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血染めの月光軌  作者: 如月 蒼
第一章 創造祭編
8/61

第5話 暦の星座

 瞼を閉じてから、ちょうど三十分後。

 レゼル・ソレイユは、眠気により重くなっている瞼を無理矢理押し開けた。

 静かに上半身を起こして、後ろのベットに視線を向ける。

 そこでは、緋色の髪の少女――セレンが慎ましい(小さい、とも言う)胸をゆっくりと上下させていた。

 出来れば彼女を起こしたくはなかったが、これからやる事は今日中に終わらせておきたいので、そういう訳にもいかない。

「セレン、起きてくれ」

 レゼルが一言声を掛けただけで彼女は目を覚ました。その目元には眠そうな感じは無い。

「悪いな、セレンはいつも早起きしているのに」

 彼女は毎朝、レゼルの為に朝食を作ってくれる。(朝、と言っても外の様子は夜のままだ。)

 だからセレンは早寝早起きで、眠くなる時間も彼女は早い。

「いえ、大丈夫です。早起きしているのも、私の勝手ですから」

 ベットから降り、セレンは首を横に振る。

 その仕草にはやっぱりレゼルへの気遣いとか、そういう気持ちが表情は無いながらも含まれていて、それを感じ取ったレゼルは優しい気持ちになった。

「ありがとな、セレン。じゃ、行くか」

 レゼルは立ち上がってソファの背に掛けたコートを手に取り、そのポケットに小さな四角い物が入っているのを確認した。

 彼のその動作は一瞬だったが、セレンは見逃さなかった。

「あの衆人観衆の中で誰にもバレずに奪い取るなんて、流石レゼルです」

「それは、誉められているのか、貶されているのか……」

「誉めているんですよ。今日――いえ、もう昨日ですね――の引ったくり犯ですが、よっぽどレゼルの方が合ってます」

「俺には貶されているようにしか聞こえないが」

 引ったくり犯が合っているってのは、性格とかそういう事じゃなくて、物を()る技術的にって意味だよな? と、ちょっと不安を覚えながら考えた。

 だが、ノンビリと考えている時間は無いのだった。

「ったく、あの我が儘石屋め……」

 レゼルは心底面倒臭そうに悪態を吐き出すと、静かに寮部屋を出た。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 創造術(クリエイト)(かなめ)となるのは融合体である。

 では、融合体の要は何なのかと言うと、勿論終わり無き夜空に煌めく星の光と人間の中を流れるエナジーだ。

 エナジーを上手く制御出来るかどうかで創造術が上手くいくかが決まる点を考えると、その二つの内でもエナジーの方が融合体の要と意識してしまいがちだが、どちらかと言うと要は星の光の方だったりする。

 勿論、融合体を創る為に星の光とエナジーは同じ割合で同調(シンクロ)させる事が望ましいので、どちらも大切、要だと十分言えるのだが。

 星の光はエナジーのように制御出来ない。エナジーを上手く星の光に同調出来るかは実力要素一つだけに左右されるのに対し、星の光はその光の明るさや天候、星が雲に掛かっていないかなどの運的要素と、上手くエナジー脈に光を取り込めるかの実力的要素の二つで決まる。

 ここで大事なのが、運的要素である。

 どれだけエナジーの制御が上手でも、土砂降りで星の光が全く届かなければ、創造術の効果は半減――否、それ以下になってしまう。

 だから、殆どの実力ある創造術師(クリエイター)はとある保険を掛ける。

 例え、星の光が全く届かない闇に包まれた日でも、安心して創造術を行使出来るように。

 その保険。

 それは、星と契約を結ぶ事。

 いや、星座と契約を結ぶ、と言った方が正しいか。

 神聖な儀式を経て、創造術師は自分に合った星座と契約する。

 そうして契約した星座を《星庭(ガーデン)》と呼ぶ。

 現在、世界にある星座の数は八十八個。その中から、ある程度実力を持った創造術師は、自分の《星庭》を選ぶ事になる。

《星庭》は、創造術師と結ばれる事で、創造術師に沢山のメリットを与える。

 一つ目がまず単純に、創造術の効果が高くなる。『物』でも『能力』でも、どんな創造でも。

 二つ目が、《星庭》のそれぞれにある固有技や特殊な創造が出来るようになる事。例えばオリオン座と契約して《星庭》としたら、同時に三つ以上の創造を行う多重創造(マルチ)がやり易くなる、といったような効果が出る訳だ。

 三つ目が、先程も述べた通り、星の光が全く届かない日・場所でも、《星庭》としている星座の星の光だけなら、契約した為の不可視の繋がりにより術者に届いて、星の光が届いている時と殆ど変わらずに創造術を行使出来るのである。しかしそれでも、晴れた日の方(雲が星を覆っていない方)が《星庭》としていない星からも光を集められるので、《星庭》さえ持っていれば真っ暗でも絶対安心、という事は決して無いのだが。

 そして大事なのが、《星庭》は一人の創造術師に一つだけだという事。

 これは、一つ一つの星座が特徴みたいなものを持っていて、複数の星座と契約すると反発する――というより、反発して契約出来ない。

 相性の良い星座同士なら複数契約も可能なのではないか、と言われているが、まず相性の良い星座同士という奴が見付かっていない。星座は全部で八十八個しか無いのだから、既に沢山の創造術師が全ての組み合わせパターンで複数契約に挑戦して例外無く全て失敗に終わっている。そういう経歴があるから、複数契約については出来ない技術と定められている。

 創造術師に《星庭》は一つまで。だが、星座の方はそうではない。

 例えば先程名前を出したオリオン座ならば、軽く一万人は超える契約者を有しているだろう。だから「あ、私と貴女の《星庭》同じだね」という事も十分起こり得る。

 だが、契約者を一人に絞る特別な星座もあった。それは《暦星座(トュウェルブ)》と呼ばれ、八十八の内の十二個しか無い星座だ。

 突然だが、この世界は一年に三十日ある月が十二個ある。冬で第十一の月である今月は、俗に〈双子月(ふたごづき)〉と言われる。このように、一つ一つの月には星座の名前が付けられているのだが、この月に名前を刻まれた十二個の星座が《暦星座》なのだった。

《暦星座》は契約者をたった一人に限定する。更に、契約の儀式の際に契約者を星座の方が選ぶ。(ある程度実力が無ければどの星座でも駄目なのだが、《暦星座》には実力以外にも契約者になれる条件があるらしい。)

 そうして、《暦星座》に選ばれた十二人しかいない創造術師の事もまた、《暦星座(トュウェルブ)》と言うのだった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「まさか、編入試験の日から《暦星座》を三人も拝めるとはな」

 レゼルは学院の門の近くにいる監守をどうやり過ごそうか思考しながら、ポツリと呟いた。

 今、彼とセレンは気配を消して息を殺し、本校舎の昇降口から校門に伸びる幅広の石畳の道の両脇にある街路樹の陰に身を潜めていた。

 セレンは監守の様子を窺うレゼルに向かって小声で問い掛けた。

「三人……ですか? 学院長さんとミーファは分かりますが……あと一人は誰ですか?」

 レゼル以外には基本的に人の名前には敬称を付けるセレンだが、何故かミーファの事は呼び捨てだった。

 その事が少し気になったが、レゼルは詮索しない事にした。もしかしたらミーファの事が気に入ったのかもしれない。(それの逆はレゼルでは気付けなかった。)

「エネディス先生だ。まぁ、あの人は俺も二つ名を聞くまで気付けなかったし、仕方ないな」

「エネディス先生が、《暦星座》……」

「彼女は学院長やミーファ程有名じゃないからな。あの二人はリレイズってのもあるし」

 天才の呼び声高い創造術師、ミーナ・リレイズ。

 神童と言われ期待を一身に集める創造術師、ミーファ・リレイズ。

 二人共、《暦星座》に選ばれた、普通の一流創造術師とは一線を画す優秀な創造術師である。

 そして、彼女達程には名前が世間に出回っていないとは言え、ルイサ・エネディスも《暦星座》の一人である。

 その証拠に《暦星座》としての二つ名、《菫の創造術師(バイオレット・クリエイター)》は有名過ぎる程有名だ。

《暦星座》の二つ名には色を表す言葉が入る。ルイサは(バイオレット)、つまり紫の名を冠している。

 もうこの世界にはいないけれど、レゼルの姉、レミル・ソレイユも、《白銀の創造術師(シルバリー・クリエイター)》、銀の名を冠する《暦星座》だった。

 彼女の契約していた《暦星座》の星座は、彼女が死んでから空白のままだ。恐らく数え切れない人数の創造術師が契約儀式に挑戦しているのだろうが、成功したという話は一切聞かない。

 だから現在、《暦星座》は十一人しかいないのである。

 ――勿論、十二人目の《暦星座》が自分の事を隠している、という可能性もあるにはあるが。

「……で、監守だが、昏倒させるとかはしたくないんだよな」

 監守に何も干渉しなくてもコッソリ学院の外に出られるならそうしたい。というか、後々面倒なので絶対しない。

 セレンも同意見のようで、そうですね、と小声で囁いた。

「さて、じゃあまずは……」

 レゼルは校門から視線を横にずらした。そこには、実技棟の壁と同じ強化素材で作られた壁が(そび)えている。(こちらは実技棟のように無骨な感じではなくて、城壁のような雰囲気だ。流石に見目を気にしたのだろう。)

 学院は高い壁に囲まれているのだ。外からでは本校舎の上部しか見えない程の高さがある。

「あれを越えるか」

 レゼルは何でもない事のように言い、セレンも何でもない事のように頷いた。

 二人は街路樹の陰から離れ、門の近くにある監守の為の宿舎を注意深く見ながら、壁に近付いた。

「警備員は?」

「この時間は外の警備は比較的疎かになるみたいです。大丈夫です」

「ありがとう、セレン」

 レゼルはセレンの小柄な身体を抱き上げた。

「じゃ、行くぞ」

 声を掛けると、腕の中の少女は自分の右手首を見た。そこには、ピンク色の可愛らしい腕時計。

「今、二時少し前です」

「ギリギリだな」

 レゼルは学院の門の外で待っているだろう人を思って、眉を顰めた。

 だが、ぐずぐずしている訳にはいかない。

 彼の灰色の髪と漆黒の瞳が銀色と青色に変わる。

 音も無く、彼は少女を抱えて地を蹴った。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 学院の外。

 駅に続く大通りの両脇に並ぶ店と店の間、その人気のない場所に彼女はいた。

 彼女を見てまず目を見張るのが鮮やかな水色の髪だ。勿論地毛ではない。

 背は低く、童顔なので精々十代になったばかりの少女にしか見えないが、彼女は十六歳のレゼルより十も歳上だったりする。歳の話をすると「ロリで悪かったね?(怒)」と起こられるのでその話題は禁止だ。

 普通のロリなら「若く見えるでしょう?」とかも言えるのだが、彼女の場合、背が低くて童顔の癖にプロポーションがかなり良いのである。特に胸が。

 彼女は栄養が背の高さではなく胸の大きさにいってしまった、中途半端なロリなのである。(という表現が適切な容姿だとレゼルは思っている。)

 そんな可哀想(?)な見た目ロリの女性は、酷く不機嫌な顔でレゼルとセレンを迎えた。(既にセレンはレゼルの腕の中から降りて彼の隣に立っている。)

「……遅いよ、レー君?」

 長い水色ツインテールの髪(この髪型がロリに拍車を掛けているとレゼルはいつも思う)を弄りながら、彼女は低い声で言った。

 因みに、レー君とはレゼルの事だ。精一杯抵抗した時期もあったのだが、既に渾名の訂正をするのは諦めている。

「貴女が来るのが早いだけでしょう」

 レゼルは彼女の前で止まると素っ気なく言い返した。

「ちょっとレー君、あたし女の子だよ? 女の子の方が早く来るっておかしくないかな? レディーファーストの意味、勘違いしてない?」

「集合時間は二時にしたと記憶してますが」

「……」

 はぁ、と女性(少女にしか見えないが)が溜め息を吐いた。

「まぁ、いいよ? あたしは優しいからね? それじゃあレー君、奪った物、渡してくれる? 三十分前くらいに赤毛ちゃんから連絡もらったけど、上手くゲット出来たんだよね?」

「セレン、緑さんと連絡取ってたのか?」

「はい。レゼルが眠った後に。その方が良いかと思って……余計な真似、でしたか?」

「いや、そんな事はない。ありがとう、セレン」

 レゼルはセレンの頭を少し不器用に撫でた。彼女は相変わらず無表情だが、レゼルを見上げる緋色の瞳が嬉しそうに見えた。

「ちょっとー、そこのお二人さーん? いちゃつくなら他でやってもらえませんかねー? つか何度も言ってるけど、レー君、あたしの名前『緑』じゃないよー?」

 水色ツインテールの女性が白い目を向けてくる。

 しかし、レゼルにもセレンにも、自分達がいちゃついているという自覚は更々無かったので彼女の発言はスルーした。

「じゃあ緑さん、頼まれた物、持って――」

「ちょっと? 『緑』さんじゃないから、あたし? そこはスルーしちゃ駄目じゃないの?」

 ――来たんですけど、と言う前に女性が口を挟んできた。

 余程『緑』さんと呼ばれるのが嫌らしい。まぁ、そんな事はとっくに知っていたけれど。

「じゃあ何て呼べば良いんですか?」

「普通に名前で呼べば良いって発想はレー君には無いのかな?」

「いや、だって名前が『緑』でしょう」

「違うよ!? ……レー君、あたしの本当の名前覚えていてくれてるよね?」

「……」

「何、その沈黙? あたし大声で泣いちゃうよ? レー君の事、不審者扱いするからね?」

「そんな事をすれば今から貴女に渡す筈だった物を学院長に渡しますよ」

「……」

 彼女は口を噤んだ。口の端が小さく震えている。

 レゼルを上目遣いで見る瞳が小動物みたいに弱々しく揺れていて、泣きそうではないけど可哀想にはなってきた。

「冗談です、ちゃんと覚えていますよ。ルチアーヌ・セヴェリウムさん」

 彼女の本当の名前を呼んでやると、ルチアは蕾が花開くように笑顔になった。

 性格は少し幼い感じがするがそれは外見にぴったりだし、幼いからこそ素直な所は彼女の良い点だとレゼルは思う。だから彼女の事を嫌いにはなれないのだと、表面上どう嫌いですって素振りをしても彼女の笑顔を可愛いなぁ、と思ってしまったレゼルは再認識した。

 しかしその感情を表に出すのは癪なので、レゼルはポーカーフェイスを保ったままだ。

 彼は自分が羽織っているコートのポケットから小さな四角い物を取り出した。

 それは立方体の形をした石――結晶、と言っても良いかもしれない――だった。透き通った黄色の石はその中心で、とくん、とくん、と光が瞬いている。

 これは《融合結晶(ゆうごうけっしょう)》とか《フューズ・クリスタル》とか言われる物だ。

 その名の通り《融合結晶》は、星の光とエナジーが同調(シンクロ)した融合体が結晶に凝固した物。それは創造術師が人工的に創る物ではなくて、完全な自然物だ。(創造術師も《融合結晶》を創る事がやれば出来るそうだが、自分の融合体を凝固させて一々融合体を供給しなくても半永久的にそこにあるものにするには、かなりのエナジー制御力が必要になる。)

 人間に流れるエナジーとは少し違うが、それに似たような力が大地の下――地脈とか竜脈とか言われる場所を廻っているらしい。それが時間を掛けて星の光を取り込み低確率で同調する事があり、そうして出来た融合体が凝固したのが《融合結晶》である。

 エナジーに似た地脈を流れる力――地力が星の光と同調するのも、融合体が凝固するのも稀な事だ。何万分の一、という確率だろう。だから《融合結晶》は希少で、それ故に値段は少し裕福な程度の貴族なら手が出せない程高い。

《融合結晶》とは一言で言ってしまえば、融合体の結晶だ。その効果は、一度だけと限定される使い捨ての道具だが、創造術師でもない一般人が創造術を使えたり、創造術師なら自分の創造術をサポートする役目に使える。

 だが何せ値段が高いので殆どの創造術師は《融合結晶》などに頼ったりはせず、自分の創造術を磨くのが普通だ。それが求められる創造学院の学生創造術師(アマチュア)は、《融合結晶》を使う事自体がきつく禁止されている。

「これで良いんですよね?」

 レゼルが訊くと、ルチアはコクコクと頷いた。水色ツインテールがその動きに合わせてピョコピョコと跳ねる。

「とりあえず、ターゲットが持っていた分は全部取ってきましたけど」

 レゼルは更にポケットの中から、同じ形と色をした《融合結晶》を十数個取り出した。

 ターゲット――これらの《融合結晶》を持っていた、実技試験で相手をしたナイフ先輩の事だ。

「一、二……十三、十四、十五……うん、ちゃんと十五個あるね? ありがとうレー君、依頼は完遂されましたよー?」

 無駄に語尾にはてなマークが付きそうな口調で《融合結晶》の数を確認すると、ルチアはレゼルからそれを受け取ってジャケットの懐に隠した。

 ほかほかした顔で笑顔を向けてくる彼女に、レゼルは呆れた顔を返す。

「全く……何で学生創造術師に《融合結晶》を売ったんですか?」

「あー……それはね、仕方ないと思うんだ? あんな大金見せられたら、例え《融合結晶》を学生創造術師に売るのが違法だと知ってても、売っちゃうと思うのよね?」

「何が『思うのよね?』ですか。……学院長、この事に気付いてましたよ。まぁ、ルチアさんが関わってるとは気付いていなさそうでしたが」

 レゼルの言葉を聞いてセレンが「そうなのですか?」と言うように見上げてくるが、当のルチアは全く動揺しなかった。

「だろうね? 天才だから、彼女は……まぁ、それでも二年間、コバード家のお坊ちゃんが《融合結晶》を使っていると気が付かなかったけどね?」

「コバード家の……?」

 レゼルは眉を顰めて、《融合結晶》を回収してきて欲しいとの依頼を受けた時にルチアに渡された写真をコートの懐から取り出した。

 そこには実技試験の相手だったナイフ先輩の姿が写っていた。

 彼がカメラ目線になっていない事から、これは隠し撮りされた写真だと分かる。

「コバード家のお坊ちゃんってコイツの事ですよね?」

「うん、そうだよ? 今回の依頼のターゲット……ああ、言い忘れていたかな? 彼がコバード家の人間だって?」

 コバード家。

 優秀な創造術師を代々輩出する、創造術の世界の名門だ。且つ、コバード家は大金持ちの貴族でもある。

 これで納得した。ただの学生創造術師が《融合結晶》を手に入れられる筈が無いから、あのナイフ先輩は何かしらのパイプを持っているのだろう、とは思っていたが、コバード家ならば馬鹿高い《融合結晶》にも手を出すのも簡単だろう。

 ルチアーヌ・セヴェリウムは《融合結晶》を扱う闇商人である。

《融合結晶》が一般人には手を出し難いという特色を持つ商品であるから、それを扱う商人はどうしても商品流通の闇ルートに行き着いてしまうのだ。

 ある理由から国交間でも《融合結晶》は広く売買が行われているので、国は《融合結晶》を扱う闇商人を甘く見ているという背景がある。(それでも学生創造術師に《融合結晶》を売る事は違法だ。)

 創造術の名門出身の創造術師は例外無く、国境を越えて活躍する。国交貿易と深く関わる《融合結晶》に手を出すのは、コバード家ならば造作も無い。

「成程な……」

 しかし、一方で納得はしたものの、レゼルは小さく呟きながら疑問に思っている事があった。

 実技試験で戦う事になった男子生徒。四年の先輩。

 彼はコバード家の創造術師にしては、あまりにも――

「ルチアさん。さっき、学院長にも二年間気付かれなかったと言いましたが、それは……?」

 レゼルの思考に被るようにして、セレンがルチアに訊ねる。

 ルチアはばつが悪そうな顔をして言った。

「……実は、コバード家のお坊ちゃんはあたしのお得意さんなのね? 二年前からの常連さん、だったり?」

「……それで二年間、貴女はそのコバード家のお坊ちゃんとやらに《融合結晶》を売り続けていたと?」

 静かな、淡々としたセレンの声。彼女は無表情だが、声には確かに少しだけ非難の色が含まれていた。

 ルチアは、そんな十も歳下の少女の様子に困ったような顔をした。

「あたしだって、闇商人やってるとはいえ、常識が無い訳じゃない。最初、あたしは断った。学生創造術師に《融合結晶》は売れないって。……だけど彼は、コバード家の落ち零れだった」

 ルチアの口調から、疑問符が消えた。

「あたしに接触してきた時、彼はとても必死だったの」

「必死、ですか?」

 セレンが首を傾げる。

「……もう、《融合結晶》しか頼れるものが無いんだ、って。彼は、あたしにそう言った。それで思わず、ね? まぁ、大金に目が(くら)んだって理由もあるんだけどさ?」

 ルチアの口調が元に戻り、セレンに曖昧な笑みを向けた。笑っているのにその笑顔には違和感がある。まるで、無理矢理作って失敗したような、引き吊った表情。

「まぁ、自業自得だね? ついに学院の長にバレちゃって、慌ててレー君に依頼したって訳さ? コバード家のお坊ちゃんが持っている《融合結晶》を誰にもバレないように回収して、あたしが関わっていた事までバレないようにする依頼をね? ミーナ・リレイズの情報網があれば《融合結晶》を見ただけで誰が売った物か分かるだろうし?」

 レー君が学院に編入するって聞いて助かったと思ったよ、本当に? と、付け加えてルチアは歪だった表情を消した。

 成程、確かに《融合結晶》回収の依頼はレゼルが適任かもしれない。学院は聖域(サンクチュアリ)。闇商人であるルチアが入る事は許されないし、そんな事をすれば学院長に《融合結晶》の件で関わっていたと勘付かれる。

 回収した《融合結晶》の受け渡しが今日の午前中と無茶苦茶な条件にしたのも、彼女は分かっていたからだろう。早くしなければ、学院長に気付かれると。

「まぁ、天才に気付かれた所で面倒なだけなんだけど、ね?」

 天才、とは学院長ミーナ・リレイズの事だ。

 彼女を敵に回すという事は、並みの創造術師ならば竦み上がってしまう程の事態だ。

 だが、ルチアは彼女の存在を脅威に思っていない。

 それは、考えてみれば、当たり前かもしれない。

 ――彼女、ルチアーヌ・セヴェリウムも緑の名を冠する《暦星座》なのだから。

 どれだけ幼い外見でも、彼女は《暦星座》。創造術師の頂点に立つと言って良い十二人の中の一人。

 しかし、レゼルにとってそれは既知の事実であり、どうでも良い事だった。

 彼の思考は、今、セレンを傷付けようとした(正確に言えばそれは結果的に、に過ぎないが)、実技試験で戦った男子生徒に向かっていた。

 先程も感じた事だ。

 彼はコバード家の創造術師にしては、あまりにも――

 ――弱過ぎる。

 落ち零れだと言ったって、仮にも創造学院に入学出来た最高学年の創造術師が、あんなに弱い筈が無い。

 ――ああ、成程な。

 しかし、レゼルはその疑問の答えを既に打ち出していた。

 ――二年前からの常連さん、だったり?

 それは、ルチアが言った言葉。

 ――俺は、二年の時から『能力』創造が出来るんだぞ?

 それは、あの男子生徒の言葉。

 今から二年前といったら、あの男子生徒はちょうど二年の頃じゃないだろうか。

 そこまで推測出来れば、自然と分かる。

 あの男子生徒が、弱い理由が。

「『能力』創造が出来た事に浮かれて、頼ってしまったんでしょうね、《融合結晶》に。そして、手放せなくなってしまった。だから、コイツは弱い」

 手に持っていた写真を片手で握り潰す。それは次の瞬間、ボッと炎と音を立てて消えた。

 炎の創造術。

 レゼルの髪と瞳の色に刹那の間だけ変化が訪れたが、すぐに元に戻った。

「コイツは弱い……って、レー君、何でそんな事分かるの?」

 ルチアのその問いに答えたのはセレンだった。

「レゼルと彼が戦ったからですよ、実技試験で。戦い、どころか試合とも呼べないものでしたが」

 ルチアはけらけらと笑う。

「当たり前だよ、それは? 赤毛ちゃんは学生創造術師に力を求め過ぎじゃないかな?」

「そうなのですか?」

「そうだよ? 今まで君達のいた環境には優秀なのがいすぎただけだね?」

「例えばルチアさんとかですか?」

 レゼルが悪戯な笑みを浮かべながら言うと、彼女は本気で照れているようだった。

「レー君が、ほほ誉めてくれた……!?」

 動揺した瞳がゆらゆらと揺れる。

 そんな彼女には悪いが、レゼルはルチアを誉めたつもりなど更々無かった。

 冷めた顔でルチアを見詰めると、彼女はわざとらしく咳払いをした。

「じゃ、じゃあレー君はその実技試験の時に《融合結晶》を回収したのかな?」

「はい。相手への攻撃で〔光剣(ライトセーバー)〕を振り抜いた時にどさくさに紛れて。正直、写真を頼りにターゲットを捜すのも面倒だったし、助かりました」

「レー君、実技試験の時、彼が出てこなかったらあたしの依頼すっぽかすつもりだったでしょう?」

「当たり前でしょう。編入試験の日の翌日の午前中がタイムリミットなんて無茶振り依頼、無い事にしようと思いましたよ」

「……まぁ、良いよ? 今日の所は許してあげよう」

 何だかんだ言って、無茶振り依頼だったとルチアも理解しているんだろう。

「それに二年間でかなり儲けさせてもらったからね、満足かな?」

 ぱちっ、と音がしそうなウィンクをするルチア。

 どれだけ儲けたのかはしらないが、《融合結晶》の商人(「石屋」と呼ばれる)の中でも色々と大きな客を抱えている彼女が「お得意さん」と言うのだ、かなりの額を懐に入れられたのだろう。

「……さっきまでは、コバード家の息子の事、結構心配してるように見えましたが? 何だか急にドライになりましたね」

 コバード家なんか知らないよ? とか言い出しそうな顔で笑うルチアを見て、レゼルは無表情に訊ねた。

「あぁ……うん、あたしもちょっとは悪かったかなって思ったよ? あたしが《融合結晶》を売らなきゃ、彼は地道に努力して今頃は強くなってたかもしれないし?」

 そこで彼女は言葉を切った。

 変わらない笑顔を幼い顔に浮かべたまま、レゼルをしっかりと見上げてきた。

 レゼルは彼女より頭三つ分程も背が高い。見上げられると彼女は殆ど夜空を仰ぐようになり、ツインテールが、ぷらん、と寂しげに揺れた。

 そして、再び口を開く。

「でもね、考えてみたら、あたしに接触してきたのはあっちだよ? あたしは最初に売るのもちゃんと断ったし、悪いのは全面的にあっちじゃないかな? そりゃ、金に釣られて最終的に違法だと知ってても売ったけど、金をあたしの前に積んだのはあっちだからね? 何か、あたしが反省するのも罪悪感に駆られるのも違う気がしてさ、今回の事はあたし、関係無いと思うんだよねー?」

 何時も通りの、何故か疑問系で軽い口調。

 そして何時も通りのレゼルなら、少しくらいは不快に感じていたかもしれない。彼女が責任感の強い人間では無いと知っていても。

 だが、今は、彼女の言う通りだと思った。

 それは、その思考は、随分個人的で感情的なものだったが。

 レゼルが一片も不快感を見せなかった事を、ルチアとセレンは疑問に思ったらしい。

 セレンが口を開く前に、ルチアが首を傾げ、彼に問う。

「どうしたの、レー君? 何時もならちょっとは嫌な顔するのに……今日ドライなのはレー君の方?」

「……コバード家の奴にはセレンを傷付けられそうになったんです。少しも庇う気は起きないし、ルチアさんにそう思われても彼に同情なんてしませんよ」

 不機嫌な声音が抑えられている事は明白なレゼルの言葉。

 彼の半歩後ろで、セレンがピクリと肩を震わせた。しかしそれは声に含まれた不機嫌さでは無く、レゼルの言葉の内容によるものだろう。嬉しかったのか、はたまた恥ずかしかったのか。

「おぅおぅ、すっかり騎士(ナイト)だね、レー君? でも、レー君なら赤毛ちゃんに攻撃が放たれる前、攻撃の予備動作の時点で殺す事も出来たんじゃ?」

 ニヤニヤ、と嫌な笑みを張り付けながら未だに見上げてくるルチア。

「学院の実技試験で殺るのは駄目でしょう。まぁ、攻撃を止めて捩じ伏せる事は出来ましたが。……最初から、セレンに敵意が向いていれば」

「どういう事?」

「いや、最初にコバード家の奴は俺に敵意を向けてきてたんです。だから放っておいたら、ソイツの放った投げナイフが俺じゃなくてセレンに飛んだんですよ」

「外れちゃった訳ね、ナイフが……それは、ご愁傷さまだね? どうせレー君、人一人殺せそうな眼で睨んだんでしょー?」

「……人一人殺せそうな眼ってどんな眼ですか」

「……射殺せそうな眼、かな?」

「表現が変わっただけですね」

 さらっとセレンがツッコんで、ルチアは拗ねたように唇を尖らせた。

 彼女はセレンに対しては、何故か弱くなる、というか大人しくなる。まさか、《暦星座》の一人の百合教師みたいな理由ではないだろうが。いや、ない事を信じたい。

「で、レー君?」

「はい?」

「《暦星座》には会った? ほら、リレイズの創造学院には《暦星座》が多いじゃない?」

 五つある創造学院の中でも一番実力的に優れているのはリレイズ創造術師育成学院だと言われている。

 未成年の《暦星座》も数人いて、プロの創造術師になるには創造学院卒業資格が必要となる為、そういう者はリレイズに集まるのだ。

「三人会いましたよ。天才と神童と死神です」

 天才=ミーナ・リレイズ。

 神童=ミーファ・リレイズ。

 死神=ルイサ・エネディス。

 本当に、一日でこんなに多く有名人にお目に掛かれるとは思わなかった。

「あ、そっか、学院長だもんね、天才には会ってて当然だね? で、彼女達の実力はどうだった?」

「……」

 興味津々といった態で身を乗り出すルチアに、レゼルは呆れて言葉も出なかった。

 いや、何とか、出た。

「……それをどうして俺が知ってると? 貴女も《暦星座》だから気になるのは分かりますが」

「えぇっ、知らないの?」

「当たり前ですよ。あの三人の実力なんて俺が知る訳ないじゃありませんか。唯でさえ編入したばかりなのに」

 そこまで言って、レゼルは思い出した。

 実力を確かめる為、という意図では無かったが、自分は一度ルイサに刃を突き付けていた事を。

「……あ、でも、死神の実力なら、少しだけですけど」

「本当?」

「はい。〔光剣(ライトセーバー)〕を突き付けました」

「おぉ、やるぅ?」

 ルチアが相も変わらずワクワクした笑みを向けて話の先を促してくる。

「で?」

「他の事に気を取られてたりしたり、元々彼女は近接戦闘向きの創造術師じゃありませんから、俺が一応勝った感じです。でも攻撃が来ると判断した瞬間に無光創造で、剣を突き付けられている事を考慮して手回しが利き易いように小型拳銃を創造しようとしたのは流石だと思いますよ」

「成程ね、貴重な情報ありがとう? っと、話が長くなっちゃったね? 今回の依頼の報酬は飛空艇の方に送っといたよ?」

 送っといた、と過去形になっている事に少し疑問を覚えたが、考えてみれば、ルチアに会う三十分前にセレンが彼女と依頼を成功させた旨の連絡を取っているのだった。

「それで話は終わりですか?」

「待って待って、レー君、まだだよ?」

「まだあるんですか?」

 その声に小さな苛立ちが混ざったのは、仕方の無い事だろう。

 レゼルは、『能力』創造の際に融合体を細胞などにも吸収させて身体を強化しているように、同じやり方で身体を活性化させる事が出来る。

 彼ほどの創造術師なら、一ヶ月以上も一睡しないで過ごす事が可能だ。(その後、一週間くらいはベットの上にいるしかなくなるが。)

 だから一夜の徹夜くらいは何て事ないが、今は彼は学院の生徒である身。夜間外出は出来るだけ避けたい。ミーナを敵に回すのは厄介だし、敵対する理由もない。

 ルチアの《融合結晶》回収の依頼を受けた事で、ミーナとは壁を作ってしまったに等しいのだが、彼女はレゼルがこの件に関わっている確証までは掴めない筈だ。不審な目を向けられても、明確な敵にならなければ別に良い。

 しかし、夜間外出している事に気付かれれば、必ずミーナに敵視されてしまう。

 だから、レゼルは早く学院に帰りたかった。声に小さな苛立ちが混ざったのはその為だ。

「すぐ終わるよ、レー君? だから怒らないで、ね?」

 レゼルの声に含まれた苛立ちに気付いていない訳でもないだろうに、ルチアはそう言って無邪気な笑顔を浮かべた。

 思わずレゼルは溜め息を吐いたが、次の瞬間、彼女の笑顔は最初から無かったように消えていた。

 一転した、真剣そのものの、顔。

 彼女の――ルチアーヌ・セヴェリウムの、創造術師としての、顔。

 レゼルも、一瞬で表情を引き締めた。

 セレンは表情が変わらない代わりにぴん、と背筋を正す。

「――司令官より報告です。日付変更直後、リレイズの街・北側戦闘区域上空の《結界》に歪みが発生、観測致しました。《堕天使(だてんし)》の顕現予測時刻は本日20時47分。歪みの範囲から数は少数と思われますが、歪みの激しさからかなりの上位個体だと推測されます。その他、《堕天使》に関する詳細は未だ不明、現在調査中です」

 緑の名を冠した女性はそこで言葉を一度止め、大きく息を吸った。

 静かに吐いて、淀みのない、はっきりとした声で続ける。

「飛空艇は現在、西の大国上空を飛空中。20時には間に合いません。本官も今、この街では派手に動けません。適任者はコードネーム『血塗れ(ブラッディ)』、つまり貴方だけです」

 ルチアとレゼルの間に静寂と張り詰めた空気と終わる事の無い夜の闇が漂う。

「レゼル・ソレイユに命じます。20時迄に北側戦闘区域に向かい、単独で《堕天使》を殲滅しなさい」

「――了解」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 リレイズ創造術師育成学院の学院長であり、創造術師の頂点に立つ十二人の《暦星座》の一人、ミーナ・リレイズは、少しだけ苛立っていた。

 ロナウド・コバード――コバード家の長男――が《融合結晶》を使用しているのを彼女が勘付いたのは三日前の事。

 創造学院は、現在世界的に必須な創造術師を育成する為の場所。

 学院に所属する学生創造術師は、当たり前の事だが、《融合結晶》になど頼ってはならない。

 その事から、石屋が学生創造術師に《融合結晶》を売る事は違法行為と定められている。今、この世界は、創造術師が何人いても多過ぎるという事の無い状況にある。だから創造術師を育成する創造学院の生徒が《融合結晶》などに頼って弱くなってしまうなど言語道断なのだ。

 だから、ミーナは気まぐれに足を運んだ第二実技棟でロナウド・コバードが《融合結晶》を使用していると分かった時、思わず頭を抱えたくなった。主に、自分の学院長としての自覚の無さと不甲斐なさに。

 これでも彼女は十年以上学院長の座を勤めているのだが。いや、だからこそ余裕と油断が出てきてしまったのだ。

 どうして《融合結晶》をロナウドが使っている事をミーナが分かったかと言うと、《融合結晶》にあるのはメリットばかりでは無いからだ。

 まず高価だという事が挙げられるが、それの他にも、必ず創造光(クリエイトフラッシュ)が発生してしまうというデメリットがある。

 結晶に凝縮・凝固した融合体が《融合結晶》だ。そして、その融合体は創造術師のものでも自分のものでも無い。従って《融合結晶》の融合体を使用者が操るのはどうやったって無理な話で、結果、創造光を抑える無光創造は出来ない。

 実技棟で彼の創造術をしっかりと見て、その時に発された光が《融合結晶》のものだと気付いたのである。(誰にでも出来る事ではなく、彼女が優秀、加えて視力を創造術で強化していたから分かった事である。)

 四年の中でも成績優秀者(実技の)の部類に入るロナウド・コバードが無光創造が出来ない事はかなり前から疑問に思ってはいたが、真剣に考える事はしなかった。言い訳を言わせてもらうと、他の業務で忙しくてそれどころじゃ無かったからだ。

 しかし、それは本当に言い訳にしかならない。

 ミーナはロナウド・コバードに対し、もう一つ疑問を抱いていたのだから。

 四年になると、殆どの生徒が自分の《星庭(ガーデン)》を持つ。プロの創造術師の一歩手前という場所にいるのだから当たり前だ。

 だが、それなのにロナウド・コバードは自分の《星庭》を持っていなかった。今は冬、後四ヶ月もすれば正規創造術師(プロ)の資格を取る為の試験があるというのに、だ。

 おかしい、と思って調査をするのが普通だった。だというのに、ロナウド・コバードが《融合結晶》を使っていると気付いたのは偶然だった。

「本当、学院長失格だなぁ……」

 一部の者しか存在する事を知らない寮の地下、学院長の為だけの書斎で、ミーナは深い溜め息を吐いた。

 全体的にレトロな雰囲気のある部屋で、壁に掛かる振り子時計は二時少し前を示している。ちょうど編入生の少年とその連れの少女が学院の高壁を越えている頃だったが、そんな事(?)をミーナは知らない。

 マホガニーの机の上の書類から目を外し、革張りの椅子の背凭(せもた)れに身体を預ける。

 創造術の『能力』創造と同一のやり方で眠気をシャットアウトしているものの、彼女は学院長の仕事以外にもある諸々のあれやこれやで昨日も一昨日もその前の晩も徹夜している。眠気は無くても、創造術を使っている疲労と寝たいという欲求は抑えられない。

 ロナウド・コバードの事は後悔して反省もした。

 彼女が今、苛立っているのは早く寝たいからだった。

 ぼんやりと天井を見詰めていると、書斎の扉が二回ノックされた。

「どうぞ」

 ミーナは姿勢を正して声を掛けた。

「失礼します」

 ハキハキとした口調で言いながら入ってきたのは、分かっていた事だがスーツ姿の青年だった。

 青年は机の前まで歩み寄ると、まるで執事のように恭しく一礼した。いや、彼は正真正銘、リレイズ家に仕える本物の執事だった。

 切れ長の瞳でミーナを見詰め、青年は口を開く。

「奥様、ロナウド・コバードの身からも部屋からも《融合結晶》は発見出来ませんでした」

「なんですって?」

 思わず、ミーナの猫被りの口調が剥がれた。

 青年の言葉を信じたから、だ。

 彼はリレイズ家が学院に潜り込ませた、リレイズ家に仕える執事であり一人の教師だ。そして、ミーナの腹心でもある。

 ジェイク・ギーヅ。

 彼の言葉を、ミーナは信用している。信用出来る。

「どういう事? ロナウドは確かに《融合結晶》を所持しているはずよ」

 しかし、信用出来ても、声に責めるような響きが混じってしまうのは止められなかった。

「しかし奥様、《融合結晶》は見付かりませんでしたが……」

 ジェイクの顔に狼狽が浮かぶ。

 因みに、奥様、と呼ばせるのは学院ではこの地下書斎だけだ。何時もは彼も普通に、学院長、と呼ぶ。

「……はぁ……」

 ミーナは再び天井を仰いだ。ジェイクのせいでは無いと分かっていたが、八つ当たりっぽい溜め息が口から漏れた。

「……やられたわ」

「はい?」

「やられたって言ったのよ。石屋に証拠品である《融合結晶》を回収されたんだわ。これで、ロナウドに《融合結晶》を売った奴は分からなくなってしまった」

「……」

 ジェイクが黙り込む。

 ミーナも(だんま)りを決め込みたい気分だった。

「違法者を逃がすなんて、屈辱だわ。くそ、どうやって《融合結晶》を回収したのよ? 学院の中に侵入(はい)るなんてそうそう出来る訳が無いのに」

 今以上にセキュリティの厳重さを引き上げるとなると腰が折れそうだ。

 学院のセキュリティは最新技術を使用している。その為、打つ手は警備員を増やすくらいしか無いのだが、人が関わる以上、色々な書類とか人件費とかが面倒なのだ。はっきり言うと、もう仕事を増やさないで欲しい。

「……奥様」

「何よ?」

 ミーナの不機嫌極まりない声にたじろいだジェイクだが、それは一瞬の事だった。

「僭越ながら発言させて頂きます。……ロナウド・コバードが《融合結晶》を使用しているとお気付きになられたのは三日前でしたよね?」

「そうだけど、何?」

「何故、もっと早く手を打たなかったのですか?」

「……それは」

 ミーナが苦虫を噛み潰したような顔をして口籠もった。

「それは、何ですか?」

 静かに、話の先を促す教師兼リレイズの執事。

「……証拠品を掴む為よ。ロナウドに《融合結晶》の事を詰問してもはぐらかされるだけだもの。プライバシーっていうものを私も一応弁えてるからね、部屋を漁ったりは出来なかった訳。で、考えたのよ」

「……何をですか?」

「ロナウドに創造術を大勢の前で使わせて、その創造光が《融合結晶》によるものだとばらすの。そうしたら、優秀な生徒が確かめようとするでしょう? ロナウドは後に退けなくなって創造術を行使。そして皆にばれて抗弁も出来ないまま、速やかに退学。という素晴らしい計画(プラン)だったのよ」

「……彼がその時《融合結晶》を使わなかったら?」

「それは無理よ。彼は《融合結晶》のお陰とはいえ成績優秀者に入っているのだもの。急に創造術が上手くいかなくなったら、それこそ《融合結晶》使用の線を疑われるわ」

「成程」

 ジェイクが感心したような、少し呆れているような声を出した。

「それにね、《融合結晶》を使わなければ恥をかく状況に追い込んだもの」

「え?」

「まぁ、偶然だったんだけど。彼がレゼル君と対立していて、実技試験の相手になってくれたのは」

「《融合結晶》を使わなければ恥をかく……」

「ええ、かくでしょうね。思いっきり」

「レゼル・ソレイユは、《融合結晶》を使わなければ勝てない相手だったと分かっていたのですか? いくらロナウドが弱かったとはいえ、彼は四年ですよ?」

 ジェイクは訝し気に眉を顰める。

「分かっていたわよ。あぁ、ギーヅは実技試験を見てないんだったわね。結果として、ロナウドを気絶させたのはレゼル君よ」

「……編入生が、四年を倒したのですか? てっきり、ロナウドは拘束する為に奥様が気絶させたのだとばかり」

「いいえ、レゼル君よ。実技試験でね」

「……レゼル・ソレイユは、強いのですか? 創造術の使える《(クラウド)》だと聞きましたが?」

 ジェイクの張り詰めた質問にミーナは答えなかった。

 ――当然。なんたってあの《白銀》の弟だもの。

 口の中だけで転がした言葉は、腹心の青年には聞こえなかった。

「だけどレゼル君ったら、ロナウドに創造術を使わせる前にあっさり倒しちゃうんだもの。私の素晴らしい計画は破綻して、結局、プライバシーなんかそっちのけで部屋漁りを敢行した訳」

「それを(わたくし)にさせた訳ですね」

 ジェイクの声音は嫌味っぽくなっていた。

 時々「コイツは私の執事っていう自覚があるのかしら?」とミーナは思う。

「だから最初から、今日の編入試験でロナウドの事は終わらせるつもりだったのよ」

「……彼と編入生が実技試験で対峙する事になったのは殆ど偶然ではなかったのですか? それに、やろうとすれば三日前、それこそ《融合結晶》の事に気付いた時、打つ手は幾らでもあった筈では?」

「……それは」

 再び、ミーナが口籠もる。

 だが、彼女は子供っぽい仕草でジェイクからふいっと目を逸らすと、小さな声で言った。

「仕方ないでしょ。私は昨日も一昨日もその前も徹夜だったのよ。忙しかったの」

「ロナウドの《融合結晶》の件を三日も後回しにしたのはそれが本当の理由ですね」

「……」

 図星だった。

 何故かは分からないが彼相手だと黙ってしまったり口籠もってしまう事が多い。

 腹心としてある程度は心を許しているからだろうか。口先で人を誤魔化すのは得意だとミーナは自負しているのだが。

「……まぁ、いいです。ロナウド・コバードはどうします?」

「強制退学」

 短い、即答。

「畏まりました。では、彼や彼の親族には私の方から伝えておきます」

「宜しく。悪いわね、コバード家の相手なんかさせちゃって」

「いえ、どうという事もありません。……では」

 ジェイクは深く一礼して、書斎を出ていった。

 しん、と静まった空間に振り子時計の音だけが響く。

 ミーナは顔だけで振り返って背後の窓の外を見た。

 冬の澄んだ夜空に輝く無数の星達。

 だが、月はまだ、雲に隠れたままだった。

 会話が多くなってしまうのは駄目な癖ですよね。申し訳ないです。

 今回は意味が分かりにくかったかも、と自分自身思ってます(というか何時も?)。色々とご指摘下さると嬉しいです。

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