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血染めの月光軌  作者: 如月 蒼
第一章 創造祭編
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第3話 編入試験②

 長くなってしまいました……。毎回ページバラバラですみません。

「実技試験ってどういう事するんですか?」

 講堂の建物から出てレゼルの前を歩く女性教師の背中に彼はふとした疑問をぶつけてみた。

 女性教師――ルイサ・エネディスは振り返る事なくすらすらと答えた。

「普通なら『物』の創造をしてもらう。創造術(クリエイト)で創った物――創造物の構築(コントラクション)消失(バニッシュ)の早さ、それに強度などを試験官が評価する」

 今は、編入試験其の弐・実技試験が行われるという実技棟に向かっている所だ。

 筆記試験が行われた講堂と実技棟は渡り廊下で繋がっている。現在その渡り廊下にいるのだが、渡り廊下は中庭を縦に分断する様にあって、レゼル、セレン、ルイサの三人は冷えきった空気の中を進んでいた。

「寒いな……」

 ルイサの呟きは独り言だとは分かっていたが、レゼルは寒さを忘れたいが為に声を発した。

「時間的に一番冷える時ですしね」

 レゼルの口から白い息が漏れる。

 ルイサも彼と同じ気持ちだったのか、レゼルの話に乗ってきた。

「全く、引ったくりなどがあったお陰で予定が三十分もずれてしまった」

 只今の時刻、午後十一時半少し前。後三十分もすれば日付が変わってしまう。

「今更だが、学院の休日に試験が出来なくてすまないな」

 ルイサは歩き続けながら、振り返りもせず、だったが、声には謝罪の響きが確かに込められていた。

 だから、レゼルは反射的に首を横に振った。

「いや。学院には滅多に編入生なんて来ないから、仕方ないですよ。試験が遅い時間になるのもある程度覚悟してましたし、俺が編入届送ったのも時期が悪かったし」

 学院に編入生は滅多に来ない。まず、創造術を学ぼうとする少年少女は春に入学するからだ。

 因みに、全ての創造学院で、一人の者に門戸を開くのは一度と決められている。入学試験で落ちてしまった者は、そこで諦めるしかないから、入学試験で失敗した者が編入するという事はない。

 そして、創造学院が冬に最も忙しくなるのは有名、というか当たり前の話だった。

「冬は空気が澄んで、星がよく見える様になる。創造術が一番行使しやすい時期だ」

 ルイサが夜空を見上げながら言った。

 レゼルとセレンも釣られて顔を上に向ける。

 渡り廊下の屋根は硝子製で、夜空に浮かぶ星々が透けて見える。屋根にはステンドグラスも嵌め込まれ、頭上の風景は学院の厳かな雰囲気にぴったりだった。

「綺麗です」

 セレンがうっとりとした声音で呟いた。無表情は変わらないが。

「……隠れてるな」

 目を凝らして夜空を見上げていたレゼルの声はルイサに聞こえてしまったらしい。

 彼女は首を回して不思議そうにこちらを見た。

「隠れてる? 何が、隠れているんだ?」

「あ、いや……その、月が雲に隠れてるなって」

「月? ……ああ、そうだな」

 ほぼ真上に浮かぶ月は今、ちょうど厚い雲に覆われてしまっている。今夜(時間的に)は風が無いから、あの雲は明日まで月を包み続けるだろう。

「そういえば、さっき思ったんですが、実技試験って『能力』の創造は評価しないんですか?」

 レゼルの言葉は少々唐突だと感じたが、彼の言葉で言い忘れていた事を思い出したルイサは、すぐに彼の質問に答えた。

「馬鹿者。『能力』の創造は受験者には難しいし危険だ。学院に入る前から出来る者など毎年入って来る新入生二百五十人の内三十人程度だぞ」

「そうなんですか?」

「そうなんだ。『能力』の創造をあんな簡単にこなす君がその三十人の中に入っているというだけだ」

 そうだったのか、とレゼルは心の中で驚いていた。

 今まで彼の周りにいたのは、プロの中でも一流の創造術師(クリエイター)達だけだったのだ。学生の創造術師、つまりアマチュアには会った事さえ無い。

「……だが、実技試験で君には『能力』の創造もしてもらおうと思う」

「……は?」

 ルイサの言った事が心の底から理解出来なくて、レゼルは足を止めた。

 上を向いて歩いていたセレンがその背中にぶつかった。

「言ったはずだぞ? 普通は『物』の創造をしてもらう、と。普通は、という事は、今回は普通では無いという事だ」

 ルイサも歩を止め、振り向いてくる。眼鏡の奥の瞳は冗談を言っている時のものでは無い。

「……何で普通じゃないんですか?」

「もうこんな時間だろう? 実力を見るなら戦闘が一番手っ取り早い。もちろん対人戦だ」

「対人戦って、相手はまさか」

「私ではない。そこまで酷な事はしないさ」

 レゼルの発言を遮って言うと、ルイサは体の向きを元に戻して歩みを再開した。

 レゼルとセレンもその後に続く。

「心配要らないさ。相手など、実技棟に行けば沢山いる」

「え?」

「行けば分かる」

 ルイサはそれだけ言って黙ってしまった。

 レゼルも無理に問うたりはせず、行けば分かると言うのだからと、大人しく試験官に付いていった。

「日付が変わる前に終わらせてしまおう」

 後ろで眠たそうにしているのを隠しきれていないセレンが気に掛かっていたレゼルは、ルイサの意見に同意した。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 編入希望の少年が筆記試験を受けている頃に時間は遡る。

 実技棟に、一人の女子生徒と一人の男子生徒が訪れた。

「あら、代表に副代表。遅くまでお疲れ様です」

 実技棟に入るとすぐに広い空間が広がっている。ここは創造術の訓練場でもあるから、当たり前と言えば当たり前だった。

 実技棟は模擬試合の闘技場も兼ねているので、それを観戦する為に長方形の空間の左右には観覧席が設けられている。訓練場もとい闘技場を見下ろす形になる、階段状の観覧席だ。

 今来たばかりの女子生徒と男子生徒は、二人がここに来る前からここで創造術の訓練に励んでいた女子生徒に実技棟に入るなり声を掛けられた。

 代表、と呼ばれたのは女子生徒の方。

 その女子生徒はかなりの美少女だった。高い位置で纏めたポニーテールは鮮やかな金髪。その活動的な雰囲気を醸し出す髪型としっくりくる、峻烈で美しい(みどり)の瞳。

 しっかりしていそうな容姿は少し冷たさを感じたが、声を掛けてきた女子生徒に対し微笑んだ表情は、とても暖かなものだった。

「貴女も、お疲れ様。遅くまで頑張っているのね」

「そんな! 私は自分の為だから……。私達の為に遅くまで頑張っている代表達とは、比べ物になりませんよ。創造祭(そうぞうさい)の準備、お忙しいのでしょう?」

「まぁ、そこそこね。はっきり言うと、細かい所は先輩達がやってくれるから、一年は楽だわ」

「おいミーファ、お前が楽してる分は俺の所にくるんだからな」

 ミーファ、と名前を呼ばれた女子生徒は、自分と一緒に実技棟を訪れた男子生徒を見た。

 先程、元々ここにいた女子生徒から副代表と呼ばれたのはこの少年だ。

 体格の良い男子生徒だった。明らかに格闘技の得意そうな容姿。

 かといって露骨にゴツい、という印象はそれほどでも無い。茶色に染めた長めの髪と片耳だけに付けた小さな金色のピアスは、軽い感じを思わせる。

 だが何処か、人を安心させる様な、負の感情を包み込んで消してしまう様な雰囲気もある。

「え、そうだったの? 知らなかったわ」

「絶対知ってただろ、お前!」

 二人のやり取りに女子生徒がクスクスと笑う。

 暫くしてミーファと男子生徒もそれに釣られて笑顔を溢し、和やかな空気が漂った。

「ノイエラ、訓練は上手くいってる?」

 ミーファにノイエラ、と呼ばれた女子生徒は曖昧な笑みを浮かべた。

「そこそこ、ですね。今日は少し暗いとはいえ、それは月が雲に隠れているからであって、星は綺麗に見えているのに」

 星の光を使う創造術は、気候・気象が大きく影響してくる。

 星に雲が掛かっていればその光は地上――正確には創造術師――に、届き難くなる。創造物の構築や『能力』向上の際に重要になる融合体は、星の光が少なくなってエナジーとの比率が乱れると外に引っ張り出し難くなったり、筋肉や神経系に取り込み難くなったりしてしまうのだ。

 その行き着く先は、創造術の失敗。

 エナジーの脈が暴走し、エナジーが外に駄々漏れになってしまう、という事もある。それは生命力が徐々に減っていくという事。流血と同等の「重症」なのである。

 身体にダメージが返ってくる程のミスをしなくても、創造物が脆くなったり能力が思った通りに上がらなかったり、という事が起こる。

 星の光が多くてエナジーが少ない融合体も問題だが、エナジーの制御は星の光の制御より格段にやり易いのでそういう融合体を作り出す創造術師は殆どいない。

 制御しやすい理由は唯一つ、エナジーは自分の身体を構成するものだからだ。誰だって他人の腕を思い通りに動かすよりは自分の腕を思い通りに動かす方が明らかに簡単だろう。

 だから、星のあまり見えない日は創造術は使い難い。

 星が殆ど見えない――というか、星の光が全く届かない真っ暗な空間でも簡単な創造術ならこなせる様になれば、創造術師として一流の証だと言われている。

「さっきも剣の創造に失敗して、すぐに折れちゃったんですよ。創造術の使い易い冬でもこれなんて、先が思いやられます……」

 はぁ、と疲れた表情で溜め息をつくノイエラ。

 そんな彼女に、ミーファが笑顔で声を掛けた。

「大丈夫よ。だって、ノイエラの本領はこっちでしょ」

 自分の頭を指差すミーファ。

 ノイエラは、実技の成績は芳しくないが、一般教科含め創造術理論――つまり筆記に至ってはかなりの秀才なのだ。

「しかしそれだって、代表には敵わないではありませんか。創造祭だって評価されるのは実技です」

「ミーファ、何のフォローにもなってないぞ」

 ノイエラの悲しそうな瞳と呆れ顔の男子生徒に責められる様に言われ、たじろぐミーファ。

 しかし、すぐにノイエラは笑顔になった。縁無し眼鏡の奥の知的そうな目が細くなる。

「ふふ。私は代表に敵わないからこそ、代表に憧れるのですが」

「ノイエラ……」

 感動した様に翠の瞳を輝かせるミーファに、男子生徒は内心呆れ返っていた。

「おい、ミーファ」

「何よ、ハルキ」

「早くしねぇと、編入生が来ちまうぞ」

「分かってるわよ」

 男子生徒――ハルキとミーファの話にノイエラは首を傾げた。ストレートショートの髪が揺れる。

「編入生ですか? ……そういえば、何故お二人は実技棟へ?」

「実はね、今日、編入試験が行われているの。それでこの実技棟を使うのよ」

 ミーファの説明にノイエラは目を丸くした。

 創造学院に編入生なんて普通いないから、驚いたのだろう。いや、学院に編入という制度がある事自体、彼女は知らなかったのかもしれない。

「今から試験なんですか? もうすぐ一日が終わっちゃいますけど」

「ああ、そうだ。休日は教師全員、時間が取れなかったらしい。編入生、カワイソーに。眠気と戦いながらの試験だぜ」

 ハルキは自身の言葉とは裏腹に、とても楽しそうに言った。

 ミーファとノイエラはそんな彼を見て苦笑を浮かべる。

「まだ、あまり眠い時間でも無いですけどね。編入生って、どんな人なんですか?」

 ノイエラがその表情のまま、どちらともなく訊ねる。

 答えたのはミーファだった。

「それがね、名前しか分かってないの。レゼル君って言うらしいわ」

「男の名前だよな、レゼルって。姓も分かんねぇし。面白い奴だと良いな」

 ハルキが実技棟の中で創造術の訓練をしている沢山の生徒達を眺めながら言った。

 友達同士でグループを作って創造術で模擬試合をしている者達もいれば、一人で黙々と『物』の創造を繰り返している者もいる。おそらくノイエラは後者だったのだろう。

 そしてそんな空間の所々から様々な色の光が輝いている。この光は、融合体を外に引っ張り出す際に漏れる光で、創造光(クリエイトフラッシュ)と呼ばれている。

 だが、この創造光を漏らさないのが一流の創造術師だ。

 創造光を漏らさない、という事はつまり、構築のスピードが早いという事だ。融合体を外に引っ張り出すのが早ければ創造光はあまり漏れない。

 実戦でも、創造術で『物』を創造する度に光が発されていたら隠れる事も出来ないだろう。

 しかし、学生の創造術師――アマチュアで創造光を漏らさない、という生徒はあまりいない。

 創造光を漏らさない創造術――無光創造(むこうそうぞう)が出来るのは、最高学年の四年生や三年生の半数、毎年三十人程度いると言われる『能力』の創造が出来る特別優秀な生徒くらいだろう。

「まぁ、学院に入学じゃなくて編入してくる奴なんだから面白い奴の可能性は高いな」

「入学手続きが遅れただけかもしれないわ」

「今冬だぞ? 半年以上も遅れる事なんかあるのか? ……ミーファ、お前、学年で一番筆記出来るのに変なとこで頭悪いよな」

「う、うるさいわね。余計なお世話よ」

 ノイエラはミーファとハルキの会話を微笑ましそうに笑顔で聞いている。

 ミーファはそんな彼女を見て「何かハルキに言ってくれれば良いのに」なんて思いながら、話を逸らす事にした。

「それより、早く皆に事情を説明して試験の間だけ実技棟のスペースを空けてもらうわよ。訓練の邪魔をするようで悪いけど」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 リレイズ創造術師育成学院はまるで神殿、王宮の様な造りをしている。

 その理由は、創造術が神様からの贈り物で神聖なものだからだ。創造術の学舎は、教会の様に神聖な場所でなければならない。

 だからこそ荘厳な造りになっているのだ。まずは形から、という事だろう。

 その事から、学院はこう呼ばれる事がある。

 ――聖域(サンクチュアリ)、と。

「……何か、急に違う場所に飛ばされたみたいな……」

 そして、学院が聖域だからこそ、実技棟の外見を見たレゼルはそう呟いた。

 実技棟の外見は、聖域と呼ばれるに相応しい本校舎や講堂などとは違って、飾り気が一切無いのである。

 長方形の大きな建物が縦に五つ並んでいる。右から第一実技棟、第二実技棟、という風になるらしい。中庭を通る渡り廊下は全ての実技棟に通路が延びていた。

 実技棟の屋根は創造術を使い易くする為(星の光を取り込み易くする)、硝子張りだ。ルイサに聞いた話によると、星の光を物理的な障壁を越えて取り込める様に訓練する為に第五実技棟だけは硝子張りの屋根ではないらしいが。

 そこはまだ良いとして、問題は壁だ。白一色の強化素材で造られた壁。窓は屋根が硝子張りな理由と同じで沢山あるが、飾り気は全くない。実技棟は創造術の技術と共に日々進んでいる科学の力を使っているらしい。おそらくは最新のものを取り込んでいる。

 まるで、近未来にタイムスリップして来たみたいだった。

 しかしすぐに「いや、そういえば外見に反して講堂の中は冷暖房・空中投影ディスプレイ完備だったな」とレゼルは思い直した。

 学院の中と外では科学技術の進歩度がまるで違う。サーシャには前もってその事を聞いてはいたものの、やっとレゼルは実感出来た。

「私も最初はそう思ったが、もう慣れたな」

「……俺は慣れそうにないな」

 レゼルはルイサの言葉に首を振った。

 何故って後ろを振り返れば荘厳で厳かで神秘的な中庭と渡り廊下と講堂と本校舎があるのだ。その中は科学技術がふんだんに搭載されているが、実技棟に来た時の違う世界に飛ばされた感はすぐには拭えないだろう。

「まぁ、とにかく入ろう。早く試験をしないといけないし、何より寒い。中では一年の代表と副代表が準備をしてくれているはずだ」

 ルイサがそう言っている内に、強化素材の扉が両側に開いていく。センサーが扉に歩み寄った彼女に反応したらしい。講堂にこのシステムは無かったから、これは実技棟だけなのだろう。

 変わらぬ足取りで入って行くルイサにレゼルとセレンが続く。

 緋色の髪の少女はとても眠たそうだ。

 早く試験を終わらせなければ、と決意の様なものを秘めながらレゼルが実技棟に入ると、何故か沢山の生徒に出迎えられた。

「……は?」

 フードに隠れた目を見張って、思わずすっとんきょうな声を上げてしまう。

 一体ここは何処だ。今真夜中近いんだが、何故こんなに生徒が実技棟にいるんだ。何かイベントでもあるのか。何かって何だ。これからあるのは俺の実技試験じゃないのか。

 数々の疑問が頭の中を過っていく。

 唖然とするレゼルを、沢山の生徒達は観覧席から出迎え――否、注目し、見下ろしていた。

 男子は黒、女子は白を貴重とした創造学院の制服を着た生徒達は、レゼルを見て微かにざわめき始めた。

「アイツが編入生だろ?」

「顔見えなーい」

「強いのかな?」

「馬鹿言え。半年以上も遅れて今更学院に入ってくる奴だぞ?」

「そうそう。きっと学習意欲が薄いのよ」

「強い訳ないって」

「あ、だよねー」

 レゼルの卓越した聴力は全ての台詞を拾っていた。その事に生徒達は気付くはずもない。

 こういう事を言われるから編入という待遇は嫌だったんだ、と思って心の中で溜め息を吐きながら、しかしレゼルにそれほど気にした様子は無かった。

 覚悟はしていたし、こんな中傷はレゼルにとって何でもないものだったからだ。

 生徒達のざわめきの中には「赤い髪の子、誰?」とか「編入生って二人いるの?」とか「超可愛い」とかも混ざっていた。が、セレンは特に気にはしていない様で、

「……レゼル」

 袖を引かれた感触がして肩越しに後ろを見ると、眠たそうにぼーっとしていた感じを完全に消したセレンが小さく囁いて来た。

「……何だ?」

 レゼルも小声で問う。

「顔を見せるのは、実技試験で創造術を見せてからの方が良いです。そうでないと……」

「……ああ。確実にパニックになるな」

 二人は小声で話す間も、ルイサの後を付いていっていた。

 観覧席でなく、実技棟の中央――訓練場の中央にも生徒はいた。

 左から、体格の良い男子生徒、金髪ポニーテールの女子生徒が横に並んで立っている。

 ルイサは彼らの前で止まると、女子生徒の方に声を掛けた。

「準備ご苦労様、と言いたい所だが……ミーファ、この状況は何だ? 生徒達は寮に帰らせなかったのか?」

 すると、女子生徒は苦笑いを浮かべた。

「皆、実技試験が早く終わるならその後でまだ訓練していきたいって言ってまして。それと、実技試験を見たいみたいです」

「ま、普通はこうなりますよね」

 と、自分の後頭部に腕を回して軽い調子で言ったのは隣の男子生徒だ。

「成る程、な……」

 ルイサは女子生徒の説明で納得したのだろうが、溜め息を吐いていた。

「頑張り屋なのは結構だが、殆どの生徒が編入試験というイレギュラーに好奇心を隠せなかった訳か」

 そしてレゼルも、彼女と同じ心境だった。

 彼女と女子生徒の会話から、何となく状況は把握出来た。

 冬には、創造祭という祭りが創造学院主催で開催される。学院が冬に忙しくなるのはこれが理由だ。

 その創造祭で学生達は自らの創造術を披露するという。生徒達がこんな遅くまで訓練に励んでいるのはその為だろう。

 そして、レゼルの実技試験が見せ物の様になったのは、女子生徒やルイサが言った通りの理由である。

「あ、えっと、初めまして。私、一年代表のミーファ・リレイズと言います。編入実技試験は代表として観させて頂きます」

 金髪ポニーテールの女子生徒は翠の瞳を細めて微笑みながら、自己紹介と何故この場にいるかを話し、気さくに握手を求めてきた。

 しかし、レゼルは彼女の手を握る事が出来なかった。

 握手を拒む理由があった訳じゃない。彼女の名前を聞いて、少なからず驚いてしまったのだ。

 ミーファ、という名前の女子生徒はフードでレゼルの顔が見えていないのだろう。なかなか握手を返してくれない彼に、ミーファは怪訝そうな顔をした。

「……リレイズって」

 だが彼女は、呟かれたレゼルの言葉に彼が驚いているのだと経験則で分かり、曖昧な笑みを浮かべながら手を下ろした。

「ええ。私の母は学院長兼この街の領主、ミーナ・リレイズです」

 リレイズ家は、代々、リレイズの街の領主と創造学院の長を務める家系だ。多くの優秀な創造術師を輩出した、創造術の世界の中の名家である。

 そして、ミーファというこの少女も、優秀な創造術師。神童と呼ばれる彼女はまだ創造学院の一年生だった。

 その事に、レゼルは驚いたのである。

 そしてもう一つ、握手を返せなかった理由があった。ほんの一瞬だけ、彼女を見て違和感を感じたのである。それの正体が何なのかは分からなかったし、気のせいかもしれないのであまり気にはしなかった。

「やっぱ有名だな、ミーファは。編入生のレゼル君も知ってたぜ」

 おちゃらけた感じで言ったのは、男子生徒だった。彼は笑って続ける。

「俺は聖箆院晴牙(しょうのいん・はるき)。一年の副代表だ。ここにいるのはミーファの理由と同じ。頑張れよレゼル」

 男子生徒――晴牙は手を差し伸べては来なかった。しかしそれはレゼルが気に食わないとかではなく、単に面倒臭いからだという事が雰囲気から分かった。

「ショウノイン……? 珍しい名前だな。極東の人か?」

 どうやら彼はかなり話しやすい人のようだ、と直感したレゼルは晴牙に訊ねた。

 そのレゼルの言葉を聞いてミーファが首を傾げたが、訓練場にいる者は誰も彼女の仕草に気が付かなかった。

「ああ。俺は極東から来たんだ。初めてか? 東洋人を見るのは」

 よく見れば、彼の瞳は茶色をしている。顔立ちも生粋の東洋人の証になっていた。

 それなのに、流暢にすらすらとディブレイク王国の公語を話すな、とレゼルは感じた。が、語学には一応自信があるレゼルなので、それが顔に出る事はなかった。

「いや。一度、極東に行った事がある。とても良い所だったよ」

 これは本当の事だ。二年前、レゼルは極東を訪れた。そして本心から良い所だと思えたのである。

 途端、晴牙は目を輝かせ、手を握って来た。

「だろ? 良い所だろ? お前良い奴だな!」

 ばんばん、と背中を叩かれる。地味に痛かったが、嫌な気分にはならなかった。

 しかし同時に疑問を覚えた。

 確か、極東の日本という国にも創造学院はあったはずだ。どうして北のディブレイク王国にあるこのリレイズ創造学院に来たのだろうか?

 世界で五つある創造学院の入試は同じ日に行われる。一人の者に一度しか門戸を開かないというのは五つの創造学院全て引っ括めての制度だ。だから日本の創造学院の受験に落ちたからリレイズ創造学院に来るなんて事は無理。そうなると、最初から晴牙はリレイズ創造学院を狙っていた事になる。

 質問を口にしかけたレゼルだが、プライバシーという言葉を思い出して自重した。

「ところでレゼル、その緋い髪の子は?」

「名前はセレン。彼女はレゼル君の連れでな、彼が試験に合格すれば私の補佐役になる」

 レゼルの手を離して首を捻った晴牙に答えたのは今まで黙っていたルイサだった。

「宜しくお願いします」

 ぺこり、とセレンが可愛らしく頭を下げる。それで実技棟のざわめきが少し鎮まった(静まった?)気さえした。

「自己紹介は済んだな。さ、試験を始めるぞ」

「ちょっと待って下さいエネディス先生! まだレゼル君の自己紹介が終わってませんから」

 ルイサを制してミーファはレゼルに言う。

「ごめんね、レゼル君。 私とハルキ、君の編入希望届見せてもらってないの。自己紹介してもらって良いかな?」

「ああ、分かった。元々そのつもりだったしな。俺はレゼル・ソレイユ。ちょっと事情があって学院に入るのが遅れてしまったんだ。無事入れたら、よろしく……って、あの……?」

 ミーファは目を見開いてレゼルを見詰めていた。

 最初は戸惑ったが、すぐに彼女の驚きの顔の理由が分かった。

 それに、驚いているのは彼女だけではない。晴牙はまさか、という顔を隠そうともしていない。観覧席にいる生徒達もぽかんとしていたり、絶句したりしている。

 彼らは皆、ソレイユという姓の意味を知っているからだ。

 セレンの仕草のお陰で少しは収まったはずのざわめきが再び大きくなるのを認識しながら、レゼルはミーファや晴牙に、自分はレミル・ソレイユの弟である事を伝えようとした。

「じゃ、じゃあ、君はあの――」

 しかしミーファが微妙に呂律の回っていない口調でレゼルの発言を事前に遮った。

 そして彼女の発言さえも、遮られた。誰かの言葉ではなく、物理的な干渉によって。

 敵意は、実技棟に入ってから途切れる事なく察知していた。だが、如何せん敵意は多過ぎた。

 一際強い敵意を探すのは面倒臭かった。レゼルは、自分に向けられる敵意ならどうでも良かったからだ。自分が敵意を向けられても、自分の大切な人達に被害が及ばないのならば、自分を好きなだけ嫌いになればいいと思っていた。

 しかし今、レゼルに向けられている敵意が彼の最も大切な人を害しようとしていた。

 観覧席から飛んだ投げナイフ。

 鈍色の刃は、レゼルという的を外してセレンにその矛先を向けていた。

 咄嗟に身体が動く。

 創造術を使うなんて意識は全く浮かばない。

 セレンの前に素早く回り込んだレゼルは、素手でナイフを受け止めた。右手の甲を自分の顔に向け、ナイフの刃の部分を人差し指と中指に挟んでいる。

「レゼル。私でもナイフくらいどうにでもなりましたが……」

 生徒達やルイサが言葉を失う中、セレンが無表情に、しかしレゼルが守ってくれた事に少し嬉しそうな声音で言う。

 だが、そんな少女も、次の瞬間、周りと同じ様に言葉を失った。

「貴様!」

 レゼルはセレンや周りの反応には構わず、怒りのまま声を上げた。

 投げナイフを放った者はとっくに特定出来ていた。ナイフは創造術で創った物だったらしく、レゼルが指に力を加えると消失した。

 レゼルから見て右側の観覧席の一番上。そこにいる男子生徒を殺気と怒気を込めて睨み付ける。

 彼の視線と雰囲気、自分の創り上げた創造物(ナイフ)が簡単に消失した事に、その男子生徒は誰の目にも明らかに怯み怯えたが、男子生徒のネクタイは赤。最高学年の意地があるのだろう、彼は表情を狂った笑みに変えた。(男子制服のネクタイと女子制服のリボンの色についてはルイサに教えられていた。赤が四年、緑が三年、青が二年、紫が一年。実技棟には少し一年の割合が高いものの、ほぼ四学年は人数の比率は変わらない。)

「ふざけんな! 目障りなんだよ、お前! 今頃編入? ハッ、お前みたいな学習意欲の無い奴がノコノコと入って来れる場所じゃねぇんだよ、学院は! お前が編入試験を受けるだけでも虫酸が走るっつーのに、挙げ句俺達の訓練を邪魔して実技試験だと? ウザいにも程があるんだよ、自分の立場分かって……」

 興奮し、狂った様に叫び、レゼルに悪態をつく男子生徒。

 しかしレゼルは、何時までも続くと思われた彼の罵倒が次第にフェードアウトしていった事が気になった。

 彼には、男子生徒の罵りは全く届いてはいなかったからだ。心底どうでもいい言葉の羅列だとしか思っていなかった。

 そこで、レゼルは自分の頭の上が軽くなっている事に気付いた。その意味にも気付き、レゼルは一瞬全身から血の気が引く感覚を覚えた。

 だが、それも一瞬。

 元より覚悟していた事だとすぐに冷静になる。そしてこれが原因で男子生徒の罵りはフェードアウトしていったのか、と納得した。

 レゼルの、コートのフードが、外れていた。


 ――但し、ルイサの見た髪と瞳の色は、そこには存在していなかった。


 観覧席が静まり返った。ルイサが、晴牙が絶句した。ミーファだけは何故か、悲しそうな瞳をしていた。セレンは、レゼルと共に覚悟を決めていた。

 しかしレゼルは、変わらずナイフを放った男子生徒を睨み付けていた。

「ちゃんと俺を狙え! 貴様それでも四年か!?」

 少し怒りの矛先がずれたレゼルの発言に実技棟の中の張り詰めた緊張感が幾らか削がれ――それが引き金になったのか、あちこちから立て続けに悲鳴に近い声が上がった。

「うわっ……!?」

「お、おい、マジかよ! あれって……!」

「きゃああぁぁぁっ!」

「嘘でしょ!?」

「何で《(クラウド)》が学院の試験なんか受けてんだよ!」

「やっと顔見えたぁ。ちょっと、や、かなり良くない?」

「何言ってんの馬鹿! 彼の髪と目の色、あれ、どっからどー見たって《雲》でしょーが!!」

 小さなパニックに陥る観覧席。

 中には半狂乱になって実技棟から逃げ出す者もいる。

「レゼル君、君は……」

 呻く様なルイサの声。特に彼女は引ったくり騒動でレゼルのあの姿を見ているから、目の前の少年の姿が信じられないのだろう。

 緋色の髪と瞳の少女を背中に庇いながら、悠然と観覧席を睨み付ける少年。

 今、彼の髪と瞳の色に、《白銀の創造術師(シルバリー・クリエイター)》レミル・ソレイユを彷彿とさせる銀と青は無い。


 ――彼は、灰色の髪と漆黒の瞳だった。


 観覧席のパニックが最高潮に達する。

 レゼルに睨まれている男子生徒はその眼光に呑まれてしまったかの様に突っ立ったまま。膝が情けなく震えていたが、表情は気丈にも笑みを浮かべている。

 そこでやっと、呆然としていた晴牙とルイサが事態を収拾しようと動き出そうとした。

 さすがは学年を束ねる副代表と教師――それも彼女は普通の教師ではない――だ。

 しかしその時、実技棟に怒りに染まった声が叩き付けられた。

「黙りなさい!!」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


(クラウド)》。

 この朝のない世界にはそう呼ばれる者達がいる。

 一般人との違いは、二つだけ。

 創造術が先天的に使えない体で生まれてくる事と、必ず灰色の髪と漆黒の瞳を持って生まれてくる事。

 創造術は、誰でも使えるという訳ではない。しかし、才能があまり無くても努力をすれば簡単な創造術なら誰でも出来るようになる。幾ら努力しても、《雲》は創造術が使えない。才能が有るとか無いとかじゃなく、《雲》には創造術という概念自体が欠損しているのだ。

 そして彼ら、《雲》は、世界から忌み嫌われている存在だ。

 神に見放された者。

《雲》をそう呼ぶ事もある。

 創造術は、神様からの贈り物。神聖なもの。

 それが使えない《雲》は、神に見放された者だと言われているのだ。

 この世界では、三年に一度、《雲狩り(クラウド・ハント)》という虐殺行事がある。

 世界に太陽があった時代に、魔女狩りというものが行われていたというのは多くの文献に記されている事だ。それになぞった《雲狩り》は、神様からの贈り物である創造術を信仰する宗教団体によって行われる。

 宗教団体は《雲》を見つけ次第、躊躇い無く殺す。処刑の連続執行だ。

 世界を汚す者として、《雲》というだけで、創造術が使えないというだけで、殺される。

 運良く《雲狩り》の直後に生まれる事が出来ても、《雲》の寿命はたったの三年。その三年の間も存在を隠さなくてはならない。

 大抵は生まれた子供が《雲》だと分かった瞬間に親によって殺される。だが、そんな事が出来る訳のない家族がいるのも当たり前。その為の《雲狩り》なのだ。

 創造術は血に依存する。創造術の才能の有無は家系によって大きく傾いてくる。一般家庭から突出した才能のある者が生まれる事もあるが、それは稀だ。

 そんな中で、《雲》はどんな家系にも生まれる可能性は等しくある。

 例えば、二年前までは優秀な創造術師を輩出してきた名家に《雲》の子が生まれ、一気に落ちぶれてしまった話は有名だ。

《雲》。

 世界から、忌み嫌われる存在。

 そんな存在が、創造学院に入って来た。


 ――聖域に、足を踏み入れて来た。


 パニックが起きるのも当然だった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 レゼル・ソレイユ。

 彼の名を聞いた時、ドクンと心臓が跳ねた。

 彼の声を聞いた時、思わず涙が出そうになった。

 だから、赦せなかった。堪えられなかった。

 彼が《雲》だと分かった瞬間、みっともなく狼狽え、パニックになる生徒達が、赦せなかった。

 こんなに本気で怒ったのは久し振りだ。

 頭の片隅でそんな事を思いながら、ミーファ・リレイズは怒鳴った。

「黙りなさい!!」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「……え?」

 実技棟がしん、と静まり返る中、レゼルは後ろの少女を振り返った。

 最初はセレンが怒鳴ったのか、と思ったが、違う。その証拠に怒鳴った声はセレンのものではなかったし、彼女もレゼルに背を向け振り返っていた。

 肩を怒らせ、眉を吊り上げ、頬を紅潮させているのは、金髪ポニーテールの少女だった。

「これから実技試験なのよ! 少し黙っていなさい!!」

 いきなり(でもないかもしれないが)激昂した一年代表に学年は関係無く全員がぎょっとしていた。

 感情が表情に出ないセレンも、ミーファの剣幕に身体を後ろに引いた。とん、とセレンの肩がレゼルの脇腹に当たる。

 ミーファは語を続けた。

「これから試験をする人の事を考えなさい! どんな事情があったって、騒ぎ立てるのは迷惑だわ!」

 その言葉はキツいように思えたが、彼女の言っている事が人として正しいという事は殆どの生徒が理解した。

 だが、それでもまだ戸惑っている者もいる。

「目の前に《雲》がいて落ち着ける訳ねぇだろ……」

「何であの編入生、《雲狩り》で殺されてないのよ……」

「あの髪と目だったら、問答無用で殺られてる筈なのに」

「……何者……?」

「ヤバいんじゃないの? 学院に《雲》入れるって」

 騒ぎが収まった代わりにひそひそと内緒話のように囁かれる。

 勿論、レゼルは全て聞こえていた。

 内心で、はぁ、と溜め息を吐く。《雲》だという事に対する誹謗中傷には慣れていた。だから、特にこれといって悲しいとか寂しいとか相手が憎いだとかは感じない。ただ慣れたら慣れたで、うんざりするようになった。

 観覧席を立って落ち着こうとしない生徒達にしびれを切らしたらしいミーファが再び怒声を叩き付けようと口を開いた、その時。

「あの、皆さん座って下さい! 試験が開始出来ません!」

 ミーファの背後の観覧席で、一人の女子生徒が立ち上がりながら呼び掛けるように言った。いや、呼び掛けた。

 リボンの色は紫。一年生だ。縁無しの眼鏡にショートカットの真っ直ぐな髪。知的な雰囲気のある少女だった。

「ノイエラ……」

 振り返ってその少女を視界に収めたミーファが呟く。どうやら彼女の名前はノイエラというらしい。

 ノイエラの呼び掛けに何人か生徒が大人しく席に座った。それに釣られて他の戸惑っていた生徒達も次々に座っていく。

 実技棟からは観覧席を降りてからでないと出られない為、パニックになっていた中では外に出られた者はいないようだ。

 生徒達が座ってくれた事に安堵したのか、ノイエラは胸を撫で下ろして自分も席に座ろうとした――動作が、ふいに止まった。

 彼女は、反対側の観覧席を見詰めていた。

 その視線を追う様に、レゼルが、セレンが、ミーファが、晴牙が、ルイサが、振り返った。

 ただ、レゼルだけはノイエラという女子生徒が何を見ていたのか分かっていた。

 後ろから、一人だけ座る気配が無かったのだ。そして座ろうとしないのは誰なのかも、当然分かっていた。

「ざけんなよ……」

 レゼルが予想した通りの人物の口から、呪詛のような気持ちの悪い、低い声が漏れ出た。

 投げナイフを放ってきた男子生徒だった。

 粘つく様な悪寒のする視線で、男子生徒はレゼルとミーファを交互に睨んだ。

「ふざけてるのは貴様だろう」

 男子生徒への怒りが消えた訳では無かったレゼルが、そう言って男子生徒を睨んだ。彼の気持ち悪い目のせいで、セレンが小さくレゼルの袖を掴んできた事が引き金となったのだが。

 すると男子生徒は一瞬ビクッと震えた。視線をレゼルから逸らしミーファに固定する。

 そして言葉を撒き散らした。

「おい、女。お前、一年代表だからって調子乗ってんじゃねぇよ。黙りなさい? ハッ、偉ぶって何か楽しいですか? 最悪だな、うぜぇんだよ女! 黙ってんのはお前の方だっつーの! あぁ、そうかお前、学院長の娘だっけ? だから先輩の前でも優等生面して偉ぶって良いとか思ってんだろ。益々うぜぇな。どうせ代表になれたのも親の権力を振り翳したんだろ? ずるい奴! 見た目良いからって粋がってんじゃねぇ!」

 粋がってんのはお前だ、と実技棟にいるナイフ野郎以外の生徒は思っただろう。

 生徒達は皆、長々と続く男子生徒の愚痴に辟易としていた。もうすぐ日付が変わってしまう。実技試験を早く始めて欲しかった。《雲》が試験を受けるのだ、果たして創造術は使えるのかとか、一度落ち着いてしまえば好奇心が膨れ上がっていた。

 周りから向けられる非難の眼差しに気付きもしないナイフ野郎。

「大体、何だよ、お前。急に怒り出してさぁ? 何? もしかしてそんな汚らわしい《雲》がお好みなのか?」

 ナイフ野郎の言葉に、ミーファの顔にかぁっと血が上った。

 その様子を見てヒャハハハハッ、と下品に嗤う男子生徒。

 実技棟に不気味に反響する狂った嗤い声に、ミーファに憧れを持つノイエラが怒りに震え始めた。それに気付いた周りの生徒が「本気(マジ)ギレしそうなんだけど……」と後じさる。

 一触即発の空気に包まれ、セレンがレゼルの袖を握る力を強くした。

 そして、

「えっとね、四年の……誰だっけ、君。まぁいいや、ナイフ君と呼ぶね。で、ナイフ君、独り演説中に悪いんだけど、はっきり言って邪魔だとか皆思ってるよ? さっきから何にキレてんだか知らないけど、大人しくしててくれないかな?」

 実技棟に入って来た女性がニッコリと笑って言った。但し、目は笑っていない悪魔の微笑みだ。

 毛先がふんわりとした金色の髪に翠の瞳。ミーファによく似たスーツ姿の女性だった。

 スーツの中に窮屈そうに押し込まれた胸、スカートから伸びるすらっとした長い脚は黒いストッキングに包まれて艶かしい。大人の色気を兼ね備えた若い美人。

 だから、制服ではないが、四年生にミーファの姉でもいるのか、と思ったのだが、

「あ、お母さん」

 と、ミーファが何でもない事の様に(実際何でもない事なのだが)その女性を呼んで、

「今は学院長と呼びなさい、ミーファ」

 と、女性は軽く自分の娘を窘めた。

「……母ぁ!?」

 すっとんきょうな声を発したのはレゼルだった。

「ん? 何か問題でもあるのかな? レゼル・ソレイユ君」

 女性が悪魔の笑みを此方に向ける。

 若過ぎだろ、今何歳なんだ、という疑問(問題?)を封じて、レゼルは言う。

「い、いえ……別に何も問題なんて無いですよ」

 袖からセレンの手が離れる感覚。その直後、彼女に背中を抓られた。

 痛い。

「そっか。じゃ、初めましてだね、レゼル君。私は学院長のミーナ・リレイズ。これからよろしくね」

「……え?」

 ミーナ学院長の言葉に声を漏らしたのはセレンだった。

 その理由はレゼルにも分かる。

 ミーナは「これからよろしくね」と言った。レゼルが試験に合格して編入する事を確信している様な言い方だ。

 引ったくり騒動の事はまだあまり広まっていない筈だ。そもそもレゼルが顔を晒したのは一瞬で引ったくり騒動を収めたのがレゼルだとはルイサかあの謎のメイドが言い触らさない限り知られる事は無いだろう。

 だが、ミーナはすぐに男子生徒――ナイフ君に向き直った。

「ね、ナイフ君。実はね、レゼル君の実技試験の内容は対人戦なの。もう時間無いからね。だから大人しく出来ないんだったら君がレゼル君の相手になれば良いと思うの。最初からここにいる誰かに相手頼もうとしてたし。良いよね、ナイフ君?」

 ニッコリ、とミーナは笑った。――極限まで隠された悪魔の笑みで。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 レゼルと男子生徒(ナイフ君)は実技棟の中心で対峙していた。

 レゼルと男子生徒の間にはルイサが立って試験官を務めている。

 セレンやミーファ、晴牙、ミーナはノイエラのいる左側の観覧席で此方を見詰めている。

 席は、先程のノイエラの怒気によって彼女の周りで確保済みだった。

 最初、男子生徒はミーナの提案に尻込みしていたが、こんなにギャラリーがいるのに断る事は出来なかったんだろう。本当に、意地だけは人並み以上にある奴だ。

 ただ、今彼はレゼルを真正面から見て、余裕たっぷりな顔を浮かべた。

「お前、マジで《雲》なんだな。創造術も使えないのにどうやって戦うんだ? お前は馬鹿か?」

 何とでも言えば良い、と思った。

 これから戦う相手は、レゼルの事を《雲》だと油断している。確かにレゼルは《雲》で、世界の常識なら《雲》が創造術を使えるなどとは誰も考えないだろう。

 しかし、《雲》でありながらレゼルは学院に来たのだ。もしかしたら、と思ってもいい筈なのだが。

「戦い易い相手だな……」

 ボソリと呟く。

 四年だからそれなりに実力はあるんだろう。だが、世界の常識に嵌まり込んでしまっていては、その実力も塵芥同然だ。

「人を睨む事しか出来ない、神に見放された奴が俺に勝とうなんて無理に決まってんだろ。大体、創造術名家の血筋でもない限り、『能力』創造が出来る四年に勝てる訳がない。俺は二年の時から『能力』創造が出来るんだぞ?」

 男子生徒の言葉をレゼルは無感情に聞き流す。感想は、「あぁ、そう」くらいのものだ。

 一度口を開けば長々と喋り続ける男子生徒にルイサのこめかみがピクッと震えた。

「あっさり不合格にしてやるよ、この身の程知ら――」

「ルールは一対一の対人創造術戦。創造術による武器の使用及び、『能力』創造による格闘戦を許可する。だが相手を死・重症に至らしめる攻撃をすれば反則となる、くれぐれも注意しろ」

 男子生徒の言葉を遮ってルール説明を始めたルイサは、ちら、とレゼルの方を一瞥した。

 水色の眼鏡の奥の瞳は、言っている事とは裏腹に「ボコボコにしてやれ」と語っていた。

 レゼルの実力を知っているルイサは、既にどちらが勝つのか確信しているようだ。彼女は、レゼルがどうやって四年に勝つのかを楽しみにしている。

 喋っていたのを制止させられた男子生徒はルイサを忌々し気に睨んだ。気持ち悪い視線が、対峙しているレゼルにまで届く。

 ルイサは小さく眉を寄せたが殆ど無視して五メートル程後ろに下がった。

 男子生徒がズボンのポケットに入れていた両手を出して胸まで上げ、腰を低くして構える。

 対してレゼルは微かに半身になっただけで、両手はだらりと垂らし、姿勢の良い直立のままで佇む。

 一見すると素人同然の構え方だと思うだろう。しかし見る者が見れば、隙の無い構え方だと思った筈だ。

 男子生徒は、前者だった。レゼルを眺め、その口元に嘲笑の曲線を深く刻む。

 実技棟に緊迫感と静寂が漂う。

 そして、レゼルとルイサの耳にだけ、ルイサがすぅ、と息を吸う音が届いた。

「――始め!」

 ルイサの号令のほんの一瞬の余韻が終わらない内に、既に訓練場の風景は変わっていた。

 レゼルの姿が何処にも無い。

 それを認識出来た者は何人だっただろうか。彼の姿が消えたのはこれも一瞬だけ。

 殆どの生徒が、消えたと認識出来ず、気付いたらレゼルは男子生徒のすぐ前にいて、青く光る透き通った剣を振り抜いていた。

 ガクッ、と意識を手放した男子生徒は音も無く崩れ落ちた。

「殺した? ……いや、気絶させただけか」

 口調どころか声の質まで変わった声でミーナは言った。それが、静まり返った実技棟の観覧席に意外に大きく響いた。

 ルイサが、ゆっくりと右手を水平に上げる。

 その時にはもう、レゼルは剣を一閃した体勢を解き、左手をコートのポケットに突っ込み、剣を握った右手は試合(レゼルから見れば試験)が始まる前と同じ様にだらんと垂らしていた。

 そして、二人の教師と生徒達は気付く。


 ――レゼルの髪は照明の光を反射して煌めく銀色に、瞳は濁りなど一切存在しない綺麗な青色に変わっている事に。


 銀髪碧眼の少年は、その姿に《雲》の面影を全く感じさせなかった。

 ポケットから左手を引き抜き、静かに元の場所に戻る。レゼルは小さく一礼した。

「――勝者、レゼル・ソレイユ」

 ルイサの声が滑らかに空間を渡っていった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 ミーファは、知らず知らずの内に観覧席から身を乗り出していた。

 彼女の頬は何かに安堵したように緩んでいた。

 ――凄い。

 何をしたのかは、殆ど分からなかった。神童と言われるミーファだが、プロの創造術師に比べれば経験の差でまだまだ未熟だ。

 しかし、彼が創造術を使った事は分かった。


 ――彼は、約束を守ってくれた。


 必ず創造術を使える様になってみせる、というミーファとの昔の約束を、ちゃんと守ってくれた。

 彼はミーファの事を忘れてしまっている。それを思った時、悲しくも淋しくも感じた。だが同時に仕方ないとも思った。

 ミーファとの約束の後に、彼は、姉を失ったのだろうから。

 ショックで、記憶が飛んでいてもおかしくはない。

 だからミーファは、無理矢理レゼルに思い出させる事もしないと決めた。ミーファの事を思い出させて、彼に嫌な事まで思い出させたくはなかった。

 ――とても、綺麗な色。

 銀髪碧眼の少年を見て、ミーファは眩しいものでも見るかの様に目を細めた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「今の……創造術、よね……?」

「何が起こった……?」

「瞬間移動……?」

「ち、違う。『能力』創造で身体能力を上げたんだ……」

「は? ……マジかよ、アイツ、本当に《雲》なのか? 灰色の髪に漆黒の瞳は《雲》だってのは絶対だけど……」

「今、銀髪碧眼だし、どうなってるの?」

「何なんだ……?」

「当然だけどあの剣も、創造物だよ。つまりあの子、『能力』創造と『物』の創造を同時にこなしたんだ……」

「……並行創造(パラレル)、だね」

「プロなら当たり前の技術だけど、凄いよ彼」

「しかも、無光創造だった」

「これは合格だろ」

「……でも、謎だらけだ」

 生徒達は訳が分からず、目を丸くしている。上級生の中には、驚き戸惑いながらも、冷静にレゼルを分析している者もいたが。

「……レゼル君」

 観覧席からミーナが声を掛けてきた。

 レゼルがそちらを振り向くと、彼女は笑って言った。それは、悪魔の笑みでは無かった。

「合格、おめでとう」


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