竜の世界にとりっぷ! 7
こちらは、「動物の世界にとりっぷ!」作品たちと同じ世界観のもとで、書かれています。詳しくは、まとめサイトさま(http://www22.atwiki.jp/animaltrip/pages/1.html)へどうぞ。
*蛇の描写について嫌悪を抱かれる方は見ないほうがよいかもしれません。
*また新しい竜族限定設定ならびに(捏造)郵便設定などが生じています。ご了承ください。
以上に了解された方から、スクロールどうぞ!
拝啓 我が愛すべき師よ。
いかがお過ごしでしょうか。
私のほうは些少の変化がございましたことをお知らせいたします。
私がこの《動物が人へと転化する世界》へと落ちてきて、もはや一年の時間が経過いたしました。
これまでの一年間、私は竜族のリアディに庇護されて竜族の御老体がたを相手にしたエステとも湯屋の三助とも云い伝えられぬような仕事をしておりました。
おかげさまでその仕事っぷりはお客様に好評で私が可愛がっていた「ちいさきもの」と呼ばれる子蛇ちゃんたちにも贈り物という名の玩具を供することが叶うだけの収入を会得し何不自由なく過ごすことができておりました。
ですが先日、お仕事が開店休業状態へとなることが決定いたしました。
何があったかなどと聞かれましても私にもとんとわからないことばかりなのです。
仔細も解らぬものをどうやって報告するつもりかとお叱りを受けそうなことは重々承知ですが、竜族の長どのよりのご命令でこのほど私は城へと移り住むことに相成りました。
ええ、お城でございます。
引越しのご挨拶にはやはり蕎麦をお持ちするべきなのでしょうか。ですが、あいにく物知らずの私にはそのような立派なものを出前で配達してくださりそうなお店を知らないのです。
以前お世話になった兎族のルイさんならばとも思いましたが、あちらへの連絡先は番頭さんであったメイムさんしか御存じではありませんでしたし、何よりも蕎麦を食べる風習を竜族の方々がお持ちかどうかも定かではございません。ましてや、地球世界では目立って増えてきていた蕎麦アレルギーによるショックなどをおこされても困りますし。(私はそんなときの対処法までは理解してはおりませんので)
委細全てを書き連ねるには相も変わらず文面の限りがございます。
これからの住まいにての準備もございますので、これにて本日は書き納めとさせていただきたく存じます。
乱筆乱文なれど、あなたの孫であり、父母を失くしたあとの22年間の武術をお教え下さった直弟子からの手紙ということで、大目にお許しいただきたいと思う所存でございます。
敬具
師のご健康と幸いを祈りつつ 佳永
◇◆
―――身一つで来てくださってもかまいませんのよ。
そのように私に云われたのは、以前仕事を施術させていただいたファンリー様でした。
ある日お城からやってきたのは竜の印の引っ越し相談所でした。
―――いえ、相談というのはもう少し相手の意思を尊重するものだと思いますので違ったのかもしれません。
なにしろ、引っ越しする当人である私からして寝耳に水の出来事でありましたからね。
「……あの、ファンリーさま?」
「さあ、仕事はスマートにこなすものですわよ。佳永さん」
Time is Money! 時は金なりですわ!
「……はい」
どうして、300年前のアメリカの政治家の言葉をこの人が知っているんでしょうか。竜族って本気で何者なのか分からなくなる瞬間でした。
だって、ここ異世界でしょうに。
――――どこかの、あるいはいづれの時代かの落人が広めたでしょうかね?
その割にはファンリーさまの発音は流れるようだったのですごく気になりました。
しかし、若いころは旅行好きな方だったとは聞いてはいましたがまさか異世界まで行って身につけてきたわけではないでしょう。―――もしもそうだったら、是非わたしも実家まで送っていただくところなのですが。
「さあ、どれを持って行きますの?」
荷物の選別だけはしっかり行っていただきます!
ファンリーさまはその年齢不詳の人形の姿にて私に指示を出されました。―――ご老輩の女性でいらっしゃるとお聞きしていたのですが、私の眼からは化粧上手な50代の女性にしかみえません。
…何でしょうか。
ふつふつと竜族における御老体の定義についてを突っ込んで訊きたい心境になりました。―――我慢しましたが。
今日のファンリーさまは龍形種の正装であるチョゴリとチマを纏っておいでます。―――韓国の民族衣装ですね。
すごく似合っていますよ、ファンリーさまに。
ちなみに今日の私が身につけているものは、『シャツもどき』と竜族の一般的な男性用下衣であるドーティです。
『シャツもどき』は私がこちらの世界に落ちてきたときに来ていたシャツとジーンズを見たメイドさんたちが真似て作ってきてくださったものです。とてもありがたいです。
『シャツ』ではなく、『シャツもどき』と呼称するのはこのシャツにはボタンが無いからです。……いいんです、羽織り代わりにしてますから。
留め具であるボタンがないかわりに、下方に伸びてついている紐で胸の下部分に縛り上げるのです。…もしかしなくても、どこかの海水浴場でよく見かけたあの腰のくびれをよく主張していた水着風でしょうかこれって。―――――腹は隠させてください。お願いします。
その下にはチョリも着用しておりますので問題はないと信じたい思いなのですが。
チョリは竜族の一般的な女性服であるサリ―の下に身につけている色付きのシャツです。要は見せるインナーです、ご理解ください。
「…上の羽織りはともかく、チョリやドーティくらいなら準備できますわよ?」
私の衣装を見て小首をかしげながら、ファンリーさまが話されました。
…美しいのに可愛いって反則です。ファンリーさま。
「―――作っていただいた羽織りを数枚と、これくらいでいいと思います」
手にしたのは、ブラウスもどきを4~5枚ほどと白布に包んだ大切なモノ。
「……それは何が入っているのかしら?」
見させて頂いても良いかしら?
好奇心に満ちた顔でファンリーさまが云われました。
「……どうぞ」
くるんでいた布を開いて見せる。
中に包まれていたのは、私がこちらの世界へと落ちてきたときに身に着けていたブラウスとジーンズ、サンダルが一足。―――それだけです。
「……貴女がこちらへ来た時のものかしらね?」
「ええ」
私の故郷のものです。
答えながら、この人はもしかして今までに落人と出逢われたことがあるのだろうかと思う。
好奇心で尋ねたのかと最初は思ったが、包んだそれを見せた時にどこか優しい表情を見せてくれたからだ。
おそらくは、そこに入っているだろうものを彼女は知っていたのだろう。
どのようなものであれ、落人の住んでいた故郷のものであろうということを。
部屋を振り返る。
一年住んでいた部屋の割には殺風景な部屋だとはよく言われたものだ。
――――――― 執着するべきものを作らぬように、無意識に選択していた結果であったのかもしれません。
「カナ」
荷物を整えた後、お世話になったこの屋敷の方たちへ挨拶をしようと思いましたが、ファンリーさまに留められました。
『きっと皆さん、門扉へ集まっているわ』
そう言われました。
仕事仲間であったトールやレイヤ、それから、メイドのウルティカさんが抱えた籠のなかにはちいさきものの代表としてイアンくんとロッドリーくんとユピちゃんが連れられていました。
「ご主人さま」
手を握りしめて皆に今までのお礼を告げたあと、最後に声をかけてきたリアディさまに返事をすると手を出せと言われました。
「……これは?」
「おまえにやったものだ」
渡されたものはリアディさまからお借りしていた櫛でした。―――おそらくは、ヨウコという名の過去の落人でありリアディさまにとっての家族であった蛇族の上位種の妻の遺したもの。
「もらえません」
このような大事なものを。
リアディさま仕事の番頭と呼べるメイムさんが、その櫛を見た瞬間にすこしだけ反応していました。
無理もないのです。
ヨウコという落人は、彼にとっては実の母であったのですから。
いかに共に育った兄とも等しいご主人さまのすることといえども、異論くらいあるというものです。
「メイムさんにお渡しください。――彼の母のものでもあるのでしょう?」
無言のままの蛇族の上位種へとそれを渡そうとしました。ですが、その手は止められました。
「ヨウコさんが俺にくれたものだ。――好きな女性が出来たら渡せと」
だから、おまえに持っていて欲しい。
強く強く、抱きしめられながら。
―――この人の想いを知る。
「好き、だと?」
「ああそうだ」
そして浮かんできたのは、何というべき感情であったのか。
「――― ふ…ざっけんな!!」
抱きしめてきたリアディさまの腕のなかに己の腕を入れたまま大きく腕を横へと広げ、そのくびきから逃れます。同時に、リアディさまの足の甲を力強く踏み込みました。
「お見事です」
あっけにとられた表情でこちらを見ているトールとレイヤの横で、メイドのウルティカさんが拍手をしておられました。
ああああ子蛇たちが揺れてますウルティカさん! 危ない!!
「……行きますよ、ファンリーさま!」
「え。……っええ」
爆笑を無理やりこらえたような表情でファンリーさまが返事をされました。
メイムさんもいつもの無表情ながらも微妙に楽しそうな気配が察せます。―――面白かったんですか、まさか。
「お世話になりました!!!」
ぺこりと最後にもう一度だけ頭を下げて、邸を後にしました。
私が足を踏み込んだ際に人の頭に顎を載せていたために、竜族の弱点である顎を強打したリアディさまが痛がっているのが見えましたが無視しました。―――知りませんよ、自業自得とおもいなさい。
ファンリーさまが用意してくださっていた俥に乗って、邸を後にしました。
「―――――――― さいっこう!!!」
あははははははははははは。
真横でこらえられずに笑い始めたファンリーさまのお声が風に乗って、行く道に広がって行きました。
私はもう知りませんよ。
――― 本当に、もう!
俥が行く道の先は、木々に遮られてよく見えはしませんでした。
「―――行ってしまいましたね」
メイムが、カナの乗った俥の去った方向を見つめながら呟いた。―――痛い。
「……ご主人さま」
「……なんだ?」
最後のチャンスと思って告白したのに、即行で振られたリアディはふてくされながら返事した。
「どうしてこのタイミングなんですか。 ―――― へたれ」
弟のように可愛がってきたメイムにそう告げられた。
「やかましいわ!!!」
心から、今の俺は不幸だと思える。
◇◆◇
ぺたぺたぺた。
今日のお仕事は机仕事であります。
「あー、今日のお手紙はこれだけかな?」
「……午前の分だけですので。――後2回ほどは配達便が届くと思いますよ」
ですから、出来るだけ早めに眼を通しておいてください。
のほほんとした声で確認される竜族の長殿にそう答えました。
城と呼ばれる竜族の長が住まう場所へと住みはじめて、はや20日が経ちます。
……やっぱり、私はお仕事をしていないとダメなようです。
ファンリーさまと共にやってきたお城には、至れり尽くせりな環境がそろっておりました。
「のんびりと過ごしてくださってかまいませんのよ」
ファンリーさまはそう云われましたが、正直に言いましょう。
「仕事をしてる方がよほどのんびりできます」
根っこが庶民の私としては、やることがあった方が心おきなくのんびりできますと主張させていただきました。
笑い上戸なのか、ファンリーさまは爆笑したあとでお仕事を用意してくださいました。
最初に与えられたお仕事はお城のメイドさんと同じお仕事でした。
………その後のことは思いだしたくもありません。
女子力の低い私がお裁縫や編み物や織機の扱いが出来るとお思いですか? 私に出来るのは、せいぜいお掃除しかありませんでしたよ。
「……せっかくですし、長殿の事務仕事の手伝いでもなさいます?」
ぴかぴかに磨き上げた城の廊下を見つめたあとで、ファンリーさまが私に言われました。
「喜んで」
もはや磨く場所もなくなり暇になっていた私にはそう答えるしかなかったのです。
連れてこられた場所では人形の竜族が一人、テーブルに突っ伏しておられました。
「―――またですか」
ため息を放つファンリーさまは諦めの言葉を発せられました。
「あれえ? ファンリーさまじゃないですかああ??」
どこかのほのほんとした声音で返事をしながら、顔を上げたのが竜族の長であるバランさまそのひとでした。
「バランさま。――――寝ないでください!!」
「みぎゃあ、ぎゃい!!」
ごめんなさい、起きてます!!
ファンリーさまの一喝にぴっと跳びはねて座りなおしたのが、この今のお仕事の上司である全竜族の長でした。
……大丈夫か、この一族。
「おつかれさまです」
「…御苦労さまでした」
ぺこりと礼をして、男性形の竜族の方が出て行かれました。
預かったばかりの手紙を分類します。
さまざまなサイズ、色と手触りの封がされた手紙たちです。
今までに見た手紙の中で驚いたのは、大きな水連の葉っぱに書かれていた葉書でしたでしょうか。
端が茶色くなりかけていた葉っぱの御葉書には、大きく「長、生きろ」と書かれてありました。
…どのような交流相手だと心から疑問に思ったことを思い出します。
「みぎゃああああああああ。もういやだ! もういやだ! 僕は夢の世界へ行く!!」
………。
…さて、手紙の話に戻りましょうか。
長へ届けられる手紙には実に多種にわたる内容のものがあります。
友人知人からの時節の挨拶、付き合いのある他種族の代表からの懸案事項のお報せ、なかには各地域に居を構えた竜族からの献上の品なども混じっていることがあります。
多くの手紙には特に目立つ標は付けられてはおりません。
しかし、いくつかの手紙には標が打たれています。
赤の標は『至急の閲覧と対応』を、青の標は『必須の返答を』、黄の標は『閲覧・認知』を求める文となります。
それを把握するためには封書に張り付いた蝋印を確認する必要があります。
現代の日本ではなかなかお目に書かれない蜜蝋を垂らした上に押印を施した文は、もっとも公的な文だとされています。
その蜜蝋によって固定された色のついた異物。―――それが何色であるかによって、その文の扱い方が変わるのです。
赤色の糸や刻まれた紅葉が蝋によって固定されたものは至急の対応を望まれている内容が書かれていることが決まっているため、即座に長へと届けられることになります。実際に届いたものの文面は『すいませんが、ウチの近くに遊びに来た竜族が生活道路に陣取ってるせいで支障が……』とか『音痴な歌が一昼夜響いてて困る』とかそんな内容のものだったかと思います。
青色の石の欠片や紺色の染糸が固定されていた場合は、赤色ほどの重要性はないものの確実な回答を要する問題が……「僕も自由になりたい! 世界にちらばる美味しいもの食べ放題の旅にでたい!」……問題が、書かれていることが多いため赤の文の次の優先順位のものとなります。
内容もまた長だけですぐに可決できるものとも限らず、赤と青の文が届いたときには竜族の老の名を持つ竜族の上位種たちに意見を聞いたりするようです。
結果、『ああ、グラナンだろ。あいつまた肥えたのか』とか『…誰か、ルイザちょっと捕まえてこい。竜族の威厳が……』などといった結論や方針がそうやって決まります。
黄色の葉の欠片や貝殻を砕いたものが固定されていた場合は、決定事項としての文ですので基本的には返信は必須ではありません。ただし、実際に届いているのかを把握しあうために返信をするのがこの部屋の主たちのやり方となっているようです。ちなみに、最近こちらで把握した黄の文は『荷の中身の確認の徹底と運搬方法の見直しを図ることになった。割れ物は今後急ぎでは取り扱わないから余裕を持って依頼してくれ!』という馬族の長アカンザさんからのものでした。
他にも色のついた文にはいくつかの意味がありまして、黒の文は『弔意』を示し、黄金の文は『慶事』を示し、緑の文は『敬意と親愛』を……。
「だから、後は任せた!」
よろしく、佳永くん!
「―――――――待ちなさい!」
逃走しようとした竜族の長殿の足についていた紐をぐいっと引っぱります。
「……なあっ!!」
がたーん! ……リン。
大きな音がこの執務室の中に響きました。
咄嗟に持ち上げた分類済の手紙たちが乱雑に混じらなかったことに安堵いたしました。
「いっ、でえええええ」
何、この紐! いつのまにこんなのあった!!?
勢いよく床に額と鼻をぶつけた中年と呼ぶには幼い行動をお取り下さる長―――バランさまが元気に叫んでおりました。
「どうして私に任せるんですか。――― 長さま?」
「…や、やああ。佳永くん。今日も二つに結んだお下げがとてもかかかかかかわいいね!」
焦って褒められても、何も嬉しくはありません。
…長さまの人形は、中肉中背。紺色の髪に黄色の瞳。――見た目をあわせていうのであれば、40代に乗っかったか否かという程度の年齢に見えます。
群青色の上衣に白のドーティを身に付けたバランさまの放りあげられた左足には、私が掴んでいる編み紐の端が括りつけられています。
「敵前逃亡は大きな重罪ですよ。―――お仕事をしてください」
「佳永くん! 後生です! 旅にでさせてください! 旅に!!」
僕を世界の美味しいもの達が待ってるんです!
暴れるたびに逆に紐が絡まっていくことも理解せずに、駄々をこねる中年一名。―――マダオですか。
「別に、私はそれでもまったく支障はありませんけれども」
ぽつりと言った本音に、長様の顔が輝くのが見えました。
しかし。
「――――ですが、ミランダさまがどう反応するかまでは知りませんよ」
呟いた瞬間に、鳴った鈴の音を聞きつけて部屋へと駆けこんできた方のお声が聴こえました。
「逃げようとしたのは、どっ・こっ・のっ・―――困った長さまかしら?」
マグマよりも熱く、絶対零度よりも冷たいお声でありました。
「ミランダさま」
「ごめんなさい! 奥さま!!」
しっかりと頭を下げて謝罪するバラン様を見つめつつ思うのです。
…仲のいい御夫婦ですこと、と。
暖かなお茶を注ぎました。
蛇の群れにあるという工芸村の作品らしきティーポットで蒸らした紅茶を三人分。――バラン様と、その第二夫人であるミランダさま、それから私の分です。
書類仕事の小休止として用意したのは、紅茶と…クッキーです。
……まあ、蛇の里で田圃してる蛇族がいるくらいですし、どこかで小麦つくってる一族が居てもおかしくないよねきっと。
己の精神安定のために納得することを選んだのは私です。――――ええ、放っておいてください。
「うま! バカうまい!」
コックを呼べ! 褒めてつかわす!
「……バランさま、クッキーの食べカスは書類に落とさないでください」
…全ての書き写し作業させるぞ、おい。
目線でつい長さまを脅してしまいましたが、気にする方はこちらにはいらっしゃいませんのでいいんですたぶん。
「佳永さん。―――…とてもいい案ですわ」
78時間の徹夜での書き映し(手がき)作業くらいは余裕でしてくださる筈ですものね、旦那さまなら。
己の夫君にして竜族の長であるバランさまへの脅 (げふん)…ご注意して微笑んでくださる奥さまは、素敵なスパルタ妻でした。……たまに、バランさまの口に負けてお二人の惚気会話がはじまることさえなければいい仕事場なんですよねここも。
無糖の紅茶に口をつけつつ、ミランダさまへ会釈を返した私でした。
「お仕事には慣れましたか?」
のほほん。
「……ええ、おかげさまで」
仕事の大体の流れでしたら、なんとか慣れました。……私が慣れていないのはそこじゃないんです。
「確認したいのですが。……バランさまには性格が二つか三つほどございますか?」
失礼かとも思いつつ、気になってたまらないことでしたので確認させていただきました。
「そうですねえ、……基本人格と机仕事用人格と竜族族長用人格とパニック用人格で、最低4つはあるんじゃないでしょうかねえ」
僕にもよくわからないんですけどもねえ。
ほにゃりと笑って長殿は言われました。
先ほどの小休止によってパニック用人格(別名:仕事のストレス重複による逃走切望人格)はどうやらバラン様の精神世界の奥底へと引き込んでいったようです。
愛のなせる業か、ミランダさまがお仕事をある程度仕分けしていってくださったことも原因の一つだとは思うのですが。(ちなみにミランダさまはその後すぐに自室へと御戻りになられました。彼女は現在育児に忙しいのです)
「……おつかれさまです」
直視して云えなかったのは私です。―――あまりにも、バランさまが憐れすぎました。
なにしろ、竜族の基本は何度も言いますが、個人過ぎです。――失礼、間違えました。――個人主義です。
そう、個人主義!
………どんだけフリーダムだと思いますか、本当にもう。…涙がちょちょ切れます。
先ほどの手紙の文例を思い出していただけると解る気もいたしますが、竜族は基本的には里に住む者もおおいのですが、蛇族ほどではないにしても旅が好きな連中です。
自前の飛行能力で好きな場所を探し求めて、別荘あるいは秘密基地感覚で他の群れの領域でこっそり暮らしてる輩も多いのです。……良識ある竜族であれば、多くは人形姿にてすごされるため、そんなにも問題にはなりません。
ですが、―――たまに。
ちょっと困ったチャンが現れるのですよ。困ったチャンが。
具体的にいうのでしたら『酒を飲んで気持ちよく入眠した際にうっかりと本態である竜形に戻ってしまい、家屋を損害あるいは道路封鎖』―――頻度は多いトラブル例ですが、大体は族長のとこにはこないで本人が収集つけるので無問題。ごねるようなことがあれば、こちらへお手紙が届きますけどもね。(そして、お郷へ回収されて説教されるという流れ)
次に多いのは、『爆音被害』――――歌の好きな竜族に多いのですが、気持ちよく竜形で歌ったら思ったよりも周囲の群れに響き渡って怯えられたり、子供が泣いたりしたとかいうものです。これもよくあるんですが、基本的には本竜が注意するしかありません。申し立てられた場合は、素直に反省して他の場所へ移動しているようです。鼠族さんとかは怯えてしまってなかなか本人に苦情を申し立ててくださらないので、見かねた旅人や他種族の方を介してこっちに連絡されます。――――勇気だしていいんですよ、長!!(応援)
稀にあるのが、コレクター連中のトラブルです。…これが一番困ります。
ブラシ集めの旅(各種族のもふもふ収集)や、名本写本の旅(猿族の図書館御愛用)などいろいろと具合はかわるのですが、……度が超えると迷惑になるんです。ええ。
たとえば、『日参で毛を下さいとか申し込まれててツライ』などととある族長から文が来たり、猿族から『図書館での写本つくりはおやめくださいと何度言ってもききません』などという苦情が来たり。
………趣味もいいけど、他人に迷惑かけないでください。ほんっと。
毎日届くフリーダムな竜たちのトラブル報告とそれへの対応に追われる長さまが可哀想です。
―――でも、逃す気はありませんが。
ファンリーさまとチェイサさまに了解をもらい用意して頂いた蜘蛛の糸を合わせ紡いだという縄を、郵便が届く前になると長の足に括りつけるのが私の最近の仕事なのです。
『長の雑用兼逃走防止のお仕事、お願いしますわね。佳永さん』
『ほほう、さすがは落人どの。―――良いお仕事を期待しておるぞ』
笑顔で私に言って来た御老体2名に、長への愛はどこにあるのかと突っ込むのは残念ながら私の仕事の範疇の外にあります。
自力で抗議してくださいね、バランさま。
◇◆◇
「―――お昼寝ですか?」
ひょこんと訪れたのは城の保育室です。―――どっちかというと子供部屋でしょうかね?
「カナ、さん」
「…ええ。ようやく眠ってくださいました」
竜族の長バランさまの子供たち付きのメイドであるユインさんとアライアさんが、そこには居らっしゃいました。
「お仕事は終わりましたの?」
首をかしげたのはユインさんです。
龍形種であるユインさんとは竜族のリアディさまに保護されていた時にお会いしたのが初めてでしたが、あの頃はまさかこのようなことになるとは思ってはいませんでした。
ファンリーさまにお仕えしているとお聞きはしていましたが、まさかお城勤めをしているとは思ってもいなかったのです。
竜族の長の子供たちの教育係であるファンリーさまに、『部下として』お仕えしているという意味だったのですね。勘違いしていました。
「……長さまは今日は調子がいいのかしら?」
お茶の用意をしながら声をかけてくれたのはアライアさんです。
竜形種だとお聞きした彼女の人形は、サリ―がよく似合う天然パーマの栗色の髪の美女でした。
―――仕草の端に妖艶なフェロモンをにおわせるお姉さんです。
…情操教育的にありなんでしょうか?
昨今の教育方針の是正について、私はよく認識していないのですけれども。
「はい。…今日は早々にお仕事が終わったとのことでして、ミランダさまとイオさまのもとへと戻られました」
満面の笑みで駆けて行った長の後ろ姿を思い出します。―――走るときは若干内股ぎみなんですね、バランさま。……男の人なら内股走りはやりにくいと思うのですが。
ちなみに、イオさまとはバランさまの第一夫人の名前です。人見知りの気がある方らしく、私はまだお会いしたことはないのです。
第二夫人であるミランダさまとの仲は良いらしく、6歳だというイオさまのお子様をお二人そろってお育てしているらしいです。
病弱に生まれついた第二子につきっきりだとも聞いています。
「うわあ。珍しい」
途中で逃げ出さなかったんだ、バランさま。
「…さすがはファンリーさまのご推薦。素晴らしい手腕ですね、カナさんの手綱さばきは」
「ははは……」
…感心されてしまいました。
個人的には、豹族に保護されている落人のリナさんの手腕の方が優れていると私自身は常々思うのですけども。―――よければお姉さまと呼ばせてください。
尊敬する女性たちが世のなかには溢れすぎてて困ると思います。――いえ、幸せですけども。
「……殿下はぐっすりですか?」
うずうずと手が疼くのです。
――――癒しを、癒しを私に下さい。
「……あちらに」
「起こしちゃイヤですよ、カナさん」
私の中毒患者のごとき視線の落ち付きのなさに許可がおりました。ありがとうございます!!!!
……こほん。
うっかりと怪しげな気配を子供たちに与えてはいけませんので、自重するために息を整えました。
…大人のふりって、たまにつらいんですよね。
起毛の少ない絨毯に、麻布でつくったクッションが一つ。
その上に転がっているのが、竜族のちいさなもの。
―――――仔竜です。
【むぎゃ……】
ころんと転がったミニマムな竜形の色は白色でした。―――まだまだミニマムな背中のトサカ…じゃなくてたてがみには真っ赤な色がのっかっています。
彼こそが、バランさまの三男坊くん。…幼名ガ―プくんです。
まだまだ眠ると竜形に戻ってしまう彼は、私の現癒しといえましょう。以前の癒しであったイアンくんにも会いたいのですが、遠くに離れてしまったので会えないのです。哀しいです。
「………」
つん。
【んぎゃ……】
再びころんと転がりました。―――――可愛い。
つん。
ころん。
つん。
ころん。
【むぎゃあああん】
むくりと、いきなりガ―プくんが顔を上体を上げて座りました。
瞳はいまだ虚ろなままです。
「……ガ―プくん、まだ寝ててもいいんですよ。―――おやすみなさい」
なでなで。
おでこを軽く撫でながら、掌全体と指を使ってガ―プくんの瞼を閉じさせました。
【むぎゃ……おにゃすみなしゃい】
こてん。
ガ―プくんは素直に前へと転がりました。
ころんころんぽてん。
頷いた拍子に、頭の重みで前方へと二回転したのはとても愛らしいです。
まだまだ小さなガ―プくんは成体の竜と違って頭の大きさと身体のサイズが不安定なのですぐ転がりやすいのです。―――なんだ、この可愛い生き物。
心から愛でる私でした。
【むぎゃす……】
私の胸で受け止めたガ―プくんの鱗はぴかぴかの煌めきでした。完璧です。
「ガ―プさまは将来大物になると思うの、私」
「私もよ」
かりかりとクッキーを噛んで呟いたユインさんにミルク紅茶を混ぜながらアライアさんが同意していたことは、握り拳で歓びを溢れさせていた私には知る由もありませんでした。
◇◆◇
「本当に?」
「ええ。このように手に導かれるようにして動くと意外と動きはスムーズにいくものなのですよ」
「腰じゃなくて?」
「腰も人形での動き方には重要な部位ではありますが。―――― 手もまた大事なんですよ?」
「手引き…ですか?」
「そうですね。そう言ってもいいと思いますよ」
「うふふ。なんだか悪いことしてるみたいね」
「ふむ。――――――面白い」
本日は、お茶会という名の講習会へとなり果てたかのようでした。
生徒はバランさまとユインさんとアライアさんとファンリーさまとチェイサさま。―――――それから、バランさまのお子様である長男トラオム・バランさまに、三男であるガ―プ・バランさま。――――次男は欠席でした。
そして、講師はわたし岩倉佳永。―――――何がどうしてこうなったかを是非誰かにお聞きしたいです。50文字以内で説明してください。はい、初め!!
脳内では怒りの抜き打ちテストが始まっていましたが回答者はいませんでした。
最初はお子様たちとのお遊びにすぎなかったことだけは覚えているのです。ええ。
バランさまの長男であるトラオムさまは御年16歳の若者です。まだまだ若いとはいえども、竜形の制御を覚えたという程度のもので、まだまだ人形での身体の扱い方が難しいのだという話をしていたのです。(ちなみに、わたしとトラオムさまの関係は友人でもなく同僚でもなく、ガ―プくんを愛でようという趣味をともにするというだけのものであります)
「転び過ぎてドーティ繕わせてばっかりでさあ、ごめんなあ。ユイン、アライア」
申し訳なさそうにいうトラオムさまは、とてもよい好男子であると私は即認定しました。
「……歩幅はどれくらいで歩かれていますか? ふだん」
もちろん、人形のときですよ?
そして、自ら彼にそのように問いかけたことも覚えているのです。
「えーっと。……こんなかんじ」
ちょこちょこちょこちょこ。
歩いて見せるトラオムさまのお姿は、まるで鳥の雛のようでした。―――――バランス、悪っ!!
「気を付け!!!前を見つめて、背筋を伸ばして、軽く顎を引く!!!」
「はい!!!」
びし!
軍隊の号令のごとく発した命令にしっかり反応した好男子は、―――――っふ。
……ここにも、喜んで女子につき従いそうな遺伝子を発見してしまいましたよ。本気で何者ですか、竜族。へたれ遺伝子の末裔ですかそうなのですか。
「―――そのまま、軽く両足を肩幅ほどに開いてください。体の重心は臍の下に」
中心に体軸を定めた後に息を大きく吸いながら両手を上にまっすぐ伸ばし、そのまま真下へと腕を降ろす。―――― これが基本姿勢であるべきでしょう?
「こう? カナ?」
なんか安定した気がする。
トラオムさまが言われるままに基本姿勢をとって、尋ねられました。
――― 竜族は生れた頃から人形になれるというのは真ですが、やはり本来の姿である竜形にばかり好んでなってしまうのは仕方がないことです。おかげで10代の頃(分別がつくようになり、人化した社会生活のなんたるかを考えだす頃)には、人形をとることをマスターしようと練習しはじめるのだというのは、よくある話です。
トオラムさまも慣れない人形の扱いに苦労している途中らしく、歩いて走って踊って転ぶの流れを経験しているらしいです。
ですが、こちらも古武術などというより洗練された人身の扱い方を修めた身としては突っ込まずにもおられず口を出してしまったわけです。―――余計な御世話でしたら申し訳ないのですが…。
「で、次どうすんの? カナ!!」
「……」
おせっかいすぎたかと一人で反省していたところ、ノリノリの笑顔でトラオムさまがこちらを見つめておりました。
指示されたことが新鮮で楽しかったようです、意外に。
…… 素直な若者が眩しいです。
「―――――――――常に軸足と上体のバランスを把握してください。安定は維持と支持には最適ですが、勢い(スピード)と重心の移動を考える場合には不安定を利用する体感覚を養う必要があります」
上体下体のバランスと重心の移動保持。
古武術を考える上での大切な要素です。――――あとは意外にも思いこみなどを利用するのも特徴的ではありますけども。狐の手とかね。
安定は不安定に負けることがあるということをよく知っていた先人の知恵の塊です。
西洋においての武術と違うのは左右に分けてとらえるのではなく、上下で認識しているところな気もします。
四つ足(前肢・後肢)に近いような感触なので、より獣的な感覚を重視して身体への負担を少なくしようとしたととらえることが出来ると思います。
「ふむふむ」
「たとえば、手引きでの遊びで感覚を養うのも手でしょう」
「どんなふうに?」
「――片手をお互いに繋ぎ、それを引きあいます。お互いに足を動かさないようにルールを作ったうえですると上体の扱い方の感覚を養えます」
質問に答えて、トラオムさまの手をつなぎ実演しました。
「これを巧くこなすためには、人体の隙間やひねりを利用する必要があります。 逆に望ましくないことは、膝の関節や股関節をロックしてしまうことでしょう。安定のためであればそれは良い方法ですがこの遊びはむしろ不安定さを使いこなすためのものです。関節は軽くゆとりをもたせてあげたうえで行うべきだと思います」
「なるほど」
「なかなか」
口でいうのはたやすのですが、それを身体で実感出来るようになるのは……個人差があるだろうなあ。
教える側も己のやってることを言葉で抽出しているだけなので、なかなか直接理解に及ぶわけでもないだろうし。
それでも言葉をつくして伝えるのは、教える側の仕事だ。
10を述べて、1を掴むきっかけになってくれればいいと思う。
それだけが他人でしかない私たちの出来る教え方だと思うから。
若さのなすものなのか、何度かふらつきながらもトラオムさまもこの遊びの楽しみ方を理解されたようでした。汗ばみながら笑っておられます。
「―――ところで」
「うんうん」
「面白そうねえ」
「ぼくもやるうう」
部屋にいる人数が増えていました。
「――――――いつのまに見学者がふえたのでしょうか? チェイサさま、ファンリーさま?」
「うむ? ワシは面白いことには喜んでくいつく人生を推奨しておるだけですぞ?」
飄々と告げたのは、竜族の大老であるチェイサさま。
「あら? 育児室は私の仕事場でもありますもの。―――仲間はずれにしちゃイヤですわ」
にこにこと告げたのは、竜族の長の一族の傅(教育係)であるファンリーさま。
「ぼくもにい様と遊びたいです!」
一生懸命に手を上げたのは先ほどまでのお昼寝から目覚めたらしいガ―プさまでした。
初めからトラオムさまと私の会話を聞いていたはずのメイドであるユインさんとアライアさんはというと。
すっかり綺麗に繕われたドーティをトラオムさまに返却しているところでした。
――――密告者は結局ユインさんとアライアさんのどちらだったのでしょうかね。
集まった竜族の上位種相手に遊びを教えること小一時間。
喜んでもらったことは嬉しいですが、まさか明日も遊んでねなどとガ―プさまやトラオムさまに言われる羽目になろうとは思ってはいませんでした。
……なぜこうなったのでしょう?
「佳永さんにお届けモノがあったのよ」
実はそれで此処まで来たところだったの。
少し汗ばんだ髪に持ち歩いている櫛を通していたところ、声をかけてきたのはファンリーさまでした。
もちろん、周囲にはすでに男性たちはおらず女性たちしかおりはしませんでした。
「――――これは誰からの?」
「もちろん」
リ―坊からよ?
手渡された手紙の裏には、リアディと一筆されていました。
色は、緑。
「――― ほんとうに、リアディさまは…」
バカですねえ。
呟いたあとで涙が零れ落ちたのは、私のどんな感情のあらわれであったのでしょうか?
「……ねえ、佳永さん。あなたは、あの子が嫌いかしら?」
笑んで尋ねた、リアディさまの名付け親には嘘などつけるはずもない。
「 嫌いになることが出来たなら、―――私はもっと楽だったはずなんですよ、ファンリーさま」
あれほどに、優しくしてくれた獣は。
あれほどに、厳しく対応してしまった獣は。
今でも、己の思いを緑の文で贈る。―――― 赤でもない、青でもない色で。
私の答えはなくともただ愛していると告げるためだけに。
彼は文を結ぶ。
――――――――――敬意と親愛を示す、優しい緑の文で。
私はその手紙を受け取っただけで終わらせるつもりでいる。
開封することはきっとない。
ただただ、家族のもとへと帰るためだけに。
愛など要らぬ、恋など要らぬ。
信頼と親愛だけがあればいいから。―――だから。
「 私のことなど忘れてほしいのですよ 」
リアディさま には。
この《動物が人へと転化する世界》では。
――――――――― 片側通行の想いだけが、文となって滞っている。
了
スクロールおつかれさまです!><
ようやく言ってくれたね、28歳!!(泣)
今回はキャラも増えました。郵便設定も勝手に作りました。
他の群れさんでは解りませんが、この竜とりではこのような設定になっているということでよろしくおねがいいたします!><。
※古武術につきましての考察は古武術介護の先駆者である岡田慎一郎さんの著書などを参考にさせていただいたうえでの私の解釈によるものです。ちょっとこの解釈間違ってる気がするよ?と思われる方がいらっしゃいましたら、是非ご指摘ご指導よろしくおねがいいたします!
※兎・馬・猿・豹の一族設定より一部出演していただきました。ご容赦ください。