第39話 無限の星影③・奔り出す月詠
まずは謝罪から。先週はお休みしてしまい申し訳ありませんでした。第三部ももう終盤なのに……ほんとすいません。いつも読んで下さる方、ありがとう!
「ミーファ、少しだけじっとしていてくれ」
いきなり両手の指を絡めて顔を近付けてくるレゼルに、ミーファはどうすることも出来なかった。じっとしていてくれ、そう言われなくても、混乱して動くことなんか出来やしない。
鼻先が触れるほどにレゼルの顔が迫ったとき、彼はゆっくりと瞼を下ろした。
睫毛長いなぁ、なんてぼんやりした思考で考えるも、ふと彼の唇を視界に入れてしまって、次の瞬間ミーファの思考は沸騰していた。
――ま、待って待って待って待って!
これはどういう状況だ。両手を握られて顔を近付けられて、剰えレゼルは目を閉じている。常識的、というか普通に考えれば、これは立派な『キスされる図』ではないか?
レゼルが何をしたいのか全く分からない。だが、ミーファが戸惑っている間にも彼の顔は段々近付いてくる。
「……ぁっ、ゃ……」
顔を耳まで赤く染めたミーファから、か細い声が漏れた。
そんな付き合ってもないのにいきなり、とか、レゼル君ってこんな積極的な性格だったっけ、とか、そんなことが頭を過る。だが、困惑の思考の他にも『大人しくキスされてやろうじゃない!』という何とも男前な気持ちも生まれている。まぁ取り敢えず、相手がレゼルならミーファはキスされようと一向に構わないのだ。理由は後で問い質せば良い。
そう思って彼女も目を閉じるけれど、恥ずかしいのは変わらなかった。今は皆、堕天使に気を取られているといっても人前で、何よりここは戦場なのだ。ミーファ自身、創造祭の一週間前にこの西側戦闘区域の迎撃区域で戦っている。そういう背徳感が、恥ずかしさを生むのかもしれない。
能力創造をしている為に銀色に輝いているであろうレゼルの髪が、掠るくらいの柔らかさでミーファの前髪に触れた。
「――ッ、レ、ゼル……君ッ」
キスされるのは構わない、どころか嬉しいのだけれど、やっぱり突然となると小さな恐怖もあって、ミーファは自分の身体がビクッと震えたのが分かった。
――そして、二人の額と額が、重なった。
「……はい?」
おでこにコツンと何かが当たった感触がして、ミーファは思わず目を開いた。
「……きゃぅ」
額にぶつかっているのはレゼルの額らしい、とは分かったが、当然彼の顔もキス出来そうな距離にあって、それを至近距離で視界に入れてしまったミーファは小さく声を上げてしまう。
だが、それ以上レゼルが動くことはなく、やがて彼の顔は離れていった。絡めていた指も解かれ、ミーファはぽかんとしてその場に立ち尽くす。
「ど、どうしたミーファ。顔が赤いぞ」
二歩ほど後退って離れ、目を開けたレゼルがそんなことを言う。――殴ってやろうかと思った。
乙女を弄んだ怒りを何とか気力で抑えると、ミーファは先程までレゼルに握られていた自分の両手を見詰める。
そこにはまだ彼の体温が残っていて、じんわりと温かい。
「……」
子供のように頬を膨らませて、むぅ、と唸ってから、ミーファはレゼルに憮然とした表情を向けた。
「今のは、何?」
単刀直入に問うと、レゼルは面白いくらいに顔を引き攣らせた。それは紛れもなく、何かを隠している顔だ。
「……えっと……」
ミーファの翡翠色の瞳から目を逸らして渋るレゼル。それでもミーファは彼を凝視し続ける。
やがて、少女の真っ直ぐな視線に耐え兼ね、レゼルは小さく息を吐きながらミーファに向き直った。
「……ゆ、勇気を、その……貰いました……」
「――はい?」
「だから、勇気を貰ったんだよ!」
何やら自棄になって叫ぶレゼルは何時もの彼らしくない。ミーファはビシッと彼を指差して、
「嘘よ!」
――おでこっつんで勇気を貰っただって!? 信じられる訳ないでしょそんなの!
そう、彼が言ったことは間違いなく嘘だ。だが、レゼル・ソレイユの嘘にしてはあまりにも稚拙過ぎる。
レゼルを見ていれば、何処かで周りと壁を作っているような、そんな雰囲気を感じ取ることが出来る。ただ、それは無意識にではなく意図的なものだ。壁を作りたいと思って作っているのか、作るしかないから作っているのか――それは分からないけれど、どちらにしても彼を覆う壁は意識して作られたもの。
勿論、今まで見てきたレゼルが上辺だけだったなんてことは思っていない。『壁』はレゼル・ソレイユという人間を覆っているのではなく、レゼルの隠さなければならないもの、または隠したいものを覆っているからだ。つまりはただの隠し事である。誰にでも一つはあるもの――ただ、レゼルはその『隠し事』が大き過ぎる所為で『壁』を感じ取られてしまうだけなのだ。
それはちょっと寂しいけれど、多分、その『壁』も含めてレゼル・ソレイユなのだと思う。それに、ミーファにも隠し事はある。彼を好きだという気持ちだって、隠したいと思っている訳ではないけれど厳密に言えば隠し事に当て嵌まることだ。
何より、現実的な問題として、今は堕天使が大量発生した緊急戦争中。レゼルと言い合っている時間など無いのだ。
ミーファは苦笑を浮かべて、
「まぁ良いわ。誰にでも隠し事は――」
「ッその、ごめん!」
――あるしね、という言葉を遮ったのはレゼルだった。
「さっきの行動にはちゃんと意味がある……けど、ごめん、話せない」
言いづらそうに口ごもりながら、それでもレゼルの目は確かにミーファを捉えている。
「――だけど」
一瞬だけ、ミーファは彼の青い瞳に意識を掬い取られた。自分は『青』の色を冠する《暦星座》だが、彼のそれが自分の蒼碧より綺麗に見えたのだ。
しかし、ミーファの意識はレゼルの言葉によってすぐに復帰することになる。
「……さ、さっきので勇気を貰ったのも、本当、なんだ」
そう言うなり、レゼルはミーファの横を摺り抜けて走っていってしまった。
何だか上手く纏められて誤魔化されたような気がするのは、この際スルーしてしまおう。
ミーファは自分の顔が段々と熱くなっていくのを自覚しながら、レゼルとは反対に駆け出した。即ち、堕天使の犇めく場所へと。
これから、彼女――ミーファ・リレイズは創造術師として堕天使との戦闘に入る。
――負ける気は、微塵もしなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「……レゼルのエナジー性質が変わったので来てみましたが……」
金髪ポニーテール少女の創造した氷壁の上から降ってきたセレンは、ミーファと別れフードを被り直したレゼルの前に立つなり、彼をじとっとした瞳で睨み付けた。レゼルとセレンでは身長差が大分あるのであまり迫力はないのだが、上目遣いだからこそジワジワとくるものがあるようで、レゼルは情けなく眉を下げている。
「……アレをしたんですね? 相手はミーファでしょう」
「……まぁ……」
レゼルはどうしてセレンの機嫌が悪いのか分からないのだろう、困惑顔で頷くだけだ。本当ならその鈍感さを小一時間問い詰めたいところだが、生憎今は戦争中。そんな時間は勿論、無い。
セレンは一つ溜め息をつくと、表情を真剣なものに変化させてレゼルを見た。
彼の先程の行動――つまり、ミーファと額を合わせたのには意味がある。
それは、エナジー性質の『コピー』。
ミーナの《星庭》の能力である、エナジー性質の可変とはまた違うもので、現在ではレゼルにしか出来ない技能。
つまり彼は、ミーファのエナジー性質、正確に言えば水系統のものを創造し易いという彼女のエナジーの性質を、自分のエナジーにコピーしたのだ。
それは凄い技術なのだが、その為にはコピー元の相手と額を触れ合わせなければいけない。セレンにとって、その条件は気持ち的に許容し難いものだった。相手が女性だと、特に。仕方のないことだとも、充分分かっているけども。
レゼルはセレンの表情の少しだけの変化にすぐ気付き、今からやろうとしていることを彼女に話した。
「……分かりました。確かに、それをするにはミーファの創造した氷壁の上では高さが少し足りませんし、人に見られる可能性もありますね。戦闘区域を囲むフェンスは高さは充分ですが、近い故に人に見られるリスクがかなり高くなる……」
「ああ。だから俺は戦場を離脱する。セレン、お前は――」
「分かってます」
セレンは真っ直ぐにレゼルを見詰めて、
「私が届けます。貴方の創造術を」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
西側戦闘区域を囲む巨大なフェンスを一つの跳躍で飛び越える。
身体が尖った放物線の頂点に至ったとき、レゼルは首だけを動かして後ろを振り返った。司令基地である低い建物の向こうには戦場が広がり、今は氷壁に区切られた左側だけで戦闘が起きている。所々で数多の創造光が飛び交い、輝く。
そこで戦う学院の教師や生徒は決してヤワではない。今の問題は堕天使の数だけであって、創造武器を通さないような防御力でも、一撃で何人もの創造術師を血祭りにするような攻撃力でもない。彼らならレゼルの創造術が発動するまでの時間は余裕で持ち堪えられそうだった。
それを確認出来たら、後は自分が急ぐだけだ。
レゼルは首の向きを戻そうとして、
「……!」
司令基地から飛び出して堕天使の群れに突っ込んでいく、白銀の影を見た。
――白銀の刀を構えた、聖箆院晴牙だった。
対堕天使用創造武器――天授刀〔空牙〕。
この前教えて貰った、あの白銀の刀の銘だ。
レゼルの身体が自然落下を始める。その時には、既にレゼルは戦場を見ていなかった。
他人のエナジー性質をコピーして行う創造術を行使するのは随分と久し振りだった。意地でミーファやセレンの前では強がったけれど、本当は少しだけ緊張していた。
しかし今は、その緊張も程好く解れている。唇が小さく曲線を描くほどに、だ。
急ぐ努力は決して怠らない。だが、
「――焦る必要は、無さそうだ」
レゼルの身体は、ふわりと柔らかく白を舞い上げて雪の積もった地面に着地した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
片手でフードを押さえつけ、レゼルはリレイズの街中を疾駆していた。周りの煉瓦造りの建物が、微かな残像を残すほどの速さで後ろに流れていく。
雲行きが怪しくなってきた空を一瞥してから、彼は西側戦闘区域での光景を思い出していた。
いきなり地中から溢れ出た小型の堕天使。甲殻の硬さや動きの速さはかなり劣るものの、形状だけは上位個体堕天使の蟷螂型にそっくりだった。
突然だが、レゼルは理系が苦手である。しかし生物の分野に関しては例外で、出来ないのは化学と数学である。
そんなレゼルの知識の中で、『蟷螂』と言えば古代に生きていた昆虫のことだ。もっと詳しく言えば、三角形の頭に大きな複眼をつけた、カマキリ科の昆虫の総称で、緑または褐色の体を持つ。体は細長いが腹部は太く、鎌状の長い前肢で昆虫を補食する。交尾中や交尾後には、雌が雄を食い殺すことがあり、雌は数百匹前後の子を産む。――これが、古代に生きていた『蟷螂』だ。
色や眼の数、飛行能力の有無、補食対象は人間であるなど、多々異なるが、堕天使版の『蟷螂』も形状だけは古代の『蟷螂』と一致する。
一つの推測として、古代の『蟷螂』を蟷螂型堕天使と同じものだと考えた場合、今回の小型堕天使の大量発生にも拙いながら説明がつく。
――つまり、上位個体堕天使の、『産卵』だ。
今まで、上位個体堕天使とは、ただサイズが一定以上に大きく、下位個体堕天使より強力な堕天使のことだった。しかし、その上位個体の中にも、変異型はあるのかもしれない。堕天使を産む堕天使など見たことも聞いたこともないが、それこそ変異型なのだろう。
恐らく、『産卵』したのは創造祭の一週間前。結界師の感知無しに堕天使が堕ちてきて、レゼルは南側、セレンやミーファ達は西側で蟷螂型堕天使と戦ったあの時。
地中から出てきたのは蟷螂型上位個体――いや、蟷螂型上位『母体』の生んだ、『幼体』だ。
今はまだ推論に過ぎないが、おそらくは十中八九合っているだろう。
となると、『幼体』が発生するのは西側戦闘区域だけではなく、西側と同じように蟷螂型上位個体が堕ちてきた北側と南側にも可能性があるということだ。
レゼルが編入した次の日に北側戦闘区域に堕ちてきた堕天使は『ブラッディ』が倒し、南側では、西側で戦闘が行われている最中、レゼルが陰で暴れ回って倒している。創造術師協会の中では、南側での戦闘は不特定人物によって行われた、という報告がなされているようだが、まぁ、知る人ぞ知る事実は、どちらも同一人物である。
そんな訳で、北側や南側でも一波乱があると思ったのだが、そうなればすぐにでも協会から連絡がくる筈だ。協会の創造術師は優秀だ、街の三方角から奇襲があったとなれば、パニックを防ぐ為に一般人へそれなりの対応を始める。創造術師ならその対応をパニック防止のものだと感じ取ることが出来るし、何より場の雰囲気で分かるものだ。
だが、戦闘区域から離れた街中は平和だった。今、レゼルは大通りから少し外れた道を走っている。何時もならそれなりに人通りのある道だが、皆インスタに行ったのだろう、表にはポツポツと人影が見えるだけだ。しかし今日は創造祭の最終日、次々と通り越していく店の中は酔っ払い達で賑わっているようだった。
西側戦闘区域で幼体が発生してから、既に数分は経ってしまっている。もし北側や南側でも同じようなことがあるなら、街に協会の創造術師が数人は出てくる筈だ。だが、走りながら目線をあちこちに動かしてみても創造術師らしき人物は一人もいない。
ということは、
「北側や南側には堕天使が堕ちてない、のか?」
それしか考えられない。
もしそうだとすると、その理由は、自惚れる訳ではないが、北側と南側の戦闘はレゼルが担当したからだろう。つまり、レゼルの戦い方は堕天使に『産卵』をさせる暇を与えなかったということだ。特に北側の戦争では最初に炎の広域創造で卵を産み付ける床となるであろう地面を炙っている。
とにもかくにも、北側と南側で何もないのならかなり好都合だ。何かあったときの対抗手段も考えてあるが、それには勿論リスクが伴う。幼体発生が西側だけなら、それに越したことはない。
考えが大体纏まったところで、レゼルはリレイズの街の中央広場に辿り着いた。
息は全く乱れていないが、額には少し汗が滲んでいた。身体の奥から湧き出てくるような暑さを感じる。だがここでフード付きのコートを脱ぐことは出来ないし、そんな時間は無い。
足を止めることなく、レゼルは広場の中央に聳え立つ時計塔に向かった。学院の編入試験があった日、セレンと二人で時間を確かめた時計塔だ。
褐色の煉瓦造りの時計塔は、リレイズの街で一番高い建物だった。学院の本校舎も中々の高さがあるが、戦闘区域のフェンスよりも若干高いこの時計塔には及んでいない。
曇り空に向かって立つ時計塔に付いている大きな振り子時計の上は四角錐形の尖塔になっている。レゼルはその尖塔にあるポールの頂点で風に煽られてくるくると回る風見鶏を見据えた。
ここに来るまでに散々付けた助走を使って、彼は一瞬も躊躇わずに時計塔の壁を駆け上がった。
読んで下さりありがとうございました。
今回はミーファを可愛くしようと頑張ったんですが……うん、これが作者の限界です(笑)
それと、ここで時計塔を出したいが為に第1話に時計塔の記述をしたので、やっと出せて嬉しいです時計塔。第1話には地味に伏線多いんですけど、さて今回の時計塔に「あ、第1話でちろっと出てきたな」と気付いた人はいたのか。いたら普通に凄いと思います。記憶力良すぎです。
来週は普通に更新します!