第47話 取リ敢エズ
「……ほぅ?」
ガラドは兜鎧の奥の目を細め、口端を少しだけ上げた。
「君も有紗くんも犯人ではない、と。それはどういうことかね? そう判断出来る理由はちゃんとあるのじゃろう?」
「勿論」
細めた目を向けられたレゼルも、フードの奥で微かに笑みを湛えながらコクリと頷いた。
皆の視線が彼に集まる。沢山いる野次馬のどこか緊張したような声が大きくなったような気がした。
「簡単ですよ。どちらも動機が無いのは当然として、まず第一の理由ですが、俺と彼女――有紗には殺害手段が無い」
死体は腐って、血は全て身体から抜かれ、壁や床に真っ赤な花と水溜まりを作っていたのだ。そんな殺し方は創造術師であるレゼルにも出来ないのだから、一般人、いや、帝国からの亡命者で元奴隷の有紗にも出来る道理はない。
それに、死体を発見したときの有紗の所持品は何もない。服と靴を含めれば、薄いシャツに丈の短いスカート、ニーソックスにレゼルが譲ったマフラーとくすんだ色のレザーブーツ。これだけの物で人体を腐らせることが出来る人間がいるなら是非会ってみたいものだ――いや、やっぱり会いたくない。
当然、レゼルだってあんな殺し方が出来る道具は持っていない。それは調べればすぐに分かることだし、何なら学生寮の自室に騎士団員を入れても構わない。NLFから支給されたレゼル専用の戦闘服は見付かるが、誤魔化す言葉は沢山あるので大したことではなかった。更に言うなら、人体を腐らせるなんてことがどうやって出来るのかもしらないし、道具が必要なのかも分からないのだ。これは有紗も同じことである。
帝国は科学技術に富んでいるので、有紗がまだ世に知られていない人体を腐らせるような最新技術の薬かウィルスでも所持しているのではないかという指摘もガラドから出たものの、レゼルはきっぱりと否定した。最新科学の結晶なんてそんな大層なものを、奴隷から抜け出す為王国に亡命した少女に与える訳がないからだ。
レゼルは自分の意見をそう説明した。すると、視線だけで続き――第二の理由について話すことをガラドに促される。
レゼルは一つ頷いて、隣に立つガラド、その隣にいるミーナ、そしてベンチに座るセレン、有紗、ミーファの三人を見渡してから再び口を開く。
有紗は硬い表情のまま、真っ直ぐにレゼルを見詰めていた。騎士団長に犯人の疑いを掛けられている状況なのに、喚き散らしたりも怒りもせず、その顔は静かに自分は何もしていないという意志を湛えていた。強い人だな、とレゼルは自分のことを棚に上げて思う。
「第二の理由は、時間的なものです。アリバイっていうのかな……ちょっと弱い理由ですが」
「……アリバイが成立するの?」
真剣な声で問うてきたのはミーナだった。流石はリレイズの領主で学院長というべきか、あの死体を見たはずだろうにとても冷静だ。
レゼルはガラドの鎧に覆われた肩越しに彼女を見る。ふわふわとウェーブした鮮やかな金髪は、こんな時でも華やかさを失ってはいなかった。
「第一から第四までの事件は被害者の性別が不明ということでしたよね。ですが、今回の事件――第五の被害者は男ですよ。脚の付け根の辺りに男性器らしき膨らみが見えましたから。それに、身体つきも大柄のようでしたから、十中八九、男かと。場所が場所(女子トイレ)だったんで、最初は俺も『男?』とか思ったんですけど、被害者は男という判断に間違いはないと思います」
「……ふ、膨らみ? 大柄?」
ミーナがぽつりと呟くように言ってガラドの方を見た。
「私、記憶に無いんだけど……」
「……儂も無いな」
ミーナの訝し気な瞳を受け止め、ガラドが頷く。
それは本当かと言いた気にこちらを向く二人に、レゼルも大きく首肯して見せた。
「血が渇いていないことからも分かるんですが、やはり被害者の身体が腐食するスピードは早いみたいですね。第一から第四の被害者の遺体は発見が遅すぎて性別が分からないほど腐食が進んでいたのでしょう。でも、今回は確かに性別が確認出来ました。団長と学院長が見たのも性別が分からないくらい腐敗が進んだ死体だというだけです」
「……あの」
レゼルが一呼吸をおいて再び言葉を紡ぐ――その前に、やや震えた声と共におずおずと有紗の右手が上げられた。
「私の意見なんて役に立つのかどうか分からないし、あの時はパニックになってたから確信を持っては言えないけど……その、ソレイユ君の言っていることは本当です。私もあの人は彼の言った理由から男性だと思いました」
有紗からのフォローに、レゼルはありがとうという気持ちを込めて頷いた。それを見た彼女の顔が少しだけ緩む。
それからレゼルは俯いて、自分の爪先を見た。レザーブーツのそこには、小さく赤が滲んでいる。どうしても消えない嫌悪感に眉を顰めた。
彼の説明が再開する。
「血が渇いていなかったことと性別が確認出来たことから、殺害時刻は有紗がトイレに入る少し前から悲鳴を発した時までの何時かで間違いないでしょう。でも、先程も言ったとおり彼女は大柄な男を一瞬で腐り殺せるような力量はありませんから、恐らく殺人が行われたのは彼女がトイレに入る少し前だと思われます。その時は有紗と俺は一緒に居ましたし、そこらの野次馬に聞けば一人くらいからは証言も頂けるはずです」
「……ふむ」
ガラドは数秒何かを思考してから続きを催促する。
今までにかなり声を出してしまったが、どうやらレゼルがあの時の美少女(だから自分で言うな)だとは気付いていないようだった。良かった。
「俺はまぁ、男性用トイレに入ってから男二人と擦れ違いましたし、トイレから出てベンチに一人で座っているところはミーファ達に見られていますから。……俺は顔を隠しているから、弱いアリバイにしかなりませんがね」
――という訳で、俺と有紗は犯人ではありません。レゼルは静かな声ではっきりと断言した。
もう言うことはないとばかりに両手をコートのポケットに突っ込んだ彼に、けれどガラドは片方だけ眉を上げて、おや、という顔をする。
「……それだけか? もう一つ何かあるような気がしていたんじゃが。儂も老い耄れたか……?」
彼の顔から一気に色が消えた。無表情でこちらをじっと見てくるガラドに、レゼルは大きな溜め息を漏らす。空気に溶けていく白い息に目を細めた。
「……第三の理由は確かにありますよ。個人的な理由になりますが、宜しいですか?」
面倒そうなレゼルの言葉に、ガシャン、と鎧を鳴らしてガラドが笑う。話しても良い、ということだと判断し、レゼルはフードを深く被り直した。
「本当に単純で主観的な理由ですよ。……勿論俺は犯人じゃないし、有紗も犯人だと思えないってだけです。彼女は死体を見付けたとき相当な恐慌状態に陥っていました。でも、トイレの入口辺りに避難したとき、彼女は『あの人は……』と呟くように言ったんです。『あの人は大丈夫なのか』と、俺には、まるで被害者を心配しているようにしか聞こえませんでした」
有紗が驚いたように目を見開いてレゼルを凝視した。その視線がむず痒くて、レゼルはそれを断つように彼女に背中を向け、ガラドの前に立つ。
最も強く疑いを掛けられた事件の第一発見者と騎士団団長の間に入った第二発見者に、ガラドは今度こそ明確に口端を吊り上げて笑った。
フードの影を落とした灰色の前髪の隙間から、漆黒の瞳がそんな彼を射抜く。
「だから、俺と有紗は絶対に犯人じゃない」
◆
『素晴らしく優秀な人材に気付かぬまま、いったい我々は何時になったら《雲》などという差別を止められるのか』
騎士団団長ガラド・メイルは、小声でそんなことを言った後に己の部下に連れられて現場の調査に戻っていった。
結局、レゼル達はあっさりと解放された。エリュシエル行き夜行便の切符を買った乗客に怪しい者がいないか騎士団が調べた後、汽車も運行を再開するようで、レゼル達もそれに乗ってやっと旅行をスタート出来ることとなった。
レゼルと有紗に掛けられた疑いは確かにガラドの中にあったものの、そんなに強いものではなかったようだ。レゼルの意見を的確だと判断したことに加えて、それが語られた後、彼は『こんな餓鬼共が犯人でないのは分かっている』と言いた気な顔をしていた。敢えてレゼルの言葉を聞いたのは、最後の台詞から想像出来る通り《雲》がどんな奴かを見たかったからだろう。評価は『優秀』らしいが、本当に食えない人だ。
騎士団団長がいなくなり、晴牙やノイエラ、ルイサと合流した後、レゼル達はホームの隅に移動した。野次馬はそれぞれに散り、ホームの中は事件が起こる前の活気に溢れたざわめきに包まれている。殆どの人間が第五の殺人が起こったことをまだ知らないとはいえ、まるで何もなかったかのような雰囲気である。まぁ、それのお陰で有紗も気分が落ち着いているようだし、メリットはあれどデメリットは無いのだが。
女子トイレは立ち入り禁止になっているので、ホームの隅で女性陣が壁となりレゼルと晴牙は目を瞑って、有紗はノイエラとルイサが見繕って買ってきた服を着た。暖色のセーターとすらりとしたシンプルなジーンズ。それらをファーの付いたコートで隠し、足は脛の中程くらいまでの毛皮のブーツに包む。計ってもいないのに服のサイズはぴったりだった。ブーツの方は少し大きいようだが、大して支障は無いらしい。
レゼルが譲ったマフラーは今も彼女の首元にある。着ていたシャツとスカートとニーソックスは先程まで新品の服が入っていた紙袋に納められた。
「紅茶で良かったか? 少し甘めのストレートだけど」
ベンチに座って後ろの壁に背中を預ける有紗に、晴牙は自分が買ってきた温かい紅茶を差し出した。
「紅茶……ごめんなさい、飲んだことないわ。帝国ではお茶の葉ってとても高級なの」
紙コップに並々と注がれた薄茶色の液体を物珍し気に見詰めながら、元奴隷の少女は紅茶を受け取った。
因みに、もう全員が有紗に自己紹介をし終わっていて、それは逆も同じ。彼女の複雑な境遇も皆が承知済みだし、レゼル達が全員創造術師だと教えたとき有紗は少し驚いていた。創造術師は世界中で見ても元々人数が少ないし、創造術とは親しみのない帝国ではあまり創造術師を見掛けないからだろう。
晴牙に礼を言って、有紗は髪コップの縁に口を付けた。こくん、と紅茶を下して、
「……美味しい……」
コップの中の波紋を見詰める彼女の笑みに、晴牙の肩から力が抜ける。彼はへらりと笑った。
「そっか、良かった」
「ありがとうございます、本当に何から何まで……」
紅茶から顔を上げた有紗は、前に立つ晴牙やミーナ、ルイサ、ノイエラを見渡して礼を言うと小さく頭を下げた。それから隣に座るミーファやセレンにも再び礼を言い、最後に、立って壁に凭れ掛かるレゼルを見据える。
「つ、ついでに……ソレイユ君も、一応ありがとう」
フードの奥からちらりと有紗を見るレゼル。――で、ついでって何だ、ついでって。あれデジャヴ。しかも一応、だと。もしかしなくても彼女はあれか、ツンデレか? 晴牙相手でさえ丁寧なお礼をしたというのに、何故俺だけ?
色々な憶測がレゼルの脳内を駆け巡る。だが、彼が何か返事をする前にミーナの凜とした声がホームの一角に響いた。
「取り敢えず一段落、かな? ――じゃあ、有紗ちゃん、一緒に旅行に行こうか!」
「「「……はい?」」」
ミーナ以外の呆けた声――勿論有紗のものもある――が重なった。
読んで下さりありがとうございました。
今回の字数少ない……すみません。
そしてまたまたすみませんなんですが、来週の更新は未定です。もしかしたら休んでしまうかもしれない……。