第32話 歌姫
駅前の広場にセットされた簡素な造りのステージは沈黙している。指定された時間になれば目映いほどに輝くだろう大型のライトも、今は広場の夜闇に沈んでいた。
広場から少し離れた大通りでは、時間的に夜であるにも関わらず、人々は創造祭を楽しんで騒いでいる。そちらでは彼方此方で飾り付けのライトが輝いているだろう。広場のライトが消されているのは、これからコンサートが開かれるからだ。
駅前と大通りは人通りが多いので、石畳の路面にはあまり雪が積もることがない――のだが、コンサートがあるからだろう、広場は念の為、騎士団の手によって丁寧な雪掻きが施されていた。隅の方にも雪は残っていない。
色々と創造祭を見て回ったレゼルとセレンは、ミーファの言伝て通り六時少し前には着くよう駅前の広場に訪れた。そこでミーファや晴牙、ノイエラと合流し、現在の時刻は七時少し前。野外ステージの前でコンサート開始時間である七時を待っている。
野外なので観客に椅子は無い。レゼル達は最前列の端の方で横一列に立っていた。
彼らの背後では広場に入るギリギリの観客の群れが、ざわざわとこれからのイベントに心踊らせている。だがそれは当たり前で、普通『歌姫』のコンサートは無料で聴けないし、開かれるのも王都のドームで、が専らなのだ。
レゼル達がここに来たのは今から約一時間前だが、そのときには既に沢山の人が詰め掛けていた。それなのに彼らが端ではあるものの最前列を位置取れたのは、ウィスタリアがここを指定席――否、指定空間か――にしてくれていたからである。他の者には悪いが折角の『歌姫』からの好意だ、素直に受け取っておこう、ということで堂々と五人は最前列に陣取っているのだった。
端であるから《雲》のレゼルも安心という訳だ。病院での忠告といい、ウィスタリアは彼の事情やら何やらをちゃんと考えてくれているらしい。
「あ、もう始まるわよ」
隣のミーファの声に顔を上げた。瞬間、ステージを隠していた黒い幕が地面上のライトで下から照らされる。
ゆっくりと、幕は光の粒子となり下から消えていく。幕が創造物だということに驚かなかったのはレゼルとミーファくらいだろうか。
幕が消え切ると、ステージには『歌姫』の姿。
鮮やかな金髪縦ロールに色白の肌が映える。真っ赤なドレスに身を包んだその立ち姿は、高貴、そしてこれ以上なく綺麗だった。
彼女は身体の前で手を合わせ、静かに腰を折った。
「――皆様」
ウィスタリアが顔を上げ、そう声を発したときだった。
広場の空気が変わった。
まるで夜が明けるときのように。
誰もその瞬間を経験したことなどないのに、レゼルはそう思った。
「凄いな、一瞬で……」
独り言を呟き、頭上を仰ぎ見る。星の輝きが弱く、何処かぼやけたような空がそこにあった。
これは結界が張られた証である。先程までより明るくなったステージに再び目を遣ると、ウィスタリアが此方を一瞥して少しだけ微笑んだ。
「この度はわたくしのコンサートに赴いて下さり感謝しますわ。――それでは、お楽しみ下さいませ」
ウィスタリアが短い挨拶を言い終えると、ステージを照らしていたライトが消えた。
やがて、淡い星光と新たに灯ったライトの光がステージに一人立つ彼女に投げ掛けられる。赤いドレスと金髪がぼんやりと浮かび上がる。
――ウィスタリア・ダウン・ディブレイクが旋律を奏で始めた。
その口から紡がれる、言葉、声、音色。それらが空間を満たす。
彼女の歌声も、先の挨拶の声も、それほど大きなものではない。この石畳の広場の入り口近くにいる人間には全く届かないような大きさだ。
しかし、彼女の透き通るような声は広場に集まる者の耳に一人残らず響いていた。
その理由は、先程彼女が一瞬でこの駅前広場の全体に掛けた結界にある。
ウィスタリアは《暦星座》で唯一の結界師である。それはつまり、結界師のトップであるということにも結び付く。そんな彼女であるから、結界に関しては右に出る者はおらず、彼女は様々な効果の結界を一瞬で構築してみせる。
創造術には沢山の制約がある。
『創造術は魔法ではない』
誰が言ったのかは不明だが、そういう言葉があるのも頷けるほど、創造術は便利なものではない。
創造術が便利だと感じられるのはほんの一部の人間――天才達だけだ。そうでない者が創造術を行使しても無駄に生命力を垂れ流すだけである。
現在、最も便利且つ役に立つ創造術はミーナ・リレイズの治療創造術だと言われている。故の『天才』という二つ名だ。彼女は天才の中の天才として創造術界に君臨している。
話がずれたが、そんな創造術の制約の中に――というより常識として、一つの法則がある。
それは、
『ある一つを除いて、創造術は世界に存在するものしか創造出来ない』
というものだ。
これはつまり、世界やこの世にないもの――鬼とかお化けとか、いもしない虫や動物とかは創造出来ないということである。存在しない物質などは論外だ(まず構築の基となる想像が出来ない)。
創造術で構築出来るのは世界に存在するものだけ。
だが、その法則から一つだけ外れるものがある。
それが、《結界》である。
結界はこの世に存在するものではない。結界師以外にはあまり現実味のない、オカルトに近いものだ。
結界は理論上で言えば、融合体の膜で空間を覆ったもの(に近い)、なのだが、視認出来るのは創造した本人だけだ。卓越した創造術師なら結界の存在、というより融合体の膜に気付くことは出来るが視認は無理である。ただ、融合体の気配に気付けば星光を弱く感じたり景色がぼやけて見えたりする(結界の融合体の膜越しに空や周りを見た場合)。
結界の中でも主となるのは《誘導結界》。堕天使の堕ちる場所を誘導する為の今の世界にとっては必需結界だ。
だが勿論、今のこの結界は《誘導結界》ではない。
レゼルの推測だが、これは音を増幅する結界だ。
だから、マイクなどを使わなくても、ウィスタリアの声は結界内部の全ての人に届く。
ライトに照らされる舞台の上で、自分で創造した結界の中で、『歌姫』は歌う。
最初は、楽器の音色がないアカペラ。
結界に彼女の声が反射し、増幅される。そして聴いた者の鼓膜と心を震わせるのだ。
優しい声で紡がれる唄は、静かな曲調の独唱曲だった。
「綺麗な唄ですね」
小声で呟いたセレンも、ステージに立つウィスタリアを見詰めていた。生体機械の所為で上手く表情の創れない彼女も、仕草の一つ一つでちゃんと気持ちを表せる。
観客は一人残らず、歌姫の歌声に酔い痴れる。
あまり音楽に興味のないレゼルでさえ、一声聴いただけで彼女が『歌姫』と呼ばれる所以に納得したほどだ。まぁ、『歌姫』という二つ名は、歌手という他にも理由があるのだが、そちらは戦闘関連である。
余韻のようにウィスタリアの声が響き、一曲目が終わった。
誰からともなく拍手が起こり、周りの音が聞こえないまでのものとなる。
ライトが光の色を変えて移動し、ステージの様相を一瞬にして変化させる。
カラフルな光に照らされたウィスタリアは優雅に微笑んだ。少しだけ赤く染めた頬が彼女の興奮を表している。その様子を見てレゼルは思う――彼女自身、歌うことが好きなのだろうな、と。
やっと拍手が収まり始めたとき、両方の舞台袖からドレスを着た女性達がステージに上がってきた。
皆、ウィスタリアより歳上だろう。身長、何よりその顔立ちから、全員二十歳は過ぎていることが窺える。
そしてその中には、レゼル達が見知っている人物もいた。
「えっ」
ノイエラの隣で晴牙が小さく声を上げた。彼も二人の存在に気付いたのだろう。
二人の金茶色の髪を見てとったレゼルも、晴牙と同じ気持ちだった。
ドレスを纏った数人の女性達は、ウィスタリアを先頭にV字を描くようにステージに立った。
王女の両隣にいるのは見知った二人である。
二人共に、金茶色の髪。ウィスタリアの専属使用人である筈の、マズルカとマリンカだった。
「どうして……」
ポツリとノイエラが呟いた。彼女もメイドの二人が堂々とステージに出て来たことに驚いているのだろう。
皆が抱えていた疑問に答えたのはミーファの小声だった。
「二人はメイド兼創造術師だもの。更には有名な音楽家なのよ」
「音楽家、ですか?」
セレンも声を小さくして訊ね返す。
ミーファはステージ上を見詰めたまま頷いた。
「ええ。確か二人は演奏家だと思ったわ」
彼女の声が終わるのを見計らったように、女性達の先頭に立つ王女は掌を上に向けて右腕を伸ばした。
次の瞬間。
ぼんやりと霞む星の光が、彼女の掌に集まった。一気に光量が増し、美しい金髪がキラキラとその光を反射する。
だが、突然の眩しさは観客達が目を瞑る前に霧散した。
ゼロコンマ数秒ほどで深い青色の光は収まり、そして、ウィスタリアは藍色の輝きに包まれたバイオリンを手にしていた。
《瑠璃の創造術師》。
それは『藍色』を冠した、彼女の《暦星座》としての二つ名だ。
何処までも深く沈む青を表した、海の色。
彼女の結界は、内部にいる者を深海に閉じ込める。息をするのも忘れてしまうような、光の届かない空間――まるで深海のような場所を創り出す。
今、創造術の根底の一つに存在する星の光は、ステージ上のみを照らしていた。ステージに近い客を除き、集まる観客達を申し訳程度に照らすのは、広場の四隅に設置された小さなライトだけである。
観客達には、星の光が全くと言って良いほど届いていないのだ。
これも、理由はウィスタリアの結界にある。
張られている融合体の膜の効果は、ただ音を増幅させるだけではない。
もう一つ、此方は戦場でも使われる効果があった。
ミーナ・リレイズが『戦場の女神』と呼ばれることに合わせて、ウィスタリアは『戦場の守護神』と呼ばれることがある。それは、もう一つの効果がその所以となっていた。
――星光を収束すること。
それが、ウィスタリアだけが構築出来る結界の効果。
堕天使戦で例えれば、普通、結界師は堕天使の力を弱める結界しか張れない。だが、《暦星座》の一つ、水瓶座の《星庭》の能力を得たウィスタリアだけは違う。
水瓶座の能力で創られた彼女の結界は、拡散する星光を収束し、味方の創造術師に通常より多くの星光を届ける役割を持つ。
戦場では、正しく守護神。堕天使を弱めるのではなく、創造術師に力を与え、戦闘を有利に進める。
現在の結界も、彼女だけが持つ唯一無二の効果があるに違いない。彼女は意図的に星光をステージ上に集めている。それは自分が結界を維持し易くする為でもあるし、物質創造をし易くする為でもある。
ウィスタリアが、創造したバイオリンを構えた。顎宛を首で挟み込むようにし、左手の指で棹の弦を押さえる。右手はしっかりと弓のハンドル部分を握り込んだ。
瞬間、ウィスタリアの斜め後ろに並ぶ女性達も全員腕を伸ばした。
体内から融合体を放出する際の創造光が瞬く。
結界に収束された光の影響を受けている今、彼女達は構築の過程を一瞬で終える。失敗などは論外。そんな可能性は現在、1%もない。(ただ、星の光が集まっている為、無光創造は難しい。)
彼女らの前に創造された楽器は様々だった。
フルートにクラリネット、オーボエ、バスーン、ビオラ、チェロ、コントラバス、ティンパニ、トランペット、トロンボーン、ホルン、サクソルン(サックスホルン)、チューバ、シンバル。
ステージへのライトアップが淡い輝きのものへと変わる。
ウィスタリアが、瞼を伏せるようにゆっくりとバイオリンに視線を落とした。
弓が胴弦に当てられた。バイオリン属の中では最高音域の調べが響き始める。
歌姫の奏でる音色に続くように、後ろの女性創造術師達も己の楽器で音を重ねていく。
結界が、一つ一つの楽器音を増幅して。
――たった十数人のオーケストラの幕が、開いた。
読んで下さりありがとうございました!
実は今回の話の推敲中、PCが五回動かなくなりました(執筆は専ら携帯からですが推敲とupはPCからなんです)。電源ぶち切って再度電源入れてもすぐに操作不能になる。もうエンドレス(笑)
仕方ないので、今回は推敲もupも携帯から。かなり疲れました。あと更新予定時刻(日曜の午前0時)まで一時間もないのに!!(←ヲイ)
PC壊れたのかな。いや、それは困るよ。明日になったら直ってないかなぁ。
と、無駄な話をし過ぎました(汗)
今回の話の楽器やら何やらの記述ですが、あまり当てにしない方が宜しいかと思います。電子辞書様で調べただけで、如月は音楽関係に疎いので。
オーケストラって普通は百人前後の人達で演奏するそうです。多分、一人一人にパートとかあると思うんで、作中の「たった十数人のオーケストラ」は無理に近い……かもしれません。ごめんなさい、そこはスルーする方向で……orz
では、後書きまで読んで下さった方、ありがとうございました!