悪いのは私
同棲して、二週間。
生活は、思っていたより静かに馴染んだ。
朝は彼のアラームが先に鳴る。
寝ぼけた声で「おはよ」と言われる。
コーヒーの匂い。
ネクタイを結ぶ横顔。
その全部が、私の“日常”になっていく。
――幸せって、こういうことなんだ。
思っていた。
違和感は、本当に小さなことから始まった。
最初は、ただの癖だと思った。
彼がスマホを伏せて置くようになったこと。
前は画面上向きだったのに。
でもそれくらい、普通だよね?
通知、見られたくない人だっているし。
私はそう自分に言い聞かせる。
夜。
彼はソファでスマホを触っている。
指の動きが速い。
私がキッチンから近づくと、
画面がすっと暗くなる。
「誰?」
軽い声で聞く。
探るつもりはない。
本当に、ただの会話の延長。
「仕事」
即答。
目は逸らさない。
その自然さに、私は安心する。
――疑うなんて失礼だ。
「最近忙しそうだね」
「年度末だからな」
確かに、そういう時期だ。
私だって社会人だ。
忙しいことくらいある。
なのに胸の奥が、ほんの少しだけざわつく。
その正体を掴めない。
お風呂の時間も、少し変わった。
前はリビングにスマホを置いていたのに、
最近は脱衣所まで持っていく。
「防水だから大丈夫」
冗談みたいに笑う。
私は一緒に笑う。
「依存症じゃん」
そう言うと、彼は少しだけ間を置いてから答えた。
「お前がいるのに?」
甘い返し。
私はまた安心してしまう。
でも、夜中。
彼の腕の中で目が覚める。
ベッドサイドのスマホが、微かに震えた気がした。
気のせいかもしれない。
彼は動かない。
寝息は穏やか。
私は視線だけを動かす。
画面は暗い。
何も見えない。
見えないのに、胸だけがざわつく。
――また始まった。
私の悪い癖。
疑う。
不安になる。
勝手に想像する。
捨てられる未来を、勝手に作る。
彼は優しい。
指輪もくれた。
未来の話もした。
裏切る理由なんて、ない。
私は布団をぎゅっと握る。
「考えすぎ」
小さく呟く。
彼の胸に顔を押しつけると、
安心する匂いがする。
大丈夫。
私はもう、捨てられない。
……本当に?
その疑問が浮かんだ瞬間、
私は目を閉じて、無理やり眠った。
その日は、特別なことは何もなかった。
仕事して、スーパー寄って、
彼の好きなハンバーグを作って。
「うま」
いつも通りの反応。
いつも通り、頭をぽん、と撫でられる。
安心する。
なのに、夜。
ソファに並んで座っていたとき、
彼のスマホが震えた。
画面が一瞬だけ光る。
私は見ていない。
見るつもりもなかった。
でも、視界の端に、ハートの絵文字が見えた気がした。
気のせいかもしれない。
心臓が、どくんと鳴る。
彼はすぐにスマホを裏返した。
いつも通りの動作。
でも、今日は少しだけ早い。
「誰?」
声が、思ったより乾いていた。
彼は一瞬、ほんの一瞬だけ間を置いた。
「仕事だって」
語尾が少し強い。
それだけ。
本当に、それだけ。
でも私はその“だけ”に引っかかる。
「最近、連絡多いね」
言った瞬間、後悔する。
責めるつもりじゃなかった。
ただ、会話のつもりだった。
彼はゆっくり私を見る。
目が、少しだけ冷たい。
「なに?」
低い声。
胸が縮む。
「いや、なんでもない」
すぐに引く。
でも彼は続ける。
「疑ってんの?」
空気が変わる。
怒鳴ってない。
声も大きくない。
でも、圧がある。
「違うよ、そんなつもりじゃ」
私は慌てる。
心臓が速い。
ああ、まただ。
私が悪い流れにしてる。
「じゃあそういう言い方すんなよ」
静かだけど、はっきり。
その一言が、胸に刺さる。
さっきまで普通だった空気が、凍る。
私は笑おうとする。
「ごめん、考えすぎだよね」
彼は少し黙ってから、ため息をつく。
「俺さ」
視線を逸らしたまま言う。
「信用されてない感じ、嫌なんだけど」
ぐさっとくる。
信用してる。
してるはず。
でも不安になるのは止められない。
それって、信用してないってこと?
頭の中がぐちゃぐちゃになる。
「ごめん……」
気づいたら謝っていた。
彼はようやく私を見る。
少し柔らかくなる。
「不安なのはわかるけどさ。
俺、ちゃんと一緒に住んでるじゃん」
正論。
ぐうの音も出ない。
「うん」
「だったら信じろよ」
強くはない。
でも命令形。
私は小さく頷く。
彼はそのあと、私を抱き寄せる。
「怒ってないよ」
さっきの空気が嘘みたいに、優しい声。
「でも、そういうの続くとさ、俺も疲れる」
その言葉に、血の気が引く。
疲れる。
重い。
迷惑。
頭の中で勝手に変換される。
「気をつける」
彼は満足そうに頷く。
「それでいい」
私は彼の胸に顔を埋める。
さっき刺さった言葉が、まだ抜けない。
でも怒鳴られたわけじゃない。
暴力もない。
浮気の証拠もない。
ただ、私が疑っただけ。
――私が悪い。
そう結論づけると、少し楽になる。
だから私は、自分を疑う。
彼じゃなくて。
それが正しいと、信じ込もうとする。
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