ、いい子ちゃんぶりやがって。だれがお前等みたいな無乳見て興奮するかってんだばーか」


「ほう? また乳の話しか」


教室の空気が凍った。

ような、気がした。

賢明な男子生徒は関わらぬよう、より一層試験用紙に書き込みを続ける、ふりをした。

ああ、吊るし上げが始まる……と。


「誰か、こいつの情報をよこせ」


「そういえば彼、この前なー、どぎついSMのえっちな本をな、うちがバイトしてるコンビニで買ってったんよ」


「マジ?」


「まじやでー。うちレジやったもん。彼、恥ずかしかったんかなあ、ずっと下向いてたから、うちのこと気付かんかったんよ。

 真面目な雑誌とサンドイッチしてレジに出してたし。誤魔化せたとか思ってるんかな」


「やだ……キモ……」


「それ年齢制限とか駄目なんじゃない? 色々と」


「売れ残ると儲けが出えへんからなー。お客様は神様やからね。

 流石にアルコールとか煙草は駄目やけど、他のは無確認でレジ通しちゃうコンビニって多いんよ。中学生とか。

 まあ、ここに登場する人名、団体名、地名、職業、法律はぜんぶ架空のもんやし、この学園に通ってる子はみんな18歳以上やから、なんの問題もないんやけどね」


「う、うん? まあ、そういうことにしとこっか。うん……」


「まあ改造人間的に私たちの名前とかぜんぶ架空のものでゲフンゲフン」


「で、SM本の内容は?」


「んー、たしか、人妻緊縛系やったかな」


「やだ……キモ……」


「あと、その、なんやろあれ。おしっことかその、お外でするん? お外で服を脱ぐ写真を集めた本とか、その、そんなのもあるんやねえ。知らんかったわあ」


「やだ……キモ……」


「趣味に口出しするのはあんまりしたくないけど、高校通ってる間くらいはノーマルな趣味で通したほうがいいよ?」


「あああああ! 誰だよこの教室をこんな空気にした奴はァア! 最初にきゃーとか言った阿呆は出てこいやぁ!」


「大声上げたら誤魔化せると思ってるんだわ」


「これだから男子は」


「それでいて自分のことカッコいいとか思っちゃってるんだから。誤魔化し王子か」


「髪とかいっつもいじいじ捻っちゃってさ、髪いじる前に顔いじれっつの。キメ顔の練習とか馬鹿じゃないの」


「やだ……キモ……」


「キモ……」


「モイキー……」


「キモイキー」


「SM怪人キモイキー」


「死ねばいいのに」


「何で生きてるんだろあいつ」


「はやくやられないかなSM怪人キモイキー。好物は人妻の聖水」


「んがぁぁぁあ! 俺のアーキタイプはワニだっつーのこんちくしょおおおっおおぅ!」


「ワニ?」


「ワニ革? レザー?」


「レザーボンテージ?」


「ああ、だからSM」


「キモ……」


「モイキー……」


「どうして! どうしてこんなことに!」


「諦めろ。うちの女子達を敵に回したお前が馬鹿なんだよ」


収集が付かない喚き合いの中、それでも試験用紙に書き込む音が止まらないのは流石といったところか。

ここはF組。学園の中でも特に際立った成績、運動部での優れた結果を残した者達を集めた、特進クラス――――――ということになっている。


「姐さんはどう思いますか?」


「ん? あー、っと、わり、聞いてなかったわ」


「いえね、アシナの姐御は男連中のこと、どうお思いで?」


急に話題を振られたアシナが二度程、残った左目を瞬かせて振り向いた。

黒皮の眼帯の上を、銀の髪が滑っていく。

アシナもまた、Fクラスに所属する一人である。

不良然とした格好のアシナであるが、こう見えてアシナがFクラスに配属されている理由とは、純粋に学力面を考慮して選ばれたからだ。

ロングウルフヘアー、自由奔放に跳ねている髪型といい、その顔面の右半分を覆い隠す黒皮の眼帯といい、改造された制服といい、粗暴な風体に見えるアシナであったが、学業成績は上位から五本の指で数えられる以内にある。

成績優秀な特待生だということだ。


「どうってお前、知らねーよ、んなもん」


「またまたー。成績優秀、運動神経抜群、容姿端麗ときちゃあ、男なんてもう掃いて捨てるくらい選り取り見取りじゃないですか」


「これで容姿がどうとか、お前、嫌味か」


こつこつと爪の先で黒皮の眼帯を叩くアシナ。

悪くは言っているものの、それをコンプレックスに抱いている風には微塵も見えぬ。

アシナが己の隻眼を言う時は、むしろ、いつも誇らし気にしていた。


「いやいや、そのアイパッチもチャーミングポイントですぜ! もうまじ愛! パッチ! 最高! アイパッチ萌えですよね、時代は!」


「こねえよ、んな時代は」


呆れたようにして、こつりとペンを置くアシナ。

答案用紙の回答欄は全て埋まっている。もう全て終わらせた後のようだった。クラスの中で一番の早さである。

流石は、組織随一の俊足を誇る、狼姫だ。

元四天王であるからして、頭の出来が良いのは当然である、と彼女の正体を知る者ならば言っただろう。

だが、誰もそれに触れるものはいない。

なぜならば、アシナは改造人間であり、この学園は改造人間が一般人に紛れて通う学園であり、改造人間は秘密結社に抱えられているからだ。


「いやほら、組織が世界征服をした暁にはっすね!」


「声がでかい。黙れ」


「んがっぐっぐ……」


「規定を忘れるな」


「うう、しゃーせんっした……」


秘密結社とは、その秘密性を以てして成り立つ。

それは、構成員同士の間であっても、言わずもがな。

この学園に通う秘密結社縁の者……改造人間達は、多数の同族がこの場に居ると知ってはいるが、誰がどの改造人間であるのか、だれも解らず、知らされずにして生活を送っているのだ。

こうしてアシナに親しげに話しかけた女生徒も、組織内では戦闘員Aでしかないだろう。

もちろん、女生徒もアシナが只者ではないと感じてはいても、どの役職に就いているかまでは知るまい。

アシナの正体を知ったらどんな反応を示すだろうか、解らぬが、アシナもその原則に則り、たとえ同じ組織の構成員だとしても、正体を明かすつもりはなかった。

ただ、それでも格の違い、というものを人は感じるように出来ている。

人は身分を隠すことは出来ても、器を隠す事は出来ぬ。

アシナが良い例である。元四天王である彼女の放つオーラは、無条件に人を、改造人間を跪かせるものがあった。

このように、学園内で一定の地位を築いているものは、組織内でもなんらかの役職についているものが多かった。

先ほど間抜けな発言をした男子生徒もそのような一人である。

彼はセイルロープ結び部の部長であった。縄で一人遊びをするのが主な活動という部活である。

なにやら口を滑らせていたが、恐らくは、アーキタイプ――――――原型がワニの改造人間、ワニ2パニックンがその正体だろう。

間抜けめ、とアシナは舌打ちを漏らす。

学園内という閉ざされた生活環境ですら、正体がばれるような言動。社会に出たらば、怪人として活動していくのは困難だろうことは言うまでもない。

当然のことだが、秘密結社が設立した学園であるとはいえ、学園の体裁を保っている以上、正規のルートで入学をした一般人も多くいる。

聖アヴァロニア学園は、県内でも有名な進学校であるのだから。もちろん、体裁として、だ。

つまり――――――聖アヴァロニア学園とは、改造人間達への一般社会への潜入と正体秘匿法を学習させる、秘密教育機関であるのだ!


「うー、姐御の眼鏡に叶う男はいないんすかー」


「やめなさいってば。アシナさんはさ、ほら」


「あっ……あーなるほど。いやあ、すみませんでしたアシナの姐御! 気遣いが足りませんで。いや、下っ端としてあるまじき失態、申し訳ございやせん!」


「おい、なんだよそのニヤニヤ笑いは。気持ちわるいな」


「いやいや、ははは。大悟郎アニキの手前、男共のこと悪くは言えませんよね」


「はあ? なんで大悟郎の名前が出てくんだよ」


「へっへっへ。いやあ、むしろ逆、なのかな? 大悟郎アニキ以外の男は、みいんな悪っくみえっちまいますよねえ」


「おい、待て、おいって! お前は何を言ってるんだ!」


「いやー、うらやましい限りですよ。お二人の仲はいっつもラブラブで」


「なっ……ばっ……ら、らぶらぶって、おい!」


「いやもう、姐御のアニキ好き好きオーラは、見てるこっちが熱くなるくらいで、なんかこう、いいっすね!」


「違えよ! よくねえよ!」


ばん、と机を叩いて立ち上がったアシナ。

あっ、と気付いた時にはもう遅い。

明らかな怒声を発して立ち上がっては、クラス中の注目を集めるは必至。

クラスはまたしんとして、静まりかえった。爆発寸前の爆弾を抱えたように。

皆がアシナをぎょっとして見ていた。

ワニ男はほっと胸をなでおろしていた。

モイキー、と隣の席の女子が囁いていた。


「そうだな」


そんな中、静かに、重い鋼のような声を発する者が居た。


「彼女はおれのことを、嫌っている」


自ら否定されるを受け入れる男――――――そう、大悟郎である。


「うえっ! あ、いや、そ、そうだよ! ははっ、ばっかじゃねーの! 

 誰がお前のことなんか好きとか……はは……ばっかじゃねーの……」


アシナの言に、だろうな、と大悟郎は首肯した。


「あ、やばい」


「これやばい」


「姐さん泣きそう。これやばい、やばいこれ」


「姐さん超涙目じゃん、やばいよこれ。おいだれか早く写メ撮れよ」


「胸のとこぎゅーってしちゃってるやばい! 写メ、早く!」


「もうみっそんコンプリートしてますぜ! 案じなさんな、わちきの姐さん萌ゆるすhshsフォルダは後108個ありますぜ!」


「グッジョブ下っ端」


「マジよくやった下っ端。しかし姐さんどうしようか。あれ自爆して後で超自己嫌悪するパターンだぞ」


「でも大悟郎さんなら」


「大悟郎さんなら、きっとやってくれると!」


「信じてる!」


大悟郎はペンを静かに置くと、寂しそうにして笑って言う。


「おれのような無骨者が、彼女のように誠実なものに、好かれるはずもなかろうよ」


「いや、だから、好きじゃないこともなくはなくだなあ!」


「だが、おれは」


おれは、と大悟郎は、アシナの瞳を見る。

大悟郎の席は、最前列の窓際にある。

対してアシナの席は、後方。対角線上だ。


「おれが、どれだけ嫌われていたとしても、アシナ」


「お、おう」


「お前のことを好ましく思っているよ」


「大悟郎……」


教室の端と端の距離。しかしクラスメイト達は、その距離が0になる瞬間を感じた。実際に数メートルの距離が0になるわけがない。心で、感じたのだ。

それは奇跡とよばれるものだった。

心に距離は関係が無いことを、彼等は学んだのである。


「乙女……!」


「アシナの姐御マジ乙女……!」


「うわわわ、やばいあの顔、こっちまでどきどきしてきた」


「ひゅーっ、大悟郎のアニキパネェっす!」


「さすが大悟郎さん! しっびれるぅ! あっこがれるぅ!」


「なんであいつだけさん付け」


「黙ってろよクソ虫共。お前達みたいなゴミ屑共と大悟郎のアニキは違うんだよ。寝言は皮剥いてから言いな」


「下っ端がガチ口調になる時、それは本気で怒りを覚えた時だけだ。お前等は下っ端を怒らせた」


「お前達の皮は二度と剥かれないであろう。可哀想に、一生被ったままでいるとは。愚か共とはいえ、哀れな」


「んな危ない奴が下っ端とかおかしいだろ! ってあああ、なんかズボンの下に違和感があぁぁぁ被ってくぅぅぅぅ何これぇぇぇぇぇ」


しかし、と大悟郎。


「好きな物を好きと、嫌いな物を嫌いと言えることは、よいことだ。大変好ましいことだ。

 好ましいことだ……が、こう面と向かって嫌悪感を感じると言われるのは、中々辛いものがあるな」


「いや、だからそれは!」


「だが、それがいい。それでいいのだ。お前はそのままでよかろうよ」


「ぐっ……もういい!」


アシナはぐっと顔を歪めると、そのまま鞄を抱えて教室を突っ切った。顔を決して上げないようにして。

大悟郎はああ、と眉間を揉んだ。また、彼女を怒らせてしまった。

あんなに顔を真っ赤にして、怒りをこらえている。

大悟郎は自分自身ではとんと解らないが、恐らくは、己の不用意な発言が彼女を怒らせたのだろうことは想像がつく。

その証拠に、アシナは扉に手を掛けながらまくしたてる。


「ば、ばっ、ばーっか! 馬鹿ごろー! お前のことなんて知るか! 私は帰る!」


「はいー、ではさようならー。試験は後で回収しておきますからねー。先生にまかせてー」


教師の間延びした声を背に、アシナは廊下へと飛び出して行き……そしてすぐさま、教室前方の扉から再び入室。

つかつかと大悟郎の机の前まで来ると、何かを鞄からとりだして、ずがんと音を立てて大悟郎の机に叩き置いた。


「弁当!」


ふん、と鼻を鳴らすとアシナは今度こそ廊下を飛び出して行く。

階段を二段飛ばしでたんたんと降りていく音が聞こえていた。


「ふむ」


弁当箱を抱える大悟郎。

卓上の筆記用具を片付けると、大悟郎もまた鞄を持って立ち上がった。


「おれも帰ります。解答用紙の回収をお願い致します」


「おお、姐さんを追いかけるんすね! 襲い来るゾンビから恋人を守る男の子……いいっすねいいっすね!」


「冗談を言うのはよせ。言ったはずだ。彼女はおれを嫌っておるのだと。だが、たとえおれが彼女と敵同士であったとしても、おれは彼女を追いかけるだろう」


「それは……どうしてっすか? 愛、ゆえに、っすか!」


「いや、違う。おれが彼女を追う理由……それはな」


扉に手を掛けて大悟郎。振り向きて、にやりとして、言い放つ。


「弁当に、箸が付いていなかったからだ」


実にまっすぐに述べられた告白に、クラス中が小首を傾げる。

どういう、意味だ。

いやこの男は本気で言っている。

本気で、箸がなかったから、アシナを追いかけんと学校を出ようとしている。


「そういや大悟郎さん、最近マイ箸を使うのが楽しみとか言ってたっけ……」


「い、いや、これはツンデレ! そう、ツンデレっすよ! やだなー大悟郎のアニキったらもう、照れちゃってー」


「これ確実に天然でしょ」


「大悟郎さん、いい人なんだけど天然なのが、ちょっとね……」


「天然サムライ……」


「アニキィ……」


どこ吹く風、と大悟郎は肩を一つすくめると、ああ、と思い出したようにして振り向いた。


「そうそう、初めに声を上げられたのは、そこに伏しておられる森さんだ。流石だな、おれも人に気遣い出来るような人間になりたいものだ。ではこれにて、御免」


「はいはいー。ゾンビに気を付けて帰ってくださいねー」


扉が閉められる。

するりするりと、重心のぶれない武人特有の歩行音。

大悟郎――――――帰宅!


「アシナさんの早退理由はー、えっとー、恋わずらい……っと。大悟郎君はー、お腹が空いたから、かなー」


「前々から思ってたけど、このクラス、こんなにゆるくっていいのか?」


「いいんだよF組だから。良い成績残すのと引き換えに特例が認められてんだから、試験後即帰宅でも問題なっしん」


「なー、大悟郎くん帰り際になに言うてたん?」


「たしか、最初にぞんびだーって言ったのが、森さんだって」


「森さんだって!?」


「まさか、森さんが!?」


「森さんなの!?」


「えっ?」


ようやく抜けた腰も持ち直して、椅子によじ登りつつあった女生徒が、自身に集中する視線に呆けた声を上げた。

もう何度、えっ、と驚いたかわからない。

森さん、森さん、と自分の名前を呼んで、クラスメイトが次々とこちらを向く。

試験中に一斉に全クラスメイトの注目を集めるのが、こんなに恐いとは。

驚きすぎて、涙が滲んできた。


「うええ……見ないでよう、見ないでよう……」


もう本当になんなの、このクラス。

おかしいよF組のみんな。

ゾンビが校庭をうろうろしてるのに、みんな何でもない風にテストしてるし。

このクラスだけじゃなくって、他のクラスもおかしいよ。

校庭じゃゾンビを避けながらサッカーの授業続いてるし。

ゾンビになった女の子とめるふりしておっぱい掴んでるし。あの男子の名前は後でつるし上げ係に報告しておこう。

ていうかもうこの学園全部がおかしいよ。

先週は何か魔法少女っぽい女の子達が校庭でバトルしてたし。

大悟郎くんも刀もって飛び出して行ったし。あれ真剣だよね。おかしいよね。真剣もってる高校生とかおかしいよね。何でだれも注意しないのおかしいよね。

先々週はゴジラみたいなのが出て来てたし。

その前は……あの時も……最近は……。

でもみんな、何もおかしくないよーって……あれ?

おかしいのって、もしかして、わたし?

あれ?

おかしく……おかしい、の?

おかしいのは、わたしの方、なのかな?

もうわけわかんないよ。


「みんな、よく聞くんだ。さっき悲鳴を上げたのは、状況からみても森さんで間違いない。後はわかるな?」


「ああ、わかってるぜ。きっと森さんは、俺達に注意を促すために、わざと声を上げたんだ」


「なんだってそんなことをしたんだ? たかがゾンビごときに、森さんがどうして……」


「どんなことにだって不測の事態ってのは起きるもんだ。なあ、俺達、ちょっと気を抜き過ぎてたんじゃないか?」


「まさか!」


「そう、森さんは、俺達に気を引き締めさせるために、恐怖に悲鳴を上げる女子生徒Aを演じてくれたんだよ!」


「な、なんだってー!?」


「じゃなきゃあ、森さんがあんな雑魚共に驚くわけないだろ」


「そうやなあ。うちたちみんな、たかがゾンビ、なんて思うとったもんな」


「何かあったら、対処できなかったかも。ごめんな、森さん」


「さすが森さん、私たちの大首りょ……んんっ! げふんげふん!」


「だいしゅ、何? えっ?」


「あはは、なんでもないっすよー。森さんは森さんですもんね! あっしたちはみいんなわかってまさあ!」


「えっ?」


「流石森さんだわ。私たちの事、一番に考えていてくれるのね」


「ああ。たとえ弱者と蔑まれてでも、俺たちに自覚させるために、森さんはわざとか弱い女子を演じてくれたんだ。流石だよ、森さん! ありがとう、森さん!」


「へへっ、今日からは気軽に森さんなんて呼べねーな」


「天覇皇羅刹女王森……と呼ぶべきか。まさに、天に覇を唱えし月の女神の如く、その身を表した名だ。月は例え孤独にあっても、輝き続けるのだから……」


「えっ? ええっ!? やめてよう! わたし、普通の森だよう!」


「そうそう。普通の森さんが、悪の秘密結社の大首領なわけないもんな!」


「森さんは普通の森さんだよね! 大首領とかじゃなくって!」


「やだなあみんな、森さんは普通の森さんだぜ!」


「最高に普通の森さんは最高だな!」


「流石森さんだな!」


「よーし皆! 森さんを胴上げしようぜ!」


「のった!」


「のらないで! あっ、やめっ、持ちあげないで、やめっ!」


「そーれ、わーっしょい! わーっしょい!」


「やーっ! いやーっ! 天井が、天井が近いよいやーっ!」


「わーっせろい! わーっせろい!」


「やーっ! やーっ!」


「うふふー。これが青春なのねー。先生も学生の頃のこと、思い出すわー」


「こんな学校もうやだーっ! やーっ!」


――――――私立高等学校、聖アヴァロニア学園。

当学園では週に一度のペースで、俗に言う異常事態が発生致します。

しかしご心配なく。

学園所属の優秀なスタッフ達が、あらゆるご要望にお応え致します。

ゾンビ騒ぎもなんのその。噛まれても大丈夫、すぐに元通りに“直し”ます。

ですので警察機関、特に超戦隊や仮面騎兵へのご連絡はお控え下さいませ。よろしいですね? 外部へのご連絡はお控えくださいませ。

それだけ守っていただければ、当学園に入学した暁には、最高にエキサイティングでスリリングな学園生活が送れることを保証致します。

我々が求めるのはただ一つ。

優秀な人材たれ。

当学園で優秀な成績を収めた生徒は、卒業後の進路を当学園が完全にバックアップ致します。

卒業後の進路は平々凡々としたものではなく、まるで改造されたかのように素晴らしいものとなるでしょう。

さあ、あなたも清き学び舎で、刺激的な思い出を作ってみませんか?

資料請求、ご質問、ご連絡はここまで。

聖アヴァロニア学園入学課結社人事担当係、老羊執事ヒツジーン。


追伸。

当学園の生徒、及び関係者の七割が一般人ではありません。

あしからず。


追々伸。

なお追伸以下は、ナノミクロンサイズで書かれております。

全ての重要項目はナノミクロンサイズにて資料に記載されておりますので、一切の苦情はお受け致しません。

ご了承ください。

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