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血染めの月光軌  作者: 如月 蒼
第二章 冬期休暇編
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第45話 第五ノ殺人

 未だに痛みを発する後頭部を擦りながら、シャツの乱れを直した少女と共に路地裏の外へと出ると、広場にいる人々から不躾な視線をぶつけられた。

 勿論、その理由はレゼルがフードを外しているとかそんなことではない。

 路地裏で何をしていたのかという疑問もあるのだろうが、大きくは少女が帝国人の容姿をしていることが原因だ。帝国の治安が悪いのは有名で、ディブレイク王国の人々はあまり帝国人に良い印象を持っていないのだ。勿論、帝国人が皆悪人の訳では無いので、それは立派な偏見でもある。因みにレゼルは自分が『偏見されている対象』である為か、帝国人には良い印象も悪い印象も抱いていない。

 しかし、少女は周りの視線を全く気にしていないようだった。気付いていない訳はないと思うから、もう慣れてしまっているのかもしれない。そういえば彼女は普通に流暢な王国語を喋っているし、王国にいる時間は長いのだろうか。

「……本当最悪ね」

 少女は俯いてシャツの胸元をきゅっと握りながら呟いた。

 彼女はレゼルを見ていないが、その言葉が彼へのものであることはどんな馬鹿でも分かるだろう。

「だから、その、ごめんって」

「……私は謝罪を聞きたい訳じゃないの。どうしてすぐに、その……シャツがはだけているか教えてくれなかったのか、それを聞いているのよ」

「……それは」

 そこでぐっと言葉に詰まる。すると、五センチほど上から少女に睨まれた。

「正直に言って」

 少女の耳は真っ赤に染まっていた。なまじ彼女の容姿は大人な美人である為、それは潤んだ水色の瞳と相俟って男の嗜虐心をひどく刺激するが勿論ぐっと堪える。今意地悪などをすれば彼女が取り返しの付かないほど不機嫌になることは目に見えていた。

 だから、レゼルは正直に答えた。

「……えと、教えるの忘れてたんだよ」

 一瞬だけ、少女はぽかんとした表情でレゼルを見た。それからわなわなと肩を震わせ、

「……何。じゃあ、私の胸なんてどうでも良いってこと? 興味無ぇよってこと? 誰がテメェの胸なんか見て興奮するか馬鹿野郎、ってそういうこと?」

「は? いや、俺そこまで言ってないだろ」

「でもそういうことでしょ? 忘れてた、って」

「違ぇよ。別に興味あるとかないとかじゃなくて、俺は胸より脚なんだよ。その点、お前は身長高いし美脚だし、胸がでかかろうが貧しかろうが関係ない。まぁ、俺より身長高いのはちょっと悔しいけど――」

 と、そこまで言ったところで、少女が絶対零度の瞳を向けてきていることに気付いた。

「……やっぱり最悪だわ」

「何でだよ! 俺、滅茶苦茶正直に答えただろ」

「……正直過ぎよ」

「……うっ」

 ――それは、まぁ、そうだったかもしれない。少女の冷めた表情にレゼルは呻いた。


     ◆


 駅のホーム内にある男性用トイレから出ると、レゼルは手近にあったベンチにどっかりと腰を下ろした。手を拭いていたハンカチを畳んでコートのポケットに仕舞う。

 彼の待ち人は勿論、あの帝国人の少女だ。

 レゼルは白い息を吐いて男性用トイレの隣にある女性用トイレの入口を見た。いつも思うが、何故女性はトイレが長いのだろうか。昔、それを姉に聞いたら物凄い笑顔で頭を握り潰されそうになったので誰かに訊く気は毛頭無いが。

 マフラーの無くなった首元に手を当てる。じんわりと温かい熱が(てのひら)に染みた。マフラーは今、少女の元にある。

 汽車代や前払いの宿代で持っていた金のほとんどを使ってしまい、食費はあるが服を買う金などは無い――という少女にレゼルが溜め息を吐いたのはそれほど前のことでは無かった。帝国人がディブレイク王国に来る理由は、主に帝国の治安の悪さから逃れる為だという。恐らく少女もそれと例外ではないのだろう。汽車代と当分の生活費を手に入れたから王国に亡命してきたに違いない。が、服装や王国の気温のことは考えておらず風邪を引いた――亡命してきた帝国人によくあるベタな失敗だ。こんな寒い中、シャツとスカートだけでは風邪を引くに決まっている。

 取り敢えず、レゼルがマフラーを、ミーファ達女性陣からは服を譲るということで少女の軽装を何とかしようと思っている。その旨を伝えると少女は酷く申し訳なさそうな声で、しかし謝罪ではなく礼を言った。彼女もこれからの生活にかなり不安がある様だった。まぁ、要らない遠慮をされるよりはマシだ。

 ミーファ達はまだそのことを知らないが、彼女達は自分なんかより世話焼きでお節介で親切だ。一も二も無く承諾してくれるであろうことは容易に想像出来る。

 それに、目的の汽車が来るまではまだかなり時間があった。レゼルはそうでもないのだが、セレンも含めて彼ら学院組は真面目な人物ばかりだ。全員が揃ったのは実は集合時刻より半時間も前だったりする。セレンに叩き起こされてレゼルも早めの行動を心掛けたのだが、図らずも今それが良い方向に作用しているようだ。

 だから、ミーファ達と合流しようと駅のホームに入った途端にそわそわし始めた少女の要望にも難無く応えることが出来たのだ。どうした、と訊いたら顔を真っ赤にして「トイレって何処!?」と叫ばれたのは頂けないけれども。

 ついでにレゼルも用を足してきて今に至る訳だ。

 ミーファ達から服を譲って貰った後は、彼女を宿へ帰すつもりでいる。もしかしたら少女はレゼル達の親切心に付け込んでいるのかもしれない、とは思わなくもない。会ってたかが数分の人間を信用するというのは流石に無理だ。ただ、レゼルやセレンにはNLFの支援金があり、創造術師を生んだ家というのはそれなりの血筋や金があるのが常である為、マフラーや服の一つを奪われたところでレゼル達は痛くも痒くもないのは事実だった。ならば、これくらいの親切は別にどうということはないし、親切を施される方が何を企んでいようとも、施す方がそれを親切と思っていれば施す方は多少なりとも気分が良くなるものだ。――まぁ結局のところ、少女を助けに路地裏へ入った時点で色々な覚悟は決めていたのである。

 そう、覚悟。面倒なことになる覚悟はとっくにしていたはずだった。

 だが、その覚悟が甘いと気付いたのは俯いて掌に息を吹き掛けた――次の瞬間。

 ほんの一瞬だけレゼルの視界から外れた女性用トイレから、あの少女の甲高い悲鳴が響いた。


     ◆


 そこが女性用であるということは瞬時に頭から抜け落ちた。それほど、彼女の悲鳴は恐怖に震えたものだったのである。ベンチから立ち上がり、レゼルはすぐに駆け出した。

 トイレへの通路は右に曲がっており、その角の少し先に石畳とタイルの床の境界線がある。だが、レゼルはタイルの床をブーツの底で踏む前、それどころか通路に入ったその瞬間に、意識にこびり付くような異臭を嗅いだ。彼の経験がその異臭の種類を教える。錆びついた鉄の臭い――これは血臭だ。しかし、血臭に混じって、それより嫌な吐き気を催す臭いもする。鼻にツンときて、でもそれは辛そうなとかそんな程度のものではない。――腐臭、だろうか?

「どうした!?」

 レゼルが軽く怒鳴りながら女性用トイレに駆け込むと、少女は横に五つ並んでいる個室の前でへたり込んでいた。腕は力無くだらんとして、女の子座りとでもいうのだろうか、綺麗なM字を描いた両脚の膝は小刻みに震えている。

 彼女が色を失った瞳で見詰めているのは一番奥の個室内だ。レゼルのいる入口に近い場所からはちょうど死角になって中が見えない。

 例えば怪我とか、少女自身に何かあったのではないらしい、と分かってレゼルは少し安心した。だが、混乱しているらしい少女の唇の隙間からは、か細い呻き声と、カチカチという歯と歯が当たる音が漏れた。

「……っあ、あぁ……」

「おい、何があっ――……」

 レゼルは少女の元へと駆け寄って、彼女の視線の先を見た。そして、言葉を失った。

 目の前に広がった光景を捉えて、レゼルでさえ一瞬頭が真っ白になった。いや、下から座り込む少女のえずき声が聞こえなかったら、数秒間は身体が固まったままだったろう。

 咄嗟に思ったのは、もうこれ以上彼女にこの光景を見せてはいけないということだった。

 レゼルは少女の両目を手で隠して前を見えなくする。いきなり視界が真っ暗になってびくんと身体を震わせる彼女に、

「大丈夫、だからもう見るな」

 自分の中の精神力を掻き集めて力強い声を掛ける。それがレゼルの声だと判断出来たのか、少女は自ら目を瞑ると二回コクコクと頷いた。

 手を退かし、少女をゆっくりと立たせると、レゼルは彼女をトイレの入口近くまで移動させる。

「もう目を開けて良いよ」

 レゼルの言葉に従って、少女は両目を開く。その瞳には既に色が戻っていたが、代わりに怯えの色が追加されていた。

「大丈夫か?」

「え、ええ……私は、大丈夫。でも……あ、あの人……は……」

 言いながら、少女は再びぺたんと座り込んでしまう。まぁ、あんなモノを見たのだから当たり前だ。恐らく彼女はレゼルより一つか二つは歳上だろうが、あれは幼気な少女が――いや、一般人が見て良いものではない。

「……大丈夫、大丈夫だ。俺はもう一度見てくるから、君はここで待っててくれ」

 少女の肩に手を置いて言うと、彼女は小さく頷いた。それを確認してレゼルはトイレの中へと戻る。

 当然、あんなモノはもう見たくなかったが、レゼルにはそれに思うことがあった。

 一番奥の個室の前に立ち、細く息を吐きながらレゼルは再びそれを視界に入れた。

 そこには、一つの変死体があった。洋式便器の上に座っている死体は肉が腐り、眼球が飛び出したのか、その一つは唇らしき突起に引っ掛かっている。もう一つの眼球は個室内のタイル床に広がる血溜まりに浮いていた。頭部に髪は見当たらず、腕や脚は小枝のように細い。肘と膝からは白い骨がちらりと覗いていた。

 そして、変死体は服を着ていなかった。太股らしきところの間にある小さな生殖器が辛うじてそれが男性だと伝えてくる。

 血で真っ赤に染まった個室の壁と床、そして腐った死体。強烈な血臭と腐臭はここから漂ってくる。

「……連続殺人……」

 ここ数日リレイズで起こり続けている連続殺人事件。これは、その第五の殺人だ。レゼルがこの状況について思うこととはそれだった。

 早くミーナか騎士団に伝えなければ、とやっとのことで思い当たったとき、足元から水が跳ねるような微かな音がトイレ内に響いた。

 このトイレの床は濡れていただろうかと考えて足元を見て、レゼルは生理的な嫌悪を感じてすかさず足を引っ込めた。しかしそれでも、レザーブーツの爪先はタイル床の窪みを流れてゆっくりと広がり続ける血液の赤に濡れていた。

「……ッ」

 堕天使と戦い続けるNLFに所属していることで、人の死というものは腐るほど見てきたレゼルだが、これほど酷いものはあまり無かった。NLFのメンバーとして彼が戦うのは上位個体の堕天使ばかりで、共に戦って死んだ戦友たちは皆丸呑みされるか肉が一片も残らないほどに身体を消滅させられていたからだ。

 一度足元を見てしまったらもう顔を上げたいとは思えず、レゼルは俯いたままトイレの外へと出ようと足を動かす。――が、その足は二歩目を刻むことは無かった。

 視界の隅に、血溜まりに浮かぶ青みがかった黒い糸のようなものが移ったのだ。

 一刻も早くこの場所から離れたいのは山々だったが、何故かレゼルは糸のようなものの正体は何なのかという疑問に突き動かされた。膝に手をついて腰を曲げ、血溜まりのある一点を注視する。

「……あれ、無い? 見間違いだったか?」

 だが、そこに糸のようなものは見当たらなかった。自分は今、自分でも分かるほどに混乱しているので見間違いということは十分有り得る。

 見間違いだ、と結論付けつつも釈然としないレゼルだったが、今は考える時間ではないことを思い出して今度こそ走り出した。


     ◆


「――間違いない。これは第五の殺人だな」

 厳つい顔を苦々し気に歪めて、騎士団団長ガラド・メイルは言った。日焼けした肌と筋肉質の身体を包む赤銅色の騎士鎧が彼の動きに合わせて重々しい音を立てる。その音からしても見た目からしても、鎧はかなり重いはずなのにガラドの佇まいはそれを感じさせないほど軽やかだ。

 今、事件のあった女性用トイレは立ち入り禁止となり、中には団長のガラドと騎士団員が二人、そしてミーナ・リレイズがいた。

「……酷いわね」

 五つある個室の内の一番奥、その惨状を見て、ミーナは口元を手で押さえながら目を逸らした。その先には苦い顔を崩さないガラドがいる。

「ミーナ、お前さんは連続殺人の現場を見るのは初めてじゃな」

「ええ。私は貴方から話を聞いていただけだから……」

「……思っていたよりずっと酷かったじゃろう?」

 ミーナは死体から漂う酷い臭いに眉を寄せながら無言で頷く。百聞は一見に如かず――とはポピュラーな日本の(ことわざ)だが、これほどまでにその意味が身に染みたのは初めてだ。

 言葉を失って俯くミーナを見て、ガラドは自分の醜態に憤りを覚えた。リレイズの街を守る為に存在する騎士団が、今、街の何一つ守れていない。数日前から寝る暇も惜しんで続けている調査も全く効を成さず、犯人の情報どころか被害者の情報さえ何も分かっていない。騎士団は街の人民に注意を促すだけでこれといった対策が出来ず、既にもう五人が殺されている。そしてリレイズの領主ミーナにまで責任を感じさせてしまう始末だ。

 ――だが、今はそんな自己嫌悪に浸っている場合ではないのだ。

 ガラドは鎧が擦れる音を鳴らしながら踵を返した。

(ワシ)は今から第一発見者だという少女と話をしてくる。お前等はこのトイレを監視していろ、儂が許可するまで誰も入らせるなよ」

「「わ、分かりました!」」

 ガシャン、という鎧の音と共に騎士団員二人が背筋を正す。彼らの顔は一様に青褪めていた――が、それだけだ。恐らく彼らもガラドと同じく、連続殺人の現場を見たのは初めてではないのだろう。

「ミーナ、行くぞ」

 騎士団員の敬礼を確認しないままガラドはミーナに連いて来るよう声を掛けた。

 読んで下さりありがとうございました。感想や指摘などを頂けると作者は喜びます。

 2012/08/26 編集(主に状況描写)

 申し訳ないのですが、来週はお休みします。


 キャラのイメージが崩れる可能性があるので、何でもいいよって方だけこの先は見て下さい。







 作者の表現力が至らなかった為に本文に入れられなかったことを補足します。

 最初の場面なんですが、あくまでも作者の主観で言うと、主人公はセレンとかミーファとかある程度見知った女の子の露出には照れるけど、出会ったばかりの子の露出には無関心だと思います。「はやく前のボタン閉めろよ」「パンツ見えてんぞ」的なことも平気で言っちゃう。

 胸より脚、という主人公にあるまじき(?)発言も作者が何となく言わせたかっただけです。イメージ崩壊した……という方はほんとごめんなさい。

 以上、補足+謝罪でした。

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