第17話 心的外傷
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職員棟一階、応接室。
レゼルは革張りのソファに座って、テーブルを挟んだ向かいに腰を下ろす副院長の男を無感情な瞳で見ていた。
「ところで副院長、そろそろ名乗ったらどうですか?」
「ふざけるな。《雲》に名乗る名前など持ち合わせていない」
男はレゼルを殺気の籠った目で睨み付けている。
レゼルはその視線を物ともせずに言う。
「そうですか。まぁ、そうでしょうね――貴方はあのダニス・フレディックなのだから」
副院長の男――ダニスは軽く目を見開いた。
「私の名前を……」
「ええ、知っていましたよ。ダニス・フレディック――創造術宗教団体の一つ〈セブンデイズ〉の幹部であらせられる」
創造術宗教団体。略称は創教団。
創造術を人間に与えた神を信仰する団体の事だ。
現在、創造術宗教団体は世界中に沢山あるが、その中でも二大創造術宗教団体と言われる内の一つが、〈セブンデイズ〉だ。
天地創造の神は六日で世界を創造し、七日目に安息を取ったという。〈セブンデイズ〉という名は、そこから来ているらしい。
今レゼルの目の前にいる男は、その〈セブンデイズ〉の幹部――それも教主補佐の立場にいる人物であり、《雲》を嫌うのは当たり前なのだった。
因みに「教主」というのは「開祖」の意味ではなく現在の「指導者」の意味だ。
薄々は分かっていたが、彼がダニス・フレディックだと確信したのは自分を殺そうとした時だ。殺したい程に《雲》を憎悪しているとなれば創造術宗教団体のメンバーに違いない、と思ったのが始まりで、リレイズ創造学院には確か大物がいたなと思い出し、学院での地位を合わせてみて、この副院長の男が〈セブンデイズ〉教主補佐官ダニス・フレディックだと気付いたのである。
レゼルは前々から気になっていた事を訊ねてみる事にした。
「教主補佐官の貴方が、教主の御傍にいなくて良いのですか?」
「……学院は聖域だ。ここにいる事こそ、補佐官の役目が全う出来る。神にお力を授けられ、その力を磨く者達――学生創造術師のレベルを高めるのが私の役目だ」
「成程、納得しました」
表情は一切変わらず無表情のままだったが、レゼルは少し感心したように頷いた。
創教団には組織的な目的が幾つかある。
一つ、世界規模での創造術師の人数の増加。
一つ、《雲》の完全な排除。
一つ、《堕天使》の殲滅と排除。
一つ、現存する創造術師の育成と強化。
これは〈セブンデイズ〉に限らず、他の創教団も掲げている目的だ。
これにより、《雲》であるレゼルにとって創教団は天敵なのである。
「そろそろ、呼び出しの内容を聞きたいのですが。まさかさっきの毒ナイフでの暗殺が一番の目的だとは言わないですよね?」
まだ何かあって当然だろう、というレゼルの発言に、あれで殺せると思っていたダニスはギラギラと不気味に光る瞳で彼を睨み付けた。
「……簡潔に言おう」
ダニスはレゼルの質問に答えないまま、嫌そうに口を開いた。《雲》と話をするだけでも嫌悪感を抱くという事だろう。
今、レゼルの周りにはセレンを除いても《雲》に全く忌避感の無い者達がかなりいる。だから忘れがちになってしまうが、ダニスの反応は今はまだ普通の範囲内だ。
「何でしょう」
「ここは聖域だ。貴様がここにいる事が、校門を一歩でも越えた事が、他の生徒達と同じ授業を受け同じ食堂を使っている事が、何もかもが、許せない」
「……退学しろと?」
一応、聞いてみた。退学なんてする気は毛頭無いが。
だが、ダニスはレゼルに殺気を向けながら首を横に振った。
「いや、違う。私は貴様のような《雲》が世界に存在する事が許せない」
ダニス・フレディックは怒りを含む声で言う。
「――死ね、《雲》」
『死ね』
『死ねば良いのに』
『死んでくれ』
『早く殺されてよ』
昔、まだ十歳にもなっていない頃に言われた言葉が蘇る。
レゼルは遠くを見るような、何も映していない空虚な瞳でダニスを見返した。そこに普通の人間ならあって当然の怒りや悲しみは全くと言って良い程、無い。
「……それだけですか?」
静かに、彼は言う。
「もう用が無いのでしたら、一つ俺から話をして失礼させて貰いますが」
彼の表情からは遂に、面倒だという感情さえ消えていた。まるで、精巧な機械の人形になってしまったかのように。
「……」
ダニスは心底悔しそうに奥歯を噛んだ。
創造学院は「聖域」である。例え相手が《雲》だとしても、あまり露骨には干渉出来ないのだろう。先程の暗殺で謎の編入生を殺せるかと思いきやあっさり防がれ、つまり攻撃を見られてしまった為、手が出し難くなったのだ。
副院長ダニス・フレディックが聖域でレゼル・ソレイユを暗殺しようとした事が学院長ミーナ・リレイズに知られれば、彼は無事ではいられないのだから。
ダニスが黙りこくった事で、レゼルは席を立ち副院長を見下ろした。
「では、取引をしましょう」
十六歳の子供には思えない、冷たく低い声が部屋に流れる。
「俺は先の貴方の所業を学院長に黙っていましょう。――但し、これから一切俺と俺の周りの人達に手を出さなければ、の話ですが」
ダニスは一瞬だけ怯んだが、しかし彼はすぐにレゼルを嘲るように唇の端を吊り上げた。歪んだ曲線が描かれる。
「貴様は馬鹿だな。私が貴様を殺そうとした証拠は何処にも無い。幾ら貴様が訴えても、誰も聞きやしないさ」
「そうですね。――証拠が無ければ、確かにそうなります」
「……何だと?」
ダニスは眉を寄せて眉間に深い皺を作ってから、訝しげに此方を窺った。
確かに、ダニスの言う通りである。
証拠が無ければ、《雲》であるレゼルの話など誰も聞かないだろうし、万が一聞いてくれたとしても信じはしないだろう。生徒や教師にはあまり好印象でなさそうなダニスだが、彼は副院長で、実技棟では媚びた笑顔を見せた生徒がA組だけでも何人かいた。そういう奴等は彼を支持する筈だ。対してレゼルの言葉を支持してくれるのは何人いるのか。
学院長のミーナがいる、と思うかもしれないが、彼女は多分中立的な立場に立つしかないだろう。リレイズ創造学院を統べる者として、一人の生徒に肩入れする事は出来ない筈だ。
同じ理由で、教師――しかも担任――のルイサも中立的な立場にならざるを得ない。
ミーファや晴牙も、代表と副代表という微妙な立場に立っている。二人も露骨にはレゼルを支持出来ない可能性が高い。
となると残るはセレンとノイエラだが、セレンは言わずもがなでレゼルを支持する事は出来ない。
つまり、レゼルの言葉を信じる表明が出来るのはノイエラ一人だけ。一人だけでは到底ダニスのした事を生徒達に信じさせられない。それに、彼女に迷惑を掛けるのも罪悪感が付き纏う。実技試験で彼女が生徒達を落ち着かせてくれた事を、レゼルは忘れてはいないのだ。
もしかしたらディブレイク王国王女、ウィスタリア・ダウン・ディブレイクもレゼル側に付いてくれるかもしれないが、レゼルはまだ彼女を全面的に信じた訳でも頼りにするつもりも無い。
話が少し逸れてしまったが、つまり、証拠が無ければレゼルはダニス相手に何も出来ないという事だ。
――だが。
「そんな事は、最初から分かっています」
レゼルは淡々と言葉を紡ぎながら、ブレザーの内側からあるものを取り出した。
漆黒の光を灯す、それは小型録音機器だった。
「……は?」
訳が分からないというように、ダニスはそれをまじまじと凝視した。
「録音機です」
短く言ったレゼルに、
「そんな事は分かっている! 貴様何時の間に……ッ!?」
「これは創造術で創った物ですよ。貴方が実技棟に入って来て俺を《雲》と呼んだ時から、念の為に創造して置いたんです」
「……そん、な……馬鹿な。あの時、貴様の融合体が放出された気配も創造光も無かった! この私が気付かない事などあり得ない!」
「俺、機械系の創造は得意なんですよ。機械系創造の無光創造はお手の物です」
「ただ得意だという理由で済ませられる事ではない! それに貴様は、創造術を使うと髪と瞳の色が変わると聞いた!」
毒塗りナイフを弾いた時、ほんの一瞬だけ銀髪碧眼になったレゼルだが、今は元に戻っている。複雑な構造上、難易度が高い機械系創造をして副院長――つまり(ルイサを除いて)学院長の次に強い創造術師のダニスに創造術を行使した事を覚らせないというのは凄い事だが、悔しがるのも忘れてダニスはレゼルの《雲》の色の髪と瞳を見た。
レゼルは相も変わらず無表情に、無感情な声で言う。
「そんなの、髪と瞳の色素を変えてしまえば良いんです。『能力』創造の際に細胞に融合体を取り込ませて身体を耐衝撃強化するように、細胞の色素に融合体を送り、色を創造してしまえば良い」
「なっ……細胞の色素、だと? 細胞全てに均等に融合体を送り、『色』などという実体の無いものを創造しただと……!? そんな事、出来る訳が……」
「でも、録音機はここにあって俺の髪と瞳の色は変わっていない」
レゼルは漆黒に輝く録音機を顔の横まで持ち上げた。
途端、彼の髪と瞳の色が銀と青になる。色素に融合体を送るのを止めたのだ。
「疲れるんです、『色』の創造は。だからあまり使いたくはありません」
それは半分本当で半分嘘だった。レゼルが疲れるという事で、負担を受けてしまう少女がいる。だから彼は、創造術を使い続けて《雲》だと分からせないようにしたりする事は、絶対にしない。
レゼルは録音機の側面に創ったスイッチを押した。
『副院長、校内で生徒暗殺はどうかと思いますが?』
録音機から、はっきりとレゼルの声だと分かる明瞭な音声が流れた。
会話は再生され、続いていく。
『なっ……』
『いけませんね副院長、ナイフに毒を塗るなんて。これじゃちょっと掠っただけで即死ですよ?』
『そうだな。学院内で人を殺すのはいけないな。では、殺人を無かった事にしてしまおうか』
『どうやって?』
『どうやって、って……貴様はさっき、腕でナイフを弾いたじゃないか。もう毒が身体中に――』
そこで、ブツッという音と共に会話が途絶えた。
レゼルが録音機の停止スイッチを押したのだ。
「勿論、この後の会話も録音してありますよ。高音質ですから、容易に誰と誰が話しているか分かるでしょう。専門家に聞けば一発で合成などでは無い事が証明出来るでしょうし、何せ会話中という事で真実味もあります。……これは立派な証拠になるのではないでしょうか? 貴方が俺に対して暗殺未遂を犯したという、証拠に」
「……」
ダニスは固く口を噤んで黙りこくっていた。
レゼルはそんな彼を見て、些かやり過ぎたなと反省した。〔霞刀〕に機械系創造、そして細胞干渉の創造術――色の創造まで見せてしまった。今更だが、もっと良い方法でダニスを黙らせる事も出来たのではないか、そう思ってしまう。
「この録音データは誰にも見つからないデータベースに隠しますので、無理矢理消去しようとするのは無駄ですよ。まぁ、約束を守ってくれれば何もしませんから」
それでは俺はこれで、そう言ってレゼルは録音機をブレザーの内ポケットに仕舞いながら踵を返した。
入り口のスライド式ドア、その横の壁に埋め込まれたタッチパネル式モニターに指先で軽く触れる。
「はっ、はは……馬鹿か貴様は? それは現在、私でなければロックは解除出来んよ」
背中に、嘲りながらも少し焦ったような副院長の声が掛けられた。
レゼルは振り向きもしないまま、
「それはどうでしょう?」
「何っ?」
ダニスが苛立った甲高い声を上げた――その時。
バチッ、と。
レゼルの指先から、青白い電光が瞬いた。
「――な、なん……」
ダニスが狼狽する中、レゼルは何の柵も無くあっさりとスライドしたドアから、応接室の外に出た。
「失礼します」
身体を反転させて室内に頭を下げ、今更で無駄な律儀さを見せた彼は、ダニスの怒りに染まった顔に頓着せず、職員棟一階の廊下を歩き始めた。
背後から男の野太い叫び声と硝子の割れる音がしたが、勿論レゼルは無視した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ダニス・フレディックは一人の少年に激怒を覚えながらも、僅かながら恐怖していた。
創造術の腕も、悔しいが中々のものだった。扉のロックを解除した電気の創造も、対ハッキングシステムに掛からなかった様には舌を巻かされる。
彼が《雲》の姿をしていなかったなら、ダニスはまず間違い無く彼を創教団〈セブンデイズ〉に入るよう勧誘していただろう。
だが、ダニスが恐怖したのは彼の創造術に対してではない。
上手く言えないが、一瞬だけ視線や雰囲気に殺気が溢れた時があった。
彼がダニスに取引をした時だ。「周りの人に手を出すな」――確か、そう言った時。
従えなければ殺す。彼は、そういう瞳をしていた。
それが不覚にも、怖いと思ってしまった。
「くそっ、あの汚ならしいゴミクズが……! 死ねっ、死んでしまえ!」
ダニスは叫びながら応接室の壁を蹴った。
角にある小テーブルの上の花瓶が震動で床に落ち、硝子の破片と花、水を撒き散らした。
靴の踵で、先程までは美しく咲いて部屋を飾っていた花をぐちゃりと踏み潰す。
「殺す……殺してやるぞレゼル・ソレイユ!」
荒い息を吐きながら、ダニスは尚も潰れた花を踏み躙り続けた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
自己嫌悪。
職員棟を出て渡り廊下を歩くレゼルが感じているのはそれだった。
創造術宗教団体。
それは彼にとって、心的外傷と呼ぶに相応しいものである。
ダニスとの会話中、創造術宗教団体に対する怒り、恐怖、過剰な防衛意志から、レゼルは自分の感情を殺した。
まるで、機械や人形のように見える程に。
レゼルには、自分の感情を抑えようとする時、気味が悪いくらい過剰に冷静になるという癖がある。これは、今よりずっと子供だった頃の経験に因るものだ。
唐突に、額の一部が冷たく固い感触を覚えた。
「……ッ」
頭を左右に振る。
未だ降り続く雪が額に当たったのではない。
昔に感じた、銃口が額に当てられる感触が蘇っただけだ。
「……考えるな」
ぽつりと自分自身に言い聞かせ、レゼルは渡り廊下を歩く足を早めた。
――守ると誓った少女がいる今も、創造術宗教団体に対して恐怖を忘れられない自分に、強い自己嫌悪を抱きながら。
読んで下さりありがとうございます。
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