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悪魔部へようこそ!  作者: AAA
大崎 スミレ
7/29

六月二八日

 六月二八日、火曜日、スミレがコウセツと恋人同士になってから六日後の放課後、教室には胸がムカつくほどの甘ったるいピンク色の空気が充満していた。

 クラスメートは無言で机の中のものを鞄に投げ入れ、足早に去っていく。木、金、土、月曜日の四日間、甘ったるい空気に当てられた思春期の少年少女達は、一刻も早く正常な空気を吸って、精神をニュートラルに戻したいのだろう。

 甘い空気の発信源たる少女は、クラスメートの様子を無視して、鼻歌を歌いながら鞄に教科書を詰めていく。体中でリズムを取りながら、拍子に合わせて鞄を閉じる。軽快な音が鳴る。

 少女は鞄を手に取ると、足取り軽く愛しい恋人へ近づいた。艶やかな黒髪が春風に吹かれたように揺れ、満面の笑顔が真夏の太陽以上に輝く。

 恋人の前に立った少女の顔が蕩ける。

「コウセツ、一緒に帰ろ」

 少女、スミレは、恋人、コウセツを誘った。四日前、恋人同士になってから、二人だけで帰ると約束したのだ。

「うん。ちょっと待てて、スミレ。もう少しで全部入れ終るからね」

 コウセツは比較的ゆったりとした動作で、机の中のものを鞄に詰め込んでいく。

 スミレは期待に目を輝かせながら、机の横で待つ。散歩前の犬のようだ。尻尾がついていたら、勢いよく左右に振っているだろう。

 身体をそわそわと揺すりながら、時々思い出したように顔を緩ませるスミレを横に、コウセツは鞄を閉じた。

「お待たせ、じゃ、行こうか」

「うん、うん、今日も二人っきりで一緒に帰ろうね」

 誰もいなくなった様に思える教室の隅々まで届く声で、スミレが宣言する。

 教室の隅で地味目のうめき声が聞えた気がしたが、スミレの耳には届かなかった。

「たまには、ケンジ誘わない?」

 爽やかな笑顔でコウセツは、友人の名を出す。コウセツが一瞬だけ教室の隅に、哀れみの視線を向ける。

「えー、二人っきりで帰ろうよ。それともコウセツは、ケンジ君がいきなりコウセツを気絶させて私をレイプしようとしても良いて言うの?!」

 スミレは酷い答えを返した。

 手に持ったハンカチで乾いた目元を拭きながら、鼻を啜る。

「ケンジにそんな派手な事はできないよ。それより、嘘泣きはやめようよ」

「コウセツ、それ結構酷いよ。まぁ、ケンジ君ならそんな感じだけど」

 自分の事を棚に上げてスミレは同意した。

 二人を肩を寄せ合うような距離を保って歩く。

 スミレの右手とコウセツの左手は控えめに絡められており、ピンク一色の空気の中で絡まりきらない指だけが、初々しく感じる。

 スミレは脳みそが溶け落ちるほどの幸福感に満たされていたが、それは長く続かなかった。

 正門前で、二人の前に少女が一人立ちふさがる。

 二人が良く知っているクラスメートだ。しかし様子が尋常ではない。目は暗く濁っており、目の下には隈が出来ている。髪は乱れ、頬が乾ききり、生気が感じられなかった。

「「エミナ」」

 スミレとコウセツは同時にクラスメートの名を呼ぶ。二人の前に立ちふさがったのは、スミレの友人でコウセツの幼馴染であるエミナだ。

 エミナは無言で二人に近づくと、コウセツの手を掴む。

「コウセツ、ちょっと来て」

 そのままコウセツをつれて校舎へと戻ろうとする。

「お、おい、ちょっと待てよエミナ」

 コウセツは震える声でエミナを止めようとするが、止まらない。

 尋常でない様子に、スミレはどうするか迷う。

 ここ数日、エミナは可笑しかった。あきらかにスミレを避け、そして一日毎に生気と明るさがしぼんでいく。何かあるのは明白だった。

 幼馴染のコウセツにならその何かを話すかも、と思うと、スミレは安易にとめる事が出来ない。

 これがエミナが出す最初で最後のSOSかもしれない。

 それに何より、はっきりさせるなくてはいけない事は、はっきりさせた方が良いのだ。

「あなたの為に、場所を変えてあげるの。大人しくついて来て」

「そ、そんな勝手な。話なら家で聞くよ」

「今! 今必要なの、お願いあたしを困らせないで」

 エミナの目に一瞬危険な光が灯る。

「わ、分かったよ」

 その光を感じ取ったのだろう、コウセツは素直に頷き、エミナに従った。

「スミレさん、そういう事だから、ちょっと待っててね」

 コウセツはエミナに連行されながらも、スミレに笑いかける。

「うん、待ってるね、コウセツ」

 笑顔で応えたスミレは、エミナとコウセツの背中が校舎の中へ消えるまで見送る。スミレは彫像の様に毛筋ほども動かなかった。

 二人の姿が校舎に消えてから一分たった時、スミレは校舎へ歩き出した。

「コウセツ、嘘ついてごめんね」

 スミレは変わらない笑顔のまま、早足で歩き続ける。まるで地面を滑るような歩行で、生徒玄関まで到着した。

「だけど、エミナは友達でコウセツ君は私の恋人なんだから、全部を知る必要があるの」

 素早く靴を履き替えると、廊下に躍り出る。鋭い視線を左右に向け、コウセツとエミナの痕跡を見つけようとしたが見つけられない。

「これぐらいは、予想通りだけどね」

 スミレは迷うそぶりを見せず、歩き始めた。

 校舎の半分は特別教室で、残り半分に各クラスの教室等がある。

 この時間、まだ自教室やその周辺に残っている生徒もいる。エミナはコウセツと二人きりで話したかったようだ。わざわざ、人のいる方へ行く事はないだろう。

 スミレは特別教室へ足を向ける。一階から順番に早足で回る。

 しんと静まり返った廊下の隅から話し声が聞こえた。美術室からだ。

 美術系の部活はそれぞれ専用の部室を持っている。ならば、ここから聞こえてくる声は、本来いてはいけない生徒の声だ。

「正解」

 スミレは猫の様ににんまりと笑うと、ドアの隙間から中を覗く。

 そしてあまりの事態に固まってしまう。

 美術室では、二人の生徒が抱き合っていた。二人は頬を染め、スミレからでも感じ取れるほど熱い吐息を放っている。

 とても熱々なカップルに見える。

 昨今の男女交際を考えれば、多少情熱的だがまだ不純とはいえないレベルだ。

 ただ問題は、抱き合っている二人がどちらも男子生徒だったことだろう。

 スミレは無言でドアから離れ、捜索を再開する。しかし、抱き合った男子生徒二名以外、誰もいなかった。

「現実は甘くないよね。私、名探偵じゃないしさ」

 スミレはいじけた様に呟きながら、生徒玄関まで戻る。すると、地味目の生徒の背中が目に入った。

 地味目の生徒は上履きを下駄箱に入れようとしている所だ。

「ケンジ君、今帰りなんだ。今日は珍しく遅いね」

「別に、ちょっと教室で……まぁ、黄昏れてたら、コウセツとエミナさんが来て追い出されただけだよ」

 ケンジは気まずそうに視線を逸らしながら、ぶっきらぼうに応える。

「それより、スミレさん、久々に一緒に「ありがとう、ケンジ君」

 ケンジの声を遮って、スミレは跳ねるように教室へ向かう。

「あ、待てよ。話の途中」

 スミレの後ろから、特徴のない足音が追いかける。スミレは階段を登りきったところで、後ろを振り返った。

「ケンジ君、私、ちょっと用事が有るんだ。先、帰ってて」

「それなら、俺も付き合うよ。どうせコウセツとエミナさんの様子を見に行くんだろ」

 ケンジの口の端が釣りあがる。

 何かを嘲笑う様なケンジの様子に、スミレは眉を寄せながらも、特別な反応を返さない。

「じゃあ、邪魔だけはしないでね」

 スミレは言いたい事だけ言うと、足音を立てないよう慎重に廊下を進んだ。人気のない廊下に、スミレとケンジの息遣いが染み渡る。

 教室に近づくと、男女の声が聞えてきた。会話の内容は分からないが、どちらの声も険があり、友好的な状況ではなさそうだ。

 教室前まで来たスミレは、中腰でそっとドアに耳を当てた。

「……から、……い」

「別に……じゃ……だろ」

 教室に居る二人の声が途切れ途切れながらも聞えてくる。どちらも聞き覚えのある声だ。男はコウセツ、女はエミナで間違いない。

 ケンジもスミレの隣に来て、ドアに耳を当てた。

「……い、……そん……」

「じじ……ろ……い!!」

 ケンジがスミレへ顔を寄せた。互いの吐息が感じ取れるほど顔が近づく。

「良く聞えない。ドアちょっと開けるか?」

 ケンジが囁いた。

 スミレは顔にかかるケンジの吐息から身をそらせてから、答える。

「駄目、多分気付かれるよ」

 スミレはきっちりと閉まったドアを見上げる。

 防音、保温性をあげる為に、ゴム製のキャップがドアの縁に張り巡らされている。ドアを動かせば、キャップの外れる音が漏れる事は必至だ。

「このまま聞くしかないよ」

 スミレは悔しそうに呟くと、ドアの向こうに耳を澄ませる。

 同時に、ドアの向こうで何かが倒れる音が鳴った。

「何よそれ!」

 エミナの叫び声が、ドアを振るわせる。

 スミレは自分が怒られたように肩をすくませた。

「私の処女奪ったくせに!」

 ドアを隔てて聞えてくる悲痛な叫び。泣いているのだろうか、声が少し篭っていた。しかし、聞き間違えるほどではない。

「え?」

 スミレは目を見開いてケンジを見る。

 ケンジは気まずそうに目を逸らした。

 ケンジも同じ様に聞えたのだろう。いや、もしかしたら、もっと前から知ってたのかもしれない。

 中ではコウセツが何かを喋っていたが、声のボリュームが小さすぎて殆ど聞えてこない。

 スミレは焦点の合わない瞳で立ち上がると、ドアを開いた。

 教室の真ん中で対峙していたエミナとコウセツが、スミレの方を振り向く。

 二人は驚いたように顔を強張らせた。

 しかしその後の反応は対照的だ。ドアを開けた人物がスミレだと分かると、エミナはスミレを見下した勝ち誇った笑みを浮かべ、コウセツはどこか諦めと焦燥の入り混じった表情を作る。

「あは、あははははは」

 凍りついた教室に、エミナの笑い声が響く。心底楽しそうに、愉悦に酔った様に、腹を抱えて笑っていた。

「ごめぇ~ん、コウセツぅ、ばれちゃったね、えへ」

 不気味な猫なで声で、エミナはコウセツの体に抱きつく。これは自分のものだ、と主張する子供のようだ。

「スミレもごめんね。本当はもっと早く言わなくちゃいけない事だったんだけど、スミレがあんまりにも幸せそうで、哀れだったからさ、言えなかったんだ。本当に、ごめんね」

 満面の笑みを浮かべて、エミナは嬉しそうに語る。

 スミレは無言で、教室に入った。

 最短距離でコウセツとエミナに向かって歩き出す。途中、椅子や机に足が当り、いくつかが倒れてしまうが、まったく気にした様子がない。

 エミナは暫く笑い顔でスミレの行動を眺めていたが、スミレが自分達に近づくに従い、表情が消えていった。エミナの濁りきった瞳は、スミレから片時も離れない。

 スミレはエミナとコウセツの前まで来ると、コウセツの顔を正面から見つめる。表情から感情は読めなかった。

 気圧された様に、コウセツの顔が後ろにそれる。青ざめたコウセツの顔が、エミナの眼前に来た。

 エミナはコウセツの肩口から、濁った瞳でスミレに睨み付ける。

 そして、三者の間で鈍い音が鳴り、拳が顔面にめり込んだ。

 殴れらたヤツが、机や椅子を巻き込みながら倒れる。

「え、僕じゃ、ない」

 何も出来なかったコウセツが意外そうに呟いた。その顔は腫れ一つない、綺麗なものだ。

 顔面を殴った女がコウセツの手を掴むと開け放たれたドアへ向けて足を踏み出す。コウセツも引っ張られるように、女に従った。

 二人が教室から出ようとした所で、倒れていた女が動く。自分を殴った女の名前に呪詛をのせて叫んだ。

「スミレェ」

 スミレは呼び声に答えて振り返った。コウセツの手を握り締めたまま離そうとしない。

「あんたコウセツを何処に連れてくの! コウセツはあたしのだ! 髪も目も爪先も全部、全部、あたしんだっ。あんたなんか、お呼びじゃないんだよ!」

 殴られた女、エミナは濁りきった声で罵声を放つ。

 罵声を受け止めたスミレは、小馬鹿にしたように鼻で笑った。

「今更過去を引き合いに出すなんて、どうしようもなく醜いね。今、コウセツが好きなのは私だよ。お古はさっさと消えて、ま・け・い・ぬ・さん」

 哀れみの篭った視線を存分に浴びせてから、スミレは教室を出た。ドアにはケンジが張り付いたまま固まっていたが、スミレは無視して歩き去る。

 コウセツもそれに引っ張られて去っていった。

 スミレは足早に校舎から出ると、駅前に向かって歩き出す。その間、一度もコウセツの手を離さない。靴を履くときですら、スミレの手はコウセツの手を握り締めていた。

 住宅街を抜け、駅に出る。そのまま駅の東へ向かって歩き出した。そちらには、大き目のゲームセンター以外、高校生が行きそうな所はない。

「ス、スミレ……しゃん、どこに向かっているんでせうか?」

 真っ青な顔をしたコウセツが語尾を震わせながら尋ねる。

 スミレは応えない。無言で、裏風俗通りへと足を踏み入れた。

 異常に広い学園がある街とはいえ、学校だけで構成されているわけではない。当然、一八歳以上男性専用の性欲処理場があったりする。裏風俗街とは、そういう方達御用達の安いエロホテルが並んだ通りの事だ。世の中には、わざわざホテルまで宅配デリバリーをお願いする方達もいるという事である。

「スミレさん、まずいよ。こんな所に居たら停学じゃすまないよ」

 コウセツは額を青に頬を赤に染めると言う高等技術を使いながら、スミレに進言する。

 教師に見られでもしたら、言い訳の仕様がない。良くて厳重注意、最悪は退学だろう。

 スミレはコウセツの言葉を無視し、適当なホテルへと入った。もちろん、コウセツの手は握られたままだ。

 ホテルに入ると、高速道路にあるファーストフード用自販機とそっくりの物体があった。

 パネルに幾つかの部屋の写真が貼り付けられ、その脇には適当なあおり文句が書かれている。

 スミレは適当な部屋のパネルを押した。

 乾いた音が響いて、直方体のキーホルダーを付けたホテルの鍵が吐き出される。

 スミレは鍵を掴むとエレベーターに乗った。無論、手を繋がれたコウセツもエレベーターに引き込まれる。

 淀みなくチェックイン出来たのは、日頃の予習の成果だ。

 学校から今まで、スミレは一言も言葉を発しなかった。エレベーターの中でも無言である、

 手から伝わる震えが、鍵とキーホルダを擦れさせ硬質な音を響かせていた。震える手には、強く握り締めているので筋が浮かび上がっている。

 エスカレーターを降りると、ビジネスホテルの様に並んだドアから、鍵のルームナンバーを同じドアを開けて、中へ入った。

 部屋の内装は、いたくシンプルだ。

 入り口の隣には、風呂場がある。曇りガラスで壁代わりに仕切っている所為で内情は分からない。

 風呂場の仕切りを通り過ぎると、ベットとラック、そしてテレビがある。一風変わったビジネスホテルと言う印象だ。

 スミレは大股で、ベットの前まで来ると、コウセツをベットに向かって突き放す。

「わ!」

 間抜けな声を出してコウセツはベットに倒れた。

「コウセツ」

 スミレが淡々とした口調で名前を呼ぶ。その言葉に価値がないかのように、何の思いも込められてはいない。

 コウセツは布団から顔を上げると、スミレの方を見て固まった。まるで蛇をみた蛙の様に表情が強張り、青ざめている。

「エミナの言ってた事、本当?」

「ち、ちが」

 スミレの手が動いたかと思うと、コウセツの顔のすぐ横に鍵が突き刺さる。数センチ突き刺す場所がずれていたら、コウセツの頬に鍵が突き刺さっていた。

 コウセツがそれを見て青ざめている間に、スミレはラックから小さな卵にコードの着いた物体や棒状の玩具を取り出した。どれも、紫やピンクなどで彩られ、下品な色気がある。

「私、嘘は嫌いだから、本当か、嘘か、で答えて?」

 スミレは手に持った物体を弄びながら、コウセツを見下ろす。黒髪艶やかな和風美人が玩具を片手に弄ぶと言う、淫靡な姿を見ても、コウセツの頬に血の気が通うことはない。

「ほ、本当だよ。中学の時に、お酒を飲んでその勢いで……」

 コウセツは、搾り出すように掠れた声で応えた。

「そう」

 スミレの手の中から、玩具たちが零れ落ちる。玩具たちは見た目と同じく、安っぽい音を立てて床を転がった。

「一つ聞かせて」

 スミレはベットの上で四つん這いになる。猫の様にしなやかに、身体をくねらせながら、スミレはコウセツに近づいていく。その目は爛々と輝いており、まるで獲物を狙うライオンだった。

 身体を震わせることしか出来ないコウセツの腹の上に、スミレは自身の尻を置くと、両手でコウセツの顔を挟み込む。

 滑らかな肌の感触がスミレの指に伝わった。陶器の様に冷たく滑らかな頬を、ビブラートに動く指で愛でる。

「私の事、好き?」

 コウセツは首を縦に振る。

「愛してる?」

 コウセツは首を縦に振る。

「じゃあ、エミナにした事、私にもして」

 コウセツは首を縦に振ろうとして、固まった。

「ううん、それじゃ駄目だね。エミナにした事より、凄い事して、いっぱい愛して、全部私に受け止めさせて」

 スミレは、瞳に力を込めてコウセツを睨む。胸の奥で生まれる燃え上がるような想いを外に出さない為だ。

 コウセツがゆっくりとスミレの頬を撫でる。

「ごめん、黙っててごめん。怖かったんだ。今の生活が壊れそうで」

 コウセツは優しく、スミレの目元を拭う。コウセツの指に水滴が付いた。

「コウセツ」

 エミナは穏やかな表情で、コウセツの頬を引っ張る。

「い、いひゃい、いひゃい」

 コウセツは涙目になって訴えるが、スミレの加虐は終らない。コウセツの頬に爪を食い込ませる。紅の雫が、エミナの爪を彩る。

「私、怒ってるんだよ。分かってる? エミナと寝たのはいい。どうせ昔の事なんだから、今更、どうこう言う気はないけど、だけど」

 スミレは頬を引っ張る。

「昔、エミナと寝たぐらいで、私がコウセツに愛想を尽かす、て思われてたのは、嫌だ。

 本当に、心底嫌だ。

 私はその程度じゃ、コウセツに愛想を尽かさない。今、浮気してるなら、話は別だけどね」

 スミレは頬から指を離すと、一転して優しく撫で回す。コウセツの頬から出た血が自身の頬に隠微な赤線を描いた。

 コウセツの頬がスミレの指に吸い付く。

「スミレ、そんな事しないよ。僕は、スミレが好きなんだから、浮気するにしても相手はスミレがいい、エミナは嫌だ!」

 コウセツがスミレの目を見ながら宣言した。スミレは、コウセツの瞳の奥から真実を語る人間特有の煌めきを感じ取る。

「分かったよ。だから」

 スミレはゆっくりとコウセツの上にしなだれかかった。服を通して、早鐘の様に鳴る互いの心音が共鳴する。

 スミレはコウセツの耳に唇を寄せ、耳元をくすぐるように囁いた。

「それでも疑っちゃう弱い私に、教えてよ。コウセツが好きなのは私、コウセツが全てをぶつけたいのは私、だって事を」

 コウセツは短く

「うん、証明する」

と応えた。

 重なり合った影がうごめき、衣擦れの音が静かに鳴る。

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