第38話 無限の星影②・創造術師の世界
いつも読んで下さる方、本当にありがとうございます!
今回は、かなりぬるくですが出血表現、というより残酷・グロ表現があります。本当に少しだけなんですが、苦手な人ごめんなさい。
「堕天使だ」
世界が震えるような感覚を得て、少年は呟きを漏らした。
砂埃に遮られた視界。拉げたパイプ椅子。重なり響く悲鳴。茫然とする、或いは混乱する人々。そして、飛び散った赤い液体。
――間に合わなかった。
綺麗な一直線に並んでいた筈のパイプ椅子が次々と吹き飛んでいく砂埃の中、少年――レゼルはそんなことを考えていた。
轟、と音を立てて強風が吹き荒れる。レゼルの被るフードとコートの裾がバタバタと風にはためいた。風に飛ばされないように、約三キログラムはあるパイプ椅子が吹き飛ぶ様は、まるで嘘のようだ。
狂っていく状況に、学院の教師も素早く対応が出来ないのか、彼らの声は聞こえず、鼓膜を震わせるのは風音と悲鳴だけ。まぁ、それも当たり前だろう。レゼル以外の者は全員、この状況を作り出した元凶が何なのか分かっていないのだから。
何があっても大丈夫なように能力創造で身体能力や反射神経を強化する。髪を銀色に、瞳を青色に変えながら、レゼルは奇妙な違和感に囚われていた。
――思考が、回らない。
何故だろう。自分は何度も堕天使と戦ってきた筈なのに。
堕天使は空から堕ちてくるのがスタンダードだ。地中から突然現れるなんて聞いたことも無い。だが、こと堕天使に関して、レゼルはイレギュラーな状況に慣れている人間だ。結界師の感知無しに堕ちてきた堕天使にだって、彼は冷静に対応出来た。
心の中に雨雲を抱えているような気分で、レゼルは恐らくもう手遅れだろう男子生徒達がいた場所に駆け寄ろうと一歩を踏み出した。
その時、右の脛に何かが当たった。
パイプ椅子ではない。それならば、もっと硬い感触と痛みを感じるだろう。
――可笑しい、自分なら簡単に避けられた筈。
思わず歩みが止まる。心の内で、訳の分からないもやもやが増えていく。
だが、足元の地面に転がったモノと、脛にべっとりとこびりついた赤い血を見たとき、それは呆気なく消えた。
脛に当たったのは、飛ばされてきたクラスメイトの生首だった。瞳孔が目一杯に開き、口周りは血で汚れ、首から下は、無い。勿論、その顔には見覚えがある。確か、和風喫茶の看板を運ぶ際、レゼルや晴牙と一悶着あった生徒だ。
「……ぅッ」
手で口を押さえ、レゼルはそれから目を逸らした。数秒眉を顰めていると、吐き気は溶けていくように消えた。
先程まで感じていたもやもやも、違和感も、今は欠片も無かった。
分かったのだ。自分は戻ってきたのだと。平和ボケの楽しく浮かれられた世界から、本当の厳しく悲しい世界へと。
――創造術師の、世界へと。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
――何かが、起きた。
何が起きたのかは分からないけれど、それだけは、突然地面が爆発するのを目にする前から分かっていた。何故って、レゼルが叫んだから。彼の声は確かに、緊急事態だと教えてくれたから。
だからミーファは、彼の指示に従って席を立ち、まずは一般席へと向かった。殆ど反射的な行動だったが、無力な一般人を守るのは創造術師の義務である。創造術師とは、堕天使から世界を、人々を守ることこそ一番の使命なのだから。
一般席へと走りながら、ミーファは肩越しに背後を振り向いた。
そこには、砂埃が舞っていた。いや、その砂埃は彼女の背中にも迫ってくる。
――レゼル君!!
砂埃の中に消えてしまった彼の名前を叫ぼうとしたとき、ミーファの身体も土の塵に包まれた。口に砂が入り込んでしまい、ゲホゲホと噎せる。
レゼルは強い。堕天使との戦闘経験だってあると言っていた。だから絶対大丈夫。
ミーファは自分にそう言い聞かせると、再び前を向いて砂埃の中を走り出した。
口元に手でメガホンを作り、砂が口に入らないようにすると、ミーファは混乱を極める一般席に呼び掛ける。
「皆さん! まずは落ち着いて! 慌てないで、司令基地の方へ避難して下さい!」
彼女の冷静な声に我に返ったのだろう、学院の教師も逸早く行動し始める。
「そうです! 皆さん、落ち着いて!」
「司令基地の方へ、慌てないで!」
「戦闘区域から出れば安全ですから!」
「創造学院の生徒は一般の方達を戦闘区域の外へ連れて行け! 安全に誘導しろ、怪我をさせるな!」
砂埃の向こうから、教師達が大声を張り上げている。
何が起きたかも分からない状況で、しかし一般人を優先する指示は、流石学院の教師を務めているだけはある。彼らはそれぞれが考えて的確な行動を始めた。
この場にいた生徒達も、教師に指示されたことに迅速に従い、一般人の誘導役に当たる。砂埃の中からは水蘭とサラが咳き込みながら出てきて、彼女らも誘導役に参加していった。二人が無事だったことに、ミーファは安堵する。
弾かれるように席を立ち避難を始める人々を安全に誘導しようと、ミーファもそれに加わろうとした――その時。
周りを包んでいた砂埃が、一瞬で掻き消えた。
「――え?」
クリアになった視界の中、彼女は振り返る。
そして、少しだけ我を忘れて立ち尽くした。いや、それはミーファだけではなかった。他の生徒も教師も一般人も、協会や創教団の者も目を瞠った。
突如として、地面が爆発した場所。そこの地面はクレーターのように抉れ、大きな擂り鉢状の窪みを作っていた。そして、その円形の中心から、悍ましいほど沢山の蟷螂が這い上がってくるのだ。その様はまるで、堕落した生命を生む蟻地獄――。
地中から次々と出てくる蟷螂は、上位個体のあの堕天使に似ていた。いや、それのサイズを十分の一ほどまで縮小した感じだ。甲殻の色は上位個体よりも薄く、羽は開かれていないが、両の前足は鎌になっている。そこまで考えて、やっとそれが堕天使だとミーファは認識した。
だが、彼女が、人々が注目しているのはその蟷螂型堕天使ではなかった。
「レゼル……君?」
人々が目を留めているのは、ミーファが呟いた名前の少年――レゼル・ソレイユだった。
彼は何ら臆することなく、動じることなく、堕天使の群れの前に佇んでいる。
未だ音を立てて吹く風に、レゼルの銀髪が乱されていた。恐らく故意にだろうが、彼は深く俯いていて、顔はよく見えない。
だが、レゼルからは、明確な、冷たい殺気が滲んでいた。あまりにも禍々しいそれに、人々は目を瞠ったのである。
蟷螂が彼に迫る。だが、レゼルは少しも慌てず、伏し目がちに堕天使を睨み付けた。そして右の掌から黒い光を溢れ出させ、人々の視界を黒銀に染める。物質創造の時に起こる創造光だ。
レゼルを喰い千切ろうと鋭い牙の並んだ口腔を晒した堕天使に、一般人の何人かが甲高い悲鳴を上げた。
セレンは勿論、ミーファやルイサもレゼルの心配はしなかった。彼ならあれくらい、そう思った。だが、他の人々は違う。喰われる、そう思った筈だ。たとえ学院の制服を着ていようとも、彼は一般人にも分かるほど無防備に立ち過ぎていた。
しかしながら、彼が堕天使の牙の餌食になることは無かった。
悲鳴の上がった次の瞬間、レゼルの右手に握られていた漆黒の剣が、蟷螂型堕天使を切り裂いた。たった一振りで五匹の蟷螂が屠られる。
今尚、蟻地獄から這い上がってきていた堕天使の動きが止まった。いや、それだけではない。力も入れずにただ振っただけのような一撃で堕天使を倒したことに、この場にいる人々は声も出なかった。風も止み、ふいに、しん、と静まり返る。
だがレゼルはそんなことはお構い無しで、動きの止まった堕天使の群れに突っ込んでいった。その走りは速過ぎて、誰もが彼の姿が掻き消えたように見えただろう。そのお陰か、彼が《雲》のレゼル・ソレイユだということは誰にもバレていないようだった。
レゼルが堕天使と戦い始め、数秒ほどその姿を眺めていたミーファは、隣を紫色が駆け抜けていったことで我に返った。
「エネディス先生!」
ミーファの横を抜けてレゼルの元に向かって行ったのは紫色のドレスを着たルイサだった。彼女のドレスはスカートの部分が短いもので、他の女性教師よりは戦うのにあまり支障は無さそうだ。対堕天使用創造武器、戦鎌〔死神鎌〕を構築して、蟷螂を切りつけている。
レゼルの姿や堕天使に気を取られていた一般人達も、戦闘にルイサが加わって激化したことで行動を再開した。ただし、砂埃の晴れていなかった先程までと同じとはいかなかった。初めて目にする堕天使に、誰もがパニック状態になっている。早く迎撃区域から出ようと躍起になり、かなり広い場所だというのに人々の押し合い圧し合いが起きる。
「み、皆さん落ち着いて! 学院の者が安全に対処しますから!」
「押したりしないで、冷静に!」
「危ないから人混みの中で走らないで下さい!」
誘導に当たっている生徒達の声にも焦りが見える。対堕天使の摸擬戦闘授業がある四年や三年はともかくとして、二年や一年の中には堕天使を写真などでしか見たことのない生徒がざらにいるのだ。だがそれでも、誘導役を放り出さないのは学院生が優秀なのか、今の状況に現実感が湧かないだけか。
ミーファは一瞬だけそんなことを考えたが、すぐにどちらでもいいという答えが出た。人とぶつかり倒れた女性に走り寄るセレンを視界の隅で捉え、ミーファはその場にしゃがみ込んだ。
――私が今、出来ることをしよう。
堕天使とはレゼルや学院の教師が戦ってくれている。だから今、守る為に自分が出来ることをする。
荒野となった地面に両手を当て、彼女は掌に意識を集中した。
身体全体から星の光を吸収し、エナジー脈に取り込んで、その二つを融合させ、一気に放出する。
ミーファの掌と地面の間から眩い光が溢れ出た。青く透き通る、苛烈な光。創造光と共に放出された融合体の行き先は――
――地面の、下。
十数日前にNLFのエース『ブラッディ』が見せてくれた炎の広域創造がヒントになった。
だが、ミーファの前に創造されて聳えたのは炎ではない。空間を遮断する、分厚い氷の壁だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
創造物でないものを消失するという異能で、舞う砂埃を一瞬にして掻き消すと、レゼルは右手に漆黒の剣を構築して堕天使に斬り掛かった。
対堕天使用創造武器――大剣〔漆黒ノ影〕。
レゼルの身長の倍は軽く越える、両刃のツーハンドソードである。
創造銃器、例えばガトリング機関砲の〔滅光〕などで堕天使を一掃してしまってもいいのだが、如何せん今回は数が多い。百や千どころではない、今も既に五千体以上の蟷螂が地面の上に出てきているというのに、堕天使の噴水は未だに止む気配がないようで、まだまだ堕天使の数は増え続けている。ガトリング砲で弾を連発しても、その弾幕を潜り抜けて来られたらマズいことになる。レゼルはミーファほどの精密射撃は出来ない。
だから、ここでは剣を使う。
連続で堕ちてきた上位個体の堕天使に、サイズこそ違うものの姿形は丸っきり同じ化物達。さっき斬りつけた感覚では、上位個体より遥かに甲殻が柔らかく、動きや反応も遅い。脅威になるのはどうやら数の多さだけだと判断し、レゼルは今度は自分から距離を詰めて次々とその頭部を斬り落としていく。
自分の顔を極力見られないように、取り分け優秀な創造術師が視力強化の能力創造を使わなければ視認出来ないような速さの動きで戦っていると、大鎌を構えたルイサが戦闘に参加してきた。
流石は教師の中の《暦星座》だ、行動が早い(ミーナは後衛、つまりサポートの創造術師なので一般人の避難を手伝っているのだろう)。
彼女に続いて、他の教師達も様々な角度から堕天使を迎い討ち始める。
と、そのときだった。
戦場に氷の壁が聳えた。地鳴りと共に現れたそれの元には、しゃがみ込んで地面に手を当てたミーファがいる。どうやら彼女が創造したようだ。
堕天使と戦う場所と一般人の避難経路を隔離した氷の壁は、レゼルを一般人の目からも防いでくれた。まぁ、今の状況でレゼルの顔を記憶出来る一般人がいるのかは定かではないが、とても有難い。
「潰せぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」
戦闘になると人格の変わるジェイク・ギーヅが雄叫びを上げながら無骨なハンマーを振り上げている。
教師達に苦戦している様子は無いが、レゼルの見た限り、このままこうして戦っていても埒が明かないだろう。堕天使は止まることなく地面の下から這い上がって来ているらしく、幾ら蟷螂を屠っても屠っても数が一向に減っていない。
こうなれば、堕天使が生まれてくる場所の地下を一点集中して攻撃したいのだが――
「クソッ」
シャドウを振りながら、思わず苛立ちの声が口をついて出た。
あまりにも堕天使の数が多くて、何処から堕天使が増えてきているのか、レゼルのいる場所からは全く分からないのである。
「湧出点を見失った……!」
堕天使が這い上がってくるのを一番間近で見ていたレゼルが見失ったのだ、他の者ももう何処から堕天使が出てきているか分からないだろう。だが、湧出点を見付けるには、戦場の全体を見渡せる高さのある場所に行かなくてはいけない。
レゼルは苛立たし気に奥歯を噛み締める。いや、湧出点を見失うというあるまじき失態を犯したことよりも、彼は別のことに腹立たしさを感じていた。
――もし自分が、『逃げろ』と違う声で伝えられていたなら、クラスメイトの男子生徒達は助かっていたのだろうか?
機械系創造の得意なレゼルなら、一瞬で変声機を創ることも簡単だった筈だ。
もう彼らは死んだ、考えるだけ無駄なのは分かっているし、自分が全く悪くないことも理解している。だが、気付けば、助けられる可能性はあったのではないかと考えてしまうのだ。
「まだこんな心が残っていたとはな……」
人の死体を見て吐き気を催したのは一体何年振りだろうか、そんなことを思いながら、レゼルは嘲笑気味に呟いた。
それから、その苛立ちをぶつけるように、目の前の蟷螂六体を一気にぶった斬る。そうしてやっと、戦闘と思考に集中でき始めた。
このまま戦っていては切りがない。やはり、戦場を見渡せる場に行って湧出点を叩くしかないだろう。
レゼルは後ろに跳躍して堕天使から離れると、身を翻して此方に向かってくるミーファに駆け寄った。
「レゼル君! 大丈夫!?」
「ああ」
レゼルは素早く頷くと、彼女の元に寄っていった本題の質問をした。
「ところで、ミーファのエナジー性質は水系統か?」
訊くと、彼女は訳が分からないという顔をしながらも、コクリと頷いて肯定した。
創造術師には、一人一人、エナジー性質の違いによって物質創造で創造し易いものが決まる。レゼルの場合で言えば、彼は『炎系統』『機械系統』『電気系統』などである。
先程の氷壁の広域創造や〔雹刃〕を見て思ったことだが、やはりミーファは水系統のものを創造し易いエナジー性質を持っているようだ。
「でも、それがどうしたの?」
困惑した様子で首を傾げるミーファに構わず、レゼルはシャドウを消失させて彼女の手を取った。
「ほぇっ?」
いきなりで驚いたのか、ミーファの口から素っ頓狂な声が上がる。
恋人同士のように指を絡めた両手を肩の辺りまで上げ、レゼルは彼女の顔に自分の顔を近付けた。それは端から見れば、まるで女の子の両手を封じてキスをするように見えた。
読んで下さりありがとうございました!
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