表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あなたの優しさは、暴力でした──愛していたから、全部壊した  作者: 熊猫ぱんだ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/21

私が悪い?

 胸が、ざわざわする。

 朝からずっと、落ち着かない。

 理由はない。

 彼は普通に「行ってきます」と言ったし、

 特別冷たいわけでもなかった。


 なのに。


 頭の中で、昨日の背中が何度も再生される。

 触れたとき、少しだけ硬かった感触。

 あれは疲れ?

 それとも、拒絶?

 仕事中も集中できない。

 パソコンの画面を見ているのに、文字が入ってこない。


 ──嫌われたかもしれない。


 ──重いと思われたかもしれない。


 ──昨日の“ごめん”が多すぎた?


 心臓が速くなる。

 呼吸が浅い。

 手のひらがじっとり汗ばむ。

 久しぶりだ。

 この感覚。

 カウンセリングに通っていた頃、

 先生に言われた。


 「不安は事実じゃなくて、予測です」


 わかってる。

 でも身体は聞いてくれない。

 トイレに駆け込んで、個室に座る。

 スマホを握る。

 彼とのトーク画面を開く。

 昨日の最後のメッセージは、私。


 『おやすみ』

 既読はついてる。

 それだけ。

 何か送りたい。


 『今日何時に帰る?』

 いや重い。


 『会いたい』

 重すぎる。


 『好きだよ』

 それは…試してるみたい?


 送れない。

 胸がぎゅっとなる。

 涙がにじむ。


 ──こんな私、やっぱり面倒だよね。


 帰宅は、今日も遅かった。


 「ただいま」


 声は普通。

 私は無理やり笑う。


 「おかえり」


 心臓はまだ落ち着かない。

 夕食中、私はずっと彼の顔色をうかがう。


 楽しそう?

 不機嫌?

 疲れてる?


 彼は気づいたのか、眉をひそめる。


 「なに?」


 「え?」


 「さっきから顔色うかがってるけど」


 ドキッとする。

 そんなつもりじゃ。


 「ううん、別に」


 笑う。

 ぎこちない。

 彼は少し黙ってから言う。


 「また不安?」


 その一言で、涙がこぼれそうになる。

 図星だから。

 でも、責められているみたいでもある。


 「違うよ」


 反射的に否定する。

 本当は違わない。


 夜。

 ベッドに入る。

 彼はスマホを触っている。

 私は背を向ける。

 鼓動がうるさい。

 突然、呼吸が浅くなる。


 あ、やばい。


 胸が締めつけられる。

 喉が詰まる。


 「……ごめん」


 気づいたら、声が出ていた。

 彼が振り向く。


 「どうした」


 私は震える。


 「なんか、息が……」


 久しぶりの発作。

 彼はため息をつかない。

 背中をさする。


 「落ち着け」


 低い声。

 安心するはずの声。

 でもどこか、作業みたいだと思ってしまう。


 「俺いるだろ」


 その言葉に、胸が痛む。

 いる。

 いるのに、苦しい。

 私は泣きながら、彼にしがみつく。


 「ごめん……また」


 謝る。

 彼は少し沈黙してから言う。


 「いつまでこれ続くの?」


 世界が、止まる。

 大きな声じゃない。

 でも、確実に刺さる。

 私は言葉を失う。


 「治してやりたい」って言ってくれた人が。

 「俺がいるから大丈夫」って言った人が。

 今は、終わりを想像してる。


 「ごめん」


 また、それしか出てこない。

 彼は私の手を握る。


 「責めてない。ただ、俺も人間だから」


 正論。

 間違ってない。

 だから余計に苦しい。

 私は彼の胸に顔を押しつけながら思う。


 ──やっぱり私が悪い。


 不安になるから。

 重いから。

 治りきらないから。


 彼は悪くない。


 私は、ちゃんとしなきゃいけない。

 そうやって、自分を追い込むことでしか、

 今はこの関係を守れない。

 でも心の奥で、小さな声が囁く。


 本当に?

 それ、本当に私だけの問題?




 土曜日の昼下がり。

 彼はめずらしく在宅で仕事をしていた。

 ダイニングテーブルにノートパソコン。

 スマホは、その横。

 画面は伏せられている。


 私はキッチンで洗い物をしながら、何度も視線を送ってしまう。

 触らない。

 見るつもりもない。

 ただ、そこにあるという事実が、落ち着かない。


 ──信じるって決めた。


 昨日の発作のあと、彼は優しかった。


 「病院また行くか?」

 「一人で抱えんなよ」


 少し疲れた顔で、でもちゃんと言ってくれた。

 だから私は、疑わないって決めた。

 なのに。

 彼が立ち上がる。


 「コンビニ行ってくる。コーヒー切れた」


 スマホを……持たない。

 テーブルに置いたまま。

 心臓が、どくん、と大きく鳴る。


 「すぐ戻る」


 ドアが閉まる音。

 静寂。

 テーブルの上のスマホが、やけに存在感を持つ。

 見ない。

 見ないって決めた。

 でも足が勝手に動く。

 テーブルの前に立つ。

 指輪がきらりと光る。


 『俺がいるから大丈夫』


 あの声が、頭の中で響く。


 ──信じろよ。


 昨日の言葉も。


 ──疑うならちゃんと見てからにしろ。


 ちゃんと見るって、どういうこと?

 私はそっとスマホに触れる。

 冷たい。

 ロック画面は暗い。

 指を離そうとした、その瞬間。

 ぶるっ、と震えた。

 心臓が跳ね上がる。

 画面が光る。

 通知。

 ロック画面の上部に、LINEの文字。

 名前は、途中までしか見えない。


 「さ……」


 そのあとに、ハートの絵文字。


 ♡。


 呼吸が止まる。

 仕事?

 ハート?

 いや、今どき仕事でも絵文字使う人いる。

 いるよね?

 いる。

 いるはず。

 頭の中で必死に言い訳を探す。

 でも指が、画面の上に残っている。

 解除すれば見られる。

 誕生日。

 私の誕生日。

 前に、嬉しそうに教えてくれた。


 「隠すもんないし」


 その言葉がよみがえる。

 隠すもん、ない?

 胸が苦しい。

 見たら終わる気がする。

 見なければ、今まで通りでいられる。

 どっちが正しい?

 手が震える。

 こんなことしてる自分が嫌になる。


 最低。


 でも。

 もし本当に何かあったら?

 知らないまま笑ってるほうが、惨めじゃない?

 足音が聞こえた気がして、私はびくっとする。

 まだ帰ってきてない。

 時間は、まだある。

 私は目を閉じる。

 深呼吸。

 心臓の音がうるさい。

 そして、震える指で、パスコードを打とうとする。


 ……。


 その瞬間、玄関の鍵が回る音がした。

 体が固まる。

 反射的にスマホを元の位置に戻す。

 キッチンへ戻る。

 水を出す。

 彼が入ってくる。


 「ただいま」


 私は振り向く。


 「おかえり」


 声が、少しだけ上ずっている。

 彼はテーブルに近づく。

 スマホを手に取る。

 一瞬、画面を見る。

 親指が素早く動く。

 そして、何事もなかったようにポケットへ入れる。


 「どうした?」


 私の顔を見て言う。


 「顔、変だぞ」


 胸がぎゅっと縮む。

 見られてないはず。

 触っただけ。

 何もしてない。


 「なんでもない」


 私は笑う。

 きっと、下手な笑顔。

 彼は少しだけ目を細める。


 「また不安?」


 優しい声。

 でも、その奥が読めない。

 私は首を振る。


 「ううん」


 本当は、さっき見えた“さ”と“♡”が頭から離れない。

 でも言えない。

 疑ったら、またあの目をされる。

 私は夕飯の準備をしながら思う。

 見なくてよかった。

 本当に?

 それとも、怖くて逃げただけ?

 胸の奥で、不安が形を持ち始めていた。


 まだ、証拠はない。


 でももう、完全に無視はできない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ