第41話 無限の星影⑤・焔劔繚乱
レゼルが放出した膨大な融合体が、己の体内に送り込まれる感覚を確認すると、セレンはしゃがみ込んで両手を地に付いた。
流れ込んでくる融合体の量は半端ではない。生身の人間ならいざ知らず、半分が機械の身体であるセレンでも、レゼルの融合体を受け止めて体内に溜めることは出来ない。まぁ、個人間のエナジー脈をリンクさせること――EPL――、一言で言えばエナジー・融合体の譲渡は、世界中でもレゼルとセレンの二人でしか出来ないのだが。
セレンは体内を流れる融合体を受け止めず、すぐに体外へ放出していた。ただ、放出先は地面の下だ。
地表に触れている掌から、ミーファのエナジー性質をコピーしたレゼルのエナジーと月光とのエネルギーが、一瞬の滞りもなく地面へと流れ込んでいく。
「――前衛の皆さん、今すぐに後衛のいるラインまで下がりなさい!」
そのとき、セレンの後方でウィスタリアが叫んだ。
前衛の創造術師は彼女の指示に従って次々と後退していく。それは学院の教師までも、だ。
融合体の流れは止めずに、セレンはウィスタリアがちゃんと地下に流し込んだ融合体に気付いてくれたことに安堵の息を吐いた。
これから放たれるレゼルの創造術は、一歩間違えれば堕天使と共に味方の創造術師も巻き込みかねないものだった。レゼルは「結界師の誰か――ウィスタリア様が気付いてくれるだろう」と軽く言っていたが、万が一その予想が外れていたなら前衛は皆死んでいたか重傷を負っていただろう。もしウィスタリアが気付かなかったなら、セレンが前衛を後退させていただろうが、一言で数十人の人間を行動させられる王女がやってくれるならこれに越したことはない。
セレンは真っ直ぐに前を向いて、隙間なく犇めく堕天使の群れを見詰めた。レゼルはこの堕天使のことや地中から出てきた訳も既に分かっているのだろうか。いや、彼のことだからきっと分かっているのだろう。少なくとも完璧な推測くらいは立てている筈だ。
強く吹き付ける風に赤い長髪が棚引く。制服のスカートがバサバサと煽られるが気にしない。
――レゼルからの融合体の流れが、止まった。
EPLをしてから時間にして約一分もの間、セレンの身体に流れ続けた膨大な融合体は、全て地面の下へと送り込まれる。
「――貫け、〔氷劔繚乱〕」
心臓の鼓動が一瞬止まるほどの地鳴りと地震が起きる。
後退した創造術師達がよろめいて身体のバランスを崩し、地面に手を付いた。
そんな彼らとセレンの前で、爆発したように砂と土を飛ばして地面に屹立したのは、何本もの氷柱だった。
それは、氷の劔。全く無防備だった堕天使の腹を貫いて、一瞬にして戦場を団子のオブジェで埋め尽くしてしまう。
貫かれた堕天使は、光の粒子となって霧散していった。後に残ったのは氷劔の王冠と貫き損ねた堕天使達。
運良く直撃を避けた堕天使は、一瞬で仲間が大量に殺されたことに腹を立てたのか、粘着性のある唾液に塗れた牙の並ぶ顎を開いて此方を威嚇してくる。
「今、何が……」
「堕天使が、消えていく? これは創造物?」
「堕天使には創造術しか効かないはずだろ。氷の広域創造だ!」
「まさかミーファ様か!?」
セレンの後方で、立ち上がった学院の創造術師達がざわめき始める。未だに息を詰め目を見開いて、闇の中で輝く氷劔の王冠に見惚れている者もいたが。
今の状況は堕天使を潰すチャンスではあるが、あまりにも高度な氷の広域創造を見せられたショックで誰一人として群れに突っ込んでは行かない。だが、それはセレンにとって好都合の一言に尽きた。
とんとん、と右足のブーツの爪先で二回、地面を叩く。
ふーっ、と息を吐き、右膝を胸の辺りまで持ち上げようとしたところで、
「ちょっとセレン!」
慌てた様子のミーファに肩を掴まれ、セレンは微妙に不機嫌な表情で振り向いた。
ミーファの両手に銃は無かった。
「……何ですか」
「……何ですか、じゃないわよ! ウィスタリア様が後退しろって言っているでしょ!」
セレンは目線だけで六角形の氷柱を示す。
「そんな必要は既に無いと思いますが」
「そうだけど……」
渋った顔をするミーファの手を振り払い、セレンは彼女から飛び退った。ちょっと、と声を上げるミーファを無視して、今度こそ脚を上げる。
回し蹴りの要領で、直角90度に上げ、伸ばした右脚を左から右に薙いだ。
「えっ、ちょ」
いきなり空中を蹴ったセレンにミーファが面食らう。だがそんな彼女も、セレンの履いたブーツの踵から出てきた物体を強化された視力で捉え、翡翠色の瞳を驚愕に揺らめかせた。
「ブーツに仕込み手榴弾っ!? 鉄板だけじゃなかったの!?」
赤い髪とスカートがはためく華麗な蹴りにより、ブーツから出た――いや、もはや『射出』されたミニ手榴弾は、当然のように氷柱の一つへと着弾した。
手榴弾の閃光から目を守る為、額のところに手でひさしを作ったミーファは顔を真っ青にして叫ぶ。
「ちょっと早く離れないと! っていうか手榴弾外してどうすんのよ!」
ちゃんと堕天使にぶつけろ、というミーファの最もな批判に、セレンは涼し気な無表情で首を振った。
「いえ、これで良いんです」
「何言って……」
ミーファがセレンに肉薄し、その腕を掴んだときだった。
――手榴弾の着弾した氷柱が煌々と焔を上げて燃え上がった。
「……な、何……」
焔は他の氷柱に伝播していき、すぐに氷の広域創造全体に燃え広がった。広がる焔は、段々とそのエネルギーと大きさを増していく。
とても巨大な熱量の塊が、セレンとミーファ、二人の横顔を炙るように照らし出した。
そして、本当に焔に炙られている堕天使達は、悲鳴に似た甲高い声を上げて苦しむ。
「……何で、さっきの、氷だったはずじゃ……」
「ええ、氷ですね」
セレンは当たり前だとでも言うように頷いた。ミーファは訳が分からず混乱する。
「冷気だってちゃんと感じられたわ、なのに何で燃えてるの!?」
そう、水の結晶である目の前の氷柱は、確かに燃えていた。
「メタンハイドレート」
強風に弾ける火花を見詰めながら、セレンは呟くように言う。
先程までざわめいていた戦場は、張り詰めたような沈黙に包まれていた。高く高く昇る焔に、他の創造術師もミーファと同じく度肝を抜かれているのだろう。
「メ、メタン……?」
「はい。貴女もメタンガスくらいは知っているでしょう? 水分子がそれを大量に含んだ――つまり、水分子がメタンと結合したメタン化合物です。シベリア・ミルの永久凍土の下やオホーシク海などに存在する自然のメタンハイドレートはシャーベット状なんですが、創造術でとなると少々性質が変わり、見た目はやや白い氷と然程変わりません」
セレンはミーファの方を向き、何時もと変わらない淡々とした口調と声で説明した。
「メタンガスを含む氷なんだから、もう分かりますよね?」
ミーファが真正面から見たセレンの赤い瞳は、焔の輝きを映して更に紅に染まっている。彼女は相変わらず淡々と言った。
「メタンハイドレート、別名――『燃える氷』」
ミーファは燃え盛る焔に視線を移した。辛うじて、その中にある氷柱が見える。熱に溶け、焔が燃えることによってメタンガスが消費され、氷柱は最初よりも小さくなっていた。
堕天使の発する断末魔は消え、その姿も既に焔の中には見えなかった。いや、堕天使はもう、この戦場の何処にもいない。
「……これが、メタンハイドレート……」
「ええ。私がブーツから放ったのも、爆発用の手榴弾ではなく、焔を出すだけの火焔弾です」
セレンは淡々と説明すると、自分の役目はもう終わったとばかりに、天高く燃え上がる焔に背を向けた。
「あ、ちょっと何処行くの?」
ミーファが少し慌てたようにセレンの腕を掴む。
セレンは数秒、黙考してから、
「……レゼルのところへ」
「……そう」
ミーファはあっさりとセレンの腕から手を話した。そのときの彼女の様子が何処となく寂し気だったのは見間違いではあるまい。申し訳ないとは思うが、堕天使を一掃した広域創造の真相はセレンからは何も話せない。ミーファはそのことを分かっているのだろう。
「……では」
セレンは制服のスカートを翻し、リレイズの街の中央にある時計塔を目指して駆け出した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
セレンが去っていった後、ミーファは複雑な思いを抱えながら勢いの衰えることない焔を見上げた。
レゼルには秘密がある。その秘密は詮索しないと決めていたはずなのに、セレンは知っているということを知ると、どうしても気持ちがざらついてしまう。つまりは、ヤキモチだ。もっと醜い言葉で言えば、嫉妬。
「あー、もう、やだ……」
セレンが羨ましいとか、そんなことを考える自分を殴ってやりたい。
そもそも、セレンと自分ではレゼルと共に過ごした時間が全く違うのだから、秘密の共有なんてことが無いのは仕方無いのだ。嫉妬なんてしても無駄なのである。
ミーファはそれなりに強い力で自分の両頬を叩くと、気分を入れ換えて焔を見詰めた。
この焔の源であるメタンハイドレートの広域創造は、セレンの行動などを見る限りレゼルが創造したものだろう。最初はメタンハイドレートの氷柱で堕天使を貫き、それを逃れた堕天使は氷柱を燃やすことで一匹も残さずに駆逐する。その二段階攻撃にも絶句させられるが、何より純粋に凄いのはその規模だ。地中から出てきた堕天使の群れは大きくなるばかりで、ミーファが創造した氷壁で分けられた迎撃区域の半分をうじゃうじゃと埋めていた。それを、レゼルは堕天使を押し退け、あるいは屠って、メタンハイドレートの氷柱で埋め尽くした。荒野と呼んでも差し支えのない広さの迎撃区域の半分を、である。これほど大規模な広域創造が出来る創造術師を、ミーファは今まで一人として知らなかった。
「……やっぱり、レゼル君は凄いわ」
「誰が凄いって?」
突然聞こえた声に、ミーファは金髪のポニーテールを揺らして振り返った。
「……ハルキ」
呼ぶと、彼は笑って軽く手を上げた。その手に白銀の刀はもう無かった。
晴牙の後ろからは、ウィスタリアにルイサ、そしてミーナも足早にやって来る。
「何が起こったんだ?」
立ち上る焔を見ながらのルイサの質問に、ミーファは少し考えてから答えた。
「……私に聞かれても、分かりませんよ。――それより、お母さん、怪我人はいるの?」
然り気無く、戦争を終結させた創造術から話を逸らす。
ミーナは『学院長』ではなく『お母さん』と呼んたことを咎めなかった。
「一般人にはそれほどいないよ。精々、避難時のパニックで押し合いになったときの掠り傷程度かな」
「……創造術師は?」
訊ねたのはルイサだった。その声はほんの少しだけ震えている。悲しいというより、悔しくて堪らないといった風な声。
「……怪我、っていうのはなかった。ただ、意識を失った生徒が数人いるの。一度にエナジーを使い過ぎたことによって起こる、典型的なエナジー欠乏症だね。命に別状はないし、私の創造術でエナジー補給はしたけど、軽い後遺症くらいは出てしまうかもしれないね」
そこでミーナは言葉を区切って、静かに息を吐いた。
感覚が痺れるような空気が流れる五人の横手では、そんな空気を読まずに燃え盛る焔がある。
ミーナは四人の顔をゆっくりと見回してから、言った。
「……そして、現在分かっている限りでは、一年A組の男子生徒八人が死亡した」
「……そうか」
ルイサがミーナの残酷な言葉に力無い相槌を売った。
彼女は一年A組の担任教師だ。自分のクラスから死者を出したことが不甲斐ないのだろう。眼鏡の奥の瞳は苦し気に揺らいでいた。
「……でも、こんな言い方も酷いとは思いますけれど、死者がたった八人で済んだことにわたくし達は感謝すべきですわ。わたくし達は創造術師、戦友の死など当たり前なのですから」
藍色の瞳で真っ直ぐに前を向き、ウィスタリアはきっぱりと言い切る。
「その通りだ」
無感情な声で彼女に同意したのは晴牙だ。それが意外に思えたのか、ミーファ以外の三人が少しだけ驚きを表した。
ミーファは何となく、彼もウィスタリアと同じ気持ちなのではないかと思っていた。
ミーファはふとした瞬間に思うことがある。晴牙も何処か、レゼルに似ている――ということだ。推測の域を出ないが、二人とも過去に大切な何かを失っているからではないだろうか。そういう者の共通なのかは分からないが、二人は戦いや死ぬことに対して少しドライな部分がある。
「……そうだね。何が起きたのかは後で調べるとして」
ミーナは堕天使を焼き殺した焔を一瞥すると、ミーファの方に向き直った。
「さっきまで戦っていた創造術師達の身体はまだ診てないの。ミーファ、ちょっと手伝ってくれる?」
「あ、うん。分かったわ」
クラスメイトの死に何時までも浸っている場合ではない。まだ、『死んだ』という実感が湧かないのならば、その感覚の鈍った時間を上手く使って、やらなければならないことは幾らでもある。
ミーファは慌てて頷くと、小さく深呼吸をして気分を落ち着かせた。
「では私は、学院の教師を統率して情報の共有と原因解明に当たろう」
研究者気質のルイサが、司令基地の司令室がある辺りを見て言った。
流石は大人、いや、優秀な創造術師だ。既に『死』を受け止めて、既に毅然と前を向いている。立ち止まった時間はきっと数秒だけだろう。
ウィスタリアや晴牙も一見『死』を受け入れているように見えるが、ルイサのように重く受け止めてはいない。『死』を重く受け止め、立ち上がれることこそが、本当の強さだ。受け入れる、のではなく、受け止める、のである。
「それではわたくし達は生徒達を集め、避難した一般人の様子を見て来ましょう。付いてきてくれますわね、晴牙さん?」
「はい、分かりました」
ウィスタリアと晴牙もやることが決まって、五人は踵を返すとそれぞれの方向に駆け出した。
彼らの後方では、消えることがないように思われた焔と、溶けかけていた氷の壁が、融合体の供給がなくなったことによって光の粒子となり始めていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ノイエラ・レーヴェンスは時計塔内部の螺旋階段を駆け上っていた。
彼ならここに来ると思ったから。何より、リレイズの裏路地を走っていたとき、彼女は時計塔の上に立つ彼の姿を視界に捉えていた。
時計塔の階段を一番上まで行くと、三畳ほどの踊り場のような空間に出る。真正面に見えるのは煉瓦の壁だが、少しだけ視線を右にずらせばそこには小さな窓があった。
その窓を背にして、彼は縁の部分に座っていた。
窓は、まるでノイエラが来ることが分かっていたみたいに、内側に開いていた。この窓は時計の修理をする人が外に出ることを想定されているので、外側に開く窓だと色々と厄介なのだ。
「やっぱり、ノイエラにはバレてたか」
彼は首だけでゆっくり振り返ると、控え目に微笑んだ。
西側戦闘区域からここまで走ってきたノイエラは、胸に手を当てて呼吸を整えてから頷いた。
「……はい。貴方が、『ブラッディ』様、なんですね」
しばしの沈黙の後、彼――レゼル・ソレイユはあっさりと自分が『ブラッディ』であることを肯定した。
窓から吹き付ける冷気が、ノイエラの身体の火照りを急速に冷やしていく。
「ノイエラの様子を見て、バレているかもとは思ったんだが……何で、分かったんだ?」
レゼルの言葉や声に責める響きは無い。『ブラッディ』であることは隠し通しておきたかった筈なのに、剰え彼は未だに笑っていた。
「……私、生で創造術を見れば、何となく分かるんです。融合体の雰囲気っていうのかな、よく分かりませんけど、ブラッディ様の融合体とレゼルさんの融合体が……酷く、似ていた気がして」
「似ている、というか、完璧に一致するだろ。同一人物だしな。……それにしても、ノイエラは融合体感知能力にかなり優れているんだな。レミ姉より敏感だ」
ノイエラはぱちぱちと目をしばたかせた。
「え?」
「いや、こっちの話だ。――何時から、俺が『ブラッディ』だって気付いてた?」
「えっと……ブラッディ様の、炎の広域創造を見たときに……」
「編入した次の日か。随分早いな」
レゼルは目を細めて曇り空を見上げると、小さく苦笑した。
ノイエラはそれが困っているように見えて――実際ちょっと困っているのだが――慌てて語を紡いだ。
「あ、あのっ! 私、絶対誰にも言いませんから! 秘密にします!」
レゼルは再び時計塔の中に視線を戻し、フードの奥からノイエラを見詰めた。
「だって、秘密にしてる理由、ちゃんと分かってます。《雲》だから、ですよね? だから、ブラッディ様の正体がバレたら国際問題になりますし……」
「くっ、はははっ」
あれこれと必死にアピールするノイエラに、レゼルは思わずといったように噴き出した。
「そうか、ありがとうノイエラ。何も知らない振りをしてくれるとかなり助かる」
レゼルが目尻に浮かんだ涙を拭う。
ノイエラは窓に近付くと、自分より頭一つ分ほど上にある顔を見上げて笑った。
「どういたしまして」
それから困惑気味に眉を下げて、
「でも、最初にブラッディ様の正体に気付いたときは驚きました。もう知っていると思うんですけど、私、ブラッディ様のファンなんです」
NLFのエース、ブラッディ。正体不明の創造術師。
頻繁に見聞きする華麗な創造術が、ミステリアスな部分が、何より自分の成果を傲らないところが、ノイエラの心を鷲掴みにしたのだ。
レゼルは何も言わず、聞き役に徹していた。
「でも、ブラッディ様がレゼルさんって分かっても、私のブラッディ様に対する敬意は全く変わってないんです」
彼女は頬に手を当てて恥ずかしそうに笑う。
「――だから、ちょっとだけ、レゼルさんに惚れかけました」
「そっか……って、はぁ!?」
レゼルの身体から窓の縁から落ちそうになる。だがそれも気にしないほど、彼は驚愕していた。
「本当ですよ。あ、でも、あくまでちょっとだけです」
悪戯っぽい表情を浮かべながら、
「それに今は、他に好きな人がいますから」
好きな人――晴牙のことだった。彼が堕天使から自分を庇ってくれたときに意識し始めて、今では胸の奥の感情が恋なのだとはっきり分かる。
「……そうか」
少しほっとしたように(どういうことだ)、レゼルは優しい表情をした。
「それにしても、ここに来るまで早かったな?」
戦闘区域からリレイズの街の中央広場まではかなりの距離がある。ノイエラはまだ能力創造を使えないから、こんなに早く来れるはずがない。レゼルの髪が灰色に戻ってから、まだ精々十分程度しか経っていないのだ。
ノイエラは戯けるように胸を張った。
「それはですね、代表から教えて貰った近道を使ったからですよ。それに、今回、堕天使を感知したのは私が一番最初だと思います。だから、西側戦闘区域を出たのはレゼルさんより前です。……それでも、レゼルさんの方がかなり早かったですけどね」
「そうか、ノイエラには堕天使行動予測能力があったな。……最初から俺がここに来るのも分かってたんだろう?」
「何となくですけどね。堕天使を感知したとき、地中にもまだ物凄い数の堕天使反応があるのにも気付いて、もしレゼルさんが――いえ、ブラッディ様がそれを駆逐するなら、戦場を見渡せて、尚且つ、現在人目に付かないところで創造術を行使すると思ったので」
レゼルは両手を軽く上げて、降参のポーズを取った。
「参った。流石は筆記試験の学年次席だ」
二人は顔を見合わせて笑った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
『後でサイン下さいね』
『サインなんかある訳ないだろ。それとブラッディ様って様付けするの止めてくれ』
そんな軽口が筆記部門学年次席の少女と交わされた後、レゼルは窓を閉めて、横にある大きな時計を見た。下方に目を移せばこれまた大きな振り子が時計の下に付いている。今は夜の零時少し前なので振り子はまだ揺れていない。
ここから見える西側戦闘区域では、燃える氷による焔やミーファの氷壁はとっく消えていた。そして人の姿が見えるのは迎撃区域でなく司令基地の前だ。今、創造術師や一般人は皆そこに集まっているようだ。
滅茶苦茶に破壊されたインスタの為のステージや数多の椅子が散らばる戦場は、酷い喪失感を覚えさせる光景だった。ある一ヶ所には、血の池まで見える。今はもう存在しない、レゼルと同じクラスの男子生徒がいた場所。そして、氷の劔で狙い違わず貫いた、堕天使の湧出点でもある。
レゼルは吹き付ける風に対抗するように、フードを目深に被り直した。
「――レゼル」
凜とした声が頭上から響く。
顔を上げると、時計の上には赤髪を風に靡かせたセレンが座っていた。
「別に貴方が動かなくとも、他の誰かが広域創造で湧出点を攻撃してくれたのではないですか?」
唐突な質問にも動じない。レゼルは視線を正面に戻して、はっきりと首を横に振った。
「いや、駄目だ。広域創造っていうのは、その創造を円形のものだと仮定したとき、円線状の一点を始点とする。その始点から十メートルも離れれば平均力量の創造術師は広域創造を失敗してしまう」
創造術を行使する際に放出する融合体を『糸』と考えると分かり易い。
例えば、術者から十メートル先の空間に一辺が五センチの立方体の氷を創造するときは、融合体の糸は『一本』でいい。だが、レゼルやミーファがやったような氷の広域創造を十メートル先にとなると、融合体を広域に行き渡らせる為、糸は何本にも枝分かれすることになるのだ。一本の糸と何本もの糸、十メートル先まで制御し易い融合体の糸はと考えたとき、答えは勿論一本の糸の方である。
これが主な広域創造が困難を極める理由だ。
レゼルは、セレンとEPL――エナジー脈をリンクさせること――をすることで、時計塔から西側戦闘区域までの距離を埋めるという離れ業をしてみせたが、それは例外である。
広域創造がし易くなる能力の《星庭》を持つ創造術師でも、湧出点を正確に攻撃し、地上の堕天使も屠ることの出来る大規模な広域創造を行うことは難しい。一回で成功させなければ、警戒した堕天使にすぐさま目を付けられるだろうし、堕天使から離れれば、先程述べた理由によりもっと広域創造の難度が上がってしまう。
それに、堕天使の幼体は一見ばらばらに見えたが、意外にも統率が取れていた。倒しても倒しても次の個体が出てくる。あれでは、広域創造など出来る隙は無い。
「……成程」
一通りレゼルの説明を聞いたセレンは、納得して頷いた。
それから二人とも無言になって、数分ほど立ったときだっただろうか。
「……あ」
ふいに、レゼルが小さな声を上げた。
どうかしたのかと思って彼の方を見ると、
「……泣いているのですか?」
彼の片頬に水滴が伝って、闇の中で僅かな光が反射するのが見えた。
セレンは無表情のまま、しかし驚いたように目を瞬かせた。
「まさか」
彼は少しばかり自嘲気味に笑って黒雲の垂れ籠める夜空を見上げる。
「――雪だ」
セレンも空を見上げれば、白く冷たい花弁が降ってきていた。
レゼルの頬の水滴は、雪が当たって体温で溶けたのだろう。
「明日には吹雪になりそうだ」
レゼルが呟くのを聞きながら、セレンは実際のところ、レゼルは本当に泣いたのか、それともただの雪が涙のように見えたのか、明確に判断することが出来なかった。
[第一章 創造祭編・第三部「創造祭」 終結]
〈Chapter.1 END / to be continued...〉
読んで下さり、ありがとうございました!
やっと第一章も終了です。長かったですね……。ここまで読んでくれた方に最大の感謝を。
次は勿論第二章に入る、んですが……その前に、書き溜めていた短編を放出しようと思います。六本くらいあって、これを週更新にしたら二章いつ始まんのって感じなので、毎日投稿しようかなって思ってます。毎日投稿って凄い憧れだったので、今から楽しみです。いつからかは未定なんですが、読んでくれたら嬉しいです。短編は読まなくても二章に支障はないので(あれコレダジャレっぽいかも/寒)、時間がないって方も大丈夫です。
それでは、これからも宜しくお願いします!
二章は冬休みで学院から離れる予定。学園物好きな人には申し訳ないのですが、どうしても書きたい話があります。
第一章が終わった衝動で、後書きが長くなってしまいました。
ここから先は「読むよ!」な方だけ読んで下さればと思います。
最後のシーンの補足です。
レゼルは泣いたのか泣いていないのか、どちらかは読者様それぞれの考えにお任せします。
ただ、如月は泣いてないんじゃないかなと思っています。多分彼は、自分のことを悪く言っていた人間が死んで泣けるほど、人間が出来ていないと思います。でも、自分の無力さを痛感したという意味でなら、少しくらいは凹んでも良いのでは、とも思っています。
今まで書いてきた如月ですが、レゼルが精神面において弱いのか強いのか、未だによく分かっておりません。実は彼は、書いているうちに性格が定まってきたキャラです。書く上で色々と難儀なのは主人公だったりするので、文字を打つ手が止まることもしばしばあります。
えっと、長々とすみませんでした。
結局は何が言いたいのかと言うと、最後のシーンでレゼルが泣いたかどうかは読者様それぞれがお好きに考えていただければ嬉しいなぁ、ということです。
何だか殊勝なことを語ってしまいましたが、ここを読んで下さっているということは、恐らく一章を全て読んで下さったということだと思うので、とても嬉しいです。
もしこの小説が頭の片隅に残ってくれたなら、第二章もよろしくお願いします!
(あれ、何か宣伝で終わった←)