第36話 先輩と《雲》
創造祭五日目、正午。
ミーファは『無限の星影』に向けて創天会の仕事があり、セレンはまたもやルイサに連れ出されている為、レゼルは一人寂しく昼食を取っていた。
場所は『和風喫茶「星月夜」』。一昨日や昨日のように店員としてではなく、今日は客として来ている。
ここは喫茶店だが、和菓子などデザート系の他にも、和風サンドイッチ――抹茶クリームと抹茶チョコを抹茶ベースのパンで挟んだ、(レゼルから見れば)訳の分からないもの――というものがある為、甘いのが平気な人間ならば軽い昼食も取れるのだ。
今日も和風喫茶は満員で、空いている席と言えばレゼルが座る二人掛けのテーブルの、彼の向かい席ぐらいである。
そんな中、自分でも自分のことを嫌な客だなと思いながら、和風サンドイッチを食べ終わった後、暇なレゼルは時間を弄ぶように食後のお茶を啜っていた。
「おい、レゼル」
後ろから声が掛けられる。振り向いて椅子の背凭れ越しに見れば、そこには袴姿の晴牙がいた。生粋の日本人だけあって、結構様になっている。
彼はレゼルの座るテーブルまで来ると、鬱陶しそうに彼を見た。
「食べ終わったんならお前、出て行ってくんね?」
「客に対して酷い言い様だな」
「――と、言いたいところだが」
レゼルの言葉を挟んで追加された台詞に首を傾げる。
晴牙は小さく溜め息をついて、言葉を続けた。
「お前と相席したいって人がいる」
「……俺と?」
「ああ。あ、そんな警戒すんなって。学院の先輩だから」
「……まぁ、それなら良いけど。空いてる席も俺の向かいしかないし。でも、先輩って?」
「二年の副代表様だよ。今、レジ前で待ってて貰ってるから連れてくる」
やがて、彼が連れて来たのは、細身の美少年だった。制服のネクタイは二年を表す青色だ。
「やぁ、初めましてレゼルくん」
「は、初めまして」
一応のマナーとして挨拶を返したレゼルに微笑んで、その二年の副代表様は彼の向かいの席に座った。
「ハルくん、オレは御手洗団子が食べたいな。あ、飲み物は抹茶オレね」
メニューを一切開くことなく、彼は晴牙に注文した。
「馬鹿っぽく聞こえるからハルくんって呼ぶの止めて下さいって何回言ったら分かるんですか」
「あ、待ってハルくん、追加で和風サンドイッチお願い出来るかな」
「……か、畏まりました。少々お待ち下さい」
二年の副代表と一年の副代表の会話は、年下が折れることで終結した。
蟀谷を引き攣らせた晴牙が去って行くと、レゼルは彼にニコニコと笑顔を浮かべたまま見詰められた。
「……な、何ですか」
「いや、今日はあの可愛い赤髪の彼女はいないんだと思って」
「……別に、ずっと一緒にいる訳じゃないですよ」
「うん、知ってるよ。寮は同じ部屋らしいけど、校舎にいるときは別々だもんね」
「二年なのによく知ってますね」
フードの奥の瞳を細めて言う。すると、副代表の彼はレゼルの顔を覗き込んで、
「ロウ・アガペー」
「は?」
「いや、だからオレの名前。ロウ・アガペー。知らなかったでしょ?」
「あ、あぁ……」
レゼルは曖昧に返事をした。会話のリズムが掴めない――ただの天然か、それとも故意なのか。あちらから相席を求めてきたのだから、可能性としては後者の方が高い。
「アガペー……先輩。俺に何か、用があるんでしょう?」
「やだなレゼルくん。ロウ、でいいよ」
「……じゃあ、ロウ先輩で。それで、用とは何ですか?」
もう一度聞くと、ロウはレゼルの眼前に拳を突き出した。
殴った訳ではない。拳はレゼルの鼻先十センチのところで止まっている。そしてその手には、何時の間にか一輪の薔薇が握られていた。
「……はい?」
レゼルが困惑した声を漏らす。
ロウは整った顔に笑みを浮かべて、
「あげるよ。あ、棘はないから大丈夫だよ」
「……あげる、って。俺に?」
初対面の男から真っ赤な薔薇など渡されても気持ち悪いだけである。
しかも、その薔薇は創造物だ。現に今、薔薇は仄かに赤く発光している。
生きとし生けるものの創造は困難を極める。虫などよりは難易度が下がるものの、それは(枯れていないものならば)花も同じだ。それを、融合体を引っ張り出すときに光を出さない無光創造で構築した。どうやら目の前の男は、二学年副代表という肩書きに違わぬ実力を持っているらしい。
どうしても創造術は戦闘で使うことが多くなるレゼルだ。花とはいえ、創造物をおいそれと受け取ることは出来ない。ロウは《雲》が平気な様子でいるが、それはただの演技ということも有り得る。
レゼルが警戒していることに気付いたのだろう、ロウは更に笑みを深めた。
「うん、君へのプレゼントだ。創造術で創った即席のものだけどね」
「……どうして、俺に?」
数秒後、レゼルはその質問をしたことを激しく後悔することになる。
「愛しているから」
目が点になる、とはこういうことを言うのだろう――とレゼルは思った。
「はい?」
「君は意外と話を聞かないタイプなんだね。オレは愛している、と言ったんだよ」
「……冗談は止めて下さい」
レゼルは盛大に眉を顰めた。ロウは男で自分も男だ。
「冗談じゃないよ。オレは君を愛している。抱き締めてキスしたいくらいにね」
「キッ? ……気色悪いんでホント止めて下さい」
「気色悪いと感じる、ということは、少しは君もオレとのキスシーンを想像してくれたのかな? レゼルくんも大概変態だね」
「変態はお前だコノヤロウ、する訳ねぇだろ」
想像なんかしなくても気色悪いし虫酸が走る。鳥肌まで立ってきた。
怒鳴る気力もないレゼルの本当に嫌そうな表情を見て、ロウは少し困ったように笑った。
「まぁ正確には、オレが愛しているのは君という人間ではなくて《雲》であるということなんだけどね」
「……?」
「つまりね、オレは《雲》が大好きなんだ。狂愛している、溺愛している。なぁレゼルくん、創造術が使えないということ、そこに無限の可能性があるように思えないかい? とにかくオレは、《雲》を滅茶苦茶にしてやりたいんだよ」
彼の――ロウ・アガペーの瞳は狂気に染まっていた。
堕天使などよりもずっと、その瞳の方に嫌悪を覚える。
「――とまぁ、君と相席したかった理由はこんな感じだよ。あ、さっきの会話は誰にも聞かれていないから安心してね」
周りのテーブルに座る人達がこちらに関心を向けていないことはとっくに分かっていた。レゼルはお茶を一口飲んで唇を湿らせる。
「……いつまで薔薇を差し出してるんですか。要りませんよ」
「そんな、愛しているのに」
言葉とは裏腹に嬉しそうに笑うと、ロウは真っ赤な薔薇を消失させた。
「でも、君と話せて嬉しいよ。学院でだと、オレも一応体裁とか色々と愛の障害があるからね」
「気持ち悪い言い方は止めて下さい」
「でね、レゼルくん。オレは《雲》の無能な部分に愛と可能性を感じている訳だけど、君は《雲》の癖に無能じゃないよね。何てたって創造術が使えるんだから。当然だけど、これまで会ってきた《雲》の中で君が一番そそるんだぁ」
「だから気持ち悪い言い方は止めて下さい」
「もうね、オレは今、君にしか興味がないんだよ。解剖させてとまでは言わないからさ、君の腕一本、オレにくれないかい?」
「……」
コイツはヤバい、マジで狂ってる。そう感じたレゼルは椅子の足を鳴らして席を立った。
「おや、何処に行くんだい?」
「先輩には関係ないですね。あ、付いて来ないで下さいよ」
「連れないね」
レゼルはロウが苦笑を溢すのに背を向けてレジへと歩き出した。
レジに向かう途中、御手洗団子と和風サンドイッチと抹茶オレをトレイに乗せて運ぶ晴牙に同情の目を向けられた気がした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「で、何で俺はここにいるんだ?」
「それはレゼルが拉致られたからですわ」
現在の己の状況を理解しかねているレゼルに対し、ウィスタリアは隣の席で上品に笑った。
レゼルが今いるのは、彼女、ウィスタリアが所属する二年A組の出し物店の中である。ロウ・アガペーから逃げてきた彼は、和風喫茶を後にしてすぐ、ウィスタリアに殆ど強制連行された。彼女自身、レゼルを拉致ったことを認めている。
二年A組の出し物は『プラネタリウム』だった。創造術に星は大いに関係あるので、一番真面目な店目と言えるだろうか。
屋根がドーム状になった広い建物の中は、勿論のこと薄暗い。僅かな光は、天井に映し出される偽物の星の人工的な光で、それがほんのりと横の王女様を照らしていた。鮮やかな金色の髪は、今は微かにその存在を主張しているのみである。
上を見上げ易いように、通常より後ろに倒れた背凭れの椅子がズラリと並び、結構な数の客が静謐な空気に身を委ねている。
だが、そんな中でレゼルは今コートを脱いで、ウィスタリアとは反対側の椅子の背凭れにそれを掛けていた。それはつまり、髪と顔を隠していたフードも外れているということだ。
幾ら薄暗いと言っても、周りに人がいる中でそんなことをするのは無用心にも程がある――が、レゼルが座っている場所は、客のいる一階ではなく吹き出し構造になっている二階だった。所謂、VIPルーム、というヤツだ。レゼルの近くにいるのもウィスタリアだけで、彼女の専属メイド二人もいない。
様々な星座がコロコロと変わって映し出される天井を見詰めながら、二人は会話をしていた。
「拉致、ですか。まぁ、そうでしょうね。無理矢理金払わせて無理矢理ここに押し込んだんですもんね」
「だってレゼル、幾ら待っても来てくれないんですもの」
「ミーファに止められてるんですよ。売上競争の一番のライバルに貢ぐ馬鹿はいないって」
「あら、そうでしたの。それはごめんなさい」
「……本当に反省してます?」
「反省するくらいなら最初からやりませんわ」
つまり全く反省してないんですね、そう言ってレゼルは首を動かした。
だが、ウィスタリアは笑顔を浮かべて星座を形作る光を眺めているだけだ。
レゼルは顔の向きを戻して溜め息をついた。
それにしても、彼女と食堂で初めて会ったときの自分の態度はもう何処かへ行ってしまったようだ。まぁ、それの原因はレゼルではなく彼女の茶目っ気な性格にあるとは思うのだが。
「……ああ、そういえば」
小さな沈黙の後、ウィスタリアが口を開いた。
「ロウには会いまして?」
「ロウ……って、ロウ・アガペー先輩ですか?」
いきなり、レゼルにとって果てしなく聞きたくない者の名前が出てきた。
反射的に嫌そうな表情をしてしまい、それを横目で見たウィスタリアは苦笑する。
「まぁ、それが当然の反応ですわね。でも、ロウも可哀想ですわ。あんなにレゼルに会いたい会いたいと言っていましたのに、もう嫌われているだなんて」
「あんな人と仲良く出来る訳ないじゃないですか」
「あら、酷い言われ様」
クスクス、とウィスタリアは口元に手を当てて笑った。
「あの《雲》好きのことですから、抱き締めたいとか言われたのでしょう?」
「いえ、最終的には『腕一本くれ』と言われました」
「それは……予想の斜め上を行きましたわ……」
流石の王女様も、『腕一本くれ』には笑えないようだ。綺麗な顔が引き攣って、苦笑いになっている。
「って、あれ? ウィスタリア様は、ロウ……先輩が《雲》好きだってこと知ってるんですか? あの人、体裁とか気にしてるみたいでしたけど」
「知っているのは創天会のメンバーだけですわ。彼、各学年の代表・副代表以外の生徒には成績優秀のイケメンで通っていますもの。彼が《雲》好きってことだけじゃなく、狂っているということも殆どの者が知りません」
「そ、そうですか」
「どうして彼が《雲》を異常に愛すのかは、誰も知らないのですけれど、ね」
ウィスタリアは大人っぽい笑みを浮かべる。その瞳には、彼女の《星庭》である水瓶座を象った光が映り込んでいた。
と、ここでウィスタリアは初めて、疑似夜空を映し出す天井から目を反らした。頬に視線を感じたレゼルも天井から目を離し、彼女を見た。
「それで、レゼル。今日貴方を拉致――ゴホゴホンッ、ともかく呼んだのは、『無限の星影』のことについて話す為なのですわ」
「インスタですか?」
「ええ。直球で問いますが、どうやって参加するのですの? クラスの出し物のように女装でもするつもりなのかしら?」
「あー、そうですね。インスタはもう明後日の夜ですもんね……って、何で俺が女装したこと知ってるんですか!?」
さらりと言われた台詞に瞠目するレゼル。
ウィスタリアは爽やかに微笑み、片頬に手を当てた。
「創造祭の三日目に、和風喫茶の前で乱闘騒ぎがあったでしょう? わたくしはそれを見ていましたの。男相手に華麗に一本背負を決めた黒髪の少女がレゼルであることは、声で分かりましたわ」
「声……ですか。でも、あのときは同じクラスの奴にもバレないように多少声を変えていたんですが……」
「ふふ、それでもわたくしには分かりますわ。レゼルの声はともすれば女の子でも通じる高めの声ですし――」
「あ、もういいです」
レゼルは硬い声でウィスタリアが言うのを遮った。
唯でさえ、数日前、振袖が似合うとか言われて男のプライドに傷を付けられたというのに、今以上に傷を抉られてはたまったものではない。
「そうですね……とにかくもう女装は勘弁なので、普通の変装か、出ない、という線でいくしか……」
「レゼル。……インスタに出ないというのは、たとえ学院長が許しても創天会が、いえわたくしが許しませんわ」
「何でですか……」
「女装しなさい、レゼル」
「貴女、絶対面白がってるでしょう!」
「インスタは全員正装が義務。ドレス姿のレゼルが見られるのが楽しみですわね」
「ちょっ、勝手に女装決定しないで下さい!」
ウィスタリアの表情は至って真剣だが、瞳の光は面白げに揺らいでいる。完全に、彼女は楽しんでいた。
しかし突然、ウィスタリアの表情が一変した。先程と同じ真剣な顔なのは変わらないのだが、今度はしっかりと真摯さが籠っているし、彼女の周りの空気も張り詰めたものになっている。
惑星や星座の説明をする生徒のアナウンスの声が、何処かに遠ざかった気がした。
「レゼル。インスタは、優秀な創造術師を求めて創造術師協会や創造術宗教団体が注目していることは知っているでしょう?」
前に食堂でミーファ達に説明して貰った話だ。レゼルは頷いた。
「それにより、スカウトマンも沢山訪れますわ。貴方にとって、《雲狩り》を行う創教団は天敵と言ってもいい。創造祭七日目――明後日は、十分注意することですわ」
「それは……はい、分かっています」
もう一度頷いてから、レゼルはふと疑問に思ったことがあって、口を開いた。
「それにしても、ウィスタリア様は何故、何時も俺に警告や忠告の類をしてくれるのですか?」
訊くと、彼女は一瞬だけ言葉に詰まった後、
「……《雲》が大ッ嫌いだからですわ」
天井のプラネタリウムに顔を向け直した王女の横顔を、レゼルは珍しく困惑した表情で見詰めた。
読んで下さりありがとうございました!
そして、今回は新キャラ登場でした。ロウのイメージは「変態」なので、彼がちゃんと狂人になっているかだけが心配な今話です。




