静かに消される。
あの日から、彼は変わった。
──優しくなった。
前よりも、もっと。
朝は必ずキスをしてくる。
「ちゃんと寝れた?」
仕事の合間にも電話をくれる。
「今日も無理すんなよ」
まるで、何もなかったみたいに。
いや。
『何も無かったことにする』ために、優しい。
私は、それに気づいている。
でも。
気づいていないふりをする。
あの日、私は謝った。
彼も謝った。
それで終わったことになっている。
でも、私の中では終わっていない。
夜。
彼がシャワーを浴びている間。
私はダイニングテーブルに置かれたスマホを見る。
前より堂々と置かれている。
伏せていない。
でも通知はほとんど来ない。
来ても、仕事関係ばかり。
あの“さやか♡”は、いない。
消えた。
トーク履歴も。
検索しても出てこない。
綺麗に。
何もなかったみたいに。
私は画面を閉じる。
やっぱり。
続いている。
ただ、痕跡を消しているだけ。
背中に冷たい汗が流れる。
彼は学んだ。
バレない方法を。
私が見ることを前提に、対策を始めた。
その事実が、じわじわと胸を締め付ける。
「何してるの?」
後ろから声。
私は飛び上がる。
振り返ると、彼が立っている。
タオルを首にかけたまま。
「べ、別に」
咄嗟にスマホを置く。
彼はそれを見て、少し笑う。
「まだ疑ってんの?」
柔らかい声。
でも目は笑っていない。
「疑ってない」
即答してしまう。
本当は、疑ってる。
でも言えない。
言ったら、また『俺傷ついた』が始まる。
彼はスマホを手に取る。
画面を軽く確認する。
そしてポケットへ。
「俺、ちゃんとしてるよ?」
ちゃんと?
何を基準に?
「結婚控えてるんだぞ」
そう言って、私の顎を軽く持ち上げる。
キス。
優しい。
でもどこか、確認みたいなキス。
『まだ俺のものだよな』って。
その夜。
彼は珍しく、早く寝た。
寝息は安定している。
私は目を閉じたまま、呼吸を整える。
数分。
十分。
彼が完全に眠ったのを確認して、そっと起き上がる。
ベッドの横。
彼のズボン。
ポケット。
心臓が暴れる。
だめ。
でも。
確かめたい。
ゆっくりと、スマホを取り出す。
画面をつける。
ロック解除。
LINEを開く。
一覧は綺麗。
本当に何もない。
でも。
私は前回、スクロールの奥で見た。
『非表示リスト』
設定を開く。
指が震える。
非表示アカウント。
一件。
名前は、ただの“さ”。
ハートは消えている。
私はそれを解除する。
トークが戻る。
最新メッセージは今日の昼。
——今日は無理?
——あいつ最近うるさい
——でもちゃんとフォローしてるから平気
血の気が引く。
『フォロー』
私への優しさは、フォロー。
スクロール。
——削除しとくね笑
——さすが♡
目の前が暗くなる。
今も続いている。
しかも。
私が見たあとで、やり取りしてる。
私が泣いて謝ったあとで。
彼は、何も止めていない。
ただ、隠す技術が上がっただけ。
ベッドが軋む音。
私は反射的にスマホを戻す。
横になる。
目を閉じる。
彼が寝返りを打つ。
腕が伸びてきて、私を抱き寄せる。
「……好きだよ」
寝言みたいな声。
涙が溢れる。
好き。
その言葉を、何人に言ってるの?
でも私は、彼の腕を振りほどけない。
あたたかい。
安心してしまう。
壊れているのは、彼だけじゃない。
私もだ。
でも。
胸の奥に、今までとは違う感情が芽を出す。
悲しみじゃない。
絶望でもない。
もっと静かで、冷たいもの。
──証拠。
次は消させない。
私は、目を開けたまま、天井を見つめる。
もう、泣くだけじゃ終わらない。
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