七月八日
七月八日、エミナがスミレを現象として認識してから一週間が経つ。
その間、エミナは何もしなかった。
そして、スミレにも何も起きなかった。学校に行き、クラスメートとじゃれあい、時々勉強後恋愛、非常に平穏な一週間といえる。
この一週間でエミナは様々な情報を入手した。
別段、目新しいものはなかったが、事実関係を補強するには十分すぎる情報だった。
目新しいものも一つ、二つはある。
悪魔部などと言う部活は存在しない。誰かの悪戯だったのだ。
エミナの願いが受諾されてから一一日が経過して、未だにスミレは生きている。それが証拠だ。
「まぁ、別にいいんだけどね」
淡々とした様子でエミナは手に持ったスポーツ用具に、タオルを巻きつける。
スポーツ用具は、一メートル程の細い棒の先端に、角を丸めた箱のようなものが付いていた。ゴルフのクラブ、ドライバーだ。
その先端にエミナはタオルを巻きつけている。
タオルを巻きつけ終わると、エミナは軽く振って感触を確かめた。思っていたよりも先端が重く体が流された様に感じたが、問題はない。
狙うのは手の平に収まる小さなボールではなく、人体なのだ。多少スイングが甘くても、外す事はない。
「マジカルステッキ~、これでどんなゴミ虫も、考える肉団子に大変身! 喜んでくれるかなぁ、コウセツ」
エミナはドライバーを振り回しながら、リビングへ戻った。
ドライバーを振る度に、家の壁紙や花瓶が破れ壊れたが、エミナは気にしない。
格子状の木の枠にカッティングされたガラスをはめ込んだドアの前で、エミナは一度立ち止まった。
これから行うことを躊躇ったのではない。
ただ、少々のシミュレーションが必要だったのだ。
ドアの反対側には一人が居て、一つがある。どちらも意識が失っているはずだが、もし起きていたらどうするか。
エミナは綿密な計画を立てる。
「……つだ」
ドアの向こうから女の声が聞こえた。
エミナはシミュレーションを中断し、声に耳を傾ける。
「ハハ、コウセツが居るよ」
何処か諦めきった声色に、エミナは少々の同情心が湧いた。
害虫駆除のニュースを見ながら、害虫に覚える同情心によく似た感情だ。
「せめて、苦しめて上げるから、さっさと排除しよ」
エミナは陽気に誓うと、躊躇いなくドアを開けた。ドアは音もなく開く。
「エミナァ!」
とても女が出したとは思えない濁りきった怒声に、エミナは眉をしかめる。しかし、それも一瞬の事だ。すぐに穏やかな笑みを、怒声の主に向けた。
怒声の主は、スミレだ。全身をガムテープとロープで固定され、まるで芋虫のように這いつくばっている。
「あれ、起きたんだ。早いね」
エミナはゆっくり、スミレに近づく。
近くで見るとスミレの顔は酷いものだった。黒く艶やかな髪を乱し、化粧は汗で崩れ、さながら幽鬼の様である。
「ちょうど良かった。今、起こそうと思ってたのよ。こっちの準備も終わったから」
エミナが手に持ったドライバーを高々と掲げる。
それが何をするものなのか分かったのだろう、スミレの顔から血の気が引いた。
「何、するの?」
「それはね」
媚びた顔でこちらを伺うスミレに、エミナは嬉しそうに宣言する。
「ドキドキ魔女狩りタ~イム。これからスミレには幾つかの質問に答えてもらいます。その結果、嘘があったらこのマジカルステッキでお仕置きしちゃうぞ」
エミナは昔見た魔法少女の決めポーズを取った。
「何で、何でこんな事するの?」
「そんなの決まりきってるじゃない。スミレがコウセツを騙して、私とコウセツの仲を引き裂こうとするからよ」
エミナはスミレの質問に答えてあげてから、ドライバをエミナの頬に振り下ろした。
鈍い音がして、スミレの体が横にぶれる。
その様子を見ながら、エミナは期待で心躍らせた。
既にエミナの頭の中に、スミレの事はない。この駆除が終った後、コウセツがエミナを誉めてくれる、と言う期待感だけだ。
「あ、これは勝手に喋ったペナルティーね。次やったら、全力でぶちかますから」
エミナは、おざなりの注意をスミレにする。
今すぐ殺す、いや駆除する訳にはいかなかった。
駆除するにしても、すぐに駆除されては困るのだ。きちんとスミレが害虫である事を、スミレとコウセツに理解させてから駆除しなくてはいけない。
スミレが長く生きていてくれた方が、労力が少なくてすむ。
「じゃあ、第一問、一昨日の昼休み、スミレは生ゴミ同然の汚物を無理矢理コウセツに食べさせた。イエスオアノー?」
エミナはゆっくりドライバーを振り上げながら、スミレの回答を待つ。
しかし、ドライバを頭上に上げ、数秒待ってもスミレの口は動かなかった。
「質問に答えなきゃだめでしょ」
エミナは躊躇う事無くドライバーを振り下ろす。
スミレの体が今度は反対側にぶれ、糸が切れた様に動かなくなった。
「死んだかな。ま、いっか」
うめき声一つ出さない様子にエミナはそう判断すると、この場に居る最後の一人へ歩み寄る。
最後の一人は椅子に縛り付けられている。
スミレとは違い胴体と二の腕を椅子の背もたれと一緒に巻きつけられているだけである。肘から先や足は自由に動かせる様になっていた。
「コウセツ、目を覚ましたら一杯お話しようね」
エミナは椅子に縛り付けられた最後の一人、コウセツの髪を愛しそうに梳きながら囁く。
「最初はビックリするだろけど、大丈夫、あたしがしっかり全部教えてあげるから。すぐによくなるよ」
忍び笑いを含ませながら、エミナは髪を梳き続けた。
壁にかけられた時計から軽やかなメロディが流れる。時計を見ると、午後三時になっていた。
「う」
時計のメロディがきっかけだったのだろうか、コウセツの口からうめき声が漏れる。
エミナはさらに優しくコウセツの頭を撫でた。丁寧に丁寧に、まるで最上のガラス細工を扱うように、傷一つつけまいとする心根が動作ににじみ出ている。
静かなリビングで、コウセツの目が開いた。未だ焦点の合わない瞳で、辺りを見回している。
エミナはどこかぼんやりとしたコウセツを抱きしめると、極上の笑顔と共に言った。
「おはよ、コウセツ。これからあたしが治療してあげるね」
コウセツは顔を歪ませて、エミナを凝視する。口は何かを言おうとしているのだろう。しかし、声は漏れずに魚の様に開閉するだけだった。
コウセツの身体は冷え切り、小刻みに震える。
エミナはコウセツを暖めるように抱きしめると聖母の様に微笑んだ。




