七月一日
七月一日、土曜日と言うことで四時間目の授業が終ると同時に、教室から生徒達がいなくなる。時計の針が一二時三〇分を示す頃には、二人の生徒を残し誰もいなくなった。
教室に残った生徒はどちらも女だ。一人は黒髪が艶やかな和風美人、もう一人は勝気な眼をした活動的な少女。
スミレとエミナである。
体面する二人の姿はことごとく反発しあう。
スミレの白い肌に対し、エミナの肌は日に焼けている。
スミレの胸が標準以上ならエミナの胸は標準以下、細く華奢な黒髪と太く生命力に満ちた太い髪、少し垂れ下がった瞳と目尻が釣りあがった瞳。
字面にすると、まったく正反対な二人だった。
決闘でも始めるようにエミナとスミレは対峙する。
先に動いたのはエミナだった。
「で、何の用なの、このあたしに?」
エミナは自嘲気味に笑う。スカートのポケットに入れた手には、先日買ったばかりのスタンガンが握り締められていた。
「うん、ちょっと相談したい事があって」
スミレが頬を染めて、身をよじる。
男に媚びる意図が透けて見える仕草と、予想外の用事にエミナは眉を寄せた。疑わしげに目を細め、スミレの一挙一動を観察するが、男を誑かすあざとい演技以外は何も見つける事が出来ない。
「あのね」
スミレは自身の指を絡めたまま忙しなく動かしていた。
俯、頬を染めた姿は、女のエミナから見ても可愛らしいものがある。
しかし、これにコウセツは騙されたと分かっているエミナは反吐を吐きそうだ。
頬を染めたスミレをつぶれたトマトの様に真っ赤にしたい。その衝動を抑える為に、敵情視察と自分に言い聞かせ続けていた。
エミナの葛藤に気付かないスミレは、なかなか本題に入ろうとしない。
何時間も待ったように感じながら、エミナは横目で時計を見た。
先ほどスミレが口を開いてから数分しか経っていない。
エミナが我慢の限界に来た所で、ようやくスミレの口が開いた。
「生理が来ないんだ」
たった一言で、エミナの世界から色が消えた。
「まだ二日遅れただけだけど、あ、赤ちゃんできてたらどうしよう?」
スミレは困ったよう顔で、愛しそうにお腹を摩る。
「よかったじゃない」
ぎこちない笑みを浮かべたエミナは、昔の白黒映画の様な世界の中でスミレの話を聞いていた。
「ありがとう、そう言ってもらえて、嬉しいな」
エミナはスミレの言葉を聞いてはいなかった。
目の前で戯言を囀る女の腹を思う存分蹴り潰したい衝動を我慢するだけで、精一杯である。
スミレの子宮を潰すには、まだ時間が必要だった。少なくとも、騙されているコウセツを救い出してから出なければ、スミレがコウセツにどんな酷い事をするか予想できない。
「やっぱり言った方がいいかな?」
スミレが媚びた上目遣いで聞いてきた。
エミナの体から強張りが消えていく。体から力が抜けたのではない。逆に、体中に等しく力がかかった結果、力が飽和しているだけである。
「ごめんね、こんな事相談できるの、エミナしかいないんだ」
幸せそうなスミレの顔が、エミナの視界一杯に広がった。
媚びるように甘えた口調で、友達として擦り寄ってくるおぞましさに、エミナは吐き気を覚える。
「どうしたのエミナ? 顔が悪いよ。具合、悪いの?」
いや、違う、エミナは自身の出した答えを否定した。
この吐き気の理由はおぞましさではない。スミレに対する、友情が原因だ。友達のスミレがここまで自分を痛めつけるはずはない、と言う思い込みと、現実の食い違いに体が耐えられないのだ。
普通、たった二日生理が遅れただけで、妊娠の心配などしない。せめて一ヶ月経ってから、ようやく妊娠の可能性を考えるだろう。
人に話すならば、妊娠検査薬での確認は行っていると考える方が妥当だ。
ならば、スミレがわざわざ相談しに来た理由は一つしかない。コウセツがスミレの子宮に精子を流し込まされている事を自慢し、二人の仲の深さを思い知らせる為だ。
エミナは心の中で笑う。まだ自分の中に、害虫に対する友情があった事が馬鹿らしかった。
原因が分かれば、対処は簡単である。
エミナはスミレに対する友情を全て握りつぶす。記憶の一つ一つを思い出し、あらゆる角度から荒を見つけ、独特の解釈でスミレがいかに醜く、汚く、気持ち悪い存在かを認識していった。
数学でエミナが分からない問題をこっそり教えて時、スミレは嘲笑っていた。
中学時代、エミナとスミレが母親の化粧品を借りてけばけばしい顔なった姿を携帯に撮りあった。きっと、後で皆に見せてエミナを馬鹿にした。
体育祭前日、エミナが階段で転んで足をくじいた。あれは、スミレに背中を押されたからだ。エミナは楽しみにしていたコウセツとの二人三脚が出来なくなった。
中学の修学旅行の時、
入学式の整列の時、
高校入試の時、
「あ、誰か来た。この話は別の時にしよ。じゃ、またね」
エミナが自身の記憶を再認識していると、スミレは鞄を持って教室から出て行った。エミナの視界からスミレの姿が消える。
ほぼ時を同じくして、エミナの記憶の再構築が完了した。
「勝手で、嫌な女。あたしがコウセツの恋人だって知ってるくせに」
エミナは眉をひそめ、呟く。
エミナの中でスミレと言う人は死んだ。あるのは、スミレと言う人の形をした現象だけだ。
エミナはスミレに対する想いは全て消し去る。
人間が現象に対して感情を持つ事はない。ただ、現象でこうむる不利益を対処するだけだ。
ドアから教師が顔を出した。
「あー、もう午後一時だ。用事がないなら帰れよ」
教師は緩んだ表情で、適当に注意すると、すぐ去っていく。
「はい、分かりました」
エミナは誰もいないドアに頷くと、鞄を持って教室を出た。
エミナは振り返り、綺麗に整列した机の中の一つ、スミレの席を見ながら呟く。
「悪魔部になんかやらせないよ。コウセツの為にあたしが直々に処理してあげる」
エミナは踵返し、ゆっくりと去っていった。




