第34話 僕と俺
お気付きになられたかとは思うのですが、タイトルを変更致しました。もう100%、ピントを主人公に当てています。それにしても、この件で色々考えて、自分にはネーミングセンスというものが皆無であると改めて自覚しました(笑)
誰か、代わりに考えて貰えませんか(ええもう、切実に)。
今回の話は主人公が女装します。苦手な方はお気を付け下さい。
創造祭三日目、(時間的な)朝。
レゼル・ソレイユの寮部屋には、黒髪の美少女がいた。
紅色と橙色を基調とした美しい振袖を纏い、顔にはうっすらとだが化粧を施している。腰まで届くほどの長い黒髪は真っ直ぐで、それが真っ白な肌を際立てていた。
しかし、その麗しさに反して、彼女――いや、彼の表情は優れない。
まぁ、それも当たり前だろう。一見美少女な彼は歴とした男なのだから。
黒髪の美少女、じゃない、黒髪の少女の姿をした少年は、むすっとした顔を崩さない。彼にとって、女装をするなんてことは全く本意ではないのだ。
昨日の朝に始まったミーファとの鬼ごっこは、創造祭期間の為に閑散とした本校舎を駆けずり回った挙げ句に、ミーファのシフト時間がやって来て一時中断。この時はレゼルの逃げ切りで幕を閉じた。が、夜になって寮に戻り、夕食を食べたすぐ後には鬼ごっこ再開。二度目には晴牙やノイエラ、ルイサ、ミーナまでミーファ側につく始末。鬼が多い。仕方ないので逃げながら出会ったウィスタリアやそのメイドのマズルカとマリンカ、そしてサラや水蘭を此方の味方に付けた。と思ったのに、彼女らはあっさりレゼルを裏切り、何時の間にかミーファ側に引き込まれていて、レゼルの「何で裏切ったんだよっ?」という切実な言葉に対しては「だって君の女装が見たかった」の一言を発射。心臓を撃ち抜かれブロークンハートしたレゼルは、鬼ごっこが何故か冬なのに学校での肝試しに発展した頃、様々な罠によって簡単にミーファに捕まり、渋々ながら女装を受諾させられた。
で、レゼルにとっては恐怖そのものだった夜の時間は終わり、現在に至る――という訳だ。
詰まる所、黒髪の美少女、じゃなくて、美少女の姿をした少年は、レゼル・ソレイユだ。長い髪は勿論、鬘である。
そして彼女、じゃない、彼の前には、二人の少女と一人の少年が床に伏していた。
「どうしよう……我ながら凄いものを生み出してしまったわ……」
「何か無性に悔しいです代表……」
「リアルで男の娘なんて反則だぜ……」
それは、ミーファとノイエラ、晴牙である。
三人は先程から何故か悶えっぱなしで、不機嫌なレゼルは彼らに鋭い視線を向けていた。
「おい、お前ら、笑うの堪えんのもいい加減にしろ。似合わねぇのは分かってるんだ」
そして彼は、三人の様子を大きく勘違いしていた。三人は笑いを堪えているのでなく、レゼルのあまりの美少女っぷりに衝撃を受けているのである。
「いや、大丈夫だレゼル。滅茶苦茶似合ってるから」
「何が大丈夫なのか俺には一つも理解出来ないんだが」
顔を上げて絨毯の上にきちっと正座した晴牙を睨み付ける。
「そんな怖ぇ顔すんなって。可愛いのが台無しだぜ?」
「ふざけんのもいい加減にしないと刻むぞ」
――お前の好きな蕎麦に付いてる葱みたいにな、という呟きは心の中だけに留めておいた。
「いや、でもレゼル君、本当に似合ってるわ。黒髪に黒眼だから、日本人みたいで和服が映えるのね。それに和服は胸無い方が似合うし。ちょっと想像以上で吃驚したわ。別に笑ってた訳じゃないから、安心して?」
「その言葉の何処に安心出来る要素があると?」
「れ、レゼルさん、落ち着いて下さい。今のレゼルさん、凄く綺麗です。羨ましくなっちゃうくらい」
「だからその言葉の何処に落ち着ける要素があると?」
今のレゼルは女性にも少しだけ容赦が無かった。
だが、彼だって、女装でもしなければ自分が出し物に参加出来ないことを理解している。更に昨日、ミーファに捕まえられて女装を許容した以上、今更文句を言うのはお門違いなのかもしれないとも思っている。
それでも、どうしても、女装に対して拒絶の意を示してしまう。まぁ、これは男なら誰だって当然のことだろう。
レゼルが嫌なのは、「可愛い」とか「似合う」とか「綺麗」と言われること。それらの言葉は容易に男の大事な部分――というと誤解があるかもしれないが、つまりプライドのことだ――を傷付けているのだ。
まぁ、
「レゼル。珈琲、飲みますか?」
彼女――セレンのように、この格好に対して無関心なのも著しく反応に困るのだが。
「男だって知らなかったら俺、惚れてるわ絶対」
取り敢えず、晴牙には枕でも投げておこうかと思うレゼルだった。(相手が晴牙でも流石に包丁を投げることには躊躇した。)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
この日、和風喫茶「星月夜」は他クラスの売上平均を余裕で上回るほどの盛況ぶりを見せていた。
創造祭の三日目は休日ということもあり、リレイズの街に訪れる人間は格段に増すのもその理由だが、それは他クラスも同じだ。
だから、一年A組の出し物が他クラスの出し物に比べて遥かに賑わって(=儲かって)いるのは、それとはまた違う理由があった。
その理由とやらは、喫茶店の前に長々と連なる客人の行列で騒々しく交わされている会話を聞けば分かる。
以下、その会話を抜粋しよう。
「ここの喫茶店にさ、凄ぇ美少女が二人いるらしいぜ」
「らしいな。一人はミーファ様だろ?」
「ああ。もう一人は、何かダークホースっぽいんだ。二人並ぶとマジで目の保養になるって友人が言ってたな」
――簡単に纏めれば、つまり、男性客と一部の女性客は専ら学院の生徒である従業員目当てに来ている訳だ。
まぁ、その中で、殆どの女性客は茶や和菓子の美味しさに惹かれて来る――のは、レゼルにとって救いなのだろう、多分。
彼は黒髪の美少女に化けた姿で、忙しなく働いていた。
「そこの黒髪の可愛い女の子ー、オーダー頼みたいんだけどー」
奥のテーブルからナンパするときに使うような媚びた声が上がる。
それにレゼルは、客に申し訳ないとは思いながら、気持ち悪いなという感情を持ってしまった。よく考えてみれば、相手は男でレゼルも生物学上、立派な男なのだから、当たり前の感情ではあるのだが。
「は、はーい、只今ー」
何度言っても慣れない客との対応の言葉を紡いで、レゼルは声の上がった、男性客が二人座るテーブルに向かう。
店内に空いている席は無い。がやがやと騒がしい中を歩く。ひらひらと揺れる振袖や帯の圧迫感、花緒と足の親指の擦れから起こる倦怠感をひた隠しにし、彼は接客用の笑顔を浮かべた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「これを12番テーブルへ」
「分かったわ」
ミーファは注文されたメニューをカウンターから受け取ると、もう慣れた手つきで厨房にいるクラスメイトに言われたテーブルへと運んでいく。
「お待たせ致しました。こちら水羊羹になります」
「おっわ、君可愛いねー」
メニューを運んでいったテーブルでナンパ紛いの言葉を投げ掛けられる。が、ミーファは「ありがとうございます」と笑って軽く流し、トレイの上の水羊羹が乗った皿をテーブルに置くと、すぐにそこを去った。浴衣を通してでも背中に視線を感じるが、当然の如く無視を決め込む。
実の所、今日――創造祭三日目――はミーファにシフトは入っていない。だが、如何せん今日は客が多い、いや、多過ぎた為、ミーファも急遽働くことになった。自分の組の店が賑わうのは良いことなので、彼女は特にそのことを嫌がってはいない。
喫茶店で働くのが三日目ともなれば、仕事の仕様は勿論、客のあしらい方までお手の物だった。
料理を運んだ後は、呼ばれたテーブルへと注文を取りに行く。その移動中にちらりと美少女と化したレゼルの様子を窺ってみれば、彼は上手くやっているようだった。料理も素早く且つ正確に運べているし、注文の取り方もよく出来ている。客への対応にはまだ少し慣れないようだが、それは全然許容範囲だ。
それに満足して、ミーファはうんうんと一人で頷いてしまう。
ただ、相変わらず彼の表情は固い。ミーファからすれば、今のレゼルの笑顔は完璧な接客用のものだと分かる。それでも、彼が自分の組の出し物に堂々と参加出来たことを彼女はとても嬉しく思った。
女装は嫌だろうが、これまで《雲》として生きてきた、否、これからもそう生きていくであろうレゼルは、きっと辛いことを沢山体験してきたに違いない。ミーファの想像なんて簡単に上回る酷い扱いを受けてきた筈だ。現に今、学院でも彼は理不尽な虐めに遭っている。
だが、それでも、彼は文句一つ言わない。《雲》だから仕方無い、その言葉を吐いて、彼は簡単に理不尽を受け入れる。それは一見、ただ弱気なだけに見えるが、受け入れることの辛さは端から見ても分かるし、大体、レゼルに弱気になるなどという言葉は似合わなかった。彼は、当然あって然るべき一般人に対しての怒りがない。いや、ただそういう感情を抑えているだけなのかもしれないが、どんなに自分を貶されようと、罵られようと、レゼルは怒らない。
そこまで考えて、ミーファはふと思ったことがあった。
レゼルが本気で怒ったのを見たのはまだ一度しかないな、と。学院に編入して一ヵ月も経っていないのだから、当たり前なのかもしれないが、彼が怒ったのを見たのは、実技試験のときだけだ。そのときは、ナイフがセレンに当たりそうになったからで、別に《雲》関係のことでは無かった。
思えば、彼は《雲》関連のことについて、全く感情を動かさない気がする。でも、ただの推測でしかないけれど、そんな筈はないとミーファは思うのだ。
だから、勝手で自己中心的な思いかもしれないと考えながらも、学院主催の祭で一生徒として出し物に参加するときくらいは《雲》であることなど忘れて楽しんで欲しかった。その為の女装だ。まぁ、あまりにもレゼルが美少女過ぎて沢山の客が入ってしまったから、楽しむ余裕なんて全くないだろうが。
「ミーファ」
そんなことを頭の片隅で思考しながら仕事をしていたから、彼に後ろから声を掛けられたとき、ビクッと肩を揺らしてしまった。
「なっ、何? レゼル君」
左腕の脇で銀色のトレイを挟んだレゼルはミーファのキョドりぶりに一瞬きょとんとしたが、すぐに右手の人差し指で彼女の足元を指差した。
「え?」
彼の指差す方を見ると、浴衣の裾からチラリと覗く下駄を履いた自分の裸足が視界に入った。そして、下駄の鼻緒に擦れて血の滲む親指も。
「げっ、下駄が血で汚れちゃう」
「いや、まずは自分の足を心配しろ。血だけじゃなくて腫れてるじゃないか。何でこんなになるまで気付かなかったんだ」
「えと……痛みはあったけど、血まで出てるとは思わなくて。もう三日間連続で下駄履いてるし、その内慣れるかな、と」
あはは、と苦笑いをしながら言うと、レゼルは心底呆れたという表情で溜め息をついた。
想い人に呆れられたということにミーファは少なからず衝撃を受ける。足の痛みなど何処かに消えていった。
「何言ってるんだ、日本人じゃないんだから、数日そこらで慣れる筈ないだろ。とにかく、手当てしよう。このままじゃ化膿する」
俯いていたミーファの手を取り、レゼルはレジに向かって歩き出した。レジのカウンターの裏には休憩室に繋がる扉がある。
「え、えっ? レゼル君、仕事は――」
給仕役から二人も抜けたら、仕事が回らなくなる。それで客に迷惑を掛けることは、一学年代表としても個人としても駄目だとミーファは思った。
「誰かに変わって貰うしかないだろ。足から血ィ出してまで働かせられっか」
「で、でも、今日はお客さんが沢山来てるし、私も出ないと」
「このアホミーファ」
「アホって……酷ッ!?」
「今日、お前は元々オフだろ」
レゼルはミーファに有無を言わさず休憩室の中に引き摺り込む。更に、折り畳み式テーブルの周りを囲むパイプ椅子に座らせた彼女の足から下駄をゆっくりと外した。濡れタオル持ってくるから少し待ってろ、そう言って、彼は休憩室を出ていった。
されるがままだったミーファは、血の滲んだ己の足を見下ろしながら、大人しく彼を待つことにした。
休憩室には今、誰もいない。皆、今日は仕事に出ずっぱりだ。
二、三分ほどで濡れタオルを持ったレゼルが帰ってきた。彼が休憩室のドアを開けたとき、チラッと料理を運ぶ赤髪の少女が見えた。
「あれ? セレンは厨房でしょう?」
セレンの料理の腕に感激した自分が、殆ど強制的に(彼女自身も嫌では無さそうだったが)厨房仕事に回したことは記憶に新しい。それなのに、どうして彼女がホールに出てきているのだろうか。
ミーファの質問に、レゼルは淡々と答えた。
「セレン、さっき休憩時間に入ったから、少しの間だけ給仕役やって貰ってる」
「そ、そう……後でお礼言わないとね」
「ああ、まずは手当てだ」
レゼルはミーファの前に跪くと彼女の足を持って床から爪先を離した。
「ぅえッ!? て、手当てくらい自分で……」
「足動かさない」
「は、はい」
ただの水ではなく微温湯に浸したのか、血の滲んだ箇所に当てられたタオルは温かかった。血が完全に拭き取られるのを、彼女は赤く染まっていくタオルを見ながら待つ形になる。
「やっぱり、腫れてるな……」
用を終えたタオルを無造作な手つきで床に置くと、レゼルは眉を顰めた。
「ご、ごめん……」
そんな彼に、何故か反射的に謝ってしまう。何で謝るんだよ、とレゼルに軽く笑われた。
「取り敢えず今は絆創膏で我慢してくれ」
「えっ、絆創膏常備なの?」
当たり前のように振袖の長い袖から絆創膏を取り出したレゼルに、ミーファは目を丸くした。
「まぁ、切り裂き魔と一緒にいると擦り傷が絶えないからな」
「き、切り裂き魔……?」
「サーシャさんのこと――エホンゴホンッ、いや、何でもない」
ただの冗談だ、と絆創膏を傷口に貼りながらレゼルは苦笑した。
絆創膏を包んでいた紙を潰してゴミ箱に投げ込み、レゼルは立ち上がる。ゴミ箱は部屋の隅にあるのにコントロール良いなぁ、とミーファが思っていると、彼は肩越しに手を振り休憩室から出ていった。
「代表とか《暦星座》とか学院長の娘だからとか、色々あるだろうけど、無理はするな。まぁ俺が何とかするから、今日はもう休め」
そんな言葉を、残して。
確かにミーファは、自分の立場からのプレッシャーもあって、今回の創造祭に少し張り切り過ぎているところがあった。
彼女はリレイズ生まれのリレイズ育ちだ。今まで、ずっと先輩達の素晴らしい創造祭を見てきた。だから、ゲストではなくホストとして参加したのは今年が初めてで、張り切り過ぎてしまう理由はそこにもあったのではないかと思う。
「俺が何とかする、か。ははっ、女装してなかったら格好良い台詞だったのにね」
クスクスと小さく笑って、ミーファは絆創膏の貼られた足の親指に触れた。
「何だか、温かい」
傷が熱を持っているだけかもしれないけど。
『ところで、女装するなら自分の呼び方も変えた方がいいかしら』
ふと、レゼルが女装すると決まったときの自分の言葉が思い出された。
『「私」とかは絶対嫌だぞ』
『分かってるわよレゼル君。……じゃあ、「僕」。これなら何とか――』
『無理だ』
『え?』
『それはもう、捨てたから』
『……そっか。じゃあ、「俺」のままでいっか、そういう女の子もいるし』
そんな会話をしたのが、妙に意識に引っ掛かる。
――昔、彼は自分のことを何と呼んでいたっけ。
ぼーっとした頭でそんなことを考えていたときだった。
ガシャン、と多分硝子の割れた甲高い音と、野太い男の怒鳴り声が聞こえた。
読んで下さりありがとうございました!