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悪魔部へようこそ!  作者: AAA
雪村 コウセツ
21/29

七月三日

 七月三日、教壇の上で若い男の教師が黒板に書かれた証明を説明している。

 今年教員免許を取ったばかりの彼は、つっかえながらも丁寧に一つ一つ数式の意味を説明していた。既に教鞭を振るい初めてから三ヶ月、未だに緊張しているのか時折、声が震えている。

「で、あるからして、この場合サイコロの目が全て偶数かつ合計で三〇未満となるには、サイコロのうち、最低三個は二の目でなくてはいけな……あれ?」

 教師が慌てた様子で教科書を見た。はさんであったメモ用紙を取り出し、首が黒板とメモ用紙を何度も往復する。

 コウセツは黒板の辺りを眺めながら、あくびを噛み殺した。

 黒板に書かれた証明は、既に写し終えており、大体理解も出来ている。更には、教師のミスにも気づいていたが、わざわざ教える気はなかった。

 黒板の上の掛時計を見ると、時刻は一一時五五分、後五分で授業が終わる。

 教師に間違いを指摘しても板書を直すだけで精一杯だ。だったら、次回に持ち越しても同じだろう。

 コウセツはそう自己弁護しなら、胸に溜まる重いものを吐き出した。ため息の原因は、教師に助け舟を出さない罪悪感ではなく、休み時間が来る事だ。

 手に持ったペンを回しながら、昼休みを平穏に暮らす方法を考えてみるが、何も思い浮かばない。

 教壇上で教師が自身の間違いに気づいた所で、チャイムが鳴った。黒板消しで間違いを修正しようとしていた教師の肩が、大きく落ちる。

「今日はここまで、次の時間は今回の証明からはじめるから、皆しっかり予習しておくように」

 肩を落とした教師がそそくさと教材を片付け、逃げるように教室から出て行った。

「起立、礼」

 小さく丸まった教師の背中に、委員長の号令で全員頭を下げる。

 コウセツが下げた頭を上げると、教室がざわつき始めていた。

「今日もまたすごいミスしたね」

「うん、〇と六を見間違えるなんて、ありえなすぎでしょ」

「気づいた時は顔を真っ赤にして、可愛かったねー」

 コウセツは近場で聞こえる異性の歓声に、まともな高校生活を感じる。男の声も聞こえるが、女の声の方が耳に入りやすかった。

「コウセツぅ、お弁当食べよ」

 妙に甘ったるい声が耳に入る。

 コウセツは声の主に疲れた笑み向け、気付かれないようにため息を吐いた。

「はぁ、今日もか」

 声の主、スミレがスキップしながらコウセツへ向かってくる。両手に一つづつ弁当の包みを持ち、体中からフェロモンのように甘ったるい空気を垂れ流していた。

 コウセツは甘ったるい空気に胸焼けを感じながらも笑顔で立ち上がる。

「うん、それじゃあ、向こうで食べようか」

 コウセツはスミレの手を引いて、早足で教室から出た。

 先週の後半からコウセツはスミレと一緒に外で食べるようにしている。

 スミレがバカップル丸出し行為を要求する為だ。スミレ手作りの弁当を食べるところから始まり、あーん、ほっぺに付いたご飯粒を食べる、舐めとる、とだんだんエスカレートしていき、終に抱き合いながらお互いにあーんまできてしまった。

 これを教室でやるわけにはいかない。コウセツには常識や羞恥もあり、なによりクラスメートからの黒い視線が恐ろしかった。あれは人を殺す事をなんとも思っていない目だ。

 今後の生活の為にも、これ以上クラスメートの心象を悪くする事はできない。

 そして、エミナと言う爆弾にガソリンと火を一緒に与えるのは馬鹿野郎だ、とコウセツは真剣に考えていた。

 コウセツは教室から連れ出した汚染物質を握る手に力を加える。

「あう、そんなにギュッとしたら照れちゃうよ」

 汚染物質が頬を染めてうつむく。

 初々しくかわいらしい仕草であったが、コウセツは反応しなかった。スミレのあざとい仕草にはもう飽き飽きしているのだ。

 付き合ってから一週間、毎日この白々しい仕草を見せ付けられていた。少女漫画のように甘すぎる雰囲気は食傷気味である。

「今日は、あっちの視聴覚室の奥に行こうか? あの辺りも人気がなくていい所だよ」

 コウセツは出来るだけ被害の少ない所を目指した。

 これ以上、潜在的な敵を増やしたくないのだ。

 スミレは何を勘違いしたのか、顔を真っ赤に茹で上げる。

「こ、コウセツ、人気がないのはむしろよくない場所じゃないかな? それより、校庭で食べたら、気分がいいと思うよ」

 スミレは窓の外を指差した。仕草とは裏腹に、スミレの目は潤み熱っぽい視線でコウセツを絡めとる。

「ん~、そうかも」

「え」

 コウセツが頷くと、スミレは一目で分かるほど落胆した。

 頬に注がれるすがりつく様な視線に、コウセツは良いのか悪いのかどっちだよと言いたくなる。しかしそれを口にはしなかった。言えば、更に媚びた仕草を見せ付けられる事は体験済みだ。

 コウセツは辺りに教師や生徒の影がない事を確認して、スミレの耳元に口を寄せた。

「でも、スミレと二人きりの方が良いよ」

 その一言で、スミレの顔が蕩ける。幸せそうに顔を緩ませて、満足気な笑みをこぼした。

「あう、私もだよ、コウセツ」

 スミレの口から漏れた熱い吐息が、コウセツの顔にかかる。

「じゃあ、行こう」

「うん」

 コウセツはスミレの手を引いて、視聴覚室へと向かった。視聴覚室の辺りに人気はなく、静まり返っている。

 コウセツは一度後ろを振り返るが、人気はなかった。

 日の光がリノリウム張りの廊下に反射しているだけだ。

 エミナの姿がない事にコウセツは、緊張の糸を緩める。人気のないところでエミナに会うのは、絶対に回避しなくてはいけなかった。

 今はスミレが隣に居るのだ、エミナが居たらどうなるのか、考えたくもない。六月二八日のような修羅場は、もう沢山だ。

 あの時の事を思い出し、コウセツは顔を青く染めた。

 不意に袖を引っ張られた。振り向くと、渋面を作ったスミレが足元を指差している。

「ここで食べるの? コウセツと一緒ならどこでも良いけど」

 そう言って、スミレは内履きで廊下をなでた。少々白っぽかった廊下が、本来の輝きを取り戻す。

「大丈夫、こんなもの持ってるから」

 コウセツはポケットの中から鍵を出し、視聴覚準備室のドアに差し込んだ。鍵はすんなりと鍵穴に収まる。

 コウセツが軽く手首をひねると、鍵が外れた。

 スミレは一連の動作に目を丸くする。

「どうしたの、その鍵?」

「映研の友達から借りたんだよ。自作映画の編集が始まるまで、て言う期限付きでね」

 コウセツは得意げに笑い、ドアを開けた。

 視聴覚準備室は狭く、コウセツが両手を広げるとどちらの指先も壁に触れそうだ。ドアから窓際までの距離は、普通の教室と変わらないはずだが、無性に長く感じる。

 窓をさえぎるようにラックが置かれ、USBケーブルや八ミリフィルム、プロジェクター等が片付けられていた。

 コウセツの後から入ったスミレが、声を上げる。

「あ、これ、すごい、本物みたいだぁ」

 スミレは右手に設置された巨大な音響機器を指差した。

 壁に埋め込まれている音響機器は、黒い机に大量のコントロール用のボタンがある。壁にはなにやらランプが張り付いていたが、コウセツには詳しく知らなかった。

「まあ、ここでいろいろ映画の編集をするらしいから、そんな設備があるんじゃない」

 コウセツは、壁に立てかけられているパイプ椅子を二つ取り出す。一つをスミレに渡し、もう一つのパイプ椅子に座った。

 抱き合いながら食べるのは、遠慮したいのだろう。頬を膨らませるスミレを、コウセツは無視した。

 音響機器の隣に置かれたパソコンのキーボードやマウスを、ディスプレイの上におく。

 スミレの作った弁当が、ディプレイ前に出来た空きスペースに置かれた。

 スミレは弁当の包みを開けると、大きい方をコウセツに差し出す。

「はい、コウセツ」

「ありがとう」

 コウセツは受け取った弁当の中を見て顔を綻ばせた。

 スミレと付き合って、唯一の特典がこの昼食だ。

 弁当は上半分がおかず、下半分がご飯とスタンダードな構成である。内容はとても高校生が作ったとは思えない程手間がかけられていた。

 メインのおかずである焼き鮭にはマヨネーズと香料を混ぜたそのソースがかけられており、食欲を誘う。

 鮭の隣では銀紙で仕切られた煮物が鎮座していた。一口大のぶつ切りにされた大根、蛸、たけのこ、しいたけには醤油の色が艶やかにしみ込んでいる。

 口直しにだろう、キュウリとにんじん、大根の酢の物があった。野菜は食べやすいように短冊状に細長く切られており、三色が色鮮やかに盛られている。

 ご飯にも手が込んでいた。白米とシソの葉の混ぜ物の二種類の俵むすびが交互におかれており、上からごましおが振りかけられている。

「じゃ、いただきます」

「いただきます」

 コウセツが手を合わせ、スミレがそれに続いた。

 コウセツは朱色の箸を手に取ると、素早く鮭の切り身に手を伸ばした。グズグズしていてはスミレのあ~ん攻撃を受けてしまう。

 残念そうに箸を加えるスミレに気づきながらも、コウセツは気づかない振りをした。

 コウセツはしっかりと焼かれた鮭を箸で切り分け、ソースを絡めて口へ運んだ。鼻腔いっぱいに香料のツンとした香りが満ちる。鮭の油とマヨネーズの酸味が口の中に広がった。

「ん、おいしい」

 コウセツの口から自然とこぼれた言葉に、スミレの顔が喜びで崩れる。

「えへへ、そう言ってもらえると、朝五時からがんばった甲斐があったよ」

 スミレの五時と言う単語に、コウセツはげんなりとする。毎回、時間を報告されている所為で、五時には台所に立っていた事実に対する感動はなくなっていた。

 こういうあざといポイント稼ぎがなければ鬱陶しくないのに、と思いながらも、無言で俵むすびを口に放り込む。

 俵むすびの塩加減が絶妙だった。舌先にかすかに感じる程度の塩気が、米の甘みを増幅する。海苔も萎びておらず、口の中で小気持ちよい音を鳴らした。

 コウセツは一心不乱に食べる。何度食べても飽きる事はなかった。むしろ、食べる毎にこの味に魅了されていく。

「どう、コウセツ、おいしい?」

「うん、おいしいよ」

 コウセツは口に食べ物を入れたまま頷いた。

「そっか良かった」

 米一粒も逃さないように食べるコウセツを見て、スミレが嬉しそうに笑う。

 コウセツはその笑顔と弁当を見比べ、このままスミレと付き合ってしまおうか、と考えてしまった。

 媚のないスミレの笑顔は可愛いし、料理は絶品だ。正直、この料理を手放すのは惜しかった。

 恋人であるサチエの泣き顔が脳裏に浮かび、コウセツは自分の雑念を払う。自分の恋人はサチエだ、と言い聞かせながら、コウセツは弁当を胃に詰め込んでいった。

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