六月一三日
六月一三日、月曜日、昼休み、エミナは空になった弁当を片付け、教室のドアを見る。ドアが開け放たれており、廊下の様子が良く見えた。
廊下を向くエミナの横顔に、コウセツの声がかかる。
「エミナ、どうかした? 廊下なんか見て」
「あ、うん、スミレの奴どこ行ったんだろう、て思ってさ」
エミナは廊下から視線を離し、可愛らしく首を傾げてみた。脳内で、トイレの大か、と考えている事を微塵も感じさせない。
脇からケンジが口を出してくる。
「いつも一緒に昼飯食べてたのに、今日だけなんてのは妙だな。もしかして、ブルーデーか?」
「地味な解説的台詞ありがとう。本当に地味すぎるからそのままフェードアウトして、と言うかもう喋るなジミタカケンジミ」
軽口をたたくケンジに、エミナは軽蔑に満ちた視線を贈った。潰れたゴキブリ、もしくは路上で裸になった中年男性を見つめる時と同じ視線だ。
「思春期の女の子に対してなんて事言うんだか、この地味男。少しはデリカシーを学んだら」
エミナはツリ目をつり上げて、ケンジのスネを蹴る。
「ツ~、蹴る事はないだろ。コウセツ、この女に何か言ってくれ!」
ケンジはコウセツに助けを求める。
「今のケンジミが悪いよ。女の子にいきなり言う単語じゃないよね。最後の一言」
しかし助けはなかった。
「う、裏切り者」
「フフン、正義は勝つ」
ケンジが机の下に沈み、エミナは勝利の笑みを浮かべる。
「地味男は」
「エミナァ、ちょっと良い? 聞きたい事があるんだけど」
沈んだケンジに、エミナが更なる追撃の手を加えようとした時、背後から声をかけられた。
「ん、何?」
エミナが後ろを振りむくと、クラスメートが二人、手招きをしていた。どちらも袖を短く仕立て、ミニスカートから太ももを半分以上晒しており、同姓のエミナから見ても少々引く格好だ。
「ちょっと、女の子だけで聞きたい事があってさ。ここじゃ何だから、向こう行こう」
二人はエミナの腕を掴んで、強引に引っ張ろうとする。
「ちょっ、引っ張るな! と言うか、痛い、痛い、分かったから、行くから離しなさい、は~な~せ~」
「駄目ぇ、そう言って、離したら最後、雪村君か日高君を盾にするんでしょう」
「そうそう、前もそうやって逃げられたよねー」
「ねー」
エミナの抵抗むなしく、クラスメート二人に両脇を抱えられて連行させる。
「雪村君、そう言う訳だから、エミナ借りてくね」
いきなり話を振られたコウセツは、笑顔でエミナに手を振る。
「別にいいけど、解剖とかやめてあげてね」
「そんな事しないよー。ちょーと、話を聞くだけだから」
クラスメート二人は顔を見合わせると、意味深な笑みを残して、エミナの搬送を開始した。
「どこかで見たことがあると思ったら、MIBに連れていかれるグレイだな」
「それはもう古すぎるよ。そんなネタしか思いつかないから、地味なんじゃないかな?」
「グフッ、その悪意の感じられない笑顔がきついぜ、友よ」
のんきなやり取りをBGMに、エミナは教室から運び出される。廊下に出ると数人の生徒が一瞬、エミナの方を見たが、すぐに視線を外して去っていった。
隣の教室前の廊下まできた所で、女生徒二人は捕まえていた手を緩める。
「あー、痛かった」
エミナはつかまれていた両腕を摩りながら、半眼でクラスメート二人を睨む。
エミナを拘束していた二人は、教室を背にするように立ちふさがっていた。
帰り道を塞がれたエミナは小さく舌打ちする。
「で、何の用? あたしとしてはさっさとコウセツ達の所に戻りたいんだけど」
エミナは二人から逃げるあきらめ、さっさと用件を済ませる事にした。
「まぁ、用って程じゃないんだけどね」
「ねぇ」
クラスメート二人は、何か含みを持った顔で頷き合う。
二人の様子にエミナの眉間にシワがよった。
「早くしてよ。あんま、待たされるの好きじゃないんだけどなぁ」
努めて穏やかに催促するエミナの様子に、何かを感じ取ったのだろう。二人は身震いした。
「分かった。じゃあ、聞くけどさ。雪村君に、年上の彼女が居るって本当?」
何処か探るような視線がエミナを貫く。
「はぁ? 何言ってんの、コウセツにそんなの居るわけないじゃない。わた……ん、ん、何でそんな事聞くわけ?」
私と言う女が居るんだから、と言いかけてエミナは、慌てて口を濁す。エミナとコウセツに特別な関係がある事は、二人だけの秘密だ。
「えー、でもさ、こいつ、昨日見ちゃったんだって。雪村君が綺麗な女の人と腕組んで歩いてるの」
そう言って、クラスメートがもう一人を指差す。指差された方は首を激しく振り、同意を表している。
「そうそう、わたしさ、昨日大平市であったクリスタルアーケード食い放題祭りに行ったんだよ。
前回、和菓子部門単独トップになった『和菓子キラー』とその相棒『信号野郎』のタッグチーム、『全てはあのお方の為に』の応援にね。
和菓子キラー様の和菓子をロックした時のあの鋭い視線、格好良かったなぁ」
「ふーん、でその和菓子キララと人体野郎がどう、コウセツと関係するの?」
夢見る乙女の様に虚空に向かって瞳を輝かせる友人を前に、エミナは冷めた様子で話を促す。
「ちが~う、和菓子キラー様、キララじゃなくて、キラ、フガ、フガガガガ」
エミナの間違いを訂正しようと叫ぶ口を、もう一人が押さえ込む。
「はいはい、無駄話はやめやめ。
それでさ、そん時にこの子が、雪村君と美人のお姉さんが腕組んで歩いてるの見たんだってさ」
美人のお姉さんの部分で、エミナの眉は一瞬釣りあがる。唇を尖らせ、眉間のシワも増量した。
「それ、別人だよ。コウセツは昨日、家でゴロゴロしてたから、あたし昼頃コウセツが縁側でアイス食べながら、漫画読んでるの見たもん。
大平市、てここから電車で三時間ぐらいかかるよね? 瞬間移動でも出来なきゃ無理よ」
エミナは嘘を吐く。
本当は昨日、コウセツが朝早くにどこかに言った所を見ていた。そして、夜遅くに帰ってきた事もだ。今思い出すと、服も少々めかしこんでいた様に思える。
「そっかぁ、見間違いか。そうだよね。わざわざ、電車で三時間もかけて大平市まで出かけるような馬鹿は、こいつぐらいだよねぇ……
ほら、あんた、だから言ったじゃん。見間違いだって」
クラスメートはエミナの嘘に納得したのか、笑顔で頷く。先ほどから口を塞いでいるもう一人に対して、軽く拳骨を当ててお仕置きも忘れない。
「それじゃありがと。おっちょこちょいで口の軽い馬鹿にきょーいくてきしどーをするから、じゃね」
そう言って、立ち去ろうとするクラスメート二人の背中に、エミナは一つの質問を投げかけた。
「ねぇ、何で私に聞いたの?」
クラスメートは笑顔で答える。
「だって、エミナと雪村君、幼馴染じゃない。そう言う事は、良く知ってそうだからさ」
「ま、ね。コウセツの事なら、大抵は知ってるわ」
欲しかった一言に、エミナの自尊心が満たされた。
「でしょ。だから、聞いたの、じゃ」
「うん、じゃ、適当にお仕置きお願いね」
任されたー、と言う陽気な雄たけびと、お仕置きイヤー、と悲痛な叫びを残して、二人は廊下の奥へ消える。
「コウセツに、確かめなきゃ」
エミナは早足で教室へと飛び込んだ。目的は、コウセツに事情を問いただす、それだけだ。




