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悪魔部へようこそ!  作者: AAA
雪村 コウセツ
19/29

六月一六日

 六月一六日、木曜日、コウセツは昼食を一緒に食べようと誘うエミナを振り払い、何かから逃げるように早足で部活錬に向かった。

 顔色は悪く、真っ青である。

 赤いテープが付いたドアの前で、コウセツは立ち止った。左右を見て誰もいない事を確認すると、素早く中へ入る。静かにドアを閉めて、鍵を閉めた。

 コウセツはドアに耳を付けて、廊下の様子を探る。廊下に人の気配がない事を確認し、胸を撫で下ろした。

「よし、追って来てないな」

 青ざめた顔に、若干赤みが戻る。今朝から張り詰めていた神経が緩んだ。

「ようこそ、名も知らぬ隣人」

 何の前触れもなく声が響く。その声は妙に甲高く機械的で、生身の人間が発する事のできる種類ではなかった。

 不意打ち気味に声をかけられたコウセツは、慌てて室内を見渡す。

 室内には、学生用の机とスピーカーが一つあった。他に物はない。殺風景な部屋だ。

 先ほどの声はスピーカーから出たものだろう。

 耳を澄ますと、スピーカーからノイズが聞えてくきた。

「願いは何だ?」

 スピーカーから一方的に問われる。

「願いは何だ?」

 戸惑うコウセツを無視して、スピーカーは再度問うた。

 はじめは驚いていたコウセツだが、すぐに問いの意味を理解する。

「あんたがなんでも願いを叶えてくれる悪魔部の悪魔さんなんだね?」

「……悪魔部の悪魔かは分からない。ただ、願いを叶えるだけだ」

 コウセツはスピーカーの応えに、不満そうに鼻を鳴らした。

「願いを叶えられるなら、証拠を見せてよ」

「何故だ?」

「僕の願いを叶えられなかったら困るんだ。だから、願うなら確実に叶う保障がほしいんだ」

 コウセツは口元に嫌な笑みを張り付かせながら、堂々と勝手な事を言う。

 勝手な事を言いながらも、怪しいギミックがないか室内を一瞥した。スピーカーからコウセツに声をかけたのだ。何かしら室内の様子を観察できる仕掛けがあるはずだった。

 しかし、室内におかしい所は見当たらない。机とスピーカー以外に監視カメラがあったが、廊下や体育館、校庭等でよく見かけるもので特別珍しいものではなかった。

「分かった。窓の外を見ろ」

 コウセツはスピーカーの声に従い、窓際に立つ。中庭で昼食を食べる生徒達がガラス越しに見えた。

「こんな所に立たせて、これから面白いショーでも始めるのかな? 悪魔の力で中庭にいる連中を全部殺す、とか?」

 コウセツは忍び笑いをもらす。そんな事は出来るわけがない、と決め付けていた。

「それが願いならば、叶えよう」

 スピーカーは淡々と言う。

 感情の篭らない口調に、コウセツの顔が強張った。あまりにあっさりとした様子に、出来るのか、と言う不安が胸を刺す。

「それは、願いじゃないよ。それより、何を見せてくれるわけ?」

 コウセツはもう一度笑おうとするが、口元が引きつるだけに終った。

「因果律への干渉だ。中庭、中央にいる眼鏡をかけた生徒が居るだろう?」

「居るね。木下で一人弁当を食べてる。友達いないのかな」

「その生徒の上に水が降り、水浸しになった生徒は左隅のベンチで食事をしている女子生徒に連れられて保健室に行く。

 その後で、本を片手に持った男子生徒が東口から中庭に入り、足を滑らせて頭を打ち病院へ行く」

「ふぅん、本当かな?」

 コウセツは気のない返事を返す。

 仮にスピーカーの言う通りの事が起こったとしても、それは何の保障ならない。エキストラを使った演出の可能性がある。

 そして、コウセツはこの悪魔部を胡散臭いと感じていた。

 この場所を知った経緯もかなり怪しいものがある。

 今日の休み時間、移動教室中に偶々他のクラスの生徒が悪魔部について話しているのを盗み聞いたのだ。それすらもコウセツをはめる為の芝居だったのかもしれない。

 そこまで考えて、コウセツは馬鹿らしいと頭振った。

 そん手の込んだ事をして得する人間などいない。考えすぎだった。

 コウセツは、大人しく悪魔部の悪魔、その力を見せてもらいましょ、と心の中で呟く。

 そして、それは起こった。

 一人弁当を食べていた生徒に空からバケツが落ちる。バケツは生徒の頭に直撃し、そのまま生徒の頭をすっぽり収めた。

 当然、バケツの口は下を向く事となり、生徒はバケツの中に入っていた水を全身に被る事になる。

 驚いた生徒は立ち上がろうとするが、そのまま足を滑らせて転んだ。

 近くで見ていた生徒が遠巻きに観察する中、女子生徒がバケツを被った生徒に駆け寄る。

 バケツを被った生徒は足をくじいたらしく、足を押さえていた。

 女子生徒はバケツを取ってやると、自身が濡れる事も構わず濡れた生徒に肩を貸し、中庭から出て行く。

 行き先は保健室だろう。

「ここまでは、本当みたいだね」

 コウセツは引きつる口元を隠しながら呟く。言いようのない怖さを感じながら、視線を既に東口に向けた。

 女子生徒と濡れた生徒と入れ違いに、東口から男子生徒がやってくる。

 男子生徒は本を読みながら歩いた。これは、本を持って歩いているとも解釈が出来る。

 男子生徒は大きく足を広げ、本を読んでいるとは思えない速さで歩いていた。男子生徒は東口から真っ直ぐ進み、西口に向かっているようだ。

 途中、バケツの水がばら撒かれた上を通るが、別段足を滑らせることはない。

 コウセツは安堵の吐息を漏らした。

「なんだ。最後の最後で外れたじゃないか。散々、驚かせておいて、ハッタリだったの?」

 小馬鹿にしたように笑うコウセツの目の前で、男子生徒の足が跳ね上がった。

 男子生徒はそのまま見事に後頭部から倒れ、動かない。どうやら気絶しているようだ。

 何が起きたか理解しようと、コウセツは窓にへばり付く。

 男子生徒の足元には、排水溝と誰かが捨てたビニール袋があった。どうやら、排水溝の上に乗ったビニール袋を踏んで、足を滑らせたようだ。

 足の裏が濡れていた事も原因の一つだろう。

 あっけに取られた様子で、コウセツは窓の外を見た。

 何処からともなくサイレンが聞えてくる。誰かが救急車を呼んだようだ。

「これで満足か」

「これは、本当の事でいいの……かな?」

 コウセツは振り返ると、信じられない顔付きでスピーカーを見下ろす。寒々とした恐怖が全身に絡み付いてきていた。

「ああ、そうだ。現実だ」

 スピーカーから聞える無機質な声が、強い恐怖となってコウセツの身体に絡みつく。

 自然とコウセツの呼吸が早くなった。

「改めて聞こう、願いは何だ?」

 その一言に、コウセツは自分が願いを叶えに来た事を思い出す。

「エミナと二度と関わらないようにしたい」

 口に出すと同時に、コウセツの胸から何か重石が取れた。今まで我慢してきたものが恐怖と共に開放される。

「死んでも会えなくなるが、良いのか?」

「構わない。むしろ、そっちの方が清々するよ」

 コウセツは、溜まっていたものを吐き出すように続けた。

「エミナは可笑しい。

 正気じゃない。

 気が狂ってる。

 昨日、ストーカーしてたんだ。

 それだけじゃない、その後携帯に電話をかけてきた。それも一時間休まず、だ。着信拒否をする間すらない。

 その後は、同じ文面のメールが一晩中ずっと届くんだよ。全部自分が僕の恋人だ、と言う内容なんだ。

 結局、携帯のバッテリーを抜かなきゃ寝る事だって出来なかった。

 今も、怖くて携帯なんか持ってられない」

 昨日の夜を思い出したのか、コウセツの顔が真っ白になる。声はどんどんヒステリックになり、息遣いも荒くなってきた。

「その上、あいつ、今朝は何もなかったように笑うんだ。

 信じられるか?

 きっと一晩中メールしてたんだ。

 その癖、朝六時に家を出たら、玄関前でエミナが笑っておはよう、て言うんだ。どんなホラーだよ。

 エミナと死んでも会えなくなる?

 ああ、結構だね。最高だ。ハハハ、笑いが止まらないよ」

 コウセツは腹を抱えて笑う。真っ白い顔の中で、唇だけが紫に変わっていた。ハの字に曲げられた眉の下で、目だけが忙しなく動き回っている。

「願いを受けよう。しかし、人の繋がりを切り離すには、それなりの力がいる。隣人、君の力も必要となる」

 コウセツの笑いが止まった。くの字に曲がった姿勢を正し、爽やかな笑みを浮かべている。

「何をさせようって言うのかな? まさか、エミナを殺せとか言わないよね? それじゃあ、本末転倒だ」

「違う。

 今から六日後の昼休み、隣人、君は大崎スミレと言う女子生徒からメールを受ける。

 そのメールで、校舎裏に呼び出される事になる。そこで君は、大崎スミレに告白される。

 その告白を受けて、付き合えばいい」

「待ってくれ、それは困る」

 コウセツは首を大きく横に振った。

「僕には他に恋人がいる。その告白は受けられない。むしろ、迷惑だよ」

 コウセツの脳裏にサチエの顔が浮かぶ。頭の中のサチエは、柳眉を逆撫で烈火のごとく怒っていた。

「大丈夫だ。その程度のアフターサービスは既に術式に組み込んである。

 大崎スミレの告白を受ければ、大崎スミレ、今宮エミナの両名と、二度と会う事はなくなる。

 遅くとも二ヶ月、その間だけの我慢だ」

 スピーカーの言葉に、コウセツの額に脂汗がにじみ出る。

「……詳しくは聞かないけど、その所為で恋人と別れる可能性はあるのかな?」

「ない。安心しろ、隣人。怯えずとも、君の願いは叶う」

 最後の一言にコウセツの眉が跳ね上げるが、コウセツの口元には笑みが張り付いたままだ。

 コウセツは少し逡巡した後、言った。

「分かった。本当に貴方の言う様にスミレさんが告白してきたら、全部信じるよ。そうでなかった、この事は冗談として忘れる。別にいいだろう?」

「もちろんだ隣人」

「ならよかった。それじゃ、退散さあせてもらうね。もう、昼休みが終わりそうだし」

 コウセツは腕時計で時間を確かめる。昼休みは残り七分程しか残っていなかった。教室に帰る時間を考えるとゆっくりしている余裕はない。

 ドアから出ようとするコウセツに、スピーカーが思い出したように声をかけた。

「ああ、それと、告白の時、携帯電話は新しいものに変えておけ。

 今、隣人の持つ携帯は、大宮エミナの念がしがみついている。それがあると、失敗する可能性がある」

「ご忠告感謝する。今日にでも早速、新しいものに換えるよ」

 コウセツは振り返らず応えると、ドアから出て行く。その顔は、昼休み前に比べて少々血色がよくなっていた。

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