ごめん、でも
彼は、ため息をついた。
深く。
面倒くさそうに。
それから、急に表情を変えた。
眉を下げる。
目を伏せる。
声を落とす。
「……ごめん」
その言葉に、胸が反応してしまう自分がいる。
最低。
何を期待してるの?
「傷つけるつもりはなかった」
彼はそう言って、髪をかきあげる。
少し弱った顔。
私が一番ほっとしてしまう顔。
「なんで?」
自分でも驚くくらい、声は静かだった。
怒鳴りたいのに。
泣きたいのに。
「……お前が不安定だったから」
空気が、止まる。
「え?」
「最初の頃さ、毎日泣いてただろ」
やさしい口調。
責めてないふり。
でも、刃はちゃんと私に向いている。
「俺、支えなきゃって思ってさ」
『支えなきゃ』
それは愛じゃなかったの?
「でも正直、きつい時もあった」
彼は私をまっすぐ見ない。
視線を少し外す。
罪悪感を抱いている“ふり”。
「さやかは、楽なんだよ」
楽。
またその言葉。
「何も求めてこないし、重くないし」
胸がぎゅっと縮む。
重い。
私は重い。
やっぱり。
「でも本気じゃない」
彼はすぐに続ける。
「結婚するのはお前だし」
その言葉が、余計に気持ち悪い。
本命だから浮気していい、みたいな論理。
私は何も言えない。
彼が一歩近づく。
「別れるつもりなんてなかった」
手が伸びてくる。
頬に触れられる。
反射的に体がこわばる。
それに彼は気づく。
一瞬、目が冷える。
でもすぐ戻す。
「ほら、またそうやって固まる」
小さく笑う。
「だから心配になるんだよ」
私のせい?
私が不安だから?
私が依存してるから?
「俺だって人間だよ」
声が少し強くなる。
「完璧じゃない」
責めてないのに。
問いただしただけなのに。
いつの間にか、私が責めている側になっている。
「ごめん。でもさ」
彼は続ける。
「携帯見るのは違うだろ」
きた。
論点のすり替え。
私は唇を噛む。
「信じてないってことじゃん」
違う。
信じたかったから見た。
でも言葉にならない。
「俺、傷ついたよ」
その一言で、心臓が跳ねる。
傷ついた?
あなたが?
「二年間、ちゃんと隣にいたのに」
ちゃんと?
本当に?
頭が混乱する。
彼は静かに言う。
「俺の優しさ、なんだったんだよ」
その言葉に、涙が落ちる。
優しかった。
本当に優しかった。
発作の夜も。
泣き崩れた日も。
抱きしめてくれた。
あれは全部、嘘?
「……ごめん」
気づけば、私が謝っている。
違うのに。
謝るのは、私じゃないのに。
彼はそれを待っていたみたいに、ほっと息を吐く。
「もういい」
そして、抱きしめる。
強く。
少し痛いくらいに。
「ちゃんとするから」
何を?
浮気やめる?
それとも、バレないように?
でも今は、その腕の中があたたかい。
怖い。
こんな状況で、安心してしまう自分が怖い。
彼が耳元で囁く。
「俺から離れないよな?」
確認。
約束じゃなくて、確認。
私は答えられない。
でも彼は勝手に頷く。
「ほら」
優しい声に戻る。
「大丈夫だろ?」
胸の奥で、何かがゆっくりと歪む。
これが。
これが本当の始まりだと、どこかで理解しているのに。
私は、彼の服を掴んでしまう。
離れないように。
逃げないように。
自分から。
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