第20話 堕天の使者
ばったり。
そういう有り得ない擬音が聞こえて来そうな出会い方だった。
リレイズの街・西側戦闘区域内の、司令基地のエントランス。
西側戦闘区域にいる創造術師協会所属の創造術師達に、学院の外に出た本来の目的であった《無限の星影》の招待状を渡しに来たレゼルとミーファは、そこで晴牙とノイエラに会った。
「……何で二人共、戦闘区域にいるの? ここはデートスポットには無理があるわよ」
ミーファはやや驚きながらも、二人を冷やかした。
「だ、代表、私達はそんなんじゃなくて……」
ノイエラは多少慌てるが、晴牙の方はと言えばミーファの冷やかしなど何処吹く風とばかりあっさりと聞き流す。
「俺達は和風喫茶に必要なものの買い出しに街に出たんだよ。ミーファが創天会の仕事でいないから、副代表の俺と、俺だけじゃ不安だってクラスの奴らにしっかり者のノイエラを一緒に連れて行けって言われてな」
「ああ、成程な。確かにハルキだけじゃ不安どころか危険だ」
「おいレゼル!? 何だか最近お前、容赦無くなってきてないかっ?」
うんうん、と真面目な顔で――といってもフードで隠れて晴牙から彼の表情は見えないのだが――頷いたレゼルに、晴牙は少々情けない声を出してみせる。
レゼルは「ははは」と明らかに棒読みな口調で苦笑を表現すると、一つの明確な疑問を提示した。
「で、買い出しに来てるのに何で戦闘区域にいるんだ?」
彼の隣で、ミーファも小さく首を縦に振った。
戦闘区域は、創造術師が《堕天使》と戦う為の「戦場」だ。
現存する全ての街に四つずつある戦闘区域は、国際機関の創造術師協会が統率している。世界に五つある創造学院も、国家の援助が最も大きいながら(故にリレイズ創造学院は「ディブレイク王立」である)、創造術師協会や創造術宗教団体などの援助も受けて運営している為、学生創造術師でも然程の苦労も無くすんなりと戦闘区域内には入る事が出来る。
ただ、レゼルが入る時は少し時間を要した。コートのフードで顔を隠していたからだ。彼が無事に、顔を見られず入る事が出来たのは、ミーファの存在と口添えのお陰だった。
それを抜きにしても、流石に、(本来)戦場の要となる――「ブラッディ」が出しゃばった前回があるので如何ともし難いが――司令室に容易に入る事は普通の学生創造術師では無理だが。
話が少しずれてしまったが、勿論戦闘区域は戦場で、クラスの出し物の買い出しの為に来るような場所では決して無い。
「いや、もう買い出しは終わってるんだ」
そう言って晴牙は左手に下げていた紙袋を顔の高さに上げて見せた。荷物持ちは男、というのは世界の真理なのかもしれない。
その中には多分、クラスの出し物である和風喫茶の飾り付け用のリボンや布、他には編入したばかりのレゼルでは何に使うのか分からないものもあるのだろう。
「実は買い出しの途中でエネディス先生とセレンさんに会ったので、彼女達に付いて来たんですよ。深い意味があって付いて行った訳じゃないんですが……彼女達の方は、エネディス先生が戦闘区域に用があるみたいです」
晴牙の説明の続きをノイエラが紡いだ。
それに反応したのは勿論というか無論というか、当然のようにレゼルだった。
「セレンが此処にいるのか?」
「はい。エネディス先生の補佐という事で創造術師じゃなくても入れたみたいですよ。今お二人は奥にいます」
レゼルの問いに答えたのは、彼の隣で少し不機嫌そうな雰囲気を醸し出すミーファを見て苦笑しながらのノイエラだった。
創造術師じゃなくても、という彼女の言葉に一瞬「何を言っているんだ」と思ったが、すぐに納得する。
そういえばセレンはまだ学院の誰にも自分の創造術を見せていない。創造術師ではないと思われるのも当たり前なのかもしれない。特に隠す必要の無い事だが、これは今訂正すべき事でもレゼルから言う事でも無いだろう。
因みにレゼルが質問をしたのは条件反射のようなもの。自分と彼女は出来るだけ近くにいなくてはいけないのだから。
奥、とはエレベーターホールの事だろうか。
エントランスは奥にエレベーターホールがあり、そこから数個のエレベーター全てで地下に行く事が出来る。殆どの戦闘区域は司令室を地下に作っている為だ。榎倉の情報提供によると、どうやらリレイズの戦闘区域も例外ではないらしい。
余談だが現在、エントランスにレゼル達以外の人影は無い。《堕天使》警報が出ていない今では、司令室に創造術師が数人いる程度だろう。
「ミーファ達はどうして戦闘区域に……って、創天会の仕事だったな。インスタの招待状だったか?」
晴牙の確認の意味合いが強い問いに、ミーファは頷いた。
「ええ。もう終わったけれどね。さぁ帰ろうとしていたところで貴方達と会ったの」
「ご苦労様です、代表」
「ありがと、ノイエラ」
ミーファは自分を労ってくれたノイエラに微笑みを向けた後、声を小さくした。
「……にしても、よ。大人の相手って肩凝るのよね」
「……お疲れ様」
うんざりした、といった様子のポニーテールの少女に、次はレゼルが労いの言葉を掛けた。
彼はミーファが招待状を様々な大人達に遜って渡すところを近くから見ていたのだ。
その時の彼女の愛想笑いの完璧さたるや、ポーカーフェイスは得意な方だと自負するレゼルが感心する――どころかちょっと引いてしまう程だった。
あまりにも完璧な微笑み過ぎて、もしかしたら表情が変わらなくなってしまったんじゃ、と少しだけ心配した。これはレゼルにとっては、笑い事などでは済ませられない事だ。事実、彼の傍には表情を変えられない少女がいる。――否、変えられないのではなく、表情を創れないのだ。
「……で、ハルキ達はこれからどうするんだ?」
「あ? いやまぁ、先生とセレンちゃんが来たら一緒に帰るけど」
レゼルの質問に答えた晴牙は、ちらっとノイエラに視線を向けた。
彼女も晴牙と同じように考えていたらしく、コクリと頷いた。
「そう。じゃあ、私達も一緒に帰りましょうか」
ミーファのこの言葉で、レゼル達四人はルイサとセレンが用を終えるのを待つ事になった。彼女が言わなくとも、レゼルはセレンを待つつもりだったが。
ミーファの「インスタの招待状を渡す」という仕事は既に終わっている。西側の戦闘区域だけでなく、北も南も東も、だ。
そして、五分後。
「副代表、ノイエラ、待たせたな。――おや、ミーファもいるじゃないか。……と、お前は?」
エレベーターホールに繋がる廊下からエントランスに歩いて来たのは、ルイサとセレンだ。
目深に被ったフードの所為で、ルイサはレゼルが誰だか分からないらしい。コートは編入試験の日に着ていた物と同じなのだが、まぁ、こんなコートは誰でも着ている。
俺です、と口を開こうとしたレゼルより先に、セレンが言葉を発した。
「レゼルですよ」
短く言った彼女は、白を基調としたリレイズ創造学院の女子制服のスカートを揺らしながら、ぱたぱたと此方に駆け寄ってくる。
「……あぁ、レゼル君か」
その後からルイサも付いてきて、エントランスに六人が揃った。
「ミーファ達は何故……いや、そういえばお前は創天会の仕事があったな」
「ええ、それにレゼル君にも付いてきて貰ったんです。エネディス先生はどうして戦闘区域に?」
一つ頷いて肯定し、ミーファが訊ねる。
「ミーファと同じだよ。創造祭前の挨拶みたいなものさ、退屈で面倒なお話をしてきたんだよ」
「先生も大変なんだな」
「大変なのは私が《菫》だからだよ、副代表。こんな事をするのが面倒だから私は副院長になるのを拒んだのだが、《暦星座》の立場で面倒事を回避するのは難しいんだ」
ふぅ、と溜め息を吐くルイサに、ミーファが同情するような視線を向けた。
同じ《暦星座》同士、分かる事があるのだろう。
「まぁ、《暦星座》で学院に所属している以上、覚悟はしているがね」
ルイサは肩を竦めて苦笑した。
だが多分、学院にルイサが所属している事は国の意向だろう。
本当なら国は、創造術界のトップに立つ《暦星座》を戦場で《堕天使》と戦わせたいと思っていて教育機関になど置きたくはないのだろうが、今は創造術師が圧倒的に不足している。代々で学院長を務めるミーナ以外にも《暦星座》を学院に所属させ、より優秀な創造術師を排出させる必要がある――そこで学院に送り込まれたのがルイサなのだろう。
こうして《暦星座》の教師はリレイズ創造学院に二人いて、更に生徒にも二人いるものだから、十二人しかいない――現在確認されているのは十一人だが――《暦星座》がリレイズに四人もいるのだ。
「それにしても、分からないものだな。フードを被っていると」
そう言ってルイサはレゼルの顔を下から覗き込んだ。
二人の視線が、レゼルの予想より遥かに近い距離で交わる。彼女のスーツの胸元はきっちり閉じられていて、上からも白いシャツしか見えなかった。これは言い訳でも何でもないが、決して疚しい思いがあった訳ではなく、不可抗力で視界に入ってしまっただけだ。
「ちょっ……近いですよエネディス先生!」
ミーファがレゼルの右腕に自身の腕を絡めてホールドし、ルイサから彼を引き離す。
「……」
セレンは無言・無表情で、スッとレゼルとルイサの間に入った。
「……君達は、何と言うか……」
ルイサは呆れたようにミーファとセレンの二人の少女を見る。
彼女の後ろで、晴牙とノイエラが苦笑していた。
「おいミーファ、腕が……その……」
そしてレゼルはと言えば、右腕に当たる豊満で柔らかい弾力のある感触に狼狽えていた。
だがミーファは気付いていないのか態とやっているのか、彼の言葉に首を傾げている。
「……あら?」
そして突然、小さく声を上げた。
「代表? どうしました?」
ノイエラがきょとんとして声を掛ける。
「いえ……ねぇ、レゼル君」
ミーファはレゼルの顔を見上げたまま訊いてくる。
「な、何だ?」
「今、創造術使ってる?」
「は? ……いや、使ってないが。使う必要も無いし」
「……そうよね。でも君の髪、灰色の中に銀色が混じっているような……さっきフードの中で光って――」
ミーファがレゼルの顔に手を伸ばそうとした時だった。
世界が震え、怯え、恐怖した。
「――!」
一番先に状況を理解したのはレゼルだった。するりとミーファの腕の中から右腕を引き抜く。
「……何?」
ミーファはレゼルが離れた事にも気を取られずに、「上」を見上げていた。
いや、彼女だけではない、ルイサや晴牙、ノイエラも首を傾けて天井に――否、正確にはその向こうにいる何かに視線を注いでいる。
「……レゼル」
小さく、セレンが呟いた。彼女もレゼルから少し遅れて状況を理解していた。
「……来た」
レゼルも上を見据えたまま頷く。
あの、感覚。もう慣れてしまった、感覚。
世界が震え、怯え、恐怖する――レゼルとセレンの二人にとっては、故郷に戻って来たかのように慣れ親しんだ感覚だ。
「……何が来たんだ」
晴牙が低い声で問う。
此処は戦闘区域。
創造術師達の、戦争の場。
だが、その戦争の相手である《堕天使》が堕ちてくる時は、必ず《誘導結界》を張る創造術師――結界師が《堕天使》を最低でも半日前には感知する筈だ。
結界師に感知されずに堕ちてきたとなれば、戦力を集めていない現状では大惨事になる。戦闘区域が突破され《堕天使》が街に雪崩れ込むような事があればどうなるか、分からない訳は無いだろう。
だからこそ、晴牙は――いや、彼もミーファもノイエラもルイサも、結界師に感知されずに《堕天使》が堕ちてきた可能性を考えられない。
レゼルにもセレンにも、結界師に感知されずに《堕天使》が堕ちて来れた理由は分からない。だが、《堕天使》は人間の常識が通用するモノではないととっくの昔に知っている。そういう事があっても、少しは驚きこそすれ可笑しくはない。
レゼルとセレンが「あの感覚」を間違える筈がない。
今。《堕天使》は確実に、堕ちて来た。
「《堕天使》だ」
レゼルが酷く冷静な声音で呟き――直後、司令基地に警報が鳴り響いた。
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