第50話 車窓カラ
第49話のタイトル『車窓カラ』→『車窓ヨリ』
レゼルの手からするりと抜け、べちゃ、と音を立ててカルボナーラが絡められた方からフォークが床に落ちた。
しかし誰もそれに気付かず、カフェにいる人間は皆一様にレゼルの足元にうつ伏せで突っ伏す眼鏡を掛けた男に視線をやっていた。
彼は一言で言えばイケてるメンズにカテゴリされるであろう容貌を持つ人間だった。長方形の黒縁眼鏡は彼を理知的なイメージで固定させ、鼻も嫌味かと思うほど高いし形が整っている。更に、閉じられた瞼の下に影を作る睫毛は長い。無条件で、その顔に銀髪はとても映えた。レゼルと同じくらいの細身に白衣を着ていることも、彼のイケメン度に拍車を掛けている。彼がもっと中性的で童顔な容姿になれば、もしかしたら創造術発動時のレゼルととても似ていたかもしれない。
まだ一口も食べていないカルボナーラの乗った皿はいきなり突っ込んできたその男の腕に引っ掛かって弾け飛び、真ん中の通路スペースを挟んだ隣の誰も座っていないテーブルの角にぶつかり無惨な姿を晒した。パスタと割れた皿の破片が散乱し、ソースが飛び散って床に白い花を咲かせている。
「……俺の朝ご飯……」
やっとのことで男の銀色をした頭部から視線を外し首を動かしたレゼルが見たのは、勿論のこともう食べられないカルボナーラだった。ちょっと悲しそうな瞳をしてぽつりと呟く。
因みに、食堂車での食事は無料ではない。支払いは料理を食べた後に待っている。
今、自分の足元に転がる男に悪気は全く無いのだろうが、残念ながらレゼルの食べ物の恨みは深い。彼がこちらへ突っ込んで来なければこんなことにはならなかったのだ。それに、今日は朝から色々なことがあった所為でこれ以上の面倒事は身体が受けつけない。
そして男の銀髪を視界に入れてしまった今、レゼルに彼を逃がすという選択肢は無かった。
ぷっち――――ん、と頭の中の何かが切れる音をレゼルは他人事のように聞いていた。
レゼルは深く被ったフードを強く押さえると、倒れている男を見ないまま右足を上げ、容赦情け無くブーツの踵を男の頭に振り下ろした。
「うあッ」
バキ、という嫌な音と男の呻き声が静まり返った第三号車に響く。もしかしたら眼鏡のフレームが折れたかもしれない。それかレンズが割れたか。どちらにしろ鼻の骨が折れるよりは良いはずである。
レゼルの行動に、あまり彼のことを知らない有紗がビクリと肩を跳ねさせた。他のテーブルに座っている乗客に至っては口をあんぐりと開けながら目を見開いている。
ふぅ、とレゼルはすっきりとした気分で息を吐くと、こちらを呆然と眺めている近くのウェイターに言った。勿論、誰だか知らない眼鏡イケメンの頭を踏みつけたまま。
「料理がこの眼鏡の所為で駄目になってしまった。申し訳ないが、新しいものを持ってきてくれないか?」
にっこり、とレゼルは笑って言った。
ウェイターはすぐに返事をし、もう一人のウェイターに散らばったカルボナーラと皿の破片を片付けるように言うと、カウンターへと走っていった。
それを見送り、レゼルは男の後頭部から足を下ろした。襟足長めの綺麗な銀髪に僅かに土が付いてしまっていた。
そして次の瞬間、レゼルの姿が掻き消えた。
「まぁ、弁償金は――そうだな、このご婦人にでも払って貰いますよ」
レゼルは何時の間にか第四号車へと続く扉の前に移動していた。その手は一人の太った婦人の腕を掴んでいる。
「貴女ですよね? あそこで這いつくばってる眼鏡を突き飛ばしたの」
またもやにこりと穏やかに、だが冷たく嗤うレゼルに婦人はその巨体をびくりと強張らせた。
「な、何よ貴方! 腕を放して頂戴!」
婦人はレゼルに掴まれた腕をブンブンと振り回してヒステリックに叫んだ。しかしレゼルの手は決して離れない。
「貴女とあのイケメンに何があったかは知りませんし興味もありません。ですから、俺のカルボナーラを弁償してくれさえすれば、すぐにでもお放ししますよ」
「何でわたくしが!? わたくしは何も……!」
彼女が口を開く度に漂う口臭に眉を顰めながら、レゼルは腕を掴んだ手に力を込めた。
「嘘をつかないで下さいますか。俺はちゃんと見ていましたよ。男を突き飛ばす貴女の姿を、『車窓から』、ね。慌てて第四号車に逃げようとする貴女の姿も、ばっちり『窓に映って』ましたけど」
「――ッ」
「それに多分、俺以外にも見ていた人はいると思いますが?」
レゼルが第三号車内を見渡して此れ見よがしに言うと、婦人は真っ赤な口紅の塗られた下唇を噛んだ。第四号車の食堂ほどではないものの、カフェにはレゼル達や銀髪眼鏡のイケメン、それに彼女を除いても数人の乗客がいる。彼女と男に何があったか、見ていた人が一人くらいはいるはずであった。
外見がよく似た子供二人を連れた親子や壮年の男性、貴族風の黒いワンピースを着たお婆さん。レゼル達と銀髪以外の計六人の乗客に目をやった婦人は、顔を紅潮して大袈裟に溜め息をついてみせた。
「ああもう、分かりましたわよ! 弁償すれば良いんでしょう、弁償すれば!」
彼女は胸に抱えていた小さなポーチバックから財布を取り出すと、札を一枚抜き取って手近のテーブルに叩き付けた。
「わたくしはもう帰りますわよ!」
財布をポーチに戻し、踵を返す婦人。
「――あ、ちょっと待って下さい」
しかし、平淡なレゼルの声に待ったを掛けられ、心底苛ついたように振り返ってレゼルを睨み付けた。
「まだ何かありまして!?」
「お釣り、払います」
彼女から渡されたお金は明らかにカルボナーラ一皿分を大幅に超していた。レゼルは弁償してくれさえすれば満足であり、別に彼女から金を集ろうとしていた訳ではない。
だが、そのレゼルの一言は彼女には余計なものであったようだ。彼がコートの内ポケットから財布を取り出す前に、婦人はぶるぶると震えながら怒鳴った。
「そんなもの要りませんわ!! もう話し掛けてこないで頂戴!」
どうして彼女が怒ったのか分からずにレゼルがぽかんとしていると、婦人はドレスに包まれた己の太い二の腕を掻き抱くようにしてから足音高く去っていった。
二の腕を掻き抱いた仕草から、彼女は寒くてぶるぶると震えていたのかもしれないとレゼルは見当違いなことを考えた。いつもは人の感情の機微に鋭い彼だが、今はその『いつも』ではなかった。それは、朝から嫌なもの――連続殺人事件の現場を見てしまったからなのか、それとも銀色の髪を見てしまったからなのか。それは本人にもよく分かっていない。
第四号車へと繋がる扉が閉まったところで、ぴんと張り詰めていたカフェ内の緊張の糸が緩まった。誰からともなく、薄い息を吐く。
「……済まないな」
そんなとき、レゼルの背中に低い美声が投げられた。それはレゼルへの謝罪らしい。
予想通り、振り返ればそこには立ち上がった銀髪眼鏡のイケメンがいる。彼は白衣に付いてしまった埃をはたいてから、床にぶちまけられたカルボナーラの片付けをしていたウェイターに視線を移した。
「君にも迷惑を掛けた、済まない」
どうやら、彼は律儀な性格をしているらしかった。突然謝られたウェイターは困惑しながらも「いえ、仕事ですから」と答える。
俺もそれに続くように首を横に振って彼の謝罪に返事をする。
「弁償もして貰ったし、もういいですよ。それと、頭大丈夫ですか? 俺ちょっと今機嫌が良くなくて」
「ああ、別に大丈夫だ。倒れたとき、何とか頭と顔をぶつけることだけはしないように死守したから。ご心配ありがとう」
「……いや、そうじゃなくて踏みつけたことなんですが」
どこかずれているイケメンに、レゼルはバツが悪そうに人差し指で頬を掻いた。
しかし彼は終始首を傾げるばかり。もしかしたら――いや、もしかしなくても彼はレゼルに踏みつけられたことを全く記憶していないようだった。
まぁ、それならそれで謝る必要が無くなるから楽でいい。
レゼルはセレンやミーファ達のいるテーブルの元へと戻る。
「大丈夫ですか、レゼル。少し疲れているようですが」
はす向かいからセレンがやや気遣わしげな声で問うてくる。レゼルは苦笑しながら大丈夫、とだけ答えた。
そのやり取りに他の皆もいつもの調子を取り戻したのだろう、晴牙が大きなスプーンでハヤシライスを掬うのを皮切りに食事が再開される。周りの乗客も、自分の時間へと戻り始めた。
だが、レゼルだけはカルボナーラが運ばれてくるのを待つ形になる。その時間に、レゼルは未だ所在無さげに立ったままの銀髪を見上げて口を開いた。
「あの、ちょっと質問をしていいですか」
話し掛けると、彼は少し驚いたように眉をピクリと動かした。
「……何だ」
「いえ、その……答えたくなければ答えなくてかまいません。――貴方の出身国って、何処ですか?」
「君は……」
銀髪の青年は何事かを呟き、少し考える素振りを見せた。だがすぐに無表情に戻って、
「……もう無いところだ」
そう、答えた。
瞬間、レゼル達の座るテーブルからだけフォークやスプーンが皿と奏でるカチャカチャという音が止んだ。
レゼルは青年から目を逸らして自分の足元を見詰めた。
「……そうですか。変なことを聞いてしまってすみません」
「いや、別にいい。銀髪は珍しいからな、そういう質問はよくされる。この頃はあまり無かったから、ちょっと不意打ちだっただけだ。……ところで、もしかして君もそのフードの下の髪は銀色なのか?」
ほんの、少しだけ。レゼルは彼のその声が面白そうな色を含んでいるように思った。視線を上げて再び彼を見れば、口端が僅かに上がり笑っているように感じる。
「……いえ、違いますけど」
嘘は言っていない。
確かに、レゼルは創造術を行使した瞬間、髪色が灰から銀に変わる。灰色が《雲》の所為だと考えれば、レゼルの本来の髪色は銀なのだろう。しかし現実に彼は《雲》であり、髪の色も銀であるときより灰であるときが圧倒的に多い。なら、『フードの下の髪』は灰色で、銀色ではない――ということで間違いない筈だ。
「……そうか」
青年がやや訝し気な声音と共に小さく頷いたとき、再度頼んだカルボナーラが運ばれてきた。
「お客様、大変申し訳ありませんでした。ごゆっくりどうぞ」
店側が悪い訳でもないのにレゼルと青年謝るウェイターの男は、湯気の立つカルボナーラが乗った皿をテーブルに置いた後深々と頭を下げた。
「……それじゃ。俺も本当に迷惑を掛けたな」
それだけ言って、料理受け取り口であるカウンターへそそくさと去っていくウェイターとは反対方向に青年も歩いき出した。
だが、彼はすぐに立ち止まった。レゼルの後ろのテーブルに座った壮年の男性が彼の腕を掴んだのだ。
レゼルはテーブルに備え付けられているフォークを取りながら、肩越しにチラリとその光景を見た。因みに彼が落とした前のフォークはすでにウェイターによって片付けられている。
「……何か?」
青年がこてんと首を倒す。何だか寝惚けているような仕草だ。
壮年の男性は薄く髭を生やした快活そうな顔に笑顔を浮かべた。
「兄ちゃん、災難だったな」
「え?」
「あのご婦人のことだよ。俺ぁ、あの人とは近所に住んでんだが……まぁ、ああいう性格だろ? どうせ兄ちゃんも理不尽なことでいちゃもん付けられたんだろうと思ってな」
男性の言葉を聞き、青年はああ、と納得したように一つ頷いた。
「……彼女は、俺が第五号車にいることが癪に触ったみたいですよ。貴方は貴族でもない凡人なのに、とか何とか言われましたね」
第五号車、というフレーズに男性が目を見開いた。
レゼルもカルボナーラを口に運ぶのを止めて思わずぱちぱちと瞬きを繰り返してしまう。盗み聞きをしていた訳ではないが、すぐ後ろからの会話だったので嫌でも聞こえてきてしまうのだった。
有紗やセレン達――レゼル以外の皆も、驚いたのか食事の手を止めている。流石に振り向いたりはしないけれど、レゼルの向かいに座る四人は青年を凝視していた。
まぁ、無理もない。イケメンとはいえ、何というか雰囲気が凡庸な彼が一番豪華な部屋がある第五号車に乗っているなどちょっと信じがたい。よく見れば白衣もよれよれで皺が目立つし、綺麗な筈の銀髪も所々跳ねている。倒れたときにそうなったとは考えにくい跳ね方だから、寝癖だろうか。勿論、こんな男はとても貴族には見えないし、金を持っているようにも感じられない。
レゼルは横目で青年を捉えながらそんな失礼極まりないことを思った。それに彼は『今は無い場所』が故郷だと言っていたじゃないか。それが本当ならば、彼が貴族である訳がない。
隣の晴牙でさえ、ハヤシライスにがっつくのを止めてチラチラと青年の様子を窺っている。考えていることはレゼルと殆ど同じだろう。
「……こりゃあ、驚いた。兄ちゃん、金持ちか?」
随分ストレートな男性の問いに、青年は平然と答えた。
「自分はこれでも医者ですから。平均以上のお金は持っているつもりです」
彼が、医者。また、レゼル達は少々驚く。
しかし、男性は今度は驚かずに服の上からでも筋肉が付いていると分かる大きな身体を震わせて笑った。
「そうか、医者か! そういや兄ちゃん、白衣着てるもんな」
「今はプライベートですけどね。もう癖みたいなもので、白衣を着ないと落ち着かないんです」
「ははは、そうかそうか! いやいや、若ぇのに立派な兄ちゃんだなぁ。あんた、名前は? あ、俺はグラヴっつーんだ。ちょっと交易都市リデルバランに用があってな、この汽車に乗ってんのよ」
「グラヴさん、ですか」
「おうよ。で、お前は?」
グラヴと名乗った男性はそこでようやっと青年の腕を放した。
青年は掴まれていた場所を一瞥した後、
「……レグ、だ」
レゼルの中に細い棘のような違和感を与える名前を、名乗った。
更新、遅くなってしまい申し訳ございません!
そしてもう一つ、謝らなければならないことがあります。
最近、学業が忙しくて執筆の時間が取れません。勿論、書く意欲は失っていませんが、今、一週間更新でいくのはきつくなってきてしまいました。
大変申し訳ありませんが、更新を不定期にします。
一ヵ月に一話、くらいのペースになってしまうと思います。本当にすみません。




