第13話 姫とメイド
リレイズ創造学院、第一実技棟。
一年A組の創造術禁止の格闘訓練の授業は終わり、そこにいるのは二人だけとなっていた。
どちらも生徒ではない。
どちらも教師だった。
一人は、一年A組の担任教師で《暦星座》。
もう一人は実技の授業担当教師でリレイズ家の――というよりミーナ専属の執事。
ルイサ・エネディスと、ジェイク・ギーヅだった。
「まさか、学年で一番の格闘の腕を持つショウノインをあれ程簡単に圧倒してしまうとは……」
スーツ姿で腕を組むジェイクの声には、驚きと素直な賛辞が含まれていた。
「副代表も入学当初、教官を倒しているが……レゼル君は彼よりも強いようだ。創造術の面ではまだ分からんが」
ルイサは頻りに頷き、ジェイクの言葉を肯定する。
彼女はレゼルが正規創造術師並みに戦闘が出来る事を引ったくり事件の折に分かっていたが、創造術無しの格闘でもかなり腕が立ち、あの晴牙にまで勝ってしまうとは、些か予想外だった。
現代の創造術師は、『能力』創造に頼り過ぎてしまう面がある。それを防ぐ為に創造学院では創造術禁止の格闘訓練を自主的にも行う事を推奨しているが、生徒の中にも結構な人数――特に上級生――が『能力』創造に頼り過ぎてしまう傾向にある。
だが、レゼル・ソレイユという編入生は、そんな事は全く無いようだ。
自分の創造術の技術に溺れたりせず、戦う為の本当の根本となる自分の身体を鍛えている。それは教師が称賛すべき事であった。
昨日の格闘訓練の授業でも、レゼルが教官と模擬試合をして勝った時にルイサは「熟々(つくづく)面白い奴だな」と思ったものだが、今日の授業で晴牙に五勝もしたとあっては、それだけでは済まなかった。
ルイサもジェイクも、聖箆院晴牙という一年生については、格闘に於いて一目置いている。地道なトレーニングを毎日欠かさない彼の姿は、他の生徒達にも良い影響を与えていると教師陣は全員が感じているだろう。
ジェイクは先程、学年で一番、と言ったが、ルイサは今の創造学院の全生徒中一番なのではないかと思っていた。いや、ルイサだけではない。恐らくはジェイクも、晴牙の格闘訓練の授業を担当した教師は皆、そう思っているのではないだろうか。
だからこそ、レゼルがそんな晴牙を相手に勝利をもぎ取った――しかも五回も――事実は、ルイサにもジェイクにも衝撃を齎した。そして多分、生徒達――特に同級生――にも。
「昨日は教官に勝ったと聞いた。……全く、何なんだ、あの編入生は?」
自分が仕える相手であり上司でもあるミーナに対しての言葉遣いとは全く違うそれでジェイクが眉を顰めて呟く。
因みに、ルイサは彼がミーナの執事であり腹心である事を知っている。
「さぁな。流石は『最強』の弟という所じゃないか?」
ルイサはニヤリと笑いながらそう言った。
最強。
六年前に世界から去った、《暦星座》の一人であり、銀の名を冠した創造術師。
「エネディス、お前はそれを信じているのか?」
ジェイクは切れ長の目を更に細め、訝しげな顔をしながら訊く。
「ああ、信じている」
それに対して、ルイサの答えは即答だった。
一瞬、ジェイクが呆気に取られたように彼女を眺めるが、すぐに我を取り戻した。
「……何故、そう言える?」
「お前は彼が創造術を使った所をまだ見た事が無いだろう?」
「……ああ、まだだが。それが?」
「似ているんだよ、《白銀》にな。そっくりだ」
ふふっ、とルイサが口元を緩めて笑う。大人な、優しい女性のような表情に、ジェイクは居心地が悪くなった。――何故だかは、分からなかったが。
「似ているって……彼の髪と瞳は《雲》の二色じゃないか。似てるも何も無いだろう。――それとも、創造術を使うと銀髪碧眼に変わるという馬鹿げた噂が本当だとでも言うのか?」
胡散臭そうな顔を向けてくるジェイクに、ルイサは「本当に面白い」と思いながら、大きく頷いて見せた。
「ああ、その馬鹿げた噂は事実だよ。今日の午後に創造術の実技授業があるから彼の創造術を見る事が出来るだろう」
「……」
ジェイクは黙り込み、眉間に深い皺を刻んだ。
「お前がそこまで言うのなら、本当なのだろう。では、その実技授業で《雲》の創造術とやらを見せてもらおうじゃないか。――と、ソレイユの話はここらで終わりだ」
真剣な瞳に見詰められ、ルイサは頷いてから壁に寄り掛かった。闘技場と観覧席の段差を作る二メートル程の壁である。(勿論、闘技場が下だ。)
「昨日、奥様と共に戦闘区域に行ったんだろう? 首尾は?」
ルイサは少し間を置いてから、頭を振ってジェイクの質問に答えた。
「……結果としては、何も分からなかった」
「……そうか。奥様も?」
「ああ、ミーナと私は行動を共にしていたから。……正しく、百聞は一見に如かずだったよ。NLFエース『ブラッディ』の噂は何度も聞いていたが、予想以上だった。流石に嘘だろうと思うような噂よりも圧倒的な技量を見せてくれた」
「炎の広域創造の事か?」
再び、ルイサは顔を横に振る。
「それもあるが……」
「《堕天使》を単独で倒した事か? しかし、これは別に、《暦星座》レベルの実力を持つ創造術師なら何とか出来るんじゃないか?」
「簡単に言ってくれるな。そんな事をすれば一週間は身体が言う事を聞かないぞ? っと、まぁ、それもある。だが、一番注目すべきは『スピード』だよ。《堕天使》との戦闘時間の短さだ」
「……一時間、くらいか?」
ジェイクの的外れもいいところの問いに、ルイサは思わず唇を歪めた。少し自嘲気味のような歪め方だった。
だが、ジェイクの予想した時間は《堕天使》との戦争時間にしてはかなり短い方だ。一人で戦ってそれなら、正しく奇跡のようなタイム。
しかし、
「正解は、五分以下、だ」
ルイサの答えは、奇跡のタイムを大幅に下回っていた。
「……」
絶句し、目を見開くジェイク。
「一応言うが、事実だぞ。……それと、今日の朝に協会のリレイズ支部から報告が来た」
「……協会から?」
「ああ。北側戦闘区域の大気検査の報告だ。炎の広域創造なんて環境破壊が目的のような創造術をかましてくれたんだ。検査が入るのは当然だろう?」
「……それで?」
流石は創造学院の教師兼ミーナの執事というだけはある(「ミーナの」という所が重要である)。ジェイクは早くも落ち着きを取り戻した。
「……結果、北側戦闘区域に大気の異常は全く見られないそうだ。二酸化炭素は正常値、有害な気体も皆無。何故かは、分からない」
「馬鹿な……」
再び絶句したジェイクに、ルイサもお手上げとばかり頭を振った。
二人は知らない。
ルイサとジェイクは結局最後までレゼル・ソレイユの話をしていた事を。
これはもう述べたが、NLFエースが《堕天使》と戦っていた時間は五分以下ではなく――一分以下、という事を。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
NLFのエース、「ブラッディ」には様々な噂話がある。
それはどれも、誰もが耳を疑ってしまうような話ばかりだ。
例えば、「ブラッディ」は《堕天使》の群れを巨剣で一掃するとか、宙に浮けて尚且つ空中を歩けるだとか、《堕天使》の攻撃を一瞬で無効化出来るだとか。
ただそれらは、デマでもガセでも無く「本当の事」であったりする訳だが、誰しもがそれを信じられる筈も無く。だから今回のリレイズの街《堕天使》討伐戦に関わった者は一人残らず、「ブラッディ」が《堕天使》を単独で倒すなど無理な話だと思っていたのだ。
しかしそれはいとも簡単に成し遂げられてしまった。だから勿論、創造術師協会の者や創造学院の教師・生徒がNLFのエース「ブラッディ」を話の種にしない訳がなかった。
という理由があって、今日は昨日より周りからの視線の数が減っている「話の種」の当人は、呑気に本校舎横の食堂で昼食を取っていた。
「あ、確かに寮食堂よりこっちのが美味いかも」
「でしょ? 調理場の設備がこっちの方が充実してるのよ」
カツカレーを食べながらの「話の種」の言葉に応えたのは、オレンジティーにマーマレードを大量投入しながらのミーファだった。
今日は寮ではなく本校舎の隣にある食堂だが、昨日と同じく、学院通りの見渡せる窓際の席だ。レゼルの右にセレン、左にミーファ、向かいに晴牙、ミーファの向かいにノイエラが座っているのも昨日と同一。周りのテーブルには誰一人座っていない所まで変わらない。
「なぁ、レゼル。朝も昼もカツカレーじゃ飽きなねぇか?」
グラスの中の氷をカランカランと鳴らして、晴牙が訊いてくる。因みにグラスには炭酸多めのソーダが注がれている。
「そんな事ないぞ? カレーなら三日はいける」
「うわ、微妙。そこは一週間と言って異常なカレー好きをアピる場面だろ」
「アピールする必要なんてないだろ。それに、寮食堂とこっちの食堂の料理の味を比べてみたかったし」
「……何て言うか、レゼル、お前ってちょっと、色々ズレてないか?」
晴牙は疲れたように言って、自分のカレーの上に乗ったカツを箸で摘まんだ。もうカレーの話は終わりという事らしい。
今日の昼食は男性陣がカツカレー、女性陣がパンと鮭のムニエルである。女性三人曰く、「急に魚が食べたくなった」らしい。
「……そういえば」
ポツリ、とミーファが鮭の身を箸で解しながら呟いた。
「クラスで創造祭の準備始まるの、明日からじゃない」
「あ、そうですね。ここ二日間は何かと忙しくて忘れていました。A組は和風喫茶でしたよね」
ノイエラがパンを食べやすい大きさに千切りながらミーファの話に乗る。
「そうそう、和風喫茶。明日から私達代表副代表だけじゃなくて、皆忙しくなるわね」
「創造祭のメインイベント、『無限の星影』の練習もしなきゃですけどね」
ふぅ、とノイエラが息を吐く。
一年代表の少女と縁無し眼鏡の少女の話に全く付いて行けなかったレゼルは首を捻った。
「『無限の星影』? というか、創造祭ってどういう事するんだ?」
「ありゃ? 教えてなかったか」
カツカレーの皿の端にある福神漬けを器用に箸で掴む晴牙。まぁ、福神漬けを単体で食べたい気持ちは分からなくない。というか福神漬けをカレーと一緒に口に入れる人の方が少ないと思う。いや、心底どうでも良いが。
晴牙の言葉はレゼルとセレンの二人に向けられたものだった。創造祭について何かを話された記憶は皆無なので、躊躇い無く二人同時に頷く。
「ごめんね。何かレゼル君、学院にいるのもう慣れた感じだから、つい忘れちゃってたわ」
「忘れたって、代表しっかりしろよー」
「アンタには言われたか無いわよ副代表」
ギンッ、と翠色の綺麗な瞳で晴牙を睨み付け、ミーファは箸を置いてレゼルとセレンに向き直った。
「えっと、簡単に言うと創造祭っていうのは、普通の学校の文化祭みたいなものよ。クラス毎に出し物やって、それをまとめるのが各学年に一人ずついる代表と副代表。四年まであるから合計八人ね。これは普通の学校で言うと生徒会みたいなもので、準備期間含め創造祭期間中は創天会と呼ばれるの。創造祭は一週間に亘って行われるわ」
「そうてんかい?」
セレンも箸を置き、ミーファの説明を真顔で聞きながら首を傾げる。
「ええ、創天会。私達、代表副代表は、学生といえども創造術師を束ねる役目にある訳でしょ? そして、創造術師は星の光を頼りにしてる。だから、星を包容する天に喩えて、創天会。天を創造する、体現する者という意味よ」
「ちょっと良いだろ。このネーミングは伝統なんだ」
ミーファと晴牙が少しだけ誇らしげな顔をする。ノイエラも控え目に微笑んでいた。
「それで、私達創天会は既に活動を開始しているけど、クラスの出し物の準備が始まるのは明日からなの。我らがA組は和風喫茶よ」
「成程」
レゼルは納得して一つ頷いた。
取り敢えず、和風喫茶というのは晴牙の発案だろうという事はそれ程考えなくても分かる事ではある。
「では、『無限の星影』というのは何ですか?」
セレンの質問にはノイエラが答えた。彼女はカモミールのハーブティーが入ったカップを置き、姿勢を正す。
「……」
レゼルとセレンに顔を向けた時にノイエラは少しだけ緊張したような表情を見せた。一瞬、口元が真一文字に引き締められたのだ。
レゼルはそれにしっかりと目を留めていたが、気にしない事にした。何と言うか、格闘訓練の授業の時といい、今日の彼女は少し変だった。ただその変化はレゼルにしか分からないようだ。セレンも気付いていないようで、何も言ってこない。ならば自分が突っ込む事ではないのだろうと、レゼルは気にしない事にしているのだった。
「創造祭期間の最後の日にやる創造祭のメインイベントですよ。学生創造術師が自分の創造術を披露するイベントで、リレイズの街の人達は勿論、他の街や国の人々も、創造術師協会の方々だって見に来ます」
「あ、それなら知ってる。イベントの名前を知らなかっただけだ。創造術師協会が来るのは、学生創造術師のスカウトの為だろ?」
創造祭で創造学院の生徒が創造術を披露する事は知っていた。そして何故、創造術師協会の者が来るのかも。
レゼルの確認の為の質問に、
「あ、は、はい。そうです」
コクコク、とノイエラが小動物のように顎を上下させる。
そんな彼女に一瞬、ミーファが不思議そうな目を向けた。だが、すぐにレゼルの瞳を覗き込んできた。
「な、何だよ?」
「ねぇ、レゼル君、どうするの? 『無限の星影』は全校生徒強制参加だけど」
「「……あ」」
声を漏らしたのは、レゼルとセレン、二人共だった。
全校生徒強制参加。
つまり、レゼルも参加するしかない。あの学院長の事だ、変装してでも出ろと言うのは目に見えている。
レゼルがそのまま『無限の星影』の舞台に上がったら刹那的にパニックになる。それはリレイズの街どころか国境を越えて、世界規模の混乱になる。《雲》とは、それ程までに忌み嫌われる存在なのだから。
それは、レゼルを嫌悪しないでいてくれている者は勿論、嫌悪している者にとっても避けたい事態である。
「どうするかなぁ」
レゼルが表情を曇らせていたら、晴牙があっけらかんと言う。
「そんなの、関係ないだろ。創造術を使えばレゼルは銀髪碧眼になるんだしさ」
だが彼の考えはノイエラが首を横に振って否定した。
「それは駄目ですよ。舞台に上がる前に創造術を使ったら失格になってしまいます。それは学院長が許さないかと」
カチャン、と音を立ててジャムがたっぷり入ったオレンジティーのカップを置き、ミーファも首を横に振る。
「それに、レゼル君の事はもうリレイズの街全体に広まってるわ。灰色の髪と黒眼を見なくても、レゼル君が学院に入った《雲》だと分かってしまうのではないかしら。その……レゼル君を……嫌う、生徒達から、情報が出てしまっているだろうから」
「ミーファ、別に気にしないで良い。それは仕方の無い事だから」
自分は嫌われる。それは《雲》として生まれた時から分かっている事だ。そしてそれを当然だと理解している。
だからレゼルは自嘲気味の言葉を曖昧な笑顔を浮かべて言った。しかしミーファは悔しそうに唇を噛む。
「……でも」
彼女も《雲》が嫌悪されるのは仕方が無いと分かっているのだろう。それでもレゼルの言葉に反論しようとする。
そんなミーファを見て、学院に来たらセレン以外は敵だと覚悟していたレゼルは、自分は本当に幸せ者だなと思う。ミーファだけではない。晴牙もノイエラも、自分の事をちゃんと「人間」として見てくれて、心から心配してくれている。ルイサやミーナもそうだ。編入してすぐに彼らが周りにいてくれる事を、幸せだと思わずして何と思えば良いのか。
「俺は寧ろ、何でお前達が俺を避けないのかの方が不思議だぞ?」
レゼルは悪戯っぽい顔をして笑った。
すると、
「えっ? そ、それは、そのっ……」
ミーファは何に慌てたのか、きょろきょろと視線を彷徨わせ、
「あー、それはな、ちょっと個人的な事情と言いますか……」
晴牙は眉を寄せて困ったような顔をし、
「……っ」
ノイエラに至っては真っ赤な顔を隠すように俯いてしまった。
何も、変な事を言った記憶は無いのだが。
頭上にはてなマークを浮かべるレゼルとセレン。沈黙がテーブルを包む。
それを破ったのは、セレンだった。グラスに右手を伸ばしながら、横目でレゼルを見る。
「それでレゼル、『無限の星形』はどうするのですか?」
「え、あっ……そうだなぁ……」
レゼルはカレーの中のじゃが芋を見詰めながら唸る。
「ま、まぁ、レゼル君が《雲》だって判らせない方法は幾らでもあるわ。最悪、変装すれば良いんだし」
「やっぱり誰もその考えに行き着くんだな……」
ミーファの励ましを聞いて溜め息。
「変装っていっても、一体何に……」
「まぁまぁ。それは後で考えようぜレゼル」
「そうですね。説明しなければならない事はまだありますから」
晴牙とノイエラが苦笑してレゼルのやや情けない感じの声を遮る。
ミーファがハッとしたようにレゼルに目を向ける。
「そうそう。説明の続きしなきゃね。クラスの出し物の事だけど、科学技術が秘匿されている学院の敷地に一般人は入れられないわ。他国の人も来るんだもの、その人達を入れたら科学技術を秘匿しているのなんて本末転倒でしょ」
「あぁ、そうか。じゃあ何処で出し物やるんだ?」
「リレイズの街の大通りに学院所有の建物があるわ。そこよ。創造祭が普通の学校の文化祭と違うのは、学校内ではなくて学院内を除いた街全域が開催地になる事ね」
教育機関が主催するイベントにしては大規模だが、その教育機関が創造学院だとすればそんな事はない。世界の中で創造術とは、化け物から人々を守る神聖な技術。創造術師とは、一般人にとって英雄にも等しい存在なのだから。
だが、創造術師には殉職者が異常な程多い。いや、ちゃんと考えればそれは異常ではない。《堕天使》が堕ちてくれば命を賭けて戦うしかないのだから。勿論、それが英雄と呼ばれる所以でもあるのだが、そういう理由があって創造術の才能があっても創造術師にならないという者は結構いる。創造術の名門にでも生まれなければ強制は出来ない。そういう者達が創造術に興味を持ってくれるように、という意図も創造祭にはある。
閑話休題。
「まぁ、創造祭の事はこれくらいかしら? あ、因みに『無限の星影』――インスタの運営は創天会よ」
ミーファが創造祭の説明をそう締め括った所で、食堂の入り口付近がざわざわと騒がしくなった。
五人全員、ざわついた方に顔を向ける。
入り口付近のテーブルに座る生徒達が一様に驚いたような表情をして三人の女性を見詰めてヒソヒソと何かを話している。
――いや、三人の女性、ではない。生徒達が見ているのは、三人の中で二番目に背が低い女子生徒だ。
彼女は二人の女性――メイド服を来た生徒ではない大人の女性を一歩程後ろに従え、優雅な足取りで食堂の中を歩いている。
一年代表の少女や学院長よりも薄い色の金髪を縦ロールにした美しい女子生徒だ。白を基調とした女子制服のブレザーとスカートを誰よりも品良く着こなし、透き通るような白い肌が照明と天井近くに投影されるディスプレイの光を反射している。
そして彼女が歩を進める先は注文する為のサーバーでも料理を受けとるカウンターでもなく、
「初めましてですわね、レゼル・ソレイユさん」
金髪縦ロールの少女はレゼル達の座るテーブルの前まで来ると、にっこりと編入生の少年に微笑み掛けながら制服のスカートの両端を摘まみ、気品溢れる動作で一礼した。
一目見た時から彼女が誰か分かっていたレゼルは椅子から立ち上がる。
高貴な雰囲気を放つ女子生徒の前に歩み出て、床に片膝を付けると頭を垂れた。まるでお姫様を守る騎士のように。
いや、レゼルは騎士ではないが、彼の前にいる少女は本物のお姫様だ。
NLFの総司令官に叩き込まれた「王族」に対しての所作を思い出しながら、レゼルは大理石に見せ掛けた強化素材の床に向かって口を開いた。
「お初にお目にかかります、レゼル・ソレイユです。俺の名前をご存知とは光栄です、ディブレイク王国王女――ウィスタリア・ダウン・ディブレイク様」
「顔を上げて下さいな、ソレイユさん。そんなに畏まる必要はありませんわ」
女子生徒――ウィスタリアの凛と響く声を聞いて、レゼルは素直に素早く頭を上げた。
ディブレイク王国の王女様を見詰めると、ウィスタリアはもう一度優しげに微笑んだ。
「わたくしの名前もご存知ですのね。嬉しいですわ」
「ダウン様を知らない訳がありません」
「ありがとう。ではソレイユさん――いえ、レゼル、わたくしの事は名前でお呼びなさい」
突然の命令口調。
レゼルの漆黒の瞳を覗き込みながら告げられた台詞に食堂にいる生徒達が響めいた。
「王女様が名前で呼ばせるなんて……」
「確か、それを言われたのは歴代の代表と副代表だけだよな?」
「……駄目よそんなの。アイツは穢らわしい《雲》なのよ!?」
「王女様も穢れてしまう!」
「近付けただけでもアイツには身に余る事だっていうのに!」
「嫌ぁぁぁぁぁ!」
「王女様が!」
「アイツの何処が良いと言うのですか!?」
顔面を蒼白にする者、叫び声を上げる者、手に持っていたグラスを床に落としてしまう者、夢を見ているのではないかと頬を抓る者。
セレンは無表情でウィスタリアを見詰め、ミーファ、晴牙、ノイエラは軽く目を見張っている。
セレン以外は皆同様に、程度の差はあれ驚いていたのだが、一番驚いていた者と言えば命令された当事者――レゼルであった。
「……え?」
思わず間の抜けた声が口から漏れ、レゼルはぽかんとウィスタリアを見上げた。
自分が《雲》だという事は誰よりも理解しているレゼルである。てっきり彼は、軽蔑されて何かを罵られると思っていたのだ。巧みに、嫌悪の感情を笑顔と凛とした声に隠して。
レゼルの悪い癖――人の好意に鈍感である面が晒されて、セレンは誰にも気付かれないように小さく溜め息を吐いた。
ウィスタリアは再び表情を和らげて微笑む。ただその笑顔は、先程より微かに哀しそうに見えた。
「わたくしの事は、ウィスタリア、と名前でお呼びになって、レゼル。良いでしょう?」
やや砕けた口調になったウィスタリアが優雅に首を傾げる。
その台詞と仕草にまた食堂が大きくざわめいたが、ディブレイク王国のお姫様は何処吹く風な様子で。
「は、はい。畏まりました……ウィスタリア様」
やっと状況を脳細胞が理解して、唇にするべき動作を伝えたレゼルは、何とかその台詞を言えた事に軽く安堵した。返事はほんの少し掠れてしまったが、その後の声ははっきりとしていた。
ウィスタリアは満足そうな笑顔になった。花が咲いたような、可憐な――いや華麗な笑顔。
ミーファの笑顔が向日葵、ノイエラの笑顔が桜だとするなら、彼女の笑顔は文句なく薔薇だろう。(因みに、向日葵は既に絶滅していて知名度はかなり低い。)
「ありがとう、レゼル。では、改めて自己紹介をさせて頂きますわ。わたくしはウィスタリア・ダウン・ディブレイク。二年代表を務めていますわ」
レゼルは一瞬だけウィスタリアの顔から視線を外し、彼女の胸元を見た。そこには確かに、二年を示す青いリボン。
彼が視線を戻すと、ウィスタリアは背後に従えていたメイド二人に目配せをしていた。
「姫様の専属使用人のマズルカ・ファストリアと申します」
「お、同じく姫様専属使用人、マリンカ・ファストリアとみょ、申します」
長身のメイドがエプロンドレスの前に両手を添えて深々とお辞儀をし、セレンと同じくらい小柄なメイドが少々おどおどしながら長身のメイドに続いて一礼した。
小柄なメイド――マリンカが言葉を噛んだ事はスルーしてあげるとしても、二人は姓が同じだった。歳はそれ程離れていないように見えるから姉妹だろうか。
二人共同じ金茶色の髪が頭を下げた時に揺れた。長身のメイド――マズルカの髪は肩まで、マリンカは下の方で二つに束ねた三つ編み。よく見れば瞳の色も二人共、髪と全く同じ金茶色だ。
「お見知り置き下さいませ、ソレイユ様」
マズルカがふわりと微笑む。大人びた笑顔だな、とレゼルは思った。
――いや、それよりも。
「あの……」
「何でしょう、ソレイユ様」
「申し訳ありませんが、『様』は止めて頂けると嬉しいのですが……」
レゼルが「様」付けを拒む理由は唯一つ。
慣れていないから、である。
それは当然だった。彼は《雲》なのだから。今まで隠れて生きてきて、NLFの中でもそれは変わらなかった。彼が姿を堂々と晒せたのはNLF第一飛空艇の中だけで、だから勿論「様」なんて名前に付けて呼ばれた事など皆無に等しい。
「畏まりました。では、何とお呼びすれば良いでしょうか?」
「いや、別に何でも良いですよ」
ちょっと素で答えてしまった。まず彼は、丁寧過ぎるマズルカのような口調と態度の人と話した事もあまり無いのだった。
「そうですか。では、ソレイユさん、と呼ばせて頂きますね。これからどうぞ宜しくお願いします、ソレイユさん」
ふふっ、と口元に手を当てて笑うマズルカに頷いて了承を示す。
「こちらこそ。それと、マリンカさん」
レゼルは方膝を床に付き肘を膝に置いた格好のまま微動だにせず、マリンカを見上げた。
「は、はいっ? な、何でしょうかソレイユ様……じゃない、ソレイユさん! ああああ、すみませんすみませんっ」
ぺこぺこと慌てて頭を何度も下げる小柄なメイドさんを少し辟易としながら「大丈夫ですから」と宥め、レゼルはしっかりと彼女の金茶色の瞳を見据えて言う。
「引ったくり騒動の件では出しゃばってしまい、すみませんでした」
口調が少し皮肉っぽくなってしまったのは仕方が無い事だろう。
マリンカは小さく口を開けたまま硬直し、マズルカやウィスタリアも目を見張っている。セレンは変わらず無表情だがマリンカを凝視していた。他の者は引ったくり騒動を知らないのできょとんとしている。
「気付いて……いたのですか? 引ったくり騒動の被害者がマリンカだと……?」
硬直してしまって唇も動かせないマリンカに代わり、マズルカが訊いてくる。
レゼルは躊躇無く頷いた。
「そうですか……」
呟きながら、ウィスタリアがカツンと踵を鳴らして一歩前に出た。
「流石ですわ。あの時のマリンカは鬘を被って性格さえも変え、厚底ブーツで身長も偽り、完璧に変装していたというのに。……エネディス教師さえも気付かなかったのですわよ」
「でも、あの時の引ったくり騒動の被害者の女性の歩き方はマリンカさんのものとそっくりでしたから。厚底ブーツを履いていた所為であの時とは少し違いましたが、歩き方なんて匆々変えられるものではないですからね。決め手となったのはメイド服ですが」
「メイド服は譲れませんから!」
「マリンカ、ちょっと静かにお願いしますわ」
「……」
マリンカとマズルカが口を噤む中、ウィスタリアは上品に笑って、
「それだけでバレてしまうのですわね。――いえ、それより、謝る方が先ですわ」
ディブレイク王国のお姫様は瞼を閉じて笑みを消した。
「申し訳ありません、レゼル」
ウィスタリアは深々と腰を折り、頭を下げた。
彼女が何故謝るのか、ある程度は予想のついていたレゼルも、これには慌ててしまう。
「えっ、あの……」
レゼルの狼狽を含んだ声は、周りの生徒達の悲鳴に掻き消された。
「きゃあぁぁぁ!?」
「ちょ、おい、アイツ王女様に何したんだよ!」
「王女様に頭を下げさせるなんて、何て奴!」
「脅迫でもしたんじゃないのか!?」
「馬鹿言え、王女様に穢らわしい《雲》が対抗出来る筈ないだろ!」
「王女様は《暦星座》なのよ!?」
「最低っ」
「アイツふざけやがって!!」
何だか段々と確実にエスカレートしてきている。そして何時の間にか自分は犯罪者みたいに言われていた。まぁ、《雲》という存在が歩いている事は、世界の認識から言うと凶悪な無差別殺人者が歩いているのと同じなのである。
ウィスタリアが頭を下げた事に対する狼狽もすっかり消え、周りの声に心の底から無関心を貫いていると、やがて王女様は顔を上げた。
彼女はチラリと食堂内に視線を飛ばして生徒達を一瞬で黙らせ、レゼルに向き直る。
「引ったくり騒動の事は、貴方を試したのです、レゼル」
髪と同じ薄い金色の瞳に真摯な光を湛え、ウィスタリアは胸の前できゅっと手を握った。
自分を試した――それはある程度予想出来ていた。マリンカが引ったくり騒動の被害者だと気付いた時――彼女達が食堂に入ってきた時から。
「編入生が来る、しかもその方があの『最強』の弟だというのですもの。少し試してみたくなってしまいまして……わたくしの独断でテストを行わせて頂きましたわ」
成程、彼女は少し茶目っ気があるようだ、とレゼルは思った。
「……テストの結果をお伺いしても宜しいでしょうか」
「ええ、勿論。――結果は、文句無しの満点ですわ。引ったくり騒動を見事収拾してみせた御手前、流石でした。だから貴方は出しゃばってなどいませんわ、レゼル」
「引ったくり騒動に自ら動いたソレイユさんの正義感の事も、私達は評価しています」
「あの場面で引ったくりを無視していたら、姫様はソレイユ様を不合格にしていたでしょう……って、あぁっ! ソレイユさん、でした! 申し訳ございませんっ」
ウィスタリア、マズルカ、マリンカが口々に言う。それにしても、マリンカにはもう別に「様」付けで呼ばれても良い気がしてきている。
「……そうですか。とても光栄、そして身に余る幸せです」
レゼルは静かな声を発した。それは本当に嬉しいと感じているのかいないのか分からない声音だった。
「……因みに協力して頂いた犯人役の方は本物の犯罪者グループの一員でしたので、グループごと潰しておきましたわ。お金に目が眩んで、引ったくり犯を演じろなどという奇妙な依頼を受けたのが運の尽きですわね」
さらりと物騒な事を言ったお姫様に、レゼルは頬が引き攣るのを何とか堪えた。
「レゼルにあの場面まで追い詰められても依頼されたと口にしなかったのは評価しても良いですが、正確に言うとそんな事を言う暇も思い出す暇も無かったという所ですわね」
「姫様。そろそろお時間が」
マズルカがウィスタリアの耳元で囁いた。
「そうですわね。レゼル、昨日の《堕天使》戦はご存知ですわね?」
いきなり予想だにしなかった質問を投げ掛けられ、レゼルは再び表情筋が歪むのを必死に抑えた。
レゼルの心境を語ると、「何で今、その話が」である。
「存じ上げておりますが……?」
訝しげな声に少しの困惑をコーティングして、そう言えた自分を手放しで褒めてやりたいと心の底から思った。
「《堕天使》が堕ちてきたのは一年振りですわ。それをブラッディ様が単独でお倒しになったという事で、お祝いにわたくしのコンサートが創造祭の初日に開かれる事になりましたの。レゼル、是非いらして下さいね」
ウィスタリアはにっこりと微笑み、次にそれをセレン達に向けた。
「セレンさん、貴女も。それにミーファさん、晴牙さん、ノイエラさんもですわ」
王女様の言葉に四人はやや戸惑いながらも頷きで応える。
「残念ながら、流石にブラッディ様本人はいらっしゃらないのですけど」
片頬に手を当ててふぅっと息を吐くウィスタリアに「もうブラッディなら誘われてますよ」と言える訳もなく、レゼルは複雑な心境のまま彼女を見上げていた。
「それでは、ご機嫌よう。わたくしのコンサート、楽しみにしていて下さいね」
ウィスタリアは制服のスカートを翻して踵を返した。
その後に小さく一礼してマズルカとマリンカが続き、ディブレイク王国の王女であり黄色の名を冠する《暦星座》の一人、ウィスタリア・ダウン・ディブレイクは生徒達の「コンサート行きますっ」という言葉を受けながらメイド二名を引き連れて食堂を去っていった。
「『歌姫』のコンサートか……」
ポツリと呟きながらレゼルは立ち上がり、生徒達から向けられる殺気の籠った視線をものともせず振り返る。
だが――
「な、何だよ」
セレンの緋色の瞳に宿る鋭い眼光とミーファの明白に不機嫌極まりない表情には無関心ではいられず、レゼルは身体を硬直させた。
「あんなに謙って……何て事でしょう、また邪魔者が増えてしまいました。しかもレゼルの嗜好をつくメイドが二人も……」
「お姫様だからってデレデレして……料理も紅茶も冷めちゃったじゃない、どうしてくれるのよ!」
「……セレン、俺は別にメイドに何の感情も抱いてないからな? それと、謙るのは相手が王女様なんだから当然だろ。そしてミーファ、料理冷めたのは俺の所為なのか?」
鈍感と朴念仁さにはNLFの中でもかなり定評のあるレゼルである。少女二人が怒っている理由に気付く事なく溜め息を吐き、彼は椅子に座ってスプーンを取った――所で、午後の授業の予鈴がなった。
「あああっ、まだカツが四切れも残っているというのに! どうしてくれんだぁレゼル!」
「だから俺の所為じゃないと言っとろーがハルキ!」
「次は創造術の実技授業ですよ! エネディス先生に遅刻して怒られたらどうするんですかレゼルさん!」
「ノイエラまで!? 重ねて言っとくけど俺の所為じゃないからな!」
何せレゼルだって授業に遅刻しそうな状況は同じなのだ。責められる謂れは無い。
食堂内の生徒達も慌てて食事をしながら非難と殺気と嫌悪の視線を向けてくる。
もし全校生徒が敵になったらこんな感じだったんだな、と思いながら、レゼルは冷めてしまったカレーを黙々と口に運んだ。
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