六月一〇日
六月一〇日、委員長の号令でショートホームルームが終わり、気の早い生徒が駆け足で教室から出て行った。
ケンジは、ゆっくりと鞄に教科書類をつめていく。教科書を詰め込み終えて帰ろうと立ち上がった時、左ポケットが震えた。
ケンジは緊張した面持ちでポケットから、白い携帯を取り出す。
ケンジの携帯ではない。数日前、充電器と共に机の中に入っていたものだ。
携帯のディスプレイには、メール受信とそっけない一文が映っている。
ケンジは唾を飲むと震える指でメールを開いた。
『帰り道、一緒に帰る人間に、悪魔部について話せ。
嘘さえ吐かなければ、内容に指定はない』
ケンジはメールの文面を何度も確認する。しかし、内容が変わる事はなかった。
このメールの言うとおりにするか否か、ケンジは一瞬迷う。すぐに迷いを打ち消した。
このメールに逆らえる道理がケンジにはない。迷うと言う選択肢がありえなかった。
ケンジは携帯をポケットにしまうと、コウセツの席へ向う。
「コウセツ、帰ろうぜ」
「もう少しだけ待って。もうすぐ、こっちも終わるからさ」
コウセツはまだ教科書やノートを鞄に閉まっている途中だった。
ケンジは首を伸ばして、鞄の中を覗く。
教科書類が隙間なく鞄の中に入っている様子が見て取れた。さながら、出来の良いパズルだ。その代わり、まだ半分程度しか鞄の中に入っていなかった。
「まだ、終んないのか」
ケンジは自分にしか聞えない声量で愚痴ると、別の生徒に目を移す。その生徒が引力でも働かせている様に、ケンジの目は自然と吸い付いた。
艶やかな黒髪が目に入り、次に発育の良い肢体が視界を奪う。
風美人という言葉が良く似合う女生徒、スミレだ。
スミレは、大きく肩を落としているエミナの背中を軽く叩いている。落ち込むエミナをスミレが慰めているようだ。
視線を少し下、エミナの太もも辺りに移すと、握り締められたテスト用紙が見えた。
「ああ、点悪かったんだなぁ」
ケンジは最後の授業でエミナが上げた奇声の理由を察する。
最後の授業で中間テストを返却された時、エミナは猫のような叫び声を上げ、教室を凍りつかせた。
至近距離で叫びを聞いた教師は、まばたきも忘れて固まっていた。
その事を思い出したケンジは小さく笑う。そして、脳の奥から響く悪魔の囁きに耳をかす。
「これは、チャ~ンス」
いつも地味だと馬鹿にされてきた仕返しをする好機とばかりに、ケンジは黒い笑みを浮かべた。何気ない様子を装いエミナに近づく。
エミナはテスト用紙を見て、打ち震えていた。
「よう、え」
「あ、ケンジ、準備終ったから帰ろう。エミナとスミレさんも」
ケンジの声を遮って、コウセツが声をかけてきた。ケンジの手が所在なさ気に宙を漂う。
「あ、うん」
「そうね、帰る。どうせ見てても変わらないし、るぅるる~」
スミレは明るい笑顔で、エミナは暗いメロディーを口ずさみながら、コウセツへ駆け寄る。
そして、コウセツとスミレがエミナを慰めながら教室を出て行った。
ケンジは暫し伸ばした手を開閉させて居たが、教室のドアが閉まる音で我に返る。
「お、俺を置いてくなよ!」
慌ててケンジは鞄を掴むと、教室から駆け出る。
幸いエミナの足取りが重かったお陰ですぐに追いつく事が出来た。肩を落とすエミナを、両側からコウセツとスミレが慰めている。
ケンジはさりげなくスミレの隣に肩を並べた。
「お前らなぁ。一緒に帰ろうとか言っておいて、置いてくなよ」
ケンジは自分を置いていった事を抗議するが、コウセツ、スミレ、エミナの反応は非常なものであった。
「あれ? ケンジ、居なかったっけ。ごめん、気付かなかった」
「あ、一緒に帰るんだ。てっきり一人で帰ると思ってた。ごめんね」
「うっさい。こっちはそれ所じゃないのよ」
ケンジは草葉の陰で涙を流す。慰めてくれるものはくれなかった。
三人はケンジを無視して歩き去っていく。
暫く、その場でいじけていたケンジだが、階段を下りる足音が聞えた辺りで涙を拭い立ち上がる。
「ちょっとは慰めろよぉ」
ケンジの哀愁を帯びた呟きが、廊下に木霊した。ケンジは鞄をかつぎ直すと、駆け足で三人を追い駆ける。
生徒玄関前でケンジ達は、男女に二手に分かれた。
数年前に盗撮事件があり、げた箱が男女別に分けられたのだ。
げた箱にケンジが靴を仕舞うと、既に靴を履いたコウセツが振り向く。
「そう言えば、ケンジ、携帯変えた? 何だか色が変わってたけど」
ケンジは左ポケットに手を当てる。
「あ、ああ、格安で色だけ変えられるキャンペーンがあってな、気分転換に変えてみたんだよ。キ、キャンペーン中に元に戻すけどな」
額から流れる脂汗を鬱陶しく感じながら、ケンジは頷いた。
考える間がなかった所為で、とても嘘臭い内容だ。しかし、本当の事を言うわけにはいかなかった。
「ふぅん、変わったキャンペーンだね」
案の定、コウセツは首を傾げる。
「ま、まぁ、本当は最新の携帯に変えてもらって、その使い心地を体感して欲しいという趣旨らしいぜ。
ただ、俺のはその最新式の奴だからさ。色が変わるだけなんだよ。
いや、ホントは駄目なんだろうけどさ。
知り合いの店だったから特別にお願いできたんだよ。
いや、運が良かった」
背中を流れる汗に後押しされるように、ケンジはいらない事まで懇切丁寧に喋る。
コウセツは終始無言で聞いていた。
ケンジの口から言葉が出なくなっても、コウセツは無言だった。
ケンジの心臓が強く脈打つ。コウセツの一挙一動を逃さないように目に力を込める。
そして、ケンジの緊張が最高潮に達した時、コウセツは口を開いた。
「へぇ、良かったね。じゃあ、行こう。二人とも待ってるよ」
コウセツはあっさりと言うと、外へ歩き出す。
「ふぅ」
ケンジは大きく息を吐くと、コウセツの後を追った。
校舎を出ると、既に日は傾いていた。
夕暮れの中、ケンジ達は住宅地を歩く。
隣ではスミレとエミナが不毛なやり取りを行い。コウセツが仲介に入る。いつも通りのやり取りが、行われていた。
三人の輪の中にケンジは入っていない。まるで空気の様に扱われている。
輪の中心にいるコウセツは、幸せそうな顔でスミレとじゃれている。
コウセツに邪魔されているにも拘らず、スミレの顔もどこか嬉しそうに見えた。
その光景を隅で見せられたケンジは、言いようのない気持ちと共に声を吐き出した。
「なぁ、三人ともちょっといいか?」
スミレ、エミナ、コウセツの視線がケンジに集まる。
「え、なに?」
「テストと毛根が大変だから、くだらない事なら怒るわよ」
「あ、ケンジ、居たんだ。地味すぎて気付かなかった」
コウセツの口にしたNGワードに、ケンジの頬は引きつる。
「こら、最後! 地味言うな。普通が一番なんだよ」
ケンジは至極最もな意見を叫ぶ。
それに対して、コウセツはスミレとエミナの方を振り向いた。スミレとエミナが、困った様に頷く。
「そこ、一人だけ置いて、分かり合うなよ。しかも、凄く俺に不名誉な方向で」
三人の行動の意味を正確に汲み取ったケンジは、眉をつり上げて睨みつける。
しかし、ケンジの眉はエミナの一言で垂れ下げられた。
「だって、あんたさ、特徴なさすぎ」
「なっ」
あまりにもはっきりとした言葉が、ケンジの心を抉り取る。
「まぁ、学校で後姿見ても、区別できないんだよな。体格が平均的で特徴なさすぎて」
コウセツが同意するように何度も頷き、追い討ちをかける。
「そうだね。私服で人ゴミに入ったら、ナチュラルに背景化しちゃいそうな感じだよ」
そして、スミレが悪気のない一言で、ケンジは止めを刺された。
ケンジはその場に崩れ落ちる。しかし、慰めてくれる人はいない。
ケンジは目尻の涙を拭くと、再度三人に声をかける。
「まあ、いい。それより、ちょっと面白い噂を聞いたんだ。
うちの学園てでかくて人も多いだろ。だから、結構へんな部活があるのは知ってるよな?
そんな中でも、一等変な部活があるらしんだよ。
願いを何でも叶えてくれる部活、てのがさ。
その名も、悪魔部、て言うらしいぜ」
これで役目を果たしたとケンジは微かな達成感を感じると共に、何とも言えない重さを胸の内に感じた。




