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悪魔部へようこそ!  作者: AAA
今宮 エミナ
13/29

六月二八日

 六月二八日、火曜日、エミナは正門に寄りかかり、生徒玄関を鋭く睨みつける。目の下にできた濃い隈と乱れきった髪、張りや艶を失った肌が、異常な空気をかもし出していた。

 普段なら帰宅部の一団で混み合うはずの正門で、エミナの半径一メートルだけ人が寄り付こうとしない。誰もが、エミナから視線を逸らし、足早に去って行く。

 時折、冷やかし半分にエミナの様子を伺う生徒も居たが、エミナが睨みつけると足早に去って行った。

 周囲の様子にエミナは舌打ちを打つ。一週間近く荒らされ続けた神経が、更にささくれだった。

「さっさと来なさいよ」

 エミナは吐き捨てる様に呟く。自身が思っていたより剣呑な声色に、気持ちを落ち着ける様と深呼吸を始めた。

 待ち人が来た時、今の精神状態ではまともに話せないと自覚しての行動だ。

「来た」

 エミナは殺気の入り混じった視線を、生徒玄関から出てきたカップルにぶつける。

 カップルは清潔感溢れる男子と和風美人な女子の組み合わせ、コウセツとスミレだ。二人は肩を寄せ合い仲むつまじく歩いている。

 六日前、スミレがコウセツに告白をした。そして、二人は付き合う事になったらしい。

 エミナが知っている事はそれだけだ。告白の翌日に、スミレ本人から聞かされた。

 コウセツに付きまとう毒婦サチエの正体を知り、地獄に落とす計画を練っている最中に起きたサプラズ。混乱したエミナは、事実関係の把握に、五日間も使ってしまった。

 その五日間はエミナにとって地獄であった。

 目の前で、手に触れる事の出来る位の距離に、愛しいコウセツに付きまとう売女が居るのに、指一本触れる事は許されない。スミレに何かあれば、騙されているコウセツが自分を疑う可能性がある。

 腹立たしくもエミナは、細心の注意を払ってスミレを陰から守らなければならなかった。

 憎いから八つ裂きにしたくて、許せないから殺したくて、愛しているから守る。

 その矛盾が、エミナを日々やつれさせていた。

「あ、もう限界」

 何処となく清清しくエミナが宣言する。

「今すぐコウセツを更正しなきゃ、あたし我慢できない」

 コウセツとスミレが互いに指を絡めている姿に、張り詰めていたものが千切れた。

 エミナは二人の前に立ち塞がる。

 コウセツとスミレが驚いた顔を見せた。

「「エミナ」」

 二人の呼び声に、エミナは歓喜と憎悪を掻きたてられる。歓喜はコウセツが名前を呼んだ事、憎悪はスミレが名前を呼んだ事で生まれた。

 エミナはスミレを視界から外し、コウセツに近づく。

 コウセツの顔が強張った。

 恐怖に彩られた表情にエミナの胸が痛む。同時にコウセツを騙し、ここまで洗脳した罪人、スミレに対する怒り増した。

 コウセツを悪夢から覚ましてあげる、と心の中で呟き、エミナはコウセツの手を掴む。

「コウセツちょっと来て」

 エミナはコウセツの手を引いて校舎に戻ろうとした。

「お、おい、ちょっと待てよエミナ」

 歯医者を嫌がる子供の様に、コウセツは抵抗する。

「あなたの為に場所を変えてあげるの。大人しくついて来て」

「そ、そんな勝手な。話なら家で聞くよ」

「今! 今必要なの。お願いあたしを困らせないで」

 エミナは手を握る力を強くしながら、懇願するように頼んだ。

 エミナを愛しているコウセツを騙し誑かしたスミレへの憎悪が、自制出来ないレベルに達しようとしている。このままでは、この場でスミレを殴り倒してしまいそうだった。

「わ、分かったよ」

 エミナは、コウセツが素直に頷いてくれた事で、少しばかりの優越感と安堵を手に入れる。

 エミナは、コウセツの手を掴んだまま校舎に入った。

 エミナは無言で歩き続ける。すぐにでも叫んでしまいたい感情を、残り少ない理性が必死に押し止めていた。。

 たとえ騙されたとしても、たとえ洗脳されたのだとしても、自分以外の女と一緒に居るコウセツの姿に何も感じない程、エミナはコウセツに狂っていなかった。

 だからこそ、コウセツに対する深い愛と共に、別の想いも胸に溜めていた。コウセツを騙したスミレに対してだけではない。

 エミナは教室の前に来ると、荒々しくドアを開けた。

 教室の中では、地味に一人で掃除をしている男子生徒がいた。男子生徒は驚いたような顔をエミナ達に向けた。

「ケンジ、地味に何やってるか知らないけど、帰れ」

 エミナの突き放した物言いに、何か反論しかけたケンジだが、エミナの後ろ見て口を紡ぐ。

 何かに気付いたのだろう、大きくため息を吐くと、ケンジは鞄を持って教室から出て行いった。

 二人とすれ違う時、ケンジは咽を鳴らすように囁く。

「まぁ、がんばれよ」

 エミナとコウセツどちらにかけられた言葉かは分からない。

 エミナは忌々しそうに舌打ちした。

「地味根暗が」

 エミナがそう呟く。

 ケンジの姿が見えなくなると、コウセツの手を握っていた手が振り払われた。

「あー、痛てぇ」

 コウセツはわざとらしく腕を摩る。教室のドアを閉め、ゆっくり自分の席に向かった。先ほどまでの清潔感や、線の細さが消え、代わりに何処かふてぶてしさが現れる。

「はぁ、やっぱりコウセツは、そっちの方がカッコいいよ」

 コウセツの豹変を、エミナは恍惚とした様子で見つめた。

 コウセツは自分の椅子に座ると、侮蔑に満ちた顔でエミナを睨む。

「で、何の用だよ? 後、僕の名前を呼ぶな。気持ち悪い」

「何の用? そんなの決まってるじゃない。スミレとサチエ、あの二人は何なの?」

 エミナは蕩けるほど熱い視線から一転、凍りつくほど冷たい視線を突き刺した。

「何、てそりゃあ、カノジョと恋人じゃないかな?」

 コウセツは気軽に応える。サチエの事を知られていると言うのに、驚いた様子はなかった。

「浮気したって認めるんだ」

 冷え冷えとした声がエミナの口から漏れる。

 そして、コウセツがやはり騙されている、と確信した。

 コウセツを本当に好きなのはエミナだけなのだ。そうである以上、大して好きでもない雌がコウセツを騙して、自身の性欲を満足させているに違いなかった。

 少なくとも、エミナにとってそれ以外の答えはない。あってはいけなかった。

「浮気? ああ、確かに二股だね。でも、それ、お前には関係ないだろ」

 コウセツの言葉に、エミナは絶句する。信じられないものを見るように、コウセツを凝視した。

 お前には関係ない。

 たった一言が、エミナの世界を壊す。エミナは、自分の全てを否定された様に感じた。

 何も考えられなくなる。

 気管を通る空気が嫌に粘ついているように感じた。

「か、関係あるよ。だって、あたし、コウセツの恋人だもん」

 エミナはスカートを握りしめ、咽から搾り出すように呻く。

 それと同時に、頭の何処かで冷静な分析をしていた。

 コウセツは、やはり洗脳されている。だから、あたしの事をこんなに避けるんだ、とエミナの頭脳は彼女の知る世界でもっとも常識的な結論出す。その世界が、先ほどコウセツに否定された事は無視していた。

「やめろよ。はっきり言うけどな。お前のその狂った想いは迷惑なんだよ!」

 コウセツは激情を叩きつける様に、エミナを拒絶する。

「……狂ってなんかない。あたしは、あたしは、いつものコウセツが好きなだけだよ。コウセツは騙されてるんだよ。気付いて」

 例え騙されているとは言え、愛する人からの強烈な拒絶にエミナは泣きたくなった。

「ふざけんな!」

 はじける様にコウセツは立ち上がる。

「ふざけてなんか言いないわよ。コウセツは騙されてるの」

 エミナはコウセツを宥める為に抱きしめようと、手を伸ばした。

 しかし、コウセツは後ろに下がり、エミナの手は空を切る。

「何で逃げるの?」

 エミナはコウセツに手を伸ばしながら尋ねた。エミナの指はコウセツを求め、伸ばされる。

「何で、当たり前だろ! ここ二週間お前がやってた事を考えれば当然の反応だよ」

 コウセツの手が、エミナの手を打ち払った。

 エミナは打ち払われた手を胸に抱く。目尻から一滴涙が、頬を伝って床に落ちた。

「酷い、愛してるから、ちゃんとして欲しいだけじゃない」

 愛しているから浮気をして欲しくない。

 愛しているから自分を見て欲しい。

 愛しているから愛をください。

 エミナは胸の内にある欲求を言葉にしよとするが、うまく言葉を紡げない。

「別に、付き合ってるわけじゃない。どうしようと俺の勝手だろ」

 エミナは自身の世界が壊れた音を聞いた。

「そんなことない、絶対そんなことないよ」

「事実だろうが! いい加減認めろよ。このキチガイ!」

 コウセツが苛立ちを隠そうともせず、睨みつける。

 エミナは呆然とした様子で立ち尽くすだけだ。

 頭の中は、ぐちゃぐちゃだった。OSをウイルスに犯されたパソコンの様に、彼女の基盤が狂わされていた。正常な判断どころか、簡単なプログラムを走らせる事もできない。

 エミナの脳は神経網の全てにパルスを送り、自身の基盤の再構築と防衛だけ行う。

 壊れた基盤を取り除き、その部分にふさわしく、前回とは違う基盤を埋め込む。

 新たな基盤を埋め込んだ所為で出来る矛盾を、既存の基盤を塗り替える事で終始一貫したものにする。

 その工程は、誕生といっても差し支えないものだ。

 自身の根幹までエミナの人格はコウセツとの愛で形成されていた。

 特別な理由などない。生まれた時から一緒に居て、物心ついた時から恋をした。

 エミナの人生のほぼ全てが、コウセツへの愛で埋め尽くされていただけだ。

 だから、その基盤を壊す、エミナの人生を殺そうとするものを、エミナは許さなかった。

「何よそれ!」

 エミナは今までにないほど醜悪に顔を歪ませる。まるで肉食獣の様にエミナは、コウセツをにらみつけた。

 コウセツは恐れおののいたように、一歩後ろに下がる。

「逃げるなんて許さない」

 エミナの殺気に満ちた一言で、コウセツの体が遠目からでも分かるほど強張った。

「私の処女奪ったくせに!」

 エミナは胸のうちを吐き出すように叫ぶ。

 中学二年の夏、エミナはコウセツに襲われた。

 まだ夏の熱気が残るお盆の事だ。

 お互いの両親が旅行に行き、エミナとコウセツは二人きりの夜を過ごした。

 初めて過ごす両親のいない夜に、コウセツのテンションは高かった。中学に入る頃には使わなくなった粗雑な口調で、学校の馬鹿話に興じる。少なくとも、エミナの目にはそう見えた。

 エミナもコウセツに合わせて、馬鹿みたいに笑った。

 夜も深まり、コウセツのテンションが臨界まで高まった所で、エミナはビールを取り出す。

 一つはコウセツの分、もう一つは自分の分だ。

 お互いちょっとした好奇心のつもりでビールを飲んだ。

 そして、苦い、まずい、と言って笑いあった。それでも二人は飲み続け、気付いたときには何本もの空き缶が出来ていた。

 それから先をエミナはよく覚えていない。

 覚えているのは、コウセツに自分の胸を触らせたくだりだ。

 きっかけは色気がないとかそんな話だと思う。

 そして、事後、裸のコウセツと抱き合った所は覚えている。

 それだけだ。その間は殆ど覚えていない。

 しかし、翌日の朝、スカートの裏側や内股に付いた血痕や、腹部の痛み、そして裸で抱き合っていたコウセツ、そこまで条件が揃っているならば、もう答えは出ていた。

 エミナにとってそれは絆だった。どちらが誘ったのか、どちらが受け入れたのかはわからない。

 だが、二人が愛し合った結果だと、エミナは信じている。

「それなのに、全部なしにするなんて」

 許さない、と続けようとしたところで、教室のドアが開いた。

 エミナは開いたドアを見て、満面の笑みを浮かべる。

 開いたドアの先には、スミレが居た。

 コウセツは顔を真っ白にしている。

「あは、あははははは」

 エミナは笑った。自分の敵が、あまりにも良いタイミングで、馬鹿の様にやってきたのだ。これが笑わずしていられようか。

 エミナは嫌らしく笑いながら言う。

「ごめぇ~ん、コウセツぅ、ばれちゃったね、えへ」

 未だ動かないコウセツに抱きついた。エミナは出来るだけ身体を密着させ、自分と本当のコウセツの親密度を見せつける。

「スミレもごめんね。

 本当はもっと早く言わなくちゃいけない事だったんだけど、スミレがあんまりにも幸せそうで、哀れだったからさ、言えなかったんだ。

 本当に、ごめんね」

 心では嘲りながらも、エミナは言葉だけの謝罪をする。

 愉快だった。

 さっきまで自分を苦しめていたクソ女が、今では呆然と立っているのだ。これが面白くないわけがない。

 エミナは、哀れなスミレが次に行う行動、すなわち逃走を待つ。その負け犬じみた背中を嘲笑う為だ。

 しかし、エミナの夢想が叶う事はなかった。

 スミレは無表情のまま、エミナに近づいてくる。

 エミナの笑い声が少しづつ静まっていく。

 スミレの瞳は真っ直ぐエミナを貫いている。その瞳に、怒りや憎しみの色は感じ取れない。澄んでいるわけでも濁っているわけでもない。

 ただの瞳だ。平均的な人間の瞳だ。特別なものはない。異常なものもない。ただの瞳だ。

 エミナは知らず知らず、歯を食いしばる。動く事は出来ない。腕にある温もりを離したくなかった。

 好きな人の温もりを味わい続けたい。そんな当たり前の欲望が、当たり前でないこの場で作用する。

 スミレがエミナの前で止まった。

 スミレの瞳にエミナの顔が映る。酷い顔だった。眉間にシワを寄せ、眉をつり上げ、口は笑い、目は濁り、頬は落ちている。人の作れる表情とは思えない。

 そして、スミレの拳がエミナの顔面に直撃した。

 一瞬エミナの意識が飛ぶ、エミナは二、三歩よろけて仰向けに倒れた。

 巻き込まれた机や椅子が盛大な音を奏でる。

 体中が痛みを訴える中、エミナは虚空を見つめる。少しづつ意識の焦点が合い、鼻から血を流している事に気づいた時、エミナは起き上がる。

 エミナの視界の先では、スミレがコウセツの手を引いて、教室から出ようとしていた。

「スミレェ」

 エミナは鼻を抑えながら叫ぶ。

「あんたコウセツを何処に連れてく気! コウセツはあたしのだ! 髪も目も爪先も全部、全部、あたしんだっ。あんたなんか、お呼びじゃないんだよ!」

 エミナは濁りきった声で訴える。自分の全てを奪うな、と瞳に力を込め、スミレを睨みつけた。

 対するスミレの反応は、冷笑だった。まるで阿呆を見るように鼻で笑い告げる。

「今更過去を引き合いに出すなんて、どうしようもなく醜いね。今、コウセツが好きなのは私だよ。お古はさっさと消えて、ま・け・い・ぬ・さん」

 スミレはエミナの姿を舐める様に眺め、去っていった。

「殺してやる」

 エミナは、スミレの去ったドアを睨む。

「殺してやる。絶対殺してやる」

 呪詛に満ちた言葉をエミナは呟き続ける。この場に居る全ての人間を呪う、差別のない無邪気な呪詛が教室に漏れ響いた。

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