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血染めの月光軌  作者: 如月 蒼
第一章 創造祭編
9/61

第6話 姉弟愛

 編入試験の翌日の朝。

 編入生レゼル・ソレイユの噂は、瞬く間に広がっていた。

 曰く、創造術(クリエイト)の使える《(クラウド)》。

 曰く、《白銀の創造術師(シルバリー・クリエイター)》レミル・ソレイユの隠されていた弟。

 その話題は創造祭(そうぞうさい)が近付き少々浮き立つ創造学院を一夜にして震わせたのだ。

 だから、ロナウド・コバードが退学になったというニュースは、全く話題に上らなかった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 リレイズ創造術師育成学院(クリエイターいくせいがくいん)、男子寮の最奥の部屋。

 灰色の髪と漆黒の瞳という《雲》の少年と、緋色の髪の少女は、具材たっぷりのベーグルを頬張っていた。

 セレンが作った朝食だ。

 ハム、トマト、レタス、卵、セレンお手製のソースが真ん中に穴の空いた丸いパンに挟まれている。

 時間的、ではなく、空間的に朝の無くなった世界では、野菜などは地下栽培室(ジオプラント)で栽培されている。

 ソファに座っている二人は、創造学院の制服を来ていた。起きたら、部屋のドアノブに制服の入った紙袋が掛かっていたのだ。おそらくルイサが持ってきてくれたんだろう。

 黒を基調とした男子制服と、白を基調とした女子制服。

 二人はそれを、既に着こなしていた。全く違和感がないのは、二人が制服というものに慣れているからだ。

 何時も通りに美味しい朝食を食べていた時、レゼルは部屋の前に誰かの気配を感じた。

 彼の部屋は最奥。だから彼の部屋の前を通り過ぎるという人は滅多にいない筈だ。

 ベーグルを皿の上に戻して扉を注視する。隣を一瞥してみれば、セレンも食べる手を止めていた。

 ――結果、そんなに身構える必要は無かった。

 部屋にノックも無しに入って来たのは晴牙だった。

 身構えてしまったのは、これも癖だ。

「おっす、レゼル。セレンちゃん」

 軽く手を上げて軽い挨拶をする晴牙。

「おはよう、ハルキ。ノックぐらいしろ」

「おはようございます、ハルキさん。ノックぐらいして下さい」

「……」

 二人から同じ事を言われて晴牙は困惑した様子だった。

 しかし、勝手に部屋に上がってきて、テーブルの上のベーグルに目を()めた。

「何それ? 朝食?」

「そうだけど?」

「滅茶苦茶美味そう! つーか、ベーグルなんて食堂にも購買にも無いよな。もしかして、手作りか?」

「ああ。セレンの、な」

「ま、マジで? セレンちゃんって料理出来んの?」

 晴牙が吃驚した顔でセレンをまじまじと見詰めた。

「何か文句でも?」

 ベーグルを両手に持ったセレンは、晴牙を見上げて無表情に首を傾げた。仕草だけ見れば可愛いものだったが、放たれた台詞はキツめだ。

「いや、そんな事はねぇけど……」

「けど、何ですか?」

「な、何か意外だなって。セレンちゃん、小さいし」

「何処が小さいって?」

 セレンの声が三オクターブくらい低くなった。敬語も消えている。

「あ、ち、違う違う! そっちじゃ無くて、背! 背丈!」

 馬鹿だ、とレゼルは思った。

 食べ掛けのベーグルに再び手を伸ばし、セレンと晴牙を眺める。

「そっち、とは一体どっちでしょう? 貴方は何を思い浮かべたのですか?」

「あ、いや……」

「しかも、背が低いという発言も気にしている人には暴言に等しいのですよ。チビ、と言われるのと同じ事ですから」

「す、すまん……」

 口先の勝負はセレンの完勝だった。

「で、何か用があるんだろ?」

 残り少なかったベーグルを食べ終え、レゼルは晴牙にそう訊ねた。

 晴牙は食べるのを再開したセレン(のベーグル)に物欲しそうな顔を向けていたが、彼はすぐに表情を改めた。

「ああ、大した事じゃないが。昨日、色々あって訊けなかったけど、お前ってレミル様の弟なんだよな?」

「……レミル様?」

 自分の姉の妙な呼称にレゼルは眉を寄せた。

「あ、言ってなかったっけか? 俺、レミル・ソレイユのファンなんだよ。だからリレイズの創造学院に来たんだし」

「あぁ、成程」

 レゼルは納得して一つ頷いた。

 晴牙は極東の生まれでそこにも創造学院はあるのにリレイズに来た理由が分かったのだ。

 レミル・ソレイユは、十六歳の時にリレイズ創造術師育成学院の入学試験を受けているのだ。

 結果は、筆記試験・実技試験共に受験生のトップ。どころか、学院創始以来最優秀の出来だったらしい。

 だが、彼女は入学しなかった。それは、存在を隠し続けている《雲》の弟の為。

 十代半ばにしてフリーの傭兵であった彼女は、弟を守る為、弟の隣にずっといる為にどんな組織にも属さなかった。

 創造学院の入学試験を受けたのは、学院長ミーナ・リレイズに強制されたから。入学する事もしつこく勧められたが、彼女の「弟を守る」という覚悟は全く揺るがなかった。

 最強と名高い彼女は、当たり前のように色々な組織・団体からスカウトがあった。一日に一回あると言ってもいい程。だが、その全てを彼女は断っていた。当時は彼女とレゼルにしか知る由がなかったが、それは、弟を守る為。

 そんな彼女が、初めて許容したのがリレイズ創造術師育成学院の入学試験を受ける事だった。

 創造術師、一般人を問わず世界に数多いるレミル・ソレイユのファン。

 その中で創造術の才能がある者は、リレイズ創造術師育成学院に来たがる、というのは、レゼルも知っている事だった。

「で、本当に弟なんだよな?」

「ああ、そうだ」

 レゼルが頷くと、晴牙は興味津々といったようにテーブルに身を乗り出してくる。

「じゃあさ、レミル様って普段どんな感じだったんだ?」

「ふ、普段? レミ姉の?」

 姉の普段の様子、と言われても言葉に詰まる。

「そうだな……優しかった、な。それで、強かった。レミ姉は、誰よりも」

 晴牙は、レゼルのその言葉を聞けて満足したらしい。顔に年相応の少年らしい笑顔を浮かべて、嬉しそうに笑う。

「だよな、やっぱり。レミル様は最強だから」

 晴牙の発言に、レゼルも同意を示した。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 朝食は食堂で済ませたらしい晴牙と、一緒に皿洗いを済ませたセレンと共に本校舎へ向かった。

 セレンはルイサの補佐役という事で、職員棟に繋がる渡り廊下に歩いていった。

 そしてレゼルは本校舎最上階にある学院長室にミーナから呼ばれている。一年の教室がある四階で晴牙と別れ、階段を上り続ける。

 五階は空き教室となっており、学院長室のある最上階は六階だった。

 最後の階段を上ると(正確には屋上へ行く為の階段がまだあるのだが)、目の前に両開きの大きな扉が現れる。

 驚いた事に、六階のフロア全体が学院長室らしい。

 扉の横に設置されたセキュリティサーバーに近付く。すると、女性の声に似せた合成音声が流れた。

『サーバーの画面に掌を押し付けるがいい!』

 ウザい。とか思っていたら対応しきれないんだろう、あの学院長には。

 レゼルは我知らず溜め息を漏らした後、合成音声の言う通りにした。

 すると、画面にミーナの顔が映った。画面に置かれていた手を離す。

『レゼル君で間違い無いね。……はい、扉を開けたよ。入ってきて』

 彼女の言葉が画面越し――この場合、扉越しかもしれない――に聞こえたと同時に、ピー、という電子鍵(キー)の開く軽い音が響いた。

 一見木製の扉だが、よく見れば実技棟の壁と同じ強化素材で作られている。あたかも重厚そうな、押し開けば、ギィ、と音が鳴りそうな感じは、ミーナの趣味だろうか。

 実際は、電子音が鳴った後、自動で左右にスライドした。音を立てるどころか、押して開く形式でもない。

「失礼します」

 入室して浅く一礼する。

 シックというか少しレトロな雰囲気の学院長室では、ミーナがニコニコと笑顔を浮かべてレゼルを迎えた。

 埃一つ無い高そうな(値段的に)絨毯と、大きな業務机、壁際に並んだ蔵書の詰め込まれた本棚。

 昨日と変わらないスーツ姿の彼女は、椅子に腰を下ろし机に頬杖を付いていた。

 もしレゼルが女子寮の地下にある学院長の為だけの書斎を見た事があるならば、この部屋はそこと似ている、と感じただろう。

 レゼルには知る由もない事だが、こういう雰囲気が、ミーナの嗜好だった。

 レゼルが室内中央まで進み出ると、ミーナは姿勢を正した。

「おはよう、レゼル君」

「おはようございます」

 いきなり(とも思える)挨拶に、戸惑う事も不自然な間を空ける事も無く、レゼルは言葉を返した。

 ミーナの口元が、僅かに弛んだ気がした。

「改めて見てみると、レゼル君ってレミルに似てるよね。何か、雰囲気が」

「そうですか?」

 一瞬、姉に会った事があるのか、と思ったのだが、姉が創造学院の入学試験を受けたのは学院長(ミーナ)に強制されたからだったな、と思い出した。

「うん。似てる似てる」

 レゼルの顔を凝視して何度も頷くミーナ。

 そんな彼女を見て、レゼルは少なからず違和感を覚えた。

「……学院長は信じられるんですか? 俺が本当にレミ姉……レミル・ソレイユの弟だって」

 ルイサも晴牙も、最初は「本当なのか?」という顔をして、実際、それを訊ねてきた。

 だがミーナは、レゼルがレミルに似ているとまで言う程、信じきっている。そこには一片の疑いも無かった。

 その事に、レゼルは違和感を抱いたのだ。

 するとミーナは目を丸くして首を傾げた。(多分わざとやっている。)

「え? もしかして、弟っていうの嘘なの?」

「いえ、本当ですけど。でも突然弟なんて出てきたら、普通、少しは疑いませんか?」

「あぁ、うん、かもね。でも私の場合、突然じゃないんだよ」

 ニヤニヤと悪戯っぽい笑みを浮かべるミーナに、次はレゼルが首を傾げる番だった。(わざとでは無い。)

「私がレミルに無理矢理入学試験を受けさせたのは知ってるよね?」

「はい」

 無理矢理って自覚はあったんだな、と本気でどうでも良い事を考えながら返事をする。

「で、結局、レミルは入学しなかったじゃない? 正規創造術師(プロ)の資格を取った方が色々と明らかに有利なのに。まぁ、フリーの傭兵で資格が無かったとはいえ、レミルは人一倍稼いでたけど――ううん、違う。あれだけの強さを持ってあれだけ万人に認められていたのだから、人の三倍も四倍も稼いでいてもおかしくなかった。それが、人一倍しか稼げなかったのは、何処の組織・団体にも加盟しないで、何より、正規創造術師(プロ)の資格を持っていなかったから」

「……そうですね」

「そこに疑問を持って、訊いてみた事があるの。『どうして、正規創造術師(プロ)の資格を取らないの?』って」

 それは初耳だった。姉からは、聞いていない。

 レゼルは少なからず気になった。姉は、レミ姉は、何と答えたんだろう、と。

「そしたらね、笑顔で言われちゃったよ」

 ミーナは、クスクスと何が面白いのか笑っている。まるで子供が見せるような無邪気で無垢な笑顔。

 何時もの彼女が浮かべる、悪魔の笑みではなかった。


「『弟を守る為よ』って」


 レゼルは少し驚いた表情をしてしまうのを抑えきれなかった。姉が自分という存在を他人に話していた事が意外だったのだ。

 そんなレゼルを、ミーナは遠くを見るような目で見詰めた。

「愛されていたんだね、レゼル君は」

「はい。俺も愛されていたと思います」

「……さらっと言うんだね。普通、ちょっとは照れる所じゃないかな」

「そうですか? 別に姉弟ですし、これが普通では?」

 頭の上に疑問符を浮かべるレゼルを、ミーナは生暖かい目で眺めた。

 ちょっとシスコンの気があるみたい、と思っていると、レゼルが口を開いた。

「でも、姉が俺の事を話したんですか。学院長は姉に信頼されていたみたいですね」

 バレバレな猫被りをしている事といい、食えない人だなと感じていたが、姉が信頼していたならば、レゼルも信頼出来る。

 まぁ、今の話が全て嘘という可能性も低いだろうがなきにしもあらずなので、油断ならないが。

「まぁね。なんたって私は、レミルに先生って呼ばれてたんだよ。……残念ながら、創造術師(クリエイター)としては彼女の方が上だったけど」

「当たり前でしょう」

 さも当然という表情と声で(のたま)うレゼルに、ミーナは低い声で、

「……このシスコンが」

「え? 何ですか?」

 この台詞は、嘘だ。ばっちりしっかり聞こえていて、敢えてすっとぼけた。

 自分が(結構な)シスコンだという事は、ちゃんと自覚していた。それで開き直っていたから、別にシスコンと言われても「それが何か?」という感じなのだ。

「何でもないよ。――それでレゼル君、ここからは大事な話に入るね」

「……分かりました」

 口調には何ら変わり無いのに、スッと表情を消してそう言われれば、否やは無い。

「まず、レゼル君は学院が聖域(サンクチュアリ)と言われている事は知っているかな」

「はい、知ってます」

「そっか。なら分かると思うけど、聖域である学院には、どんな組織も団体も国家も干渉する事は出来ない。それは、創造術宗教団体も同じだよ。――私が言いたい事、分かるかな?」

「……それは、学院に生徒として所属する俺にも干渉出来ない事を意味する」

「はい、正解。良く出来ました」

 ニッコリ、と笑ってから、ミーナは語を続けた。

「君は謎だらけだよね。君自身は自分を《雲》だと言うけれど、創造術が使える。それは《雲》とは言わない、という人だっているだろうし、君の外見で《雲》だと見做す人もいるだろう。まぁ、そこらへんは深く詮索はしないよ。私もプライバシーって言葉は弁えているし、正直に言うと、君から編入希望届が届いた時、散々君の事は調査したんだよね」

「……プライバシーを弁えてるって、矛盾してないですか?」

 白い目でミーナに指摘するレゼル。

 しかしミーナは彼が空気だと言わんばかりにスルーした。

「だけど、君が存在していたという記録(レコード)情報(データ)も全く出てこなかったよ。レミルは余程警戒していたんだね」

「……まぁ、そうでしょうね。今まで隠れて生きてきましたし」

「お陰で、私は君の事を何も知らない。あ、言っておくけど、君を調査したのは個人的な好奇心という訳ではなく――それも少しはあるけど――殆どは、学院長としてだからね? 生徒の事を知るのは、プライバシーとか関係無くなるの」

「いや、少しは考慮して下さい」

 レゼルの発言は、勿論(?)、スルーされた。

「だから、私は君の事を詮索しない。これは、約束する。レミルの可愛い弟さんでもあるしね」

 じー、っとミーナがレゼルの漆黒の瞳を覗き込む。

 ミーファと同じ(正確にはミーファがミーナと同じ)翠色の瞳は、真摯な光を湛えていた。

「……俺としても、それは助かります」

 レゼルのこの台詞は、暗に「自分には秘密がある」と言うのと同義だったが、ミーナが「詮索しない」などという約束を持ち掛けてきた時点で、レゼルに秘密がある事はミーナには既に勘付かれているのだ。

 今更、「何を詮索するんですか?」などととぼけた所で意味は無い。

 だからレゼルは、素直にそう言ったのだ。

「ところで、学院長」

「ん、何かな?」

「何時までそんな、猫を被った気持ちの悪い喋り方をしているんですか?」

「き、気持ちの悪い喋り方とは失礼だね……」

 ミーナは結構深くショックを受けているようだった。

 メンタルの強い人だと思っていたが、どうやら彼女は女性としての繊細さも持ち合わせているようだ。

 レゼルは少しだけ罪悪感が芽生えるのを感じて、咄嗟に言った。

「いえ、気持ちの悪い、というのは学院長には合わないという意味です」

 そして実際、彼女自身の喋り方が気持ち悪かったのでは無いから、言い訳では無い、と思う。

「……じゃあ、素でいくよ?」

 上目遣いで見上げてくるミーナ。

「どうぞ」

「OK。じゃ、遠慮無くいかせてもらうわね。……ってこの言葉、ちょっとエロ……」

「……は?」

「いえ、何でもないわ」

 澄まし顔で首を振る。ふんわりとした柔らかな金髪が揺れた。

 それにしても、本来の口調に戻ったミーナは、見た目と口調の子供っぽさのギャップが消えてかなり自然体になったなと感じた。やはり、ミーナとミーファは似ている、と改めて思う。口調が似ているのだ。

「それでレゼル君、話が戻るのだけど、良いかしら?」

「はい、勿論」

 レゼルが言いながら頷く。

「創造術宗教団体は、学院の生徒である君には手を出せない――つまり、《雲狩り(クラウド・ハント)》では君は処刑の対象外になるわ」

 そんな事は、最初から分かっていた。それが分かっていたから、学院に入ったのだから。

 ミーナは真剣な表情で、声音で、話を続けた。

「けれど、学院の中にも創造術宗教団体のメンバーはいるわ。今分かっている中で最低でも、教師・生徒を合わせた数の半数はいる」

 半数。

 思ったより少なかったな、というのがレゼルの感想だった。

 元々ここには、セレン以外全員が敵になる事も覚悟して来ているのだ。

 そしてミーナの話によると、彼女とミーファと晴牙とノイエラとルイサは創造術宗教団体でない事がはっきりしているから、安心してくれ、との事だった。

「ま、そんな事は覚悟して来ているのでしょうし、学院内ではちょっと辛くなるかもしれないけど頑張って。私にはそれしか言えないわ」

「覚悟の上です」

「その調子よ。それで、問題は学院の外に出る時ね。君の噂は多分、今日中に街に広まるわ。学院内では既に全校生徒に広まっているんだもの。いくら創造術宗教団体が君に干渉出来ないと言っても、それが守られる保証は無いわ。街に出る時は今まで通り髪と瞳を隠しなさい」

「そのつもりです」

 学院の生徒という身分があっても、一見《雲》のレゼルがそのまま街に出たりすればパニックになる。

 それでなくとも、《雲》が創造学院に編入したというニュースで既にパニック勃発寸前だろうに。創造術宗教団体はもしかしたら、「動く」かもしれない。それくらいは想定済みだ。

「……なら、良いわ。そうね、大事な話はこれくらいかしら」

「え? あの、俺ってこれからどうすれば?」

「あ、そうだったそうだった。レゼル君のクラスはルーちゃんが担任のA組。ミーファも晴牙もノイエラもA組だから細かい事は三人に教えてもらって」

 分かりました、と短く答えて退室する為に頭を下げようとする。

 だが、その前に、

「ねぇ、レゼル君」

 ミーナに名前を呼ばれてしまった。結構、真面目な感じで。

「……何でしょう?」

 カタン、とミーナが椅子を引く小さな音を立てて立ち上がった。

 業務机に両手を付き、しっかりと目の前の謎だらけの少年を見据える。

「……昨日の実技試験で彼と戦った時、君、何かした?」

 彼、とはコバード家の息子の事だ。

 ここでやっと探りが来た、とレゼルは慌てるどころか安堵した。

 少しでもレゼルを疑わなければ、逆に心配になってしまう。

 もしかしたらレゼルと《融合結晶》を学生創造術師(アマチュア)に売った違法者は繋がっているのかもしれない、と少しくらいは訝ってくれなければ、本当に彼女には学院長としての(うつわ)があるのか、と思ってしまうのだ。

「……何か、とは?」

 眉を寄せ、何も知らない風を装う。

 ルチアーヌ・セヴェリウムと昨日の夜に接触した事は見抜かれていないと分かったので、ポーカーフェイスを作るのは簡単だった。

「……そう。何でもないわ、変な事を訊いてごめんなさい」

「いえ。……では俺は、これで」

 立ち上がったままのミーナに一礼し、レゼルは彼女に背を向けた。

 ミーナが机の引き出しの裏辺りに手を伸ばし、何かを操作したのをレゼルは確認した。

 目の前に現れた、小さな鏡を通して。

 ミーナはその事に気付いていない。

 学院長室の扉が横にスライドしていく。彼女が操作したのは扉の開閉スイッチだった。

 レゼルが一歩、部屋の外に出た。

「レゼル君」

 背中に、先程までとは異なる楽しげな声が掛けられた。

 レゼルが完全に、学院長室から外に出た。

 扉が音も無く閉まり始める。

「制服、似合ってるよ」

 戻った猫被りの口調で言われた、お世辞や冗談では無さそうな響きのある言葉に、レゼルは肩越しに後ろを一瞥した。

 だが、扉は既に閉まりきり、ミーナの表情も姿も見えなかった。

 レゼルは、ふと自分を見下ろした。

「……似合ってるか?」

 かなり不思議そうな声で呟く。

 創造術を使って目の前に浮遊する姿見サイズの鏡を構築(コントラクション)してみても、自分に創造学院の制服が似合っているとはどうしても思えなかった。


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