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血染めの月光軌  作者: 如月 蒼
第一章 創造祭編
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第23話 白刃の侍

 ミーファ・リレイズは戦場を(はし)っていた。

 斜め頭上には古代の昆虫に似た《堕天使》が六枚の巨大な羽を振動させて飛んでいる。五月蝿い羽音が鼓膜に突き刺さり、彼女は眉を(しか)める。

「まずは上位個体のアレから抑えないと……」

 空を進む、大鎌を持ったソイツを睨み付け、ミーファは呟いた。

 司令室を飛び出した時は若干パニックになっていた彼女だが、今は冷静になっている。自分がしなければならない事をちゃんと理解している。

 自分が今しなければならないのは、《堕天使》を倒す事ではない。《堕天使》が街に侵入しないように、この戦場で押し(とど)める事だ。

 飛行能力を持つ上位個体の《堕天使》は優先的に抑え付けねばならない。考えたくはないが、《堕天使》が街に入り込んで街中で戦闘となる場合も充分有り得る。その時、激しい戦闘になれば周囲に被害を出してしまう。十数人の創造術師が一斉に攻撃するスタイルをとる対上位個体《堕天使》戦闘は、下位個体が相手の戦闘よりずっと激烈で大規模なものとなってしまうのだ。

 街や民達の事を思えば、下位個体は無視してでも上位個体を押し止める必要があった。

 上位個体を一人で倒す事など彼女には不可能だ。いや、彼女だけではない――きっとそんな事は、NLFのエース「ブラッディ」しか出来ない。

 だから、ここで《堕天使》を食い止める。創造術師協会の戦闘部隊が駆け付けて来るまでの時間を稼ぐのだ。

 砂塵を巻き上げて地上を進んでくる下位個体の《堕天使》は無視し、ミーファは地を蹴って跳躍した。

 一つに結わえた金色の髪がふわりと広がる。

 翡翠色(ひすいいろ)の瞳に見据えられた先にいる蟷螂には、何時の間にか二つの銃口が向けられていた。

 舞い上がった少女の手には、強く発光する二挺拳銃が握られている。

 対《堕天使》用創造武器――双銃(ツインガン)煌双星(レディエンス・ジェミニ)〕。

 実技棟でルイサを相手にした模擬試合の時の〔双星(ジェミニ)〕とは比べ物にならない大きさを誇るその二挺拳銃は、銃身を青く煌めかせている。今のミーファに、無光創造や創造物の発光を防ぐような無駄な事は出来なかったし、する必要もなかった。

 二つの銃口に、銃身よりも強い光の球が現れた。

 それは、弾丸を創造した際の創造光(クリエイトフラッシュ)

 ミーファは引き金を絞った。巨大な青い銃弾が夜の闇を切り裂くように発射される。

 しかし、《堕天使》の前足――というより前鎌――の付け根を狙って見事そこに着弾した創造弾は、易々と弾かれて纏っていた光を消した。

「……ッ」

 やはり上位個体だ、堅い――ミーファは唇を噛み締めた。

 白い氷の花弁(かべん)が踊る中で、〔煌双星〕から排出(イジェクト)された空薬莢も宙を舞う。

 彼女は一度地上に着地して体勢を整える。

 すかさず蟷螂は口を開け唾液塊を放ってくるが、再び跳躍して避ける。その唾液塊よりも、巨大な口の中に垣間見えた鋭い牙の方に、ミーファは強い怖気(おぞけ)を覚えた。

「ミーファ! 横だ!」

 後ろから聞き覚えのあるどころではない人物の怒鳴り声が聞こえ、彼女は咄嗟に地面に着いた爪先で地を蹴った。

 地面をまるでトランポリンのように跳び跳ねる彼女の真下で、ガチン、という固そうな音が響く。見れば、蟻に似た下位個体の《堕天使》が一瞬前までミーファがいた場所の空中を噛んでいた。

 横から突っ込んで来たらしい、少女を食べ損なったその蟻は、忌々しそうに上を見上げた。気持ちの悪い土気色の両眼が「食べ物」である少女の姿を捉える。

 ミーファは背筋が震えるのを感じた。――幾ら何でも、数が多過ぎる。

「ミーファ、上位個体だけに意識を向けていたら死ぬぞ!」

 先程彼女を救ってくれた声の持ち主が、再び地面に足を付けたミーファの隣に駆け寄ってきた。

「エネディス先生!」

「全く。今、あと少し避けるのが遅ければ殺られていたぞ」

「す、すいませ――っと」

 戦闘中だというのに反射的に頭を下げてしまいそうになったところで、ミーファはルイサと共に慌ててその場から飛び退いた。

 上位個体の《堕天使》がまた唾液塊を飛ばしてきたのだ。

「くっ……同じ鎌仲間同士、手合わせしてみたいが……」

「何馬鹿な事言っているんですか! エネディス先生は下位個体の方をお願いします!」

「そうなるよな、普通は。銃主体で戦うお前に下位個体を薙ぎ払うのは無理だろうし」

「そうです! エネディス先生は鎌主体ですから下位個体を相手にし易いでしょう、だから鎌仲間とかに拘らないで下さい!」

 ミーファは叫びながら、自分が戦うべき鎌の前足を持った《堕天使》を見据えた。

 六枚羽を震わせて滞空する蟷螂型は、そんな彼女の視線を見返す。

「お前なんかに、負けるものか!」

 それでもミーファは視線を外す事なく蟷螂を睨み付け続ける。

 彼女は両手に大型の拳銃を携えて、幾度となく跳躍した。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 自分の可愛い教え子が上位個体との戦闘に入るのを確認して、ルイサ・エネディスは前に向き直った。

 そこには戦場を埋め尽くす、オペレーターの報告によれば百匹以上の下位個体《堕天使》が(ひし)めき合っている。

 ミーファとはやや軽い会話を交わしたが、彼女にもそれ程余裕がある訳ではなかった。

 ――後何分、持ち(こた)えれば良い?

 ルイサもミーファと同じく、《堕天使》を倒そうなどと無茶な事は考えていなかった。協会の創造術師が来るまでとにかく全力で戦う、《堕天使》を街に入れない――それが、彼女達が今すべき事だ。

 水色眼鏡の奥にある瞳が土気色の眼と交差し、そしてルイサは融合体を一気に放出した。

 彼女の前に生まれる陽炎のような空気の揺らぎ。それは一瞬で形を()し、紫色の光を放った。

 両手で柄をしっかりと握り、それを振るう。二匹の巨大蟻が上顎と下顎をサヨナラさせた。

 対《堕天使》用創造武器――戦鎌(バトルサイズ)死神鎌(デスサイズ)〕。それは、対人用創造武器である〔菫鎌(すみれがま)〕より一回りも二回りも大きな斬殺武器だった。

「――さぁ、あの世に送って差し上げよう」

 死の代行者は、大鎌を構えて《堕天使》の群に突っ込んで行った。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 (はじ)かれる、弾かれる、弾かれるッ――

 ミーファは唾液塊を避け、前足鎌での薙ぎ払いから飛び退きながら、止まる事なく青い弾丸を《堕天使》にぶつけていた。

 だが、その全て、(ことごと)くが、堅い体表によって弾かれる。

「っあ、あああああぁぁぁぁぁぁ――――ッ」

 喉の奥から咆哮を上げ、少女は空中でツインガンを()っ放す。二対の銃弾は、やはり鎧のような堅い体表に弾かれる。

 ――だが、今度はただ大人しく弾かれただけではない。

 先の銃弾が着弾した《堕天使》の側面が、一瞬にして凍結した。

「〔雹刃(ハイル・エッジ)〕の銃弾版よ!!」

 誰にともなく叫び、ミーファは氷柱の上に(・・・・・)着地した。氷柱は彼女が創造した「足場」だ。これで地面に足が付くまでの時間を短縮出来、跳躍が何度もし易くなる。

 地面から霜柱のように突き出た氷柱の上を蹴り、彼女は一切止まる事なく再度の跳躍を行う。

 凍り付いた蟷螂の側面に狙いを定め、〔煌双星〕の引き金を引いた。

 炎の付加され、本来は青い銃弾は紫色の銃弾になり、飛んでいく。そして、着弾する。

 蟷螂が禍々しい牙を剥いて()いた。

「……ッ、五月蝿いのよ羽音といい啼き声といい!」

 ミーファはそう毒突くが、《堕天使》に初めてダメージらしいダメージを与えられて、彼女の声は少し弾んでいた。

 蟷螂の側面の体表は抉れてピンク色の肉を晒している。だが、血は出ていない。《堕天使》に血液は無いのだ。

「代表、違います! そこではありません!」

 氷柱が消失(バニッシュ)した場所に降り立ったミーファに、聞き慣れた少女の声が届いた。

 思わず背後を振り向く。そこには、司令基地から走ってくるしっかり者の友達の姿があった。

「ノイエラ!? どうしてここに――」

「私も戦います、代表!」

「で、でも……いえ、分かったわ。ところでノイエラ、違うって何が違うの?」

 もう戦場に来てしまったものはどうしようも無い。ミーファは(かぶり)を振り、疑問に思った事を訊ねた。

「腹部を攻撃して下さい、代表。そこがあの《堕天使》の弱点(・・)です」

「――え?」

 ミーファは目を丸くしてノイエラを見た。

「何でそんな事が分かるの?」

「それは後で話します。とにかく私には分かるんです――代表、避けて!」

 ノイエラの言葉に従い、横に跳躍する。次の瞬間、前足鎌の一つが彼女が先程まで立っていた場所に振り下ろされ、地面に突き刺さった。

「……ノイエラ、貴女、もしかして《堕天使》が攻撃するタイミングまで分かるの?」

 ミーファが静かに再度訊ねると、眼鏡を掛けた少女は控え目に微笑んだ。

「ぼんやりと、ですけどね」

 ミーファはそんなノイエラに驚きを覚えたが、同時にそれは凄い才能だとも思った。

「……ノイエラ、指示を頼むわ」

 金髪を揺らして駆け出し、彼女は肩越しに振り向いてそう声を掛けた。何故か、ノイエラは泣きそうな表情になっていた。

「……ッ、はい! 代表、右から前足の薙ぎ払いが来ます! 回避して下さい!」

 だがすぐに立ち直り、真剣な表情になったノイエラの指示に、ミーファは素直に従った。

 右前足の薙ぎ払いを回避して、彼女は《堕天使》の真下に移動する。

「――喰らいなさい!」

 両手に握るツインガンの銃口を蟷螂の腹部に向け、《蒼碧の創造術師(シアン・クリエイター)》は引き金を絞った。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 身の程知らずにも此方へ向かって来る下位個体の《堕天使》に対して、ルイサは紫色の巨大な鎌を振るう。

 ギラギラと輝く刃が、蟻型の体躯を無慈悲に切断していった。

 彼女の前にいた《堕天使》は真っ二つに、背後にいた《堕天使》は鎌柄の尻で吹き飛ばされる。遠心力を付けた刃と柄は、一瞬も止まる事なく敵を(ほふ)っていく。

 こうして、彼女が鎌を振るえば長い柄が背後をもカバーし、彼女の周りには円形の空白地帯が出来ていた。そこに入り込んでくる――というより飛び入ってくる――《堕天使》がいれば、すぐさま攻撃。その繰り返しだった。

「退屈だが、疲れるな……」

 流石に〔死神鎌〕も刃毀(はこぼ)れしてきた。消失(バニッシュ)させて創り直すのは決定的な隙が出来てしまうから、それは駄目だ。だとすると、消失させずに刃だけを創造し直す、つまり補強するという事になるが、補強ではあまり良い出来にはならない。元通り、という訳にはいかない。理由は様々だが、主な原因は融合体の比率に関係する。星の光(レゼルは月の光)とエナジーの比率が全く同じ、0.1もずれていないという融合体は二度と創れない。だから補強とは、違う比率の融合体で違う比率の融合体で出来た創造物を補強しようとする事になり、少なからず反発を起こす。

 これが、「補強」や「増長」が難易度が高い理由だ。(といっても、レゼルは平気な顔で「増長」をしていたが。)

 今日が雪降りの日で雲が星光を遮っていなかったなら、彼女の本領である(・・・・・)「増長」と「補強」で様々な戦い方が出来たのだが、天候ばかりは致し方無い。

 鎌の切れ味が衰えてきた代わりに、ルイサは腕に融合体(チカラ)を込める。

 紫色の刃が右から左に振るわれる。と同時、長い柄も刃と連動して彼女の背後の空間を左から右に薙ぐ。

 生々しい輝きと艶を持った蟻型《堕天使》の眼球が、ルイサの前では切り裂かれ、後ろでは貫かれていた。

 再度〔死神鎌〕を振るうと、柄尻に眼球を突き刺された《堕天使》が柄からすっぽ抜けて宙を舞った。

「――ッ!? こ、殺す気ですか!」

 巨大な蟻が綺麗な放物線を描くという世にも珍しい光景には目もくれなかったルイサだが、すぐに非難の声が聞こえて彼女は振り返った。勿論、鎌で《堕天使》を屠る動作は止めないままだ。

 そこには、轟音を立てて地面に落ちた《堕天使》から慌てて飛び退く一人の少年の姿。

「……副代表、来るのが遅いぞ」

「ヒーローは遅れて来るものさ!」

「……お前、あの世に興味はないか?」

「す、すみませんすみません! 着替えに戸惑ってました、ハイ!」

 ルイサは茶髪の少年の言葉に溜め息を吐いた。

 過剰に緊張していないのは良いが、先の会話は戦争中には相応しくないものだ。まぁ、彼女も自分の事を言えないのだが。

「早く戦え!」

「わ、分かってますよ!」

 晴牙の声はほんの少しだけ震えていた。

 だが、それは当たり前だ。彼はこれが、《堕天使》との戦争の初戦なのだ。

 過剰な緊張は無いといっても、恐怖はあるに違いない。実際、幾つもの戦場に立ってきたルイサでさえも今、《堕天使》が怖いのだから。

 だが彼は下位個体の群に対して恐怖に固まる事はなく、両手に握っていた一振りの日本刀を横たえ、水平に構えた。

 湾曲した刀の(みね)を鼻の頭に付けるように、顔の前に構える。

「聖箆院流刀剣術――」

 ギラリと鋭利に、刀身の腹が白銀に輝く。


「迅速一閃ッッ!!」


 晴牙の姿が微かな残像を残して掻き消える。

 鎌を振りながら、ルイサは内心目を丸くしていた。

 彼は《暦星座》のルイサにも辛うじて視認出来る程の一瞬で《堕天使》に肉薄していた。だがルイサが本当に驚いたのは、一瞬で《堕天使》との間合いを詰めた事より、彼の日本刀があっさりと蟻の体躯を通過した事だった。

「切れ味だけは良いんですよ、俺の創造刀は」

 ルイサの思っている事を悟ったのか、晴牙は後ろに跳躍して、光塵となりつつある《堕天使》から距離を取りながら言った。

「……そのようだな」

 彼が刀身に付いた殻を振り払うのを見て、ルイサは頷いた。

 刀の切れ味。

 それは、殺傷禁止というルールに縛られた創造学院の模擬試合などでは測れない強さだ。

 こんなところに特異点を持っていたとはな、と思うと彼女は愉しくなる。ミーファといい晴牙といいノイエラといい、自分のクラスには面白い生徒が多い。特にその筆頭はレゼル・ソレイユ――彼だけの創造術、「月詠(つくよみ)」を行使する少年だ。

 離れた場所で行われている戦闘を見てノイエラの能力にも驚かされたが、やはりあの少年の「面白さ」は別格だった。

 ルイサが死神と化しながら鎌を薙いでいる内に、晴牙は次々と――とは残念ながら言えないが、学生創造術師(アマチュア)でこれが初戦だとは信じられない程の驚異的な早さで巨大蟻を倒していく。

 彼の創造した武器では、下位個体と言えども大したダメージは与えられないだろう――そう思っていたルイサだが、すぐにそれを改めた。

 流石に上位個体を簡単に切り裂けはしないだろうが、彼は将来確実に強くなるだろう、と。

 確かに、創造術の頂点(トップ)は《暦星座》の十二人。だが《暦星座》が既に十二人揃っていた場合、どれだけ優秀な創造術師でも《暦星座》にはなれない。つまり、《暦星座》以外にも強者は沢山いる、という事だ。

 だから十二人の中に入らなくとも、NLFの創造術師のように「ただ《暦星座》の席が埋まってしまっていた強者」も普通にいるのだ。

 もっとも、今現在、確認されている《暦星座》は十一人。

 レゼル・ソレイユの姉、レミル・ソレイユが契約し座っていた銀の椅子がまだ残っているが。

 もしかしたら、彼こそが――とは、思わなくもない。人間とは何かに、無意識の内に期待してしまうものだ。

「ああ……愉しいな」

 死神は大鎌を振り回しながら、雪を降らせる曇り空を見上げる。

 彼女は無理矢理教師にさせられた人間だ。

 だが。

「……教師も悪くないな」

 今、《菫の創造術師(バイオレット・クリエイター)》――ルイサ・エネディスはそう思うのだ。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 正直、晴牙は驚いていた。

 まさか、自分の剣がこんなに《堕天使》に対して使えるものだとは思わなかったのだ。

 自分が戦っているのは下位個体。今、彼の横で上位個体と戦いを繰り広げるミーファには敵わないし、多分あの蟷螂に自分の剣は通用しない。だが、それでも――たとえ下位個体が相手でも、彼の剣は《堕天使》を切り裂いた。倒したのだ。

 それは晴牙にとって、一種の自信になった。

 自分はまだまだ未熟な創造術師だが、今までの努力は無駄ではなかったと証明された気がした。いや、実際、それは証明されたのだ。初戦で《堕天使》を屠れる者など、正規創造術師資格(ライセンス)を取って協会に入った創造術師でも、中々いないのだから。

 彼に芽生えた確かな自信は、確かな強さも彼に与えた。


 ――聖箆院晴牙が願うのは、誰かを守れる強さ。


 それが視界に入ったのは、殆ど偶然だった。


 ――彼はその強さを、まだ小さいながら手に入れたのかもしれない。


 晴牙は地を蹴り砂塵を巻き上げて、疾風と化す。


 聖箆院流戦闘術、迅速疾風――


 彼女の前に躍り出る。自分の眼前で、眼鏡の奥の瞳が見開かれるのを晴牙は見た。

 次の瞬間。

 嫌な音が聞こえた。肉が裂かれ、骨が砕かれる、嫌な、音。

 衝撃が背中に奔ったのは、その音を聞いた後だった。

「――ふ、副代表ッ!! 副代表ッ!!」

 自分が庇う事が出来た少女――ノイエラの悲鳴が、戦場に響き渡る。

 衝撃はあったのに、痛みは感じる事が出来なかった。

 晴牙はノイエラに凭れ掛かるようにして倒れる。

「副代表ッ、しっかりして下さい副代表! 嫌です、何で私なんかを庇ったんですか!」

 少女の今にも泣きそうな悲鳴が遠く聞こえる。

 実際には、すぐそこにいる筈なのに。


 ――彼は誰かを守れる強さを手に入れたのだ。


 晴牙の意識が、闇に沈んでいく。


 ――たとえ、自分が傷付こうとも。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 首筋が熱い。

 苦し気な少年の荒い息の所為だ。

 ノイエラは、自分の脚から力が抜けていくのを感じた。

 晴牙の背に腕を回し、支えていた彼の身体ごと、彼女は地面にへたり込んだ。

「ハルキ! ノイエラ!」

 憧れる友人の声が聞こえる。

「副代表! ノイエラ!」

 自分の先生の声が聞こえる。

 だけど、背中に傷を負い、血を流す友人の声は聞こえない。

 意識を失ってしまったのか。

 視線を上げる。

 そこには当然のように、《堕天使》がいた。

 蟷螂型でも蟻型でもない――(はち)型の、下位個体の《堕天使》。

 蟷螂型に比べれば格段に小さいが、鋭さは劣る事のない六本足の爪は、戦闘服など易々と裂いていた。その証拠に、蜂型《堕天使》の前足には晴牙の戦闘服の切れ端と血がこびりついている。

 ――何処から出てきたの?

 晴牙が傷を負ったショックだろうか。

 こんな時なのに、ノイエラの脳裏には疑問が浮かんだ。

 しかしすぐに、そんな疑問は消え去る。

 ――このままじゃ、殺される。死ぬ。

 まだ晴牙は生きてる。息をしている。諦めるのは早い。

 でも、でもどうすれば良い?

 ミーファやルイサは自分の戦闘で手一杯。その戦闘を放棄してノイエラや晴牙を助けたりなどすれば、《堕天使》が街に雪崩れ込む。司令基地はすぐ後ろにあるのだ。そんな事は誰も――ノイエラも晴牙も望まない。

 晴牙を抱えて逃げる?

 ――駄目、無理に決まってる。挑戦するだけ愚かしい行為だ。

 視界の端で、晴牙の手から離れた白刃が光の粒子となって消えていく。彼の背中を支える自分の手が、生暖かい、ぬるりとした感触に侵されていく。

 蜂型の《堕天使》が、牙の並んだ口を開けた。

「――ッ!」

 ぎゅっ、と反射的に目を閉じる。

 しかし、痛みも衝撃も、何時まで経っても襲っては来なかった。

 恐る恐る、瞼を押し上げる。

「……え?」

 ノイエラの視界に広がったのは、綺麗な緋色だった。

 読んで下さりありがとうございました!

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