第16話 暗殺計画
序章の前に「創造学院案内板」を追加しました。
これは自分が執筆し易くする為に作ったものですので、無視しても大丈夫です。
ジェイク・ギーヅは口元に笑みを刻みながら、銀髪碧眼の少年に向かって鋼鉄色のハンマーを振り被っていた。
少年――レゼルはジェイクの攻撃を避けるだけで反撃して来ない。だが、彼の顔に焦っているような色は無い。
まだ残っている、普段のジェイク・ギーヅという冷静な一部分は、彼が何かを企んでいるのではないかと疑っている。しかし、ただ強がっているという可能性も捨て切れない。
「オラオラァ、どォしたァ!? ビビったのかよ糞餓鬼!」
げらげらと品の無い笑い声を上げるが、ジェイクの目は笑っていなかった。
彼は自分の二重人格の事を既に諦めていた。この戦闘になると豹変する人格も自分の一部であると無理矢理思う事にしている。
二重人格を直したい、と思った事は数え切れない程あるが、何をしても悉く失敗に終わっていた。
主であるミーナは「別に直さなくても良いんじゃない? 面白いし」と言って(くれて?)いるし、戦闘時の凶暴な人格になっても学院の模擬試合のルールは辛うじて守っていた。
だから普段のジェイク・ギーヅの人格は、もう一つの人格にレゼルとの戦闘を任せていた。
普段のジェイク・ギーヅの人格は、右側の観覧席に座る少女の事を気に掛けていた。
ミーファ・リレイズである。
ジェイクはミーナ専属の、リレイズ家の執事だ。勿論、ミーファは主の娘なのだから、ジェイクにとって「仕えるべきお嬢様」となる。
この模擬試合には何が何でも勝って、彼女に情けない所は見られないようにしなければならない。
「死ねェェエェェエ!」
ジェイクは高く跳躍すると、両手に握ったハンマーをレゼルの頭上に叩き落とす。
ズドンッ、という地鳴りが実技棟内に響く。
レゼルはまたしても身軽にハンマーの攻撃から避けていた。
ミーファはレゼルを応援している――という事実に気が付かないまま、ジェイクは彼女に良い所を見せる為に勝とうとしているのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「どうするかな……」
レゼル・ソレイユは鋼鉄色の撲殺武器を流れるように避けながら、ぼそりと呟いた。
真横から脇腹目掛けてハンマーが飛んでくる。レゼルはそちらに目を向ける事も無いまま床を蹴った。後ろに跳躍した身体を、彼は脚の筋肉を巧みに使って音も立てずに着地させた。
「その剣はただの飾りかァ、あァ!?」
一旦距離を取ったレゼルに真っ正面から対峙して、ジェイクは眉を吊り上げている。
レゼルが本気ではないと思っているのか、彼は怒っていた。
確かに、レゼルが本気でなく全力でもないのは事実だが、それは仕方の無い事だった。
レゼルに言わせれば、「出来る範囲で避ける事に本気」なのであった。
しかし、取り敢えずはジェイクの質問に答えなければならない。
「飾りなんかじゃありませんよ、ギーヅ先生」
と、笑みを浮かべてレゼルは言った。
明るく無邪気な笑顔だった。
次の瞬間、彼の姿はジェイクの前から消えていた。
「――!?」
ジェイクが慌てて周りを見回す――必要は、無かった。
彼の目の前に、レゼルはいた。右腕と、右手に握る〔光剣〕はだらんと垂らしたままだが、そこから振り上げてくるのは容易に理解出来た。
ジェイクの予想通り、レゼルは右腕を左下から斜めに振り上げた。
逆袈裟斬りの形の細く青い斬線が、鋼鉄色のハンマーに刻まれた。ジェイクが咄嗟にハンマーで防御したのだ。
対人用創造武器の光の剣は、ハンマーを切り裂く――のでは無く素通りして、光の粒子に変えた。
「なっ……」
ジェイクは目を見開き絶句した。
それはそうだろう。
自分が創造した武器が、生徒に強制的に消失させられたのだから。
薄々予想はしていたが、彼はルイサ達から〔光剣〕の事を何も教えてもらっていないらしい。
「な、何だと……」
空っぽになった自分の両腕を見下ろしながらジェイクは固まってしまっている。
今はチャンスだった。
レゼルは鋼鉄色のハンマーの名残である光の粒子が舞う中、手首を返して振り上げた〔光剣〕を振り下ろす――
「ここに穢らわしい《雲》はいるか!?」
第一実技棟の入り口であるセンサー感知式強化ドアが開いて、一人の男性が憎悪を含んだ怒鳴り声を上げながら入ってきた。
穢らわしい《雲》――紛れもなく自分の事だ。
レゼルは「しまった」という顔をしているジェイクの肩を狙った一撃を寸止めして、〔光剣〕を下ろした。
「何でしょうか?」
振り向いて問う。
若干置いてきぼりにされたジェイクが、入ってきた長身の男性を見て少し嫌そうに呟いた。
「副院長……」
それを聞いて、レゼルも眉を顰めた。
そういえば何時だったか、副院長の事は、ルイサがボロクソに罵っていた気がする。
何か恨み妬み嫉みでもあるのか、と思ったものだが、ジェイクの反応を見る限り、ルイサ以外の人物にもあまり好意的には思われていないようだ。
ちら、と右側の観覧席を見ると、案の定ルイサが視線で「死んでしまえ」と語っており、それはずれようも無く副院長だという男性に向かっていた。彼女の隣ではミーファやノイエラ、クラスメイトの女子生徒二人も彼に対して不快な視線を飛ばしている。
因みに、ノイエラと女子生徒二人がミーファ達の近くにいたのは、模擬試合中もセレンを気に掛けていたレゼルはとっくに知っていた。
今までは、何故ルイサ達が副院長をそんなに嫌うのか分かっていなかったレゼルだが(会った事が無かったのだから当然だ)、彼が自分に近付いてきて、まるでゴミ溜めにいる羽虫に向けるような顔をされた時、何となく理解出来た気がした。
歳は四十代前半といったところだろうか。端的に言って、彼は美形だった。その端整な顔立ちに優しげな微笑みを浮かべられたら、男女問わず誰もが魅力的に感じるだろう。
後ろの低い位置でゆったりと一つに束ねた金茶色の長髪が、知的で仕事が出来そうな印象を思わせた。
「貴様が《雲》か。醜い髪と瞳だな」
「俺は何でしょうか、と用件をお訊ねしているのですが」
明らかな嫌悪の表情はまあ、当然としても、高圧的な態度で初っ端から「醜い」などと言われて、レゼルは彼に対してお世辞にも友好的にはなれそうに無かった。
冷静だが喧嘩を売るような台詞を返され、副院長の男は蟀谷を震わせた。
「……自分の立場が分かっていないようだな。流石は神に見放された者だ。知能まで見放されているとは……」
「副院長。ソレイユに何か用があるのでしたら、手短にお願い出来ませんか。今は模擬試合中ですので」
元の人格に戻ったらしいジェイクが何の感情も籠っていない声で淡々と口を挟んだ。
副院長は眉を寄せて彼を一瞥すると小さく舌打ちした。
だが何も言わずにレゼルに向き直ると、
「用件は場所を変えて話す。付いて来い《雲》」
副院長は名乗りもせずに言うとレゼルに背を向けた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「何なんだあの中年オヤジは!」
「あああぁぁぁぁ、ムカツクムカツクムカツク!」
右側の観覧席。
そこでは創造術界の頂点に立つ創造術師の二人が目尻を吊り上げて激昂していた。
ルイサ・エネディスとミーファ・リレイズであった。
「あの、二人共ちょっと落ち着いて……」
ノイエラが怒り散らす二人を宥めようと奮闘しているが、それは無駄な感じでスルーされていた。
図らずも事態を平静にさせたのは、小柄な少女の醒めた声だった。
「……誰ですか、あの安っぽい男は?」
目を見張る程に鮮やかな緋色の長髪に瞳。
セレンの小さな口から飛び出した、彼女のものとは思えない毒を含んだそれは、ルイサとミーファを一瞬で黙らせた。
「副院長のダニス・フレディック先生ですよ」
と、ノイエラが答える。
「ノイエラ、あんな奴に先生なんて付けなくて良いわよ」
「そうだぞ。あんな奴は『ダニ』で十分だ」
「それは間違いなく渾名ではなくて悪口ですよね」
セレンが突っ込んだが、その声音は隠し切れずに僅かな怒気が含まれていた。勿論、いきなり出て来てレゼルを殆ど強制連行していったダニスに対しての怒りだ。
今、この第一実技棟にレゼルはいない。ダニスに何処かへ連れて行かれたからだ。
ジェイクとの模擬試合は中止になり、それがミーファやルイサの怒りを増幅している一つの要因でもあった。ジェイクも突然試合に横槍を入れられて、表向きはポーカーフェイスを保ちながらも不機嫌そうである。
「このナルシストが……」
低い声で呟きながら近付いて来たのは、闘技場から観覧席に上がって来た当人――ジェイクだ。
「ギーヅ、確かお前も副院長が苦手なクチだったな」
ルイサが彼の方を振り向いて言う。
どちらも戦闘服を着用したままで、正確にはセレン以外は皆戦闘服を着ている。
「まぁな。苦手、ではなく生理的に無理だ」
ジェイクの完全な拒絶に、
「「同じく」」
ルイサとミーファが見事に声も動作もシンクロさせて頷き、
「大っ嫌いです」
ノイエラが珍しく毒を吐き、
「人間性が嫌いです」
「外見と頭と創造術の腕は良いけど性格最悪だもんねー」
女子生徒二人がきっぱりと断言した。
「私もつい先程、ダニを嫌いになりました」
そしてセレンが淡々と言い、悪口の嵐は幕を閉じた。
「ところで」
ルイサの隣に腰を下ろしたジェイクがそう切り出す。
「さっきの、何だったんだ?」
「何だったって……何の事だ?」
ルイサが首を捻って訊ね返した。
ジェイクは口を開き掛けたが、それよりも少し早く、ノイエラの右側に座っている女子生徒が声を上げた。
ノイエラの左側に座っている女子と比べると背が高い方だ。
「あ、あれですよね。ソレイユさんの創造武器が、ギーヅ先生の創造武器を消失させた事ですよね!」
その言葉を受けて、背が低い方の女子生徒も頷く。
「そうそう。それ凄かったよね。強制消失なんて、ギーヅ先生の創造武器の強度が相手じゃ、生徒だと各代表・副代表くらいしか出来ないのに」
強制消失。
これは創造術師が、相手の創造術師の創造した「物質」を消失させる事である。
主に強制消失をするには、相手が創造した物質の強度を超えた力を消失させたい物質に加える事が必要となる。
例えば、レゼルの編入実技試験の時、彼はロナウド・コバードの放ってきたナイフを掴んで指に力を込め、消失させているが、あれは強制消失である。他にも、先程のミーファとルイサの模擬試合でミーファの弾丸がルイサの鎌に弾かれていたが、あの後消失したのは弾かれた衝撃という力が弾丸に伝わっているからだ。ミーファが弾丸に実体化維持の為の融合体を送り込むのを止めて強度が弱くなっていた所為もあるが、そうしたところで創造物はすぐには消失しない。床などに突き刺さったり明後日の方向に飛んで行った弾丸は、ルイサに強制消失させられていたと言える。
創造物の強度が強ければ強い程、無論強制消失される可能性は減る。強度の程度は、創造するものに対して確固な想像が出来ているか、融合体の中の星光とエナジーの比率はどれだけ適切な値に近いかなど、様々な要因によって変わってくる。
ジェイク・ギーヅは実技担当の教師であり、戦闘に関しては戦闘区域で《堕天使》と戦う前衛班の創造術師達にも全く劣らない――いや、リレイズ家の執事という事を考えれば彼らよりも上の実力を持っているだろう。
そんな彼の創造物を強制消失させてしまうレゼルの技量は、凄い――のだが。
実は今回、レゼルは確かにジェイクの創造武器を強制消失させたが、それは力を加えたからなんて理由ではなかった。
その事を唯一理解しているセレンが、これくらいは教えても良いだろうと説明の為に口を開く。
「今回レゼルがした強制消失は、ギーヅ先生の創造武器の強度を無視していますよ」
突然の言葉に、セレン以外の皆がきょとんとした表情になった。
「どういう事だ? 俺の創造武器――戦鎚〔鉄鎚〕の強度を無視してるって?」
ジェイクが、ルイサとミーファ越しに緋色の髪の少女を見て訊く。
セレンは何時も通り無表情に、彼の疑問の視線を見返し、次に金髪ポニーテールの少女を見た。
「ではミーファ、〔光剣〕の刀身は何で構成されていますか?」
「え?」
「貴女ならば分かるでしょう? 既に答えを知っているのだから」
セレンに小さく急かされ、ミーファは困惑しながら答える。
「ええ、分かるわ。光、よね? 正確に言えば『融合体』。でも、それがどうしたの?」
「分かりませんか? 実技試験でレゼルは〔光剣〕を媒介に自身の融合体を相手の男子生徒の体内――正確に言えばエナジー脈に送り込んで彼のエナジー脈を乱し、気絶させました」
レゼルの使っていた青く輝く剣の刀身が融合体で構成されていたと知って、ジェイクと女子生徒二人が僅かに目を丸くしたが、それに構わずセレンは話を続ける。
「〔光剣〕は確かに実体化前の融合体で構成されていますが、根本的な事を言えば創造物は全て融合体でできています。それは当たり前の事ですよね? つまり、ギーヅ先生の創造武器……〔鉄槌〕でしたか、それも融合体が実体化してできている訳です」
「それは分かるけど……」
女子生徒の一人、背の低い方が首を傾げる。
そこで、顎に手を当てて何やら考え込んでいたルイサがハッとしたように顔を上げた。
「成程、そういう事か」
「流石ですね、分かりましたか。……レゼルは、実技試験の時に男子生徒にやった事を、〔鉄槌〕にもやったんですよ」
「「あっ……」」
事前から〔光剣〕の詳細を知っていたミーファとノイエラも気付いたのか、顔を見合わせて小さく声を上げた。
「〔光剣〕で〔鉄槌〕を斬った時、レゼルは〔鉄槌〕内部に融合体を流し込んでいたんです。実技試験で男子生徒にやったように。結果〔鉄槌〕を実体化させていたギーヅ先生の融合体は乱され、消失した――という次第です。故にこの強制消失は〔鉄槌〕の強度を無視しているのです。外側の強度では無く内側の強度を上げなければ、対抗できませんよ」
そこまで言って、珍しく饒舌になったセレンは口を閉じた。
彼女の説明を聞いた全員が、感嘆の吐息を漏らす。
「成程、な。しかし、融合体を自分で創造したもの以外に送り込むとなると、相当な融合体制御能力が必要になるだろう。……悔しいが、先程の模擬試合は危うく負けそうになった。ソレイユの実力は代表・副代表並みらしいな」
苦い表情で呟くジェイクに、セレンは相変わらずな無表情と静かな声音で答えた。それはある種の断言だった。
「融合体制御・操作能力こそ、レゼルの本領ですから。内側からの強制消失は、彼にしか出来ませんよ」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
雪が降る中、レゼルは副院長だという男の後に付いて渡り廊下を歩いていた。
編入試験の日にも実技棟に向かう際にルイサと歩いた、中庭を横切る渡り廊下である。
頭上の硝子屋根には真っ白な雪が積もり、ステンドグラスが様々な色の光を投げ掛けてくる事はなかった。今日は朝――というより昨日の夜から雪が降り続いている。星の浮かぶ夜空は分厚い雲に隠れて、ほんの僅かな月明かりが地上に届いているだけだ。今日は暗い。
首を廻らせて中庭を見渡す。
まるで貴族の屋敷にある庭園のような中庭に植えられた、寒さに耐性のある観賞用樹木の葉の無い枝には、雪が積もっていた。
朝があり太陽があったという古代では、植物は生きる為に太陽光を必要としたらしいが、今の――ずっと夜の――時代の植物は、自然的な対応や変異で順応したり、品種改良などもされて光をあまり必要としないものが地上には生えている。光を必要とする古代の植物は、地下栽培室で辛うじて少数の種類が生き残っている程度だ。
淡い月明かりしか無い今は、真っ白な雪景色・雪化粧とはいかず、灰色の景色が中庭に広がっている。
雲で覆われた漆黒の空と、微かな月明かりに照らされる雪の灰色。黒と灰のコントラスト。
――世界、そして人間が忌み嫌う、《雲》の色だ。
前を歩く副院長は、そんな中庭から露骨に目を逸らしていた。レゼルは黒と灰のコントラストで飾られた中庭の景色を綺麗だと思うが、彼からしてみれば視界に入れたくもないのだろう。
これは世界中で共通する事だが、黒と灰のコントラストという配色は絶対にどんなものにも使われなくなった。勿論、《雲》の髪が灰色、瞳が黒だからである。
中庭の中央にある石造りの噴水は止まっていて、周りの水は凍結していた。多分、その厚さは十センチ以上もあるだろう。
現在レゼルがあまり寒さを感じていないのは防寒機能が極限にまで整った戦闘服を着ているからである。創造学院の制服の冬服にも防寒機能は備わっているが、科学技術を秘匿しているという学院の事情から、露骨に防寒機能を高める訳にはいかない為、制服だと多少寒さを感じるのだが、戦闘服であればそんな事はない。
副院長は薄いベージュ色の、雰囲気が何だか高級そうなスーツを着てネクタイをピッシリと締め、颯爽と前を歩いている。
寒くはないのだろうか、と思ったが質問などすれば嫌な顔をされるのは明白なので何も言わなかった。
二人は無言で渡り廊下を歩き、やがて一つの建物の前に辿り着いた。
本校舎の横にある食堂棟(inカフェテリア)の、更に横にある建物である。
教員・職員が仕事をする場所、職員棟だった。
普通の学校で考えると、職員室を建物規模にしたものというところだ。
レゼルは職員棟を見上げて小さく溜め息を吐いた。
前の男はかなり《雲》を嫌っている。生徒達よりも、露骨に明白に。ここで何を言われるのだろうか――否、どうせ憎悪や侮辱の言葉を受けるのだと思うと、面倒臭くてやっていられなかった。
本校舎よりは二回り程も小さい職員棟は、だが言い知れない張り詰めた空気を纏っていた。これが教師達だけの場所と生徒達の場所の違いだろう。
一言も会話を交わさぬまま職員棟に入り廊下を歩いて、副院長の男に案内されたのは一階にある一室だった。扉の上のプレートには「応接室」の文字。教室と同じスライド式の扉だが、こちらには固くロックが掛かっていた。
男はドアの横の壁に埋め込まれたタッチパネルモニターに指先で触れた。
タッチパネル、という事は、寮のようにエナジー感知システムだけでなく指紋認証のセキュリティもあるのだろう。
あっさりとロックは解除され、ピーと電子音を立てながら扉が右にスライドした。男は室内に何故か足を踏み入れず、身体を横にずらしてレゼルに先に入るよう促してきた。
可笑しい、と思った。《雲》を嫌悪するこの男が、レゼルにそんな事をする理由など無い。それでなくとも彼と自分は教師と生徒、教師である彼がレゼルを先に入室なんて普通する訳がない。
応接室らしい部屋の中を窺う。真ん中に重厚な木製の大テーブルとそれを挟んで二つ、革張りのソファがあるだけだった。後は部屋の装飾品として、角にある小さな机の上に様々な種類の花が生けられた花瓶。
次に、ほんの一瞬だけ男の顔に目を向ける。彼はゴミ虫でも見るかのような嫌悪と嘲りの瞳で此方を見ていた。
面倒だな――そう思ったが、仕方ない。先に入室するしかないだろう。
レゼルは右足の踵を床から放した。
「副院長、校内で生徒暗殺はどうかと思いますが?」
言いながら、右腕を徐に上げて左から右に薙いだ。
カキンッ、と金属質な音が鳴った。
「なっ……」
背後で驚愕の顔をする男を無視し、レゼルは上げた右足を応接室の中の床に着地させた。
レゼルは首だけで振り向いて男を見た。
彼の後ろで、先程彼が弾いた緑色の液体が付着しているナイフが床を二メートル程滑って止まった。レゼルが部屋に入ろうとした時、突然頭上から落ちて来たものだ。
「いけませんね副院長、ナイフに毒を塗るなんて。これじゃちょっと掠っただけで即死ですよ? よく悪戯好きな子供は教室のドアに黒板消しを挟んで教師の頭上に落とすらしいですが、今回は逆ですね。仕掛けたのは教師で受けたのは生徒でした」
レゼルはただ淡々と思った事を言う。
毒塗りナイフが頭上から落ちてくる――明らかに殺傷の犯罪行為なのに、レゼルはそれを「黒板消し落とし」と同一の事のように話していた。
副院長の男はそんなレゼルに気味が悪そうな視線を向けたが、すぐに唇を吊り上げて笑った。
「そうだな。学院内で人を殺すのはいけないな。では、殺人を無かった事にしてしまおうか」
「どうやって?」
簡潔に訊ねられた一言の質問。それに男は狼狽した。
「どうやって、って……貴様はさっき、腕でナイフを弾いたじゃないか。もう毒が身体中に回って――」
「見えなかったのは仕方ないとして、副院長、聞こえなかったんですか? 金属、それも刃と刃が打ち合わされるような音を」
「――っ!」
「俺の対人用創造武器――短刀〔霞刀〕です。これは構築完了から消失までの時間をゼロコンマ秒の領域に出来る短刀ですから、視認出来なくても仕方ありません」
淡く輝く短刀、〔霞刀〕は引ったくり騒動の時も使った創造武器だ。
剣の構造や形を単純というか無骨にして、構築完了から消失までの間を究極に絞ったレゼルの創造武器。
これのメリットは、相手にどんな攻撃をしたか悟らせない、斬線を見せない、次の創造術に繋げ易くなるなど様々である。
毒塗りナイフは〔霞刀〕で弾いたのであった。
副院長の男は忌々しげに下唇を噛み眉間に皺を寄せていた。
彼は床を滑った毒塗りナイフが光の粒子となって消失していくのを見詰めながら、不気味に呪うように呟いた。
「……死んでしまえば良かったのに」
読んで下さりありがとうございます。
感想・ご指摘などありましたら、書いて下さると嬉しいです。