二度目の振動
夕飯は、彼の好きなハンバーグにした。
玉ねぎを刻むたびに、さっきの通知が頭をよぎる。
「さ……♡」
包丁を持つ手が、ほんの少し震える。
考えすぎ。
証拠はない。
私はフライパンに向き直る。
ジュッ、と油が跳ねる音。
そのとき。
ポケットの中で、ぶるっと震える音がした。
彼のスマホ。
さっきポケットに入れたままの。
彼はソファに座ってテレビを見ている。
振動に気づいたはずなのに、すぐには取り出さない。
わざと?
それとも気づいてない?
数秒。
長い。
私は無意識に彼を見る。
彼は視線に気づき、ようやくスマホを出した。
画面を見る。
その瞬間。
ほんのわずかに、口元が緩んだ。
柔らかい、見覚えのある笑み。
私に向けるのと、同じ笑み。
喉の奥が、ひりっと焼ける。
「誰?」
気づけば、声が出ていた。
彼は顔を上げる。
「ん?」
とぼけた顔。
「今の」
できるだけ軽く。
できるだけ、何でもないふうに。
彼は一瞬だけ視線を落とす。
そして、笑う。
「仕事だよ」
即答。
でも画面はもう消えている。
私はフライ返しを握る手に力を込める。
仕事。
ハート付きの名前が?
いや、まだ見たわけじゃない。
見えてない。
さっきも、途中までしか。
もしかしたら“さとう部長”かもしれない。
でも部長に♡つける?
つける人もいるかもしれない。
いる、よね。
「ふーん」
それ以上聞けない。
空気が変わるのが怖い。
彼はスマホを裏返してテーブルに置いた。
その仕草が、やけにゆっくりに見える。
「お前さ」
彼が言う。
心臓が止まりかける。
「最近、ちょっとピリピリしてない?」
やわらかい声。
責めるわけじゃない口調。
でも、矢は私に向いている。
「してないよ」
即答してしまう。
本当は、ずっとしてる。
ずっと不安で、ずっと怖い。
でも言ったら面倒くさい女になる。
彼はソファから立ち上がる。
私の後ろに来る。
背中に腕が回る。
ぎゅっと抱きしめられる。
「大丈夫だって」
耳元で囁く。
その声に、一瞬だけ涙が出そうになる。
ああ、やっぱり好きだ。
この匂い、この体温。
安心する。
でも。
安心している自分が、馬鹿みたいに思える。
さっき、笑ったよね?
あの顔、私だけのものじゃないの?
「信じろよ」
彼が言う。
言ってないのに。
疑うって、言ってないのに。
胸がぎゅっと潰れる。
なんで?
なんで“信じろ”って言うの?
私は何も言ってないのに。
それって、もう。
疑われる前提で、言ってる?
頭の中がぐちゃぐちゃになる。
ハンバーグが焦げる匂いがする。
「あっ」
慌てて火を弱める。
彼はくすっと笑う。
「ほら、集中しろって」
その言い方が、少しだけ子ども扱いみたいで。
胸の奥に、小さな棘が刺さる。
夜。
ベッドに入っても眠れない。
隣で彼はすぐに寝息を立てる。
本当に寝てる?
それとも、寝たふり?
私は天井を見つめる。
“さ……♡”
あの途中で切れた名前。
今もやり取りしてるのかな。
今日のコンビニの帰り道、返信したのかな。
私がキッチンにいる間に、消したのかな。
証拠はない。
でも、疑いはもう芽を出している。
見なきゃ。
ちゃんと見なきゃ。
疑うなら、ちゃんと。
彼が言った通り。
でも。
見たら戻れない。
私はそっと横を向く。
彼の寝顔は穏やかで、優しい。
この顔を、私は知ってる。
この顔を信じてきた。
それでも。
胸の奥で、小さな声が囁く。
——もう、気づいてるよね?
私は、目を閉じる。
明日。
明日こそ。
ちゃんと、見る。
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