六月一四日
六月一四日、火曜日、コウセツはゆっくりと帰り仕度を進める。既に教室からは半数の生徒が居なくなっていたが、それを気にする様子はなかった。教室の生徒がいなくなる時を待っているようにみえる。
コウセツは空になった机の中を探りながら、横目で女子生徒を盗み見た。
目に付くのは、平均的な女子校生の三分の一もないであろう胸部、その見事な寸胴体形は一本の棒の様だ。
さらに視線を上げると、勝気な印象を与えるツリ目と目が合った。
「コウセツ、まだ終らないの?」
「もうちょっと時間がかかりそうだね。エミナ達は先に行っててよ。すぐ追いつくから」
コウセツは女子生徒、エミナから視線を外すと、何かを探すように鞄の中を覗きこむ。
「何か見当たらないなら手伝うわよ」
「うんうん、そうだよ。何探してるか教えて」
エミナとその隣居た黒髪が艶やかな和風美人、スミレが、コウセツの方へ歩いてきた。
コウセツは小さく舌打を打つ。
別段、コウセツに探し物などなかった。エミナと一緒に帰りたくなかっただけだ。
昨日、エミナは、何処から聞きつけてきたのか、コウセツの恋人、サチエについて尋ねてきた。その場は誤魔化したが、エミナは疑わしそうな目でコウセツを観察していた。
エミナが納得していないことは明らかである。
この話を蒸し返えさない為にも、コウセツはエミナと距離をおきたかった
「大丈夫、もう見つかったよ」
コウセツは爽やかな笑顔を作り、手早く鞄を閉める。
「なら、いいけど、それじゃ帰ろっ」
エミナは特に言及もせず、コウセツから背を向けた。
「コウセツ君、早く行こう」
満面の笑顔を浮かべたスミレが、コウセツの視界に入る。
「今日は皆で近くの屋台のバナナクレープを食べるんだから、それもエミナのおごりで。早くしなきゃ」
「ちょ、まっ、待ちなさいよ」
エミナは鬼気迫る形相で振り返った。
「あれは、ノートを借りたお礼に、スミレにだけおごるだけでしょ。と言うか、近くの屋台って、あの一つ一〇〇〇円もする馬鹿高いクレープの事言ってんのあんた!」
心底嬉しそうに笑うスミレに、エミナが抗議の悲鳴をあげる。
「えー、いいじゃない。エミナはノートが借りられてハッピー、私達はおいしいクレープが食べられてハッピーなんだから」
ね、とスミレが可愛らしく小首をかしげる。異性なら納得してしまいそうになる力を持った仕草だが、同姓の前では効果はなかった。
「それじゃ、いきなり三〇〇〇円もむしりとられる、あたしのアンハッピーはどうなるのよ」
この世の終わりでも見た様に、エミナの顔が哀しみに歪む。
「気にしない、気にしない」
「気にするわよ!」
コウセツは、二人の漫才を一歩はなれた所から、生暖かい視線で見守った。手を出せば被害が自分に集中すると判断したのだ。
「このままこっそり帰ろうか」
と、心の呟きを口から垂れ流すコウセツの肩が叩かれる。
「よ、コウセツ」
コウセツが後ろを向くと、特徴のない男子生徒が立っていた。髪はスポーツ刈りにされ、顔は良くもなく悪くもなく、体格も中肉中背と言う、特徴を見つける事に苦労する少年だ。
「何か用、ケンジ? それと登場はもっと派手にやらないと、地味すぎて存在消えるよ」
コウセツは肩を叩いた男子生徒、ケンジに優しくアドヴァイスする。
「色々と話し合わなきゃいけない事があるようだな、親友。だが、今日は構わない。それより、明日、駅前に遊びに行かないか?」
「明日かぁ。どうしようかなぁ」
ケンジの提案に、コウセツは眉を寄せた。
明日の放課後の予定はない。
コウセツとしては、ケンジと二人きりなら付き合ってあげても構わなかった。問題は残りのメンバーである。
「スミレさんも呼ぶの?」
コウセツの口からスミレの名前が出た瞬間、ケンジの頬が朱に染まった。
ケンジの分かりやすい反応に、コウセツの口元がにやける。
「こ、今回は、別に誘わないさ。ちょっと男二人で気兼ねなく遊びたいだけだ」
そっけなく話すケンジの様子に、コウセツは青春だなぁ、と口の中で呟いた。
コウセツは未だに言い争っているスミレを一瞬だけ見る。艶やかな黒髪が、右へ左へと滑らかに踊っていた。
その隣で、わめいているエミナも視界に入り、コウセツは眉間に小さなしわを作る。
「うん、それなら、行くよ。でも、どこに行く気?」
コウセツが聞くと同時に、ケンジは肩に手を回し身を寄せた。丁度、円陣を組むような体勢で、ケンジは囁く。
「駅前のアブラカタブラあるだろ。あそこの地下一階に、何でも”じゅうはっさいいじょうのおとな”を対象としたコーナーが出来たらしいんだよ」
「うわぁ、アブラカタブラも思い切ったことするね。小学生も来るのに、エロコーナーを作るなんて冒険だよ」
ケンジの荒い鼻息を頬に受けながら、コウセツは何ともいえない表情を作った。
アブラカタブラとは駅前にある量販店の事だ。
中には、お菓子やジュース、服に布団、さらには家具にテレビ、パソコンまで、色々なものが並べてある。
値段も手ごろで、貧乏学生御用達の店として有名だ。
「ああ、俺もこの情報を聞いた時は驚いた。しかし、本当らしい。中に何があるか、今から興奮しないか親友」
鼻の下を伸ばすケンジに、コウセツは曖昧な笑みで応えた。
平均的な男子高校生らしすぎるケンジに、コウセツは一、二歩距離を置きたくなる。
「と、ともかく、明日はそう言う事で」
コウセツはケンジの腕の中から逃げようとするが、逆に引き込まれてしまった。
男臭い匂いが鼻につき、コウセツは顔をしかめる。
「下はTシャツでも着て、すぐ変装できるようにしとけよ。間違っても、制服で行こうとするなよ」
ケンジが真剣な顔で忠告する。瞳からは炎でもでいている様な熱い視線が発射されていた。
「分かってるよ」
いい加減、我慢の限界に来ていたコウセツは適当に返事をして、ケンジの拘束を振りほどく。
「それと」
そして、ついでに一発やり返す事にした。
「こう言う、いかにも怪しい事してます、と言いたげな仕草を今するなよ。こんな時こそ、クラスの空気と呼ばれる地味さを発揮して、地味に振舞ったら? と言うか、地味に派手にならなくていいよ」
コウセツはケンジの熱臭い行動に対する怒りと、昨夜のエミナの尋問で溜まったストレスをまとめて叩き付ける。
昨夜、コウセツは、エミナに恋人であるサチエの事をしつこく聞かれた。追求は十二時を過ぎても続けられ、エミナが諦めて電話を切った時には午前三時をまわっていた。
その所為で、昨日はサチエと話せず、今日の朝はいつもより寝坊して、寝不足で授業にも身が入らない状態だった。
と言うわけで、イライラしているコウセツの口調は冷たく、言葉は辛辣で、ケンジの心を砕くには十分すぎる破壊力だった。
コウセツは机に突っ伏しているケンジを見捨てて、スミレとエミナの方に意識を向ける。
二人の言い争いは終ったようで、スミレが口元に笑みを作り、エミナが空ろな笑い顔で立っていた。
エミナを無視して帰る訳には行かなくなったコウセツは、努めて爽やかな笑顔を作る。頬に手を当て、しっかりと笑顔が出来ている事を確認してから、コウセツはスミレの方へ歩み寄った。
「スミレさん、とエミナ、話し合いは終った、でいいんだよね?」
コウセツはこれから飛び降り自殺でもしそうなエミナの様子に、心の中でいい気味だ、と笑う。
「うん、終ったよ。これから皆でクレープ食べに行くんだよ、エミナの驕りで」
「アハハハハハ」
スミレが笑顔で勝利を報告する後ろで、エミナが空ろな笑い声を出す。焦点の合わない目に顎が外れていると思うほど広げられた口、何かが壊れてしまったエミナがいた。
見てはいけないものを見てしまったコウセツはすばやく顔を背ける。
数秒、コウセツはゆっくりと顔を上げると言った。
「じゃあ、早く行こう」
コウセツは白い歯を見せながら微笑む。視線はスミレの瞳にだけ向けられていた。
決して、スミレの後ろにいる幼馴染へ視線を動かそうとはしない。むしろ、逃げ出すように早足で教室の外へ向かった。
「うん」
スミレは大きく頷くと、まだ笑っているエミナの手を掴む。コウセツの様子に、何の疑問も持っていないようだ。
「それじゃエミナ、さっさと行こう。クレープが待ってるよ」
力任せにエミナを引き摺りながら、スミレは飛び跳ねるようにコウセツの後を追った。




